結成当時からのオリジナル・メンバー。パートはギターとボーカル。バズコックスの曲の半分以上が彼の作曲によるもの。ソロ時代は、テクノ方向への転身を遂げた。日本のディスコでもよくかかっていたらしい。使用ギターは殆どが「Gordon Smith」のモノ。
既婚、男児がひとり。ピート・シェリー本人はバイセクシャルで、特に男色の気が強い。性格は異常な程の寂しがり。そして疑い深い。見た目にはとっつきやすいが、実は彼が一番難しい性格かもしれない。彼はベジタリアンでは無く、日本食が大好きである。
1976年に加入。パートはギターだが、自分の作った曲は自分でボーカルを取る。他の曲では殆どの曲でコーラスを付けている。使用ギターはリッケンバッカー等。フルネームを貼った恥ずかしいギターもあり。
既婚。ソロワークとして何枚かのソロとフラッグ・オブ・コンビニエンス(のちにBUZZCOCKS F.O.C.に改名)としてレコードリリースがある。ドモリ気味に話す彼はわりと穏和な性格ではあるが、ピート・シェリーとの不仲説は消える事はなく、自分でも「休みの日は、全く、全然逢ったりしないね。」と言っていた。1996年の日本公演直後に結婚している。彼もまたベジタリアンである。
1992年のオーディションで加入。パートはベース。使用ベースは何度も壊れているが、分かっているのはGibson Ripper。92年の来日公演ではユニオンジャックの描かれた恥ずかしいベースを使用。
バズコックス加入前は、Lack Of Knowledge、Boys Wonder等に参加。他のバンドのプロデュースなども手がける。ドラムのフィル・バーカーとはLack Of Knowledgeからの付き合い。結婚はしていない。
趣味はサッカー(観戦・プレイ)と、ライフワークとも言えるレコードコレクター。バズコックスをはじめ、ピート・シェリーが「彼はなんでも集めるんだ」と言う程パンクのコレクションには感心する。彼もまたベジタリアンである。
今回発表された「Chronology」は彼がオタクだったからこそ実現した企画であるから、彼には本当に感謝しなければならない。
1992年のオーディションでトニー・バーバーと一緒に参加。パートはドラム。使用ドラムは不明。バズコックス加入前は、Klee、Desd Souls、Lack Of Knowledgeに参加。
既婚。彼もまたハードなベジタリアンである。
趣味はgardeningとサッカー。明るく誰にでも気さくに声をかけるタイプ。
バズコックス結成時のメンバー。パートはボーカルであった。
1976年に脱退。その後はマガジンを結成。ピート・シェリーはファーストアルバム等で何曲か参加している。現在はマガジンも解散している。
バズコックス結成時のメンバー。パートはベース。
1976年から1977年まで参加。ピート・シェリーとはバズコックス以前のJET OF AIRからの付き合い。しかし、メジャーデビュー前に脱退。そうとうの大酒飲みで飲むとくせが悪い。
1976年から参加。きっかけは雑誌のメンバー募集だったという。パートはドラム。再結成後、一度は戻ったものの昔からの夢であったクラシックカー(彼の車はワーゲン)のレーサーになる為に脱退している。最後のステージは何と1992年の日本公演であった。
1977年より参加。パートはベース。
再結成後、1992年までは一緒にツアーも回ったのだが現在結婚してアメリカに住んでおり、二人の子供とも一緒にいたいと言って脱退。
何故マイク・ジョイスをメンバーに加えないんだ?とのご指摘を頂きましたので、加えておきます。
彼を加えてしまった以上、近いうちに過去参加した事のあるメンバーも全員ここに加えなければいけませんね。
89年のバズコックス再結成の際には揃ったメンバーだったが、スタジオ録音を残さないままジョン・メイヤーがレーサーになる為に脱退、その後1990年1月31日より1991年12月22日までの間に元・スミスの彼が参加。彼がいた間バズコックスは「Drone Studio session」(未発売)と、「1991 demos mostly」(未発表)、プラネット・パシフィックより「alive tonight」の音源を残しているが、1992年の来日ツアーには最後の参加となるジョン・メイヤーが再参加している。