私が今まで書き散らした文章です。もちろんバズコックスに関するモノです。
暇があったら読んでみてください。それから、この場を借りてこんな私の文章を載せて下さった方達に感謝したいと思います。「モノ書きは身を削る仕事」とはよく言ったモノだなぁと思います。
私にはバズコックス以外の事は書けませんが、これだけの文章を書くのにものすごいプレッシャーと戦いながらの作業でした。確認しようにも確認の手だてがない状態で、活字になった時の影響力を考えると泣きそうになり、それでも私に依頼してくれた方に申し訳ないので必死でした。
今ではいい思い出です。とにかくバズコックスに関わっていられる事が私の幸せなのですから。     Kartz


●「パンク天国」1998年5月 Doll別冊

★Time's Up 1977年 UK voto Records (LYN5333)

人生が屈折した詩人ハワード・ディヴォートと愛に屈折したピート・シェリーの曲が入り交じる、「自分達が何かを作り出そう」とする勢いがひしひしと伝わるこのアルバムは「退屈」な街、マンチェスターが産み出したと言っても過言ではない。彼等がもしロンドンに住んでいたらバズコックスは存在していないかもしれない。のちに再発も続々出ているがオリジナルは赤と白のジャケットでクリアービニールも作られていた。インタビュー7インチが付いたDocument盤も有名。

●orgasm addict/Whatever happend to? [7" SINGLE] Oct 8,1977 UK United Artists (UP36316)

まず最初のピートの突拍子もない声に驚かない人がいたら逢ってみたい。'76年本当の意味での自主制作であったSpiral Scrachを売りに売りまくったバズコックスが、United Artistsと契約後に放った第一弾シングルがこのシングル。デビュー直前に脱退したハワード・ディヴォートと共にピートが作った傑作である。このシングル発売直後にベースのガースが様々な乱闘事件を起こした結果、クビになり、新たにスティーブ・ガーベイが参加している。

●What Do I Get?/Oh Shit [7" SINGLE] Feb 3,1978 United Artists (UP36348)

初めてプロモ・ビデオ(ビデオ「プレイバック」に収録)を作成したのがこの曲。ファーストアルバムのレコーディングのさなか発売されたこのシングルはバズコックスの代表曲のひとつで、バズコックスといえばこの曲か「I Don't Mind」を思い出す人も多い事だろう。 現にパンク系のクラブではよくかかっている曲だし、実に聞きやすい。しかし、この曲の歌詞は深く、私の人生に置いて多大な影響力を持っている。今日も私は「何を手に入れただろう?」と自問する。

★Another Music In A Different Kitchen [1st Album] Mar 10,1978 United Artists (UAG30159)

初期のハワード作の曲とピート+スティーブの曲が入り乱れるこのアルバムUKアルバムチャートで15位を獲得したファーストアルバムである。どんなバンドでも「やっぱりファースト」と言う人が多いがこれもそんな1枚。キングから日本発売もされていたが、シルバーのバック付きが初回限定オリジナル。「Time's Up」ではハワードがまったりとしたボーカルを取っていた曲々をピートのポップな唄声で聞くと、屈折した歌詞も緩和されていい味になるから不思議である。

★Singles Going Steady [Album] Sep 25,1979 US I.R.S. (SP001)

最後のスタジオアルバムとなってしまったサードアルバムを発売した頃、同年8月から精力的にアメリカ・ツアーを行っていたバズコックスが、アメリカで初めてリリースしたアルバムであった。これは1977年11月から1979年7月までに発売されたシングルをA/B面を集めたお買い得なアルバム。シングルを重視して来たバズコックスの集大成であるから聞き応え充分なのは周知の通り。のちに倒産するI.R.S.レコードの第一弾として発売された記念すべき1枚である。


●"Chronology 'MEGA' Latest News"  Doll 1997年11月号 

1997年6月2日にEMI(アメリカ)からのリリースがされてからだいぶ経って、ようやく日本盤「クロノロジー」も東芝EMIから発売された。そしてそれからだいぶ経ってしまったが、「Chronology」について検証(?)してみたいと思う。

まず、「Chronology」発売に当たってはバズコックスのベースであるトニー・バーバーの存在が大重要である。このトニーはドラムのフィル・バーカーと共に93年8月よりバズコックスに参加したメンバーであり、彼はバズコックスの再結成後、抜けてしまったベースとドラムのオーディションで「今ここで57曲全部演って欲しいか?」と言い放ち、まんまとメンバーに加わったという逸話を持つ生粋のバズコックス・マニアである。ピート・シェリーいわく「彼は何でも集めるんだ」の言葉通り、EMIに通いつめた結果、未・既発表のデモ・テープを見付け出し、長い時間をかけて38曲のミックスを完成させ、その中から23曲を選び出した。当初の予定では97年3月にリリースの予定だと言っていたのだが、資金繰りの問題や制作期間が長引いたりもして、ようやく6月に入ってこの「Chronology」を発売したのである。

ちなみに残りの曲の行方は、EMI(アメリカ)がプロモーション・シングルとして配布しているほか、北アイルランドのシークレット・パブリックがニュースレターの予約特典として3曲入の7インチ・シングルを制作するなどして活用されている。(現在シークレット・パブリックは残念ながら活動を停止している)

この「Chronology」は1977年から1981年までのデモ・テイクを収録し、もっともポピュラーなトラックから未発表曲を含めたアルバムである。今まではブート盤で出回っている'Razor Cuts'がこれに近い「未発表、デモ・テープ集」として知られていた。アーティスト側から言えば曲が仕上がっていないデモ・テープの状態のモノが世に出回るという事は(よくある事ではあるが)困った事だろう。しかし、今回はちょっと状況が違う。隠し撮りされたライブ盤、流出してしまった本来は門外不出のはずのデモ・テープ、脱退したメンバーが金に困って売りに出た、そんな危なげなモノでもなんでもなく、現役のメンバーの手によって世に送り出された正式なアルバムなのである。バズコックスの楽曲は何年経っても色褪せる事のない楽曲であり、ファンはもちろん現メンバーの心までも奪ってしまう素晴しいモノであるという実証ではないだろうか。長くやって来た、もしくは期間を置いて再結成したバンドが、昔の楽曲をパッケージし直して販売する事はよく見られる事だが、トニーに言わせればこのアルバムについては「ぼったくられる心配はしなくていい」そうだ。このトニー、EMIの倉庫をすっからかんにしたあとはピート・シェリー宅の地下室を狙っている様子だ。

焦らなくてもバズコックスは着々と曲を増やしている訳だからまた何年後かには「Chronology」のパート2が出来る位にはなるだろう。その時はまた彼に期待する事にしよう。

さて、内容を見てみよう。

まず1曲目'Boredom'から。これは出回っている「スパイラル・スクラッチ」に収録されているハワード・ディボートのボーカル・バージョンとは違いピートがリードボーカルをとった唯一のスタジオレコーディング版であり、ハワード・ディボートのボーカルから感じるウェットな印象とは全く違った曲に聞こえる。1曲目'Boredom'と"Sixteen"、"Fast Cars" は77年8月23日、トライデント・スタジオにて録音されたものである。"No Reply" と"Whatever Happened To"は77年8月31日、マンチェスター、インディゴのアロー・スタジオにて録音されたモノで、これはバズコックスがユナイテッド・アーティストに渡す為に制作された初めてのデモ・テープであった。のちにこのテープはブート盤'Razor Cuts'として79年にリリースされている。 "Oh Shit" は77年9月9日、TW・スタジオにて録音。ガースがベースで最後の参加をしているこのバージョンのリリースは初めてである。 この曲は後に'Orgasm Addict'に続くシングルとして発表された。"I Need" は非常に貴重なインスト・バージョンであり、77年12月11日ロンドン、ラウンドハウスでのライブで新曲として発表されたが、この時点でもまだピートは詞をつけておらず、後に発表された1stアルバムをレコーディングするまでそのままとなっていた為にインスト・バージョンとなった。この曲と"Fiction Romance" 、"Autonomy"は77年12月14日、ロンドンのモーガン・スタジオにて録音されている。"Just Lust"、 "ESP" 、"Lipstick"、"Promises"、"Mother of Turds"は78年7月17日〜18日、インディゴのアロー・スタジオにて録音された「ラブ・バイツ」のデモ・テープより収録された。"Mother of Turds"は大の大人の笑い声についつられてしまう、冗談の様な曲である。"Lipstick"は録音された当時、"When You Love Me"と呼ばれていた初期のバージョンである。"You Say You Don't Love Me"、"I Don't Know What to Do With My Life"、"I Don't Know"、"Run Away from Home"、"The Drive System"、"Jesus Made Me Feel Guilty"は79年2月25日、アロー・スタジオにて録音された、「ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション」のデモ・テープより収録したもので、"You Know You Can't Help It"、"I Believe"は79年7月の録音となっているが、2月25日はピート・シェリーがソロでマンチェスター・ピカデリー・ラジオのゲストライブを行っており、28日からヨーロッパ・ツアーを決行、「ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション」の為のデモ録音を始めたのは7月4日からのはずである。

"No Friend of Mine" は81年の解散直前にレコーディングされたと言われ続けたスティーブ・ガーベイ作の幻の名曲。この曲は北アイルランドのシークレット・パブリックというバズコックスのニュースレターの発行者であるトニー・マックガートランド氏が数年前にアメリカに彼を訪れた時にもらったカセットに入っていたもので、世の中でたった一つしかないそのテープはこのアルバムのためにロンドン、アビーロードスタジオにて「デジタル化」されたものだ。トニー・バーバーはこのアルバムの歴史的価値のために収録するつもりだと言っていた。この曲だけは必ず収録してくれるだろうとトニーに期待していたのだが、さすがにやってくれたと言う感じである。

この「Chronology」を発売するにあたってトニーは「この手のアルバムはチャートのNo.1にはならないし、チャートに入る事すら無いならプロモーションをする必要はないという事でEMI側は広告に金をかけないだろうな。まあ、同じマーケットで2つのバズコックスのアルバムが争うって事はしたくないんだ。時期をずらしてツアー前、ツアー中、ツアー後に1枚づつシングルを出して、それからアルバムを出したいね。アルバムはツアー中かな」などと言っていた。「Chronology」が発売された今、気になるのはその新譜の行方だ。

ところが昨年11月、この新譜の為に録音された新曲の中からベストな8曲を選び出し、デモ・テープとして再録音したモノを現在所属しているアメリカのEMIに持参した所、事もあろうに却下されてしまったのである。問題はピート・シェリーとスティーブ・ディグルの作る曲に大きな方向性の違いがある事だった。根本にあるべきバズコックスの姿を失っているという事をEMI側は指摘した。そして一時は解散かと思われたが、メンバー全員でのミーティングの結果は81年の解散前の様にメンバーが一丸となって取り組んで行くという事だった。そして久々にピート・シェリーとスティーブ・ディグルは2人一緒になって地下スタジオに潜り、曲作りに励んでいる。そこでの調子は上々であるという事だ。

「今、アイディアを練っているところなんだ。EMIはこの前のデモ集にはOKを出さなかったんだけど、僕達は全然うろたえてはいないよ。EMIの一人だけの意見でお蔵入りになるなんて無茶苦茶さ。あれはEMIにとって本当に損失だったね。ピートと僕は'Fast Cars'や'Promises'を作ったときのように健全に作品作りに取り組んでいる。僕が曲を書いてそれにピートが詞をつけているんだ」スティーブ・ディグルはそう語る。そして、その言葉を裏付ける様に現在はピート・シェリー制作のホームページにて却下されたデモ・テープより数曲の音源が公表されている。

さて、他のバズコックスのメンバーは何をしているのだろうか。忙しいのは「Chronology」制作を終えたトニー・バーバーである。現在彼は3つのプロジェクトに取り組んでいる。ひとつはアンディ・ベルの妻君で有名なIDHAのシングル制作にオアシスのアラン・ホワイトらと共に参加が決定。そして、以前からプロデューサーとして関わっていた(ライブにも出た)デニムのアルバム制作にも参加。4月にエコー・レーベルから発売の"On Ice" で彼はベースに加えてリード・ギターとドラム、1本指でのキーボード(笑)の演奏も披露している。加えて、ソロ・プロジェクト「エアポート」として活動。こちらは初めての7インチシングル"International Sham" をトニー・バーバー自身の新しいレーベルとなるエドモントン・グリーン・レコードから1997年7月1日にまたしてもメールオーダーのみで発売、秋にはアルバムとシングルのリリースを予定している。しかし、今のバズコックスにとっては大事なメンバーなのだから、バズコックスとしての活動も休まずやって欲しいものである。

さて、フィルはどうしたかと言うといつの間にかロスに短期滞在しておりロンドンのバンド、Stratford Mercenaries にドラムで参加していた事が判明。現在は帰国して新譜のレコーディングに楽しく参加しているとの事である。

最後に、このデモ・テイク盤である「Chronology」にも昔からバズコックスのアルバムジャケット等のデザインを行って来たマルコム・ギャレット氏を起用するというトニーのマニアぶりに拍手しておきたいと思う。

Kartz Noda(Buzzcocks Fanclub "Lipstick" cheif editor)


●「A Real Cool Time」vol.6 1996年6月 テイチク/リアルクール・レコード発行

パンク復活、だそうだ。パンクの熱い時代を知らない若い世代が盛り上がっている。
そんな中でのBUZZCOCKSの新譜発売である。
ベースのトニーが手紙の中で「ピートは今、フランスに行って曲を書いてるんだ」とか「あの二人は曲を書くのが異常に遅いから…」とか言っていたので、新譜発売の情報を聞いた時は「ああ、やっと出来たんだな」という感想だった。
彼はもともとBUZZCOCKSのマニアでツアーに行った先々でBUZZCOCKSのレコードを買うのが大好きだと言っている。
ビデオや雑誌の記事も大好きだそうだ。同じファンとして私は彼に期待している。

BUZZCOCKSはパンクではないと云う人がいる。パワー・ポップ、ニュー・ウェイブ、いろんな形容詞を付けてみてもハマらない。BUZZCOCKSはBUZZCOCKSである。全くのオリジナルのBUZZCOCKSである。そして私にとってBUZZCOCKSは世界中のBUZZCOCKSファンみんながそうである様にこの世の中で一番かけがえのない存在である。
しかし、BUZZCOCKSは日本にあまり来ない。それはCDが御世辞にも売れていないからだ。日本は金儲けには最適の場所。大復活劇を演じたピストルズだって今年集金ツアーで日本公演が決定した。売れるのが分かっているからである。
始めから勝つと分かっている試合なのだ。それのどこが面白い? そんなのは体制を壊し自分達で時代を作ろうとしてきた「パンク」ではないはずだ。だったら地味ではあるけど自分の信じるものをやってきたBUZZCOCKSの方がずっとパンクらしいじゃないかっ! パンク復活とか騒いでいる暇があるなら、クソみたいな日本の曲を聞いている暇があるなら、君はBUZZCOCKSのCDを買いBUZZCOCKSを日本に呼ぶべきなんだよ。

今の状況で足りないのは君、「すべて君に掛かっている」んだ。

K@rtz Noda(QZB12466@niftyserve.or.jp)


●Buzzcocks Discography  Doll 1994年9月号

とうとう3度目の来日を果たしてしまったバズコックス。1981年に解散後、1989年に再結成直前にリリースされたボックス・セットから現在までの主要アルバム、ソロ活動時のベスト、ビデオ等を日本発売を中心に紹介。

●PRODUCT (EMI LP BOX LPPRDT1/CD BOX CDPRDT1)89年
豪華ブックレット付で発売されたこのボックス・セットは、LP5枚組! (CDは3枚組み)どういう意向で発売されたかは置いておくとして今や入手困難な10年以上前のアナログ盤が発売当時と同じジャケットで、しかも新品で一度に手に入るという事は、中古でしか集められなかったファンにとって、かなり嬉しい。このセットのリリース直後にあっさりと再結成してくれた訳だから、この企画は大成功だったと思える。

●Alive Tonight (Planet Pacific 7インチ PPAC3/12インチ PPAC3T)91年
世界中のバズコックス・ファンが待ち望んだであろう再結成第一弾のこのシングルが、あっさりと発売されてからすでに5年。完璧に今現在のバズコックスの世界を、良い意味でソロ時代の音楽性を引きずりながらも作り上げてしまったS・ディグルに拍手。ただドラムがオリジナル・メンバーじゃないので、ちょっと抵抗は残るけど、復活してくれただけで夢の様な話なのだから目をつぶろう。若いメンバーは彼等にどんな刺激を与えたのだろうか。

●Lest We Forget(JAP JAPD-13)90年(センチュリーCECCOO475)92年
個人的な事を言わせてもらえば、ライヴ盤は好きじゃない。何故かと言えば、自分が観てない事が死ぬ程くやしいからだ。バズコックスのライヴ盤はどれもお世辞にも良い音とは言えないが、出るとやっぱり買ってしまう。スタジオ・テイクとは異なる2倍近いスピードで聞けるバズコックスは、やっぱりカッコイイ。このCDはめずらしく日本で2回もリリースされていますが、どちらのライナーも愛の溢れる素晴しいモノなので是非、御一読を。

●Operators Manual (東芝EMI TOCP-7034)91年
日本では2度目の来日公演直前に発売されたベスト盤。これを聞いて、ライヴに備えなさいねという事か。まぁ、これだけの代表曲を聞いて行けば大丈夫という位の曲揃え。でもバズコックスの場合、たとえ1曲たりとも知っている曲が無い人がライヴに来たって楽しい事は保証するけどね。このCDはデビューからのシングルを集めたモノだが、「Singles Going Steady」よりも、初心者向けなので、お買い得。

●Live At The Roxy Club.April '77 (テイチク TECX-25414)93年
表ジャケットはガース・スミスの写真だが、裏ジャケットにはスティーブ・ガーベイ。この時期のライヴだと、どちらがベースなのか定かでは無いが、チューニングが異常に狂っていて聞きづらい。MCのピートもあまり楽しそうじゃないのが気にかかる。しかし、'77年のライヴ収録にしては音質がクリアなので良しとしなければいけないのかもしれない。場所も今は無きロキシー・クラブだし、マニアにとってはおいしいCDなのか?

●Trade Test Transmission (トイズファクトリー TFCK-88657)93年
のちにシングル・カットになる曲を含む名曲揃いの最新アルバム。アメリカ盤は2曲プラスの17曲でのリリース。めずらしく日本発売もされ、歌詞が解るのは嬉しい限り。特に「お前のいない世界だったら俺は確実に死んでしまうさ」("SMILE")は、そのままバズコックスに捧げたい。ピートはメジャー・レーベルじゃない事を気にしているが、そんな事どうだっていい。このままコンスタントに活動を続けてくれる事を切望する。

●Do It (ESSENTIAL ESST 2031)93年
"トレイド・テスト・トライスミッション"からのシングル・カット。2,3曲目はライヴ・テイク、そのうえ"Trash away"はアルバム未収録と聞けば、これはもう買うしかないでしょう。バズコックスなら何の曲を演ってくれてもいいけど、日本公演でもこの曲が聞きたかったですね。"Do It"は、凄く覚え易くギターのリズムも心地良く絡んでいて…。あぁ、何故こんなに良い曲ばっかりなんだろうか?

●Libertine Angel (ESSENTIAL ESSX 2038)93年
直訳すれば「放蕩天使」(笑)。この曲は是非、朝聞いてみて下さい。元気に起きられる事間違い無し。2曲目は、まさにS・ディグルが作るバズコックスの曲という感じ。3曲目はピートの作ったインストだが、最高にカッコイイ。裏ジャケットのTVの画面撮りした様な写真だが、ビデオ・カメラが入っている所を見ると、この曲のプロモーション・ビデオは存在するのだろうか?あるなら出せ、いや出してください、お願いします。

●Play Back (VIDEO) (サンクラウンCRVR-80039)93年
英米発売のこのビデオを見つけた時は、さすがに驚いて失禁しそうになった。中を観て、もっと驚いた。ギターを持たずに唄う(口パクだが)ピートや、道端で拡声器を持って唄うS・ディグル、レギュラー出演していたというTV番組等。その間に当時を振り返るピートとディグルのインタビューが挟んである。今はレーサーになってしまったジョンと、アメリカに行ってしまったガーベイの演奏が観られるのは、これが最後かと思うと悲しいけど、ファンならこれを見ずにいられますか。

●The Best Steve Diggle And Flag Of Convenience (ANAGRAM CDM GRAM74)94年
バズコックス解散後、S・ディグルと、ジョン・メイヤーが作ったフラッグ・オブ・コンビニエンス(のちにBUZZCOCKS F・O・Cに改名)のベスト盤。メンバー・チェンジを繰り返し、どんな曲を作っても、やっぱりバズコックスから発生したモノはバズコックスの延長線でしかなく、試行錯誤のうえピートを何とか説得して再結成するしかなかったという事実の証明の様な一枚。


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