J.S.バッハの世界 III (組曲と協奏曲とソナタ)

カメラータ・ムジカーレ第41回演奏会 プログラム・ノート

(2001.11.23 聖公会神田キリスト教会)

 

バロック時代の作曲家(音楽家)の多くは王侯貴族や都市、教会などと雇用契約を結び、礼拝、式典、宴会など雇い主が催すさまざまな行事に必要な音楽を提供していました。それらの作品は、当初の目的を果たせば用済みとなりましたが、時には別の機会に再利用されることもありました。そういう場合、新たな目的や使用可能な楽器などの条件に合わせて、編曲または改作されるのがふつうでした。また、彼らは常に大量の作品を供給しなければならなかったので、旧作の一部を新しい曲の一部に転用することも珍しくありませんでした。バッハの作品においても、このような編曲・改作・転用はかなりの割合を占めています。

管弦楽組曲第4番の編成はトランペット3、ティンパニ、オーボエ3、ファゴット、弦楽合奏と通奏低音です。ところが近年の研究では、トランペットとティンパニを含まない「初期稿」が存在したらしく、本日演奏するのもこの形です。バッハは1729年から41年まで、ライプツィヒ大学の学生を中心とする楽団「コレギウム・ムジクム」を率いて、有名なコーヒーハウス(娯楽施設のある喫茶店)や庭園で毎週のようにコーヒー付きコンサートを開いていました。この作品の現存する形(改訂稿)は、おそらく庭園でのコンサートのために編成が拡大されたものと思われます。このような公開演奏会は当時まだ珍しく、わざわざ新曲を用意してもバッハの収入にはならなかったので、もっぱら旧作や他の作曲家の作品が演奏されたのでしょう。

管弦楽組曲第2番は1739年頃に、やはりコーヒー付きコンサート・シリーズで演奏された可能性が高いのですが、こちらは屋内(コーヒーハウス)で演奏されたらしく、フルートと弦楽合奏という小規模編成です。有名な「ポロネーズ」は中間部でテーマが低音に移り、その上でフルートが華麗な変奏を繰り広げます。バロック時代の管弦楽組曲は、序曲の後に数曲の舞曲を続けたものですが、第4番の「レジュイサンス(歓喜)」とこの第2番の「バディネリ(冗談)」は、舞曲ではありません。

トリオ・ソナタ ト短調は、オルガン・ソナタ第4番ホ短調を本日のためにリコーダーとヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音用に編曲しました。バッハがライプツィヒ時代に息子たちや弟子の教育用にまとめた6曲のオルガン・ソナタ集は、全部で18の楽章のうち半分以上が他の作品からの転用で、たとえばこの第4番の第1楽章はカンタータBWV76のシンフォニア(オーボエ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音)の編曲です。そこで、逆にこれらのオルガン・ソナタの右手と左手の各パートを2つの旋律楽器に割り振り、ペダル・パートを通奏低音に移して、トリオ・ソナタの形で演奏する試みが盛んに行われています。

2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調は、有名な2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調の編曲で、両端の速い楽章の劇的な緊張感と、中間楽章の美しい歌の対比が印象的です。コーヒー付きコンサート・シリーズの呼び物の一つが、この作品を含む一連のチェンバロ協奏曲でした。バッハ自身と彼の息子たちが独奏チェンバロを弾いたと思われますが、これらの協奏曲もすべて旧作からの編曲ものです。

バッハは1718年から23年まで、ケーテンの宮廷楽長を務めていました。宮廷楽団のために折にふれて書いた協奏曲作品の中から、ある時6曲が選ばれて、ブランデンブルク(後のプロイセン)辺境伯に捧げられました。これはバッハの就職活動の一環だったようです。こういう場合はふつう、献呈先の宮廷楽団の編成に合わせて手を加えるものですが、なぜかバッハはそれをしなかったため、これらの作品がかの地で演奏された形跡はありません(で、就職活動は不発)。しかし、第1番と第5番にはかなり様子の異なる初期稿が残っていることから、他の4曲についても現存する献呈稿とは異なる古い形が存在した可能性があります。

ブランデンブルク協奏曲第3番はヴァイオリン3、ヴィオラ3、チェロ3と通奏低音という異例の編成です。独奏楽器と合奏の区別はなく、3グループ9つの弦楽器の間でテーマが縦横にやりとりされます。とはいえ、3つのチェロはほとんど常に同じ動きをします。また第2楽章は、即興演奏を促すかのように、2つの和音が書かれているだけです。このように、この作品にはやや不自然なところがありますが、「原曲」や「初期稿」についての学説はまだ現れていません。なお、第1楽章はライプツィヒ時代のカンタータBWV174の導入楽章に転用されました。

ブランデンブルク協奏曲第2番の独奏楽器はトランペット、リコーダー、オーボエ、ヴァイオリンです。トランペットには楽器の能力の限界に迫る超絶技巧が要求されること、第2楽章では弦楽合奏のみならず主役のはずのトランペットまでが休止すること、第1、第3楽章でも弦楽合奏の役割がきわめて小さいことなどから、この作品についても失われた「原曲」または「初期稿」の存在が推定されています。本日は、トランペット・パートを1オクターブ下げて、オーボエ・ダ・カッチャ(狩のオーボエ)で演奏します。