荒井由実時代のアルバム「14番目の月」に収録された曲である。この詩を書いたときの彼女の年齢はいくつだったのだろうか。冴え冴えとした、しかして何もかも悟ったかの如く透徹した内容に、ただただ驚くしかない。荒井由実時代の一番好きな曲では決してないが、私にとって一番印象に残る曲である。 宇宙の片隅で めぐり逢えた喜びは うたかたでも 身をやつすの こんなことをさらりと歌うのだ。そこらにいくらでも転がっている「永遠の愛」だの「無限の情熱」だのといった児戯とは無縁の、この世界の残酷なあり方を知りつつ、それでもその瞬間に「身をやつす」、そんなむなしさを越えた、呻きにも似た生(性)の歓喜が悲しいまでに美しく表現されている。こんな歌詞が他にあるだろうか。 カード一枚 ひくように 決まるさだめが とてもこわい そう、それが人生の、この世界の真実だろう。カードを引くのは少なくとも私ではないし、あなたでもないだろう。どこか決して知ることのできない所で、決して知ることのできない何者かが勝手にゲームをしているのだ。キリスト教徒ならばそれを神と呼ぶが、日本人である私たちは、そのような真実は受け入れない、あるいは少なくとも真っ向から見据えることはないのだろう。 知らないこともまた幸せという考え方もあるだろう。けれどもこの作詞者は現実をしっかりと正面視し、「とてもこわい」と正直に表現している。恐れることしかできないとしたら、それは無念なことではあるまいか。 宇宙の片隅で つぶやき合う永遠は 幻だと 知っていても 矢は途切れることはない。さらにだめ押しが襲いかかる。肺腑を深く深くえぐるように、ごまかしのない言葉が、生(性)の歓喜とは同時に死の表現でもあることを告げる。 救いはないのか? この歌詞の中では、その答えが自信なげにこう表現されている。 「形のない愛」と・・・。 愛だけが永遠であり得るかもしれない。けれども愛に形はない。不確かな存在でしかないのだ。その形のない愛だけが、この残酷な世界を乗り越えていくことができるかもしれないのだとしたら・・・。私もまたそこで自信なげに絶句するしかない。
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