なんというか、ものすごく作り込まれた歌詞である。いかようにも解釈できる、しかも気が遠くなるほど間口の広い、解釈を試みるもののレベルを問われる歌詞になっていると思う。この歌詞の評論をするには勇気が必要だ。自身の矮小さを見透かされるような気がして、私はいくらかの躊躇を覚えているのだが、それでもやらずにいられない。 私なりの解釈を述べる前振りとして、二つほど補助線を引いておきたい。一つ目は、歌とは本来、呪術であるということだ。いや、コトダマの国、日本に敬意を表せば、歌とはコトアゲなのだ。祈ること、呪うこと、神に対して、悪魔に対しての意思表示という性質を歌は隠し持っている。 二つ目は、この世のすべて、人々の日々の生活、文化、文明、歴史、宇宙、存在、そんな総てが、人の肉体、すなわち物理身体の拡張を基本に成り立っているという、現象学的(あるいは唯識論的)考え方である。こちらはあるいは馴染みにくい感覚かも知れないが、かの物理学者、スティーヴン・ホーキングの提唱する人間原理とおおむね等価であるといえば、権威主義的に認めてもらえるだろうか。 恋愛レボリューション21の歌詞をざっと眺めてまず気がつくのは、最近のつんく作詞の例に倣って徹底的に韻を踏むと同時に、繰り返しを多用していることだ。これは歌が呪術であった時代へのオマージュである。つんくは、呪術としての歌という基本をしっかり意識している。韻を踏み、繰り返すことで、いにしえの人々が体験していたであろう、いわばトリップ感覚への敬意を表すると同時に、呪術的側面の復活をも狙っている。もちろんこれには、別のところで書いたけれどビートルズへの憧憬もあるのだろうけどね。 そして、「恋もして」「仕事して」「泣いちゃった」「腹へった」という人間の原点への回帰だ。人間というこの一見複雑極まりないものも、例えば「腹へった」「やりてー」「死にたくない」のたった3つの呻き声で、ほとんど記述し尽くせるのだ。冗談を言っていると思われるかも知れないが、人類が営々と築きあげてきた文明、あるいはこの我々が生きる世界そのものにしてからが、過去に生きた無数の人々、そして現在に生きる人々の欲望に起因している。いや誤解を避けるため、あるいは誤解を恐れずに、欲望ではなくてあえてエロスと呼ぼうか、エロスの積み重ねがすべてを存在させている。そのエロスの実態はと言えば、「腹へった」「やりてー」「死にたくない」なのだ。 世界は、現実は、認識されることによって初めて存在となる。その認識の基盤が、肉体、つまりは物理身体である。物理身体は精神の働きによってエロスを発動し、エロスは関係性を紡ぎだして行く。それが存在だ。と同時に物理身体を拡張した幻想身体を組み上げていく。それが人間となる。そんなエロスを単純に表現するなら、「腹へった」「やりてー」「死にたくない」に還元される。ちなみにここでは物理身体の存在論は展開しない。 「恋もして 仕事して 歴史きざんだ地球」「泣いちゃった 腹へった LOVE REVOLUTION 21」という歌詞の背景が多少とも伝わっただろうか。もちろん別につんくさんがそのような理論展開をして作詞したなどと言っているのではない。上記のように理論武装しなければ記述できない直感が、恐らくこの歌詞には込められているということなのだ。 認識論、存在論を振りかざすまでもなく、人間とは、恋して仕事して泣いて腹へって、歌詞ではもちろん記述はされないが、死んで行くものなのだ。その無意味とも思える繰り返し、積み重ねが、結果として例えば「歴史」なる共同幻想を出現させる。共同幻想を構成するのは幻想身体の場であり、それはイコール文化とも呼ばれる。文化は人々に受け継がれ、時を運ばれて行くことができる。人類という幻想、歴史という幻想が存続し続ける限り、幻想身体はその萌芽となった物理身体との連続性を失っても、存在を続けることができるかもしれない。 しかし、物理身体には必ず死が訪れる。そして死が必然であるが故に、生は輝く。そのように人生は仕組まれている。この歌詞の世界では、そんな生死の積み重ねの証言者に「地球」を選んでいる。「この星は 美しい 2人出会った地球」・・・、言わぬが花とはいえ、その「美しさ」の背後には無数の死が埋まっている。 話を広げすぎたかも知れないが、この歌詞にはそこまでの守備範囲を感じざるを得ない。無数の無名の人々の営みの積み重ねに、生死に、愛に気がつき、それらを引き受け、私たちもまた生きて行く、愛して行く・・・。そういうことなんだろうと私は思う。ぶっちゃけた話、「命短し 恋せよ乙女」なのだ。 誰とは言わないが自意識過剰的な恋や苦悩を歌う、込み入った精神性を唱える歌詞をやたらに耳にするが、そして別にそれを否定するつもりもないのだが、そんな自己陶酔に浸っているヒマはないのだ、もっと有意義なことがある、成すべきことがある、楽しいことがある、愛がある、「ALL TOGETHER NOW!」なのだ。 最後に、この歌詞は前作"I WISH"の対極に位置していることを指摘しておこう。"I WISH"が、幻想身体の幻想性を高らかに讃えているのに対し、恋愛レボリューション21は、幻想性の解体と新生を主張している。この振れ幅こそが娘。なのだ。いや快感!
| |