■ 詩的ぶるぅす ■
2009年09月
〜末日 〜20日 〜10日



蓑虫の未来 蓑を身に纏ったまま とぼとぼ歩いている それは必死のようであり 上の空のようでもある ずいぶん長く歩いたが 道を渡るにはまだ遠い 上にいれば何事もなく 清風に吹かれていただろう 堕ちたのか堕とされたのか 下を行かねばならなくなった それでも行かねばならぬなら ひとまず道の向こうまでと もそりもそりと歩き出し 調子が出てきた頃である 車輪という残酷な運命は 未来を踏み潰していった 2009.9.30
朝霧 血の気ざわめく未来は この中には何一つない たとえあったとしても 幾億の文化に掻き消され 冴え冴えとした過去が 追い迫ってくるかのようだ 生き物たちはこぞって 寝起きの頭を振りつつ 何かを振り払うかのように からだを動かし始める 静寂の中の朝霧には 過去と未来の狭間がある 2009.9.29
窓ガラスと青ガエル 白い腹を貼りつかせ のどは膨らみ脈を打つ 吸いつく手足の丸味には 恐れの色は微塵もない こんな秋雨の夜に お前は威風堂々と 重力に逆らいながら 暗がりの先を見ている 俺はお前のように へばりつくことができない この両手にはただただ 冷たいガラスを知るだけ なあガラスの向こうには イッタイナニがミエル? 2009.9.28
あなた(地球) あなたは わたしで わたしは あなた あなたが 停まれば わたしも 停まる わたしは 停まれど あなたは まわる ずるい ずるい ずるいけど やっぱり あなたが 必要です 2009.9.27
四百年の黒壁 百年前にも誰かが触った 二百年前にも誰かが触った 三百年前四百年前 誰かが触った 四百年前 俺はいなかった また一方では 俺もそこにいた 四百年後 俺はいないだろう また一方では 俺は存在するだろう 誰かが触った黒壁を 俺はいつでも触るだろう 四百年前であろうとも 四百年後であろうとも 2009.9.26
湖面の造形 嘘を造るのが人間ならば 真実を造るのが湖だ 風がやめば鏡となり 魚がはねれば波を打つ 地の底がひっくり返れば ぼとぼとこぼれ落ちるだろう さあ手をそえて受けるがいい 一滴たりともこぼしてはならぬ そしてすべて飲み干すがいい 鯰ぐらい驚くことではない 列車が遠くで呻(うめ)き出す そろそろ行かねばならぬらしい 湖の造形はそのままに 薄曇に向かって歩き出す 2009.9.25
生水の郷(しょうずのさと) 生きているから 流れ去る 生かされているから 流れ戻る 澄み響く音は 視覚から入り込み 思考と体内をひと巡り また視覚から外へ出る 悩み多き魚たちは 今日も目玉をくりくりさせ 勝手きままなつくり唄 ばくばくとくちずさむ 生きものたちは 愛くるしい ここに生きるわたしたちは もっと愛くるしい 2009.9.24
比叡山 衆生どもが群がっている 右往し左往しくたびれている 鼾(いびき)のような鐘はやまない 読経のような愚痴はやめない 木の精霊になるでもなく 宇宙のひとかけらになるでもなく くもの糸を振り払い ありの穴を踏み荒らし おお憐れな衆生ども 同じところをまわっている まわっている まわっている ああそうだと気がつくは わたしも衆生の一人であった 2009.9.23
草津追分 右に行きゃあ 東海道は膝栗毛 左行きゃあ 中山道の洗礼よ 草津追分 どっち向けば極楽 草津の川も目の上で わらわらさあさあ 草津追分 どっち向けば極楽 湯気もさかんに ちょいとさあさあ 2009.9.22
夢安土 夢のような代物は 夢のように消えてゆく 確かに積まれた石段は 霧か霞か白煙か 幻を踏んで武士(もののふ)は 今も昔も往き還(かえ)る 狂おしいほどの情念が 咆哮(ほうこう)をあげて天に立ち 黄金の雨は渦巻いて 安土の平野へ降り注ぐ 確かに踏まれた足跡は 夢のように消えてゆく 2009.9.21

湖東の国 いつでもそこに 湖(うみ)があるから いつでもそこに 湖があるから どこへだって行ける 戻ることもできる 湖の国の人間は 湖を忘れることはない 淡い青を称え 淡い風を匂う 2009.9.20
岐阜城 金華山 長良川 舟々 萩 月 灯(ひ) 長良川 金華山 2009.9.19
眼力 人をみる力である 物をみる力である 世をみる力である 儚さをみる力である 慈愛をみる力である 宇宙をみる力である 塵をみる力である 己れをみる力である 2009.9.18
のぞき のぞいてはいけません そう言われると ついつい おおいやだいやだ 自分の弱さに他ならない 2009.9.17
透過 毒を持つ者は どぎつく主張する 美しき者は 透過することさえある 悪い面が目立つのは 当たり前のことなのだ 善い面に疎いのは 嘆くべきことなのだ よくよく目を凝らせ 心の目を養え 美しき者は すぐそこに紛れている 2009.9.16
利根川 どうして河は    流れ続けるのだろう どうして水は    涸れずに在るのだろう 舟を漕ぐ者は    風景のように過ぎゆく ちぎられた花は    はしゃぐように波打つ ちっぽけな疑問は    水源のように溢れ 巡りゆく時は    大海へと注がれる 2009.9.15
曲がるスプーン 誰が念じて曲げたのか スプーンはがっくり上を向き 隅のほうで横たえる スプーンにとっては突然の お役目御免の宣告だ 本当ならば項垂れて 涙ながらに訴えようが 威張ったように反り返り 負けず嫌いの風体で こう言っているかのようだ 念じられてあげたのだ 曲げられてあげたのだ スープを掬(すく)えもせずに 今日も隅で横たえる 2009.9.14
真空パック 今この瞬間が幸せというものならば 真空パックにして閉じ込めたい 閉じ込められた幸せは いつまでも鮮度が保たれる ガラスの瓶に入ったように 十年後も変わらずそこにある 僕はそこに忘れものをした 大事な大事な僕の夢だ ほんの一瞬なら大丈夫だろうと ガラスの瓶の蓋を開けた 現在の空気があっという間に 瓶の中へ押し入った 今この瞬間が幸せだったものは みるみるうちに鮮度を失くした 2009.9.13
再開発 家がごっそりなくなって 黒いぢめんが剥き出した ぢめんというものは こんなに寂しかったっけ? 嬉しそうにしてるのは くるくる踊る秋風だけ ぢめんというものは こんなに寂しいものなのだ ひとも本来この上で 寂しく暮らしたものなのだ 寂しいことがわかるから 愉しいこともわかるのだ そのうちぢめんはまた消えて わたしたちは忘れるだろう 2009.9.12
空から 空から水が降って来た 空から塵が降って来た 空から財布が降って来た 空から領収証が降って来た 空から花瓶が降って来た 空から電話機が降って来た 空から写真が降って来た 空から指輪が降って来た 空から飛行機が降って来た 空から 空から 2009.9.11

海外旅行 日常を忘れさせる 見たこともない風景 嗅いだことのない空 心は躍りっぱなし ああ帰りたくない このまま暮らしたい そう思ったかどうかは 聞くことはできないが 人間はもちろんのこと ありとあらゆる生物が 海外を行き来するという 時代がやって来ました 2009.9.10
慢心 良かれと思って思案したことを 一方通行に語っていないか? それは慢心であるぞ それは慢心であるぞ 向こうの話を聞いたか 向こうの状況を聞いたか 向こうはどうなっている? 向こうに何が見える? 慢心に気づかなければ 真実を見過ごしてしまう 慢心を捨てなければ 本質を見抜けなくなる さあまずは慢心を語ろう すべての第一歩は自覚からだ 2009.9.9
空白 白い紙の上に いろんなことが かきこまれて 日常生活が 彩られて いるとすれば 空白は 当たり前に 存在していて あるいは逆に 存在するから 日常生活が 彩られていい 2009.9.8
ここで問題です 日本一美しい山は? 日本一きれいな川は? 正解だと思って 答えを出してきた 山や川だけでなく 人生の全てのことを そして出した答えは 正解だと思っていたのが 間違いであったり 間違いだったと肩を落とすと 意外な正解を生んだり だから正解なんていうものは あって無いようなもので あるとすればそれは 過去にしか存在しない 日本一の山や川は 覆(くつがえ)るかもしれないのだから 2009.9.7
努心(どしん) どしん どしん 自信が漲(みなぎ)る どしん どしん それはそうだ どしん どしん 努力したもの どしん どしん 自信が漲る どしん どしん 努力の心が どしん どしん 努心となる 2009.9.6
努心(どしん) どしん どしん 自信が漲(みなぎ)る どしん どしん それはそうだ どしん どしん 努力したもの どしん どしん 自信が漲る どしん どしん 努力の心が どしん どしん 努心となる 2009.9.6
正しくもあり正しくなくもあり どんなに真面目にやっても どんなに懸命にやっても どんなにコツコツやっても どんなに砕身してやっても どんなに苦労してやっても どんなに努力してやっても ほんわり気楽にやる人 のんびり暢気にやる人 何も考えていない人 こんな人たちにあっさり 追い抜かれることもある まあひとつ深呼吸でもしようか 2009.9.5
消化論 抑えるのではありません 抑えればいつか必ず 反発の力が返ってきます 消化するのです 消化してしまうのです 消化できればすばらしい 消化すれば栄養になります 消化すれば空きができます 空きができれば新しく取り込めます 新しいことは気持ちを前に向かわせます 前に向かうときに栄養が助けてくれます これらは力ではありません これらは前向きな循環です 消化は循環の始まりなのです 2009.9.4
ボウフラ 古びた水甕の中で育ち 何かに脅かされることなく もしもあるとするならば 似た者同士の対立や 雀の水浴びくらいのもので 川や沼や池にいる者の 苦労などは露とも知らず それでも勝手に立派に育ち 無謀な加減で人肌を求め 吹きっ晒しの外へ飛び立つ あっけなく叩き落されるのは 水甕育ちの者かもしれない 2009.9.3
カニ走り 真っ直ぐに走れないなら 横に走ればいいじゃない それだけのことじゃない? 見てくれが少し違うだけじゃない? なにがいけない? カニがいけない? それは勘弁してください どうぞわたしを走らせてください 2009.9.2
鼓膜 鼓膜の端を 触ってごらん 震えるだろう? 響いているだろう? これが世の中の音だよ きみを取り巻く音だよ いとおしいいとおしい きみとぼくの音だよ 2009.9.1

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