ドイツ・バロックの午後

カメラータ・ムジカーレ第50回演奏会 プログラム・ノート

(2010.11.3 聖パウロ女子修道会)

 

ドイツ・バロック・コンサート

パッヘルベル、テレマン、バッハ――現代のコンサートならバッハの3〜4曲が中心で、テレマンは前座に1曲、パッヘルベルはアンコールに応えて、といったところが相場ですが、もしバッハの時代にドイツ音楽ばかり集めたコンサートが開かれたとしたら、本日のようなプログラムがごくふつうだったかもしれません。というのは、まだ楽譜の出版ということが珍しかった当時にあって、万人受けする親しみやすい作品を大量に出版したテレマンは、全ヨーロッパに名声がとどろく人気作曲家だったからです。それに引き替えバッハの技巧を凝らした複雑で、どこかいかめしい印象のある作品は、あまり高く評価されていませんでした。

パッヘルベル(1653-1706):カノンとジーグ ニ長調

パッヘルベルはバッハやテレマンの一世代前の音楽家で、ドイツ音楽の発展に貢献しました。バッハ(「大バッハ」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の長兄ヨハン・クリストフ・バッハはパッヘルベルの直弟子だったので、パッヘルベルの作品の筆写譜をいくつか持っていました。幼くして両親を失ったバッハはこの兄ヨハン・クリストフの家に引き取られ、兄から音楽教育も受けましたが、なぜかこれらの楽譜は見せてもらえなかったので、夜中にこっそり盗み出し、月明かりの下で筆写して勉強したと伝えられています。

この曲は「パッヘルベルのカノン」としてしばしば演奏され、有名ですが、実はカノンとジーグがセットになっています。カノンはあるパートを別のパートが正確に模倣して追いかけるという厳格な形式で、一方のジーグは軽快なリズムの楽しい舞曲――と曲想は対照的ですが、ジーグも元々この曲のように模倣の多い音楽です。

テレマン(1681-1767):トリオ イ短調

2つの独奏楽器と通奏低音によるトリオ(三重奏)はバロック時代の室内楽では最もポピュラーな編成です。テレマンは自伝の中で「私はとくにトリオ・ソナタの作曲に精魂を傾けた……そして皆も、私がトリオ・ソナタの作品で最高の力量を見せているといってほめてくれた」と自慢しているとおり、トリオ・ソナタの作曲には絶大な自信を持っていたようです。

この曲は、テレマンが40歳(1721年)からの後半生を市の音楽監督として過ごしたハンブルクで作曲されました。いくつもの楽器を演奏できたテレマンは、それぞれの楽器の特性を知り抜いていたようで、円熟期に書かれたこの曲でもリコーダーとオーボエという組み合せの特徴が最大限に引き出されています。

テレマン:パリ四重奏曲集(1730)より ソナタ第2番 ト短調

この曲集は1730年に「6つの四重奏曲」(イタリア語でSei Quadri)と題してハンブルクで出版されました。それで今日では「ハンブルク四重奏曲集」と呼ばれることがありますが、より一般的には「パリ四重奏曲集」と呼ばれています。そのわけは――当時のヨーロッパで音楽に関する最大の関心事は、イタリア趣味とフランス趣味の優劣でしたが、テレマンは両者の融合こそが最高の音楽を生み出すことをこの作品で示そうとしました。曲集の評判は上々で、気位の高いパリの音楽界も唸らせ、1736年にはフランス語のタイトルを付けてパリでも出版されました。そして翌年、パリの一流の音楽家たちがテレマンをパリへ招待し、この作品でテレマンと共演したのです。

全6曲はすべて同じ編成ですが、協奏曲、ソナタ、組曲がそれぞれ2曲ずつです。つまり本日演奏するソナタ第2番は4番目の曲です。

テレマン:「食卓の音楽」第2部より 四重奏曲 ニ短調

「食卓の音楽」とは宴会用のBGMのことで、当時はこのようなタイトルの曲集がいくつか出版されました。その中でも最も有名なテレマンのこの作品は、かなり大規模なもので、全体は3部に分かれています(第1部〜第3部)。そして、それぞれが管弦楽組曲、四重奏曲、協奏曲、三重奏曲(トリオ)、独奏曲(通奏低音付きソナタ)を、この順番で1曲ずつ含むという、共通の構成になっています。

そして、本日演奏するのは管楽器だけの四重奏曲という珍しい編成ですが、第1部と第3部の四重奏曲はまたこれとは違う編成、という具合に、作品全体の楽器編成はきわめて多彩で、さしずめ当時の器楽合奏音楽の百科全書といった趣です。

バッハ(1685-1750):管弦楽組曲第3番 ニ長調(初期稿版)

この組曲中の第2曲エールは、19世紀にヴァイオリンの最低弦(G線)だけで演奏できる独奏曲に編曲され、「G線上のアリア」としてバッハの全作品中もっとも有名なものの一つです。「組曲」というのは舞曲を集めたものです。「エール」(イタリア語の「アリア」に相当するフランス語)は本来は叙情的な歌曲ですが、そのスタイルを真似た舞曲風の器楽曲も多く作られました。

この組曲はふつう、3つのトランペット、ティンパニ、2つのオーボエと弦楽合奏で演奏されます。ところが最近の研究によると、今日に伝わるこの形は最終稿であって、弦楽合奏のみによる失われた「初期稿」があったらしいのです。もしそうなら、トランペット奏者を3人も調達するのが難しい私たちのような楽団でも、「初期稿」は演奏可能です。しかし、慣れ親しんだ最終稿の輝かしいトランペットのイメージが強いためか、弦楽合奏だけの簡素なたたずまいの「初期稿」にはちょっと物足りなさを感じてしまいます。そこで、「初期稿」には弦楽合奏だけでなくオーボエも加わっていた可能性を考えました。そして、オーボエが最終稿におけるトランペットの役割を果たしていたら――と想像して、「初期稿」(もしかしたら中間稿?)の復元を試みました。