イタリアへのあこがれ ヴィヴァルディ、アルビノーニ、バッハ

カメラータ・ムジカーレ第42回演奏会 プログラム・ノート

(2002.11.17 聖パウロ女子修道会、2002.11.24 横浜市開港記年会館)

 

イタリアへのあこがれ

17世紀から18世紀前半のドイツは多くの領邦国家に分裂し、また宗教戦争とそれに続く三十年戦争(1618〜48)の影響もあって、文化的にも大きく立ち後れていました。そこで王侯貴族たちは、お抱えの音楽家をイタリアに留学させたり、フランスの音楽家を宮廷に招いたりして、競ってこれらの国の新しいスタイルの音楽を取り入れようとしました。彼らがとくに強くあこがれたのは、イタリア生まれのオペラ、カンタータ、協奏曲(コンチェルト)などで、その単純明快な形式と豊かな旋律美、そして強弱、緩急などの対比の効果による劇的な表現に魅了されました。

バッハも若い頃から、アルビノーニやヴィヴァルディらの作品を筆写したり編曲したりして、イタリアの協奏曲の技法とスタイルを熱心に研究し、それをドイツの伝統と融合させながら、優れた協奏曲を作曲するとともに、鍵盤独奏曲や室内楽曲、さらには声楽作品にもその原理をしばしば応用しました。

リトルネッロ形式とダ・カーポ形式

コレッリ、トレッリ、アルビノーニらによって開拓され、ヴィヴァルディによって完成された器楽合奏のための協奏曲は、急−緩−急の3楽章から成っています。両端の速い楽章は「リトルネッロ形式」といって、合奏による冒頭主題(リトルネッロ)が楽章を通じて数回現れ、その間を独奏がつないでいきます。ロンド形式に似ていますが、ロンド形式が主題を厳格に繰り返すのに対して、リトルネッロはさまざまな調で、またしばしば短縮された形で現れます。

協奏曲における独奏−合奏の対比とリトルネッロ形式は、協奏曲よりも先に誕生していたオペラやカンタータなどにも影響を与えました。これらの声楽曲におけるアリアは当時、A-B-Aの三部分から成る「ダ・カーポ形式」が主流でしたが、そこに器楽によるリトルネッロが組み込まれ、声のためのコンチェルト楽章となりました。

ヴィヴァルディとアルビノーニの協奏曲

「赤毛の司祭」と呼ばれ、ヴェネチアのピエタ女子養育院のヴァイオリン教師だったヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi, 1678〜1741)は、少女たちのオーケストラのために多くの協奏曲を書きました。それらを集めた曲集「調和の幻想」は、ヴィヴァルディが生前に出版した作品集の中で最も有名になったものです。全12曲のうち第11番の合奏協奏曲ニ短調は2つのヴァイオリンとチェロが独奏楽器。やや古いスタイルで、明確な楽章の区切りがなく、急−緩−急−緩−急の5つの部分から成っています。なお、バッハはこの曲集から、この第11番を含む2曲をオルガン独奏用に、3曲をチェンバロ独奏用に、1曲を4台のチェンバロと弦楽合奏用に編曲しています。

リコーダー協奏曲ハ短調もピエタの少女たちが演奏したと考えられています。両端の速い楽章では独奏リコーダーに超絶的な技巧が要求され、またリトルネッロの緊張感に満ちた独特の雰囲気との対照が印象的です。

アルビノーニ(Tomaso Albinoni, 1671〜1751)はヴィヴァルディと同じくヴェネチアの生まれで、家が裕福だったため音楽を生業とする必要がなく、自ら「芸術愛好家・ヴァイオリン音楽家」と名乗っていましたが、後に家運が傾いたため職業音楽家となったようです。オーボエ協奏曲ニ短調は彼の最も有名な作品の一つで、第2楽章ではオーボエの特徴を活かした伸びやかで美しい旋律が歌われます。

バッハの協奏曲とカンタータ

バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685〜1750)自身が独奏パートを弾いたと考えられるチェンバロ協奏曲ニ長調は、自作のヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV 1042の編曲です。リトルネッロ形式+ダ・カーポ形式の第1楽章は力強い分散和音のテーマで始まりますが、中間部ではこのテーマにより弦楽合奏と低音部で掛け合いが行われます。第2楽章では伴奏部(低音部、チェンバロの左手)が終始同じ音形を繰り返します。第3楽章はロンド形式です。

バッハは教会暦にもとづく礼拝のための音楽(教会カンタータ)を200曲以上書きました。復活祭後第一日曜日のためのカンタータ「この同じ安息日の夕べ」の第1曲「シンフォニア」は、器楽のみによる合奏曲です。ダ・カーポ形式+リトルネッロ形式で、2本のオーボエとファゴットが独奏楽器のように活躍することから、失われた協奏曲の楽章の転用ではないかと考えられています。

待降節(クリスマス前の4週間)第一日曜日のためのカンタータ「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」の第1曲はコラール(ドイツ・プロテスタント教会の賛美歌)にもとづく合唱曲で、管弦楽は2本のオーボエと弦楽合奏が対比的に扱われています。コラール旋律は曲が始まるとすぐに低音部に現れ、長い導入部が終わって合唱が始まるとソプラノで歌われます。今回はソプラノをオーボエ・ダ・カッチャ(狩のオーボエ)に、アルトとテノールをヴァイオリンに、バスをヴィオラ・ダ・ガンバに、それぞれ置き換えて演奏します。

「カンタータ」とはもともと、イタリア語の世俗的な歌詞にもとづく、小規模な器楽合奏を伴う独唱曲のことで、バッハの作品中このような本来のカンタータの意味に当てはまるのが、ある若い学者(バッハの弟子と思われる)との送別会用に書かれた「悲しみのいかなるかを知らず」です。レチタティーヴォを除く3つの楽章はすべてダ・カーポ形式+リトルネッロ形式で、フルートが独奏楽器のように活躍します。シンフォニアに続くレチタティーヴォでは親しい人との別れの悲しみが語られ、アリアでは見送る者の悲しみとともに故郷へと旅立つ人への祝福が情感豊かに歌われます。次のレチタティーヴォではこの学者の並はずれた知性と徳、そして彼の赴任先であるアンスバッハが讃えられ、最後のアリアでは待ち受ける困難に雄々しく立ち向かえと励ましの言葉が贈られます。