Garth Daviesのその後……

彼がバンドにもっと長くいたら、今日のバズコックスは無かっただろう。


 ガース・デイビスはピート・シェリーの通っていたグラマー・スクールの下級生だった。彼はギターのロバート・フランシス・ドレーク、ドラマーのスティーブ・クリスティと組んだバンドでベースギターを弾いていた。1973年3月、ガースと知り会ったピートは彼とスティーブにバンドをやらないかと話を持ちかけた。

そこで結成されたのが、バズコックス以前のグラムロックバンド'Jets of Air'だった。('Jets of Air'は1973年3月より1975年3月までの活動)

そのバンドが解散した後、1976年4月1日、ボルトン工科大学で行われた一度っきりのギグでガースは生まれたてほやほやのバズコックスと一緒にプレーした。そのギグは2曲演奏したところでプラグを抜かれ、終わってしまったのだが…。

バズコックスが結成された時のベーシストはスティーブ・ディグルだったが、ハワード・ディボートが急に脱退して、ディグルがギターに移ったことにより新しいベーシストを探す事となった。

その時を振り返ってシェリーは「ガースはいいベーシストだったからね、もちろん候補に上がってたよ」と言っている。

バズコックスの新メンバー、ガースが弾き出す音は衝撃的だ。(サウンズ誌 '77年9月17日)

 ガースがバズコックスと初めてフルギグを行ったのは1977年3月11日、ロンドンのハーレスデム・スタジアムでクラッシュの前座として出演した時だった。マンチェスターからロンドンまで二人は車で行く事になったが、そのときの運転手を勤めたのがピート・モンクス。(彼は「もうひとりのバズコックス」としてファンの間では超有名人。たいした収入も無いままにバズコックスのドライバーを務める有難い存在。)その夜はバンドの「オフィシャルドライバー」としての彼の最初の夜でもあった。

その後ガースの起こした数々の事件にメンバーが耐えきれなくなり、1977年10月8日に行ったライブを最後にガースは解雇される事となる。

彼が起こした騒動を列挙してみる・・・

カンブリア州エレグモント、Tow Bar Innでのライブでバーテンと取っ組み合いの喧嘩となり警察沙汰、ロンドン、ボルテックスでジョニーサンダース率いるハートブレーカーズのメンバーにステージ上でいちゃもんをつける、オリンピックスタジオでのレコーディングセッション中ピートと口論の末、階段に新品のベースを叩きつける、リードポリテクニックでのライブ後客を外に呼び出して喧嘩・・。

ピート・モンクスは、コベントリー'Mr.Georges'での長いトラブル続きの一日をこう振り返っている。

「ガースは昼過ぎからずっと飲んだくれていて、カルチェスへ迎えに行った時にはもう酔っぱらっている様だった。車にガースが前にピートは後ろの座席に座っていたんだけれど、お互いに罵り合いをやめないんだな。それで車を止めて、二人に降りろって言ったんだ。外でしばらく喧嘩させておいて、また車に戻ってきたんでコベントリー向けてやっと車を走らせることができた。」

そんなこんなで現地に着いた時にはガースはふてくされていた。セッティング・スタッフのエリック・ラムズデンと外をふらつてきたと思ったら、帰ってきた時には、フラフラで歩けない状態だった。

それで、マネジャーのリチャード・ブームとサウンド・エンジニアのキース・ワイルドは、彼の音をPAから完全にはずすことにした。彼のマイクを切って、ベース音は低くピートとスティーブの音はいつもより大きくセッティングした。ライブで2、3曲やった後、ガースはベースをアンプに叩きつけて、その場を去った。

ピートはこう続ける・・・

「ガースは数日して謝りに来たけど、もうどんな言葉も受け入れられなかった。バンドがワールドワイドに活動していくとして、長期ツアーの生活に彼が専念するとは思えなかった。だから彼にはやめてもらうという事になった。とても残念なことだったけどね」。

この一件は後に音楽誌に「イメージアップを図るためにガースをクビにした」と書かれてしまったが、ピートはガースをこう言って弁護した。

「スティーブ・ガーベイよりもメロディアスな音を出すベーシストだった。スティーブはテクニカルな面に凝るタイプだけど、ガースは僕やスティーブが出す音をちゃんと聴きながらプレーしていたんだよ。音楽的にはスティーブ・ガーベイよりもバンドへの貢献度はずっと高かったよ。初期のローリング・ストーンズがカバーした曲のオリジナルについてとか、とっても詳しかったしね。本当にいい奴だったのでクビにしざるを得なかったことは、バンドにとっては大きな損失だったと思う」。

確かにガース・ディビスよりはスティーブ・ガーベイの方がはるかにナイス・ガイ(笑)ではある。しかし「いい奴でも乱暴」より「(顔も)いい奴でおとなしい」を選ぶ事でバンドを存続させる事が出来るなら仕方の無い事ではないか?

リチャード・ブーンはMr.Georgesでのでき事について、こう言っている。

「その後、ガースは楽屋に走って戻ってきた。とっても混乱しているようだったね。とにかくそこに彼を座らせて話をしようとしたけれど、ただただ号泣するだけ。ショーを台無しにしてしまった事を判っていたんだよ。翌日医者に看てもらったんだけど、体のために飲酒をやめるように言われたらしい」。

ピート・モンクスは続けて語った。

「コンベントリーでの一件のあと僕のところにやってきて、医者に行ってきたが体調は良くない事や、これまでの行動については謝りたいと言ってきた。でもメンバーがもう我慢できないだろうし、バンドを降りるしかないだろうと僕は思っていた」。

ピート・シェリーいわく「ジョン・メイヤーは彼がクビになったって言い張っていたけどね」。

 去年、The Surgeryでのレコーディングをしている最中にピートとスティーブが電話でガースとコンタクトを取ろうとしたが、彼はつかまらなかった。連絡をとらなくなってもう何年もたっている。わたしも折りにふれて、彼の自宅へ連絡をしたり、手紙を出したりしたが返事は届かなかった。彼がバズコックスのことは忘れてしまいたいと思っている事は確かな様だ。

パーソナルな問題や行動はともかく、彼には心優しいところがあった。彼は今もなお「最も気になる元・バズコックスのメンバー」なのである。

Garth Davies

41years old

from Tyldesley,Manchester.

Ex computer programmer.

Influences Eddie Cochran.

Plays a Gibson Thunderbird.


indexへ戻る