辛口音楽論 |
ここから先はちょっと真面目に「音」や「音楽」について語っています。 文体がいつもと違ったり…。 |
わたしは自他共に認める「音フェチ」である。 別に「フェチ」と言ったところで音に性的快感を感じるわけではない。 ただ、惹かれる音(サウンド)が、とてもはっきりしているのは確かで、それに出会うとまるで初恋のときのようにドキドキしてしまう。 私がこのドキドキに出会うことは非常に希で、だからこそ「音フェチ」なのだと思う。 キャッチーなサウンドは好きだが、そこにオリジナリティが無ければ既存のアーティストの猿まねにすぎない。 オリジナリティがあればそれで良いのかというと、そうでもない。聴いている側が心地よいものでなければ、そのサウンドは自己主張の強いただの騒音となり果ててしまう。 では、どのようなサウンドが良いのか? 「BreathingSound」 これがキーワード。 このサイトのサブタイトルに「The sound is breathing in my soul」とつけているが、これこそが私の「音」というものに対する気持ちといっても過言ではない。 いい音楽というのは、どのジャンルのものでもそこに「BreathingSound」が存在する。 クラシックだってジャズであったって、はたまた演歌であっても曲の中で音が呼吸しているかのようなもの。 そしてその「呼吸する音」は聴く人の魂にまで響いてくる。 人々はそれぞれの価値観に基づいてその人なりの「BreathingSound」を見つけ出すのだ。 ここで大事なのは「それぞれの価値観に基づく」という点である。 現在の日本で流行っている音楽達、たしかにキャッチーではあるが、そこにオリジナリティは存在しているのだろうか? 残念ながらかなりの数のものが「否」であろう。 ある海外のアーティストに「日本の音楽はどうか?」とたずねたところ、 「いいとは思うけれど、どこかで聞いたような音楽ばかりだなぁ」という答えが返ってきたそうだ。 まさにオリジナリティの欠如を指摘されたものだった。 たしかに、テクノミックスの曲は海外(むこう)では既にかなり前に全盛を迎えたものだったし、R&Bにしてみても、何年も前に流行っていた。…インディーズ?そんなのが流行ったのもかなり昔のこと。 果たしていいのか?真似ばかりの音楽で? 私はなにも日本人が海外の音楽を「取り入れる」ことが悪いと言っているのではない。 ただ、きちんと「消化」されていないことが問題なのである。海外の音楽で良いと思うものを取り入れたは良いが、「消化不良」を起こしたらどうなるのか? 写真の焼き増しのようなコピーの群れ…オリジナリティの無い作品群が出来あがる。 (中高年の方が「全部同じに聴こえる」というのも、あながち嘘ではないのだ) レコード会社にしてみれば、「売れるなら同じような作品を作って世に送り出せば良い」といったところか? 聴く側も「流行っているから」などという気持ちでそのコピー群を買う。 その影で新しいものを創り出そうとするアーティスト達は消えていく。 これが日本の音楽の現状。 ここまで言うと、「洋楽好きの舶来至上主義なんだろ?」という言葉が聞こえてきそうだ。 確かに私の好む音楽は洋楽が多いが、それは私なりの価値観に基づいて惹かれる音(サウンド)を見つけた結果であるし、コピーに溢れた日本の音楽の中にも素晴らしい音楽が在ることもきちんと知っているつもりだ。 要は聴く側の問題なのである。 聴く側に立つ私達がその人なりの「BreathingSound」を見つけてゆけば、模造品の音楽は減ってゆき、日本の音楽はもっと素晴らしいものになっていくだろう。 |