朝岡 聡 『笛の楽園 僕のリコーダー人生

(東京書籍、2002年3月刊) bk1 紀伊國屋BookWeb

 

カメラータ・ムジカーレ第40回演奏会にも出演した朝岡さんが、自らのリコーダー人生とリコーダー音楽への熱い思いを綴った本。ほとんどすべての日本人が十歳頃から数年間リコーダーを学んだ経験を持っているので、こういう本は、一般の音楽愛好家にも「あのリコーダーをその後ずっと趣味として続けるって、どんなことなんだろう」と思わせるところがありますね(だから、需要は大きいと思われるのですが、なぜか類書はないようです)。

「教育楽器」でもあるリコーダーは、古楽器の中で他の楽器に比べてやや「浮いている」感があり、愛好家たちが日頃感じていること思っていることが、他の楽器の仲間たちにはなかなかうまく伝わらないことが多いような気がします。おそらくこの本は、そういう世の多くの熱烈なるリコーダー愛好家たちのさまざまな思いを代弁しているのだろうと思います。「そうそう、これが言いたかったんだよなぁ」と。リコーダーの世界を外(リコーダー・フリークではない一般の音楽・古楽愛好家)に向かって開いてくれるという意味で、本書はリコーダー愛好家たちにとっても待望の書といえるでしょう。しかも、変な気負いや近寄りがたい雰囲気といったものがなく、読者を自然にリコーダーの世界に引き入れてしまう。

もちろんそれだけではなく、たとえばフランス・バロック音楽の特殊な性格とか、ブランデンブルク協奏曲第4番の謎とか、2000年バッハ・イヤーのドイツ旅行記とか、リコーダーを中心にしながらも話題は多岐にわたっているところが、心憎いサービス精神。多くの読者を引きつける要素をもっています。

最も興味深いのは、第1部の最後で、アナウンサーという職業の性格を18世紀の音楽家のそれになぞらえ、さらに司会という役を通奏低音に喩えているところ。バロック時代の音楽家と共通する性格をもつ職業は他にもいろいろあると思われ、実は私の仕事にもそういう面があるのですが、気がつかなかったなぁ。しかし、こういう理屈をこねるのが好きなのも、バロック的人間の特徴でしょうかね。

ところで、バッハはリコーダーの音色に特別な性格を感じて(あるいは与えて)いて、そのイメージを大切にしたからこそ、リコーダー・ソナタを残さなかったのだし、生涯を通じてリコーダーの性格に相応しい限られた場面でしか使わなかったではないか、というバルトルト・クイケン氏や山岡重治氏の話。なるほど、言われてみれば、ですね。朝岡さんはバッハのカンタータや受難曲におけるオブリガート・リコーダーの扱い方を分析し、このことを例証しています。古楽器の世界で似た境遇にあるヴィオラ・ダ・ガンバについては、同様のことをすでに多くの人が指摘しているのですが、リコーダーについてはあまりいわれたことがないと思います。角倉一朗編『バッハ事典』(音楽之友社)のリコーダーの項にも書いてありません。バッハの作品中でリコーダーの活躍する曲が比較的少ないことに、何となく満たされない思いを抱いている多くのリコーダー愛好家にとって、これは大きな福音でしょうね。それにしても、限られているとはいえ、ガンバよりはずっと曲が多いんだから、羨ましいな。

私事ですが、朝岡さんとは小中学校が同じなので、本書の初めの方は特別な感慨を抱きながら読みました。小学校の体育館で行われた演奏会を企画した、父兄の一人であるチェンバロ奏者というのは、当時武蔵野音大の助教授だったピアニストの中川洵氏ですね(私の家族は中川家の一部を短期間、間借りしたことがあり、その縁で妹が夫人にピアノを習っていました。中川氏は1960年代前半にはすでにチェンバロで演奏活動をしていました)。中川氏の「仲間」というと、世代からして、ガンバはおそらく菊池俊一氏(日本ガンバ界のパイオニア)、リコーダーは多田逸郎氏ではないでしょうか。そうだとすると、当時としてはかなりハイレベルの演奏会だったことでしょう。

(ガンバW、2002年4月)