(1999.11.1 東京オペラシティ近江楽堂)
この曲は、バッハがオルガン独奏用に作曲した6曲のトリオ・ソナタのうちの1曲を、2つのヴァイオリンと通奏低音用に編曲したものです。
原曲のオルガンのためのトリオ・ソナタは、バッハが最も円熟していたライプツィヒ時代(1730年頃)、長男のフリーデマン・バッハの教育用に作られたといわれています。オルガンでは右手、左手、そして足鍵盤のすべてを使って独立した旋律を演奏することになり、演奏も非常に難しいとされています。当代きってのオルガン奏者バッハの面目躍如といったところであり、またこれを教材に与えられたフリーデマンの才能も素晴らしいものであったことは想像に難くありません。
バッハはこの6曲を作るにあたって、自分の器楽合奏曲から何曲かを転用しています。残念ながらこのハ長調のトリオ・ソナタの原曲は現在バッハの作品の中にはみつけることができませんが、ひょっとしたら我々の知らない器楽合奏用の原曲があるかもしれない、もしあれぱこんな曲ではないか、というのが今日の試みです。
大バッハの作品として親しまれてきたこの作品は、最近の研究では大バッハではなく、次男のエマヌエル・バッハの作品ということで定着しているようです。
バッハの作品には、後になって「バッハの作品ではない」(偽作)とされたものが少なくありません。特に器楽曲の場合、別の人が原曲から写した楽譜(筆写譜)だけが残されていることが多く、バッハ作曲と書いてあるからといって本当にバッハの作品かどうかは、判断するのが非常に難しいのです。近年研究が進み、筆跡、楽譜の紙質、曲の様式や残された伝記などから総合的に検討され、偽作と判断される作品が出てくることになります。もっとも偽作とされたからといって、その曲の価値が些かも損なわれるものでもありません。
この作品には3つの筆写譜が残されており、そのうちの一つにはヴァイオリンとチェンバロのソナタとされています。しかしヴァイオリンにしては音域が狭いこと、ヴァイオリンらしい重音や分散和音がないことなどから別の楽器、すなわちフルートかオーボエのために書かれのではないかとされており、今日はオーボエで演奏いたします。
古今のフルート音楽の中でも屈指の名作として名高いこの曲は、1736年頃に書かれたバッハ自身の美しい自筆楽譜によって今目に伝えられています。しかし、フルート音楽の代表のようなこの曲には、調性がト短調のチェンバロ・パートの筆写譜が残されており、このことから、バッハは最初フルートより音域が低いオーボエのためにこの曲を作曲し、後にフルートの吹きやすい音域である口短調に移調して今日の形に書き上げたと考えられています。
曲は全体の半分を占める長大な第1楽章からフーガ・ジーグが組み合わされた第3楽章まで、フルートとチェンバロの右手がチェンバロ左手の低音に支えられて、それぞれが絶妙に絡み合うという対位法的手法で書かれています。
近代のバッハ研究の基礎を築いた19世紀のドイツの音楽学者シュピッタは、「この世に存在する最高のフルート・ソナタ」と評していますが、この言葉は20世紀が終わろうとしている今でも十分納得できる言葉だと思います。
モーツァルトはその短い生涯に30曲近いピアノ協奏曲を作曲しましたが、初期の作品の中には他人のクラヴィーア(チェンバロ)ソナタを協奏曲に改作したものが何曲かあります。今日演奏するニ長調の協奏曲は、彼がロンドン滞在中(1764〜65)に親しく知り合い、終生尊敬の念を抱き続けていたクリスチャン・バッハ(大バッハの末息子)のチェンバロ独奏用のソナタをモーツァルトが15歳の頃に改作したものです。
モーツァルトは、敬愛するクリスチャン・バッハの作品を通じて、クラヴィーアの形式や豊かな楽想を吸収しようとしたのでしょう。この後いよいよ彼独自の世界を展開したクラヴィーア協奏曲(ニ長調K.175)の作曲に取りかかります。
なお、第1、第2楽章のカデンツァはモーツァルト自身の手によるものです。
モーツァルトは何といってもクラヴィーアの名手ですが、ヴァイオリンもそれに劣らない程の名手でした。それもそのはず、お父さんのレオポルドは今でも彼の教則本が使われているほどの有名なヴァイオリニストで、少年モーツァルトもピアノ同様ヴァイオリンを厳しく指導されたのでしょう。
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは26曲残されています。このうち初期の10曲は、彼が神童と呼ばれていた10歳頃までに作られたものです。その後彼はヴァイオリン・ソナタを10年以上も作曲しませんでしたが、22歳の時ドレスデンの宮廷楽長だったシュースターのヴァイオリン・ソナタに触発され、本日演奏しますホ短調の作品を含めた6曲のヴァイオリン・ソナタを作曲しました(この6曲は「マンハイム・ソナタ」と呼ばれています)。
この作品集でヴァイオリンは、初期の作品に見られる伴奏的な立場から、クラヴィーアと対等な立場になるなど、表現の上からも意欲的な作品となっており、当時のモーツァルトは手紙の中で、これらの作品の作曲に熱中していることを書き残しています。
この曲は元々グラスハーモニカとフルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロという編成になっており、1791年5月にヴィーンで作曲されました。彼の死の7ヵ月前、ちょうど歌劇「魔笛」の作曲にとりかかった頃です。
グラスハーモニカは、1760年頃アメリカの有名な科学者ベンジャミン・フランクリンによって考案され、瞬く間にヨーロッパで評判になりました。大文豪ゲーテもこの音色を「世界の深奥の生命を聞くようだ」と評し、多くの作曲家がこの楽器の神秘的でロマンチックな音色のために曲を作りました。しかし楽器としては機能面で欠点が多かったため、1830年頃には音楽の舞台から姿を消していきました(ちなみに、今のハーモニカとはまったく別の楽器です)。
曲はハ短調の序奏にハ長調のロンドが続く単一楽章で書かれています。晩年のモーツァルト独特の、純粋で澄み切った響きの中に内面の深い翳りを宿した小品です。今日はグラスハーモニカの代わりにチェンバロを使って演奏します。