乙女 パスタに感動



人が作ったものに完璧なものなどあろうはずがない。けれどもこれ以上はない、さらなる手を入れる余地がないまでに作り込まれている、そういう作品は存在し得るはずだ。そういう作品は傑作と呼ばれるのだろう。「乙女 パスタに感動」を、私はそのように評価している。不満な点がなにもないのだ。メロディーもアレンジも、そしてこの場のテーマである歌詞も、すべて素晴らしい。この一言ですまして評論などという戯れ言はおしまいにしてしまいたい。

けれどもそれでは何のために取り上げたのか分からない。ちょっとだけ、この歌詞が如何に素晴らしいものであるかを述べてみたい。

聞いてもらえば誰にでも分かるように、これは内容を云々する歌詞ではないと言わねばならない。つんくさんほどに女心が分かるはずもないので、どの程度妥当性があるのかどうか私には判断できないが、ごく普通の女の子の日常を歌ったものだ。いささか経験論めくが、こういう歌詞を書くのは実は非常に難しいものだ。一般的な恋愛歌とかメッセージ・ソング的なものは、誰でも比較的容易(出来不出来はともかく)に書けるものだが、なんの変哲もない「普通」を詩にするには、高度の技量(と才能)が必要であるように思う。

しかし、この歌詞はそんな困難さの欠片も顕わしはしない。一見実にさらりと造り上げられている。これは驚嘆に値すると思う。極めつけは、無駄な言葉がまったくないことだ。音節数のつじつま合わせも言葉の淀みもまったく存在しない。必要な言葉だけが厳選され、総ての言葉が有機的に結びつき、おしゃれ感、そしてさわやかなポップ感を醸し出している。

唯一ひっかかる部分があるとしたら「イチャイチャ」という言葉の響きだろうか。しかし、これもまた正解なのだと判断せざるを得ない。この一言までもよりあっさりとした言葉に置き換えてしまうなら、この歌はどこにも引っかかりがなくなってしまい、存在感が希薄になりかねない。いや、それ以上に現実の生々しさとの繋がりを失ってしまい、味わいのない歌となってしまうだろう。このスパイスのような下世話感(あるいは肉感)が、つんく作詞の深い味わいにはかかせないものだ。

そんな無駄なく選別され、的確に配置された言葉が、これまた申し分のなく心地よく流れるメロディに、これでもかとばかりにフィットする。「きーんよーび」など、これ以外のどんなメロディがあり得るだろうか。一寸の隙もなく、この歌は徹底的に作り込まれているのだ。

そして、この歌の最終兵器が新生タンポポであることは弁を待たない。飯田さんがちょっと外し気味かなと思わないでもないが、こんなにかわいく歌われたらお手上げである。降参!





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