7月1日(月) あとのまつり
今更何を、の思いもあることはあるのですが、やっぱ一言書いておかずにはいられなくなってしまいました。ワールドカップが終わりましたね。終わってみればブラジルの優勝。結果オーライならまさに予定調和的なんですが・・・、やってびっくりのワールドカップでした。
いや驚いたの驚かなかったのって、予想を裏切るおもしろさだったというか。いろんな意味で語り継がれる大会になりそうです。何がトンデモだったかは、ネットのあちこちで議論沸騰なので私が今更書くまでもないのですが、すばらしいプレーの数々をさしおいて、ネタとしてのトップ3は日本代表の健闘、韓国の暴走、日本マスコミの迷走に尽きます。
日本代表はよく健闘しました。私の当たらない予想は見事に予想通り?外れ、日本代表の試合は非常にフェアに行われました。ほとんど唯一、対ロシア戦の稲本のゴールがオフサイドだったのではないかという疑いは残りましたが、あれとて正当な審判の裁量の範囲でしょう。つまりは日本代表戦に関しては、明白な「介入」はなかったと思います。ある意味、ホームにあるまじきクリーンさでした。この事実は日本人として誇って良いのではないかと思います。
それでいて、当初の目標であった決勝トーナメント進出を果たしたのですから、素直に拍手を送りたい。もっとも、対トルコ戦では例によって悪い癖というか、日本代表の「淡泊さ」が顔をのぞかせてしまったようにも思われました。もちろんトルコが強かったということもありますが。
でもって、困ったちゃんだったのが韓国です。いや、韓国代表チームは良かったです。尽きることのないスタミナ、特にその敢闘精神は日本代表に欠けていた、いやドーハ以来一貫して欠落し続けている資質であり、その戦いぶりは称賛に値しました。
しかし、です。対ポルトガル戦、対イタリア戦、対スペイン戦と続いた3戦はいけません。テレビで観戦していた、あくまでも私個人の意見と断っておきますが、この3戦は八百長でした。
韓国代表の戦いぶりは相変わらずでしたから、韓国の選手たちはこの八百長には関与していないでしょう。しかし、何かが起こり、この3戦の審判は恥ずべき判定を繰り返しました。何よりも気の毒だったのは、もちろんポルトガル、イタリア、スペインの選手たちであることは言うまでもありません。この話題にはあまり触れたくないので、次次。
さてさて最大のチョンボは、なんといっても日本のマスコミです。今回のワールドカップ最大の汚点、いや、あくまでも日本国内の問題ですから、ワールドカップという言葉を冠する必要はありませんね、最大の恥さらしは日本のマスコミでした。
いやはや不愉快を通り越してあきれ果て、もはや冷笑する気にもならないほどの醜態でした。これが噂に聞く「大本営発表」なんですね。当時の日本人も嘘と知りつつ聞いていたそうですが、あっちは生死をかけた戦争、それも全体主義大日本帝国でのことです。まさか、民主主義平和国家の現代日本で、こんな「大本営発表」を聞かされるとは思いませんでした。
で、不思議なのは、大手マスコミが右ならい(左ならい?)していることです。どこを見ても同じ塩梅です。ということは、これは何か政治による介入があるということなのでしょうか。
うーん、どう考えても政治介入は考えにくいよなあ、となると、ほんとにほんとの自主規制ということになるのでしょうか。協調自主規制?なんのこったら訳が分かりません。単にみーんなおバカさんということなんでしょうか。あーわからん。
ただ、ネットでの議論をつまみ食いした感触では、日本の若者たちの意識が従来の島国根性日本人ではなくなっているように思われ、ちょっと感心したりしています。単なる嫌韓は意外なくらい少数派のようで、韓国に対し特殊な感情を持つことなく、国際社会における隣国として素直に捉えている人が目立ちました。もちろんだからといって歴史に無知であることは許されないんですが、ニュートラルから両国の歴史を眺め直す、そんな夢のようなことが、少なくとも日本の若い世代にはできる可能性を感じました。
もともと日本国憲法によって、日本は近代国民国家ではなくなってしまっています。サポーターたちの応援を見ても、意外なくらいナショナリスティックではなく、いやそれどころかまったくそんな気配すら感じさせず、国家意識と共同体意識がきちんと分けられているように思われました。もっと言うと、見えざる神のはからいか、どうも国家意識を欠落させたまま共同体を形成することに抵抗がない、そんな世界のどこにも存在しない世代が育っているように思われたのです。
まあ、理想論でしょうね。でも、お先真っ暗に思われた現代日本の行く先だけれど、案外順風満帆になってるのかもとか、ま、妄想ですが感じたりしてしまい、楽しい思いを味わわせていただいた今回のワールドカップでしたとさ。