(ビジネス社、1994年5月刊) TRC
ベートーヴェンの耳といえば、誰でも知っているのは、「耳が聞こえなくなった」ということだろう。しかし、その一方でわれわれは、メルツェルが彼のために作った「補聴器」のことや、彼が晩年に至るまでピアノを弾きながら作曲し続けたことも知っている。耳が聞こえない人間に補聴器が役に立つのか、ピアノの音が聞こえなくてもピアノを弾いた方が作曲しやすいのか、などということはあまり考えないのだから不思議だ。
しかし、実はベートーヴェンの耳は「聞こえていた」。もちろん健聴者と同じようにではないが、「聾」つまり全く聞こえなかったのではなく、「難聴」だったのだ。難聴にもいくつかの種類がある。ベートーヴェンはおそらく生まれたときから「耳硬化症」という珍しい病気による特殊な難聴で、その症状は健聴者には理解しにくい。
ところが、この特殊な難聴ということを前提にすると、ベートーヴェンの生涯を彩る数々のエピソードが実によく理解できる。そして、あのハイリゲンシュタットの遺書に至る青年ベートーヴェンの激しい苦悩も、その絶望を乗り越えた後の驚くべき創作力も、すべての鍵はこの難聴にあったのだ。
本書は、ベートーヴェンと同じ(と想像される)障害を持つ著者が、天才の生涯と創造の秘密に迫った、衝撃の書。並行して語られる著者自身の人生は感動的だ。同じ著者による『本当は聞こえていたベートーヴェンの耳』(NTT出版、1999)もある。
(ガンバW、2002年7月)