(2018.10.13 日本ホーリネス教団 東京中央教会)
ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681〜1767)は多作家で、4000を超える曲を残したのみでなく、50を超える曲集を自ら印刷・出版しました。
昔から洋の東西を問わず、さまざまな祝宴・饗宴でその場にふさわしい音楽が求められ、それに応えて多くの作品が残されていますが、その中でも最も有名なのがテレマンの「食卓の音楽」です。この作品は全3巻からなり、各巻とも序曲(管弦楽組曲)、四重奏曲、協奏曲、トリオ(三重奏)・ソナタ、独奏ソナタ、終曲という、同じ構成になっています。しかし、どの曲種(例えば四重奏曲)でも、巻によって楽器の組み合わせと調がすべて異なり、さながら合奏音楽の百科全書の様相を呈しています。あらゆる楽器に精通していたテレマンの面目躍如といったところです。
第1巻のトリオ・ソナタは通奏低音に支えられた2つのヴァイオリンが、ある時はカノン風に追いかけあい、ある時は同じ動きでメロディを奏でるなど、バロック後期のトリオ・ソナタとしてきわめて完成度の高い作品となっています。
フランスのアントワーヌ・ドルネル(ca. 1680?ca. 1756)は、生没年もはっきりしていません。1706年、パリのシテ島にある聖マドレーヌ教会のオルガニストに就任してからは、作曲家、オルガニストとして活躍しますが、役職上残したはずの声楽曲はあまり残っておらず、今日では室内楽や鍵盤楽器の作品で知られています。17世紀末になると、フランスには急激にイタリアの音楽が流れ込みました。ドルネルにはこのイタリア趣味を反映させた作品が多く見られます。
1709年に出版された「サンフォニー集」の最後を飾る四重奏ソナタもその一つです。明確な楽章の切れ間がなく、和音が緩やかに推移していく部分とフーガ風のスピード感ある部分の交代が繰り返されます。3つの高音旋律楽器と通奏低音のためにロ短調で書かれていますが、本日は音域の関係でニ短調に移調して演奏します。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)14、15歳の1770年頃に作られたといわれています。3曲1組で出版され、3曲とも大バッハの末っ子、ヨハン・クリスチャン・バッハの鍵盤楽器のためのソナタを編曲したものです。8歳の時に父親レオポルドに連れられてロンドンを訪れたモーツァルトは、当地で活躍していたクリスチャン・バッハから大きな影響を受けました。
全6曲はすべて同じ楽器編成ですが、協奏曲、ソナタ、組曲がそれぞれ2曲ずつ並んでいるので、本日演奏する組曲第2番は最後の曲です。なお、「組曲」とは、同じ調の舞曲を並べる形式です。
赤毛の司祭と呼ばれたアントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)は、当時ヨーロッパ中に名を馳せたピエタ女子孤児院の演奏者たちのため、数多くの技巧的な室内協奏曲を残しています。リコーダー、オーボエ、2つのヴァイオリンと通奏低音という珍しい編成のこの協奏曲も、そのうちの1曲だったのではないかと思われます。
モーツァルトはクリスチャン・バッハのソナタの原形をほとんど変えずに、2声部のヴァイオリンとバス声部を付け加えました。自身の勉強のためということもありますが、コンサートに華やかさを添える目的もあったようです。楽譜の出版にあたって父親から添削も受けており、その後、数々の名協奏曲を生む土台になった作品の一つといえるでしょう。第2楽章は短いテーマによる変奏曲です。
「音楽の練習帳」はテレマンが出版した最後の作品で、愛好家が家庭や社交の場で音楽を楽しめるように、リコーダー、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロのための12の独奏ソナタと12のトリオ・ソナタが集められています。「練習帳」といっても、指の訓練のための単調で無味乾燥な教則本ではなく、むしろプロの音楽家の真似をしようと一生懸命に背伸びをしていた当時のアマチュア音楽家の要求に応えるかのように、小規模ながらも充実した名曲が揃っています。
フルート(フラウト・トラヴェルソ)とヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音という珍しい編成のトリオ・ソナタを、テレマンはこの他に5曲も残していますが、今日最もよく演奏されるのはこの曲です。
テレマンの作品は宗教曲、オペラ、管弦楽曲、室内楽曲、独奏曲とあらゆるジャンルに及び、また彼は幼少期からほとんど独学でさまざまな楽器をマスターし、人々を楽しませるほどの楽才を現していました。牧師の家に生まれたテレマンは、家族の希望によりライプツィヒ大学で法学を学びますが、その頃からすでに聖トーマス教会での礼拝のために曲を提供し、学生たちを集めて演奏団体を設立するなど、音楽家としての道を歩みはじめています。
そんなテレマンが自他ともに認める得意ジャンルが、2つの旋律楽器と通奏低音のためのトリオ・ソナタで、今日では150曲以上が確認されています。こんなにあるのですから、リコーダーとオーボエと通奏低音という編成の曲はたくさんあってもよさそうですが、実際にはわずか6曲と貴重です。その中でもこの曲はとくに平明で親しみやすい作品です。
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678〜1741)は1729年に、6曲からなる音楽史上最初のフルート協奏曲集(作品10)を出版しました。このうちの5曲には初期稿(ヴェネツィア版)が存在するので、作品10に収められたのは編曲・改作です。これらの改作による出版は、当時大流行していたフルート(横笛)のアマチュア奏者をターゲットにしたもので、商業的には成功を収めました。しかしながら、改作は必ずしも音楽的に成功しているとはいえず、そのためヴィヴァルディ本人の改作ではないという説もあります。
本日は初期稿(小編成の室内楽版)で演奏します。ヴィヴァルディの協奏曲といえば「速い・遅い・速い」の3楽章形式がお馴染ですが、「夜」は楽章の区切りがはっきりしない風変りな協奏曲です。最初のプレストに「お化け」、2つ目のラルゴに「眠り」の標題がつけられており、曲の冒頭からしてすでにお化けの登場を予感させるおどろおどろしい音楽になっています。