2000年9月



9月24日(日)  映画"Life is beautiful"

映画"Life is beautiful"を見た。噂に違わぬ(違う?)名作だった。ファシズムの暗黒が襲いかかるイタリアを舞台に、楽天的でお調子者で幸運(これがミソ)なユダヤ人の男が主人公の物語だ。美人のお嬢様を妻にしてしまい、息子をもうけ、幸福な家庭を築いた直後に、強制収容所、そしてホロコーストの悲劇が襲いかかる・・・と書くと、お定まりの話のようだが、どうしてどうして。

"I WISH"ではないが、この映画の題名"Life is beautiful"の意味、製作者達の魂を受け取れるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかの分かれ目のように思う。これはどうしようもなく美しい愛の物語になっている。特にラスト近く、生き残った息子がM4シャーマンに乗せてもらうシーン、現実とフィクションが交錯するこのシーンで、重いものがこみ上げ、感涙ではない涙が滲んできた。

そしてエンドロール前、この物語が、実は成人した息子の語ったものだったことが示される。相手は自分の子供なのだろうか、父の深い愛を語る、ほんの一言なのだが、その優しさがこのうえなくすばらしい。見終えてしばらくしてから涙が止まらなくなる、そんな作品だ。

物語のキーは、敢えて言うなら「フィクション」であろうか。表の現実と裏のフィクションが交錯する中、幸運という禁じ手を通して、愛というフィクションが幻のように顕在化する・・・、題名がそんな表裏の両方を表現している、いかにもヨーロッパ的な一種ニヒリズムが、なんというかシニカルに笑える。

実は拾い読みで見た誰かの書いた映画評の内容から、"I WISH"の歌詞評の補強にでも使えないかという下心があって見てみたものなのだが、こんな複雑で重い物語だとは思いもしなかった。日本の映画評論も批判しなきゃならんのかな(冗談冗談)。

いささか強引に"I WISH"と結びつけるなら、この残酷な現実世界の中にあって、幸運極まりない娘。が歌うとき、幻想としての愛が顕在し、「人生ってすばらしい」「すべていつか納得できるさ」というフィクションが成就する、てなもんかなあ。



9月22日(金)  昔のCDをひっくり返す

しばらく聞いていなかったCDを探してみる・・・が、みつからない。他人の話としてはよく聞くのだが、自分がその立場になってみると、なんとも腹立たしいものである。うーん、みつからない。なくしてしまったらしい。人に貸した覚えもないのだが・・・

なくしたCDがヒットしたものなら、有名なものなら、今なお現役でばりばりのアーティストのものなら、廃盤になっておらず、もう一度購入することが可能かもしれない。あるいは比較的容易に中古を探し出せるだろう。けれどもそうでない場合は、再入手は困難が予想される。ネットで呼び掛ければ売ってくれる人が現れるかもしれないが、現れないかもしれない。

活字文化における青空文庫のように、著作権の切れた、あるいは放棄された音源を保存し、いつでも聞かせてくれる、そんなサイトができてくれると嬉しいな。廃盤になって永久に失われる運命の音源の著作権を進んで放棄してくれれば、不可能ではないと思うのだが。

特に心配なのが、過去のアイドルポップ、グループサウンズ、ロカビリーなどだ。もう既に永久に失われたものがあるのではないだろうか。



9月20日(水)  やむを得ず「らいおんハート」はレンタルで

「らいおんハート」の歌詞評を書くため、やむを得ずレンタルして来た。耳で聞いて歌詞は分かっているつもりだが、ちゃんとちゃんとということである。こんな歌詞である以上、絶対に金を払いたくないぞみたいな意地を張ってしまっているのだが、ま、SMAPは好きだし、レンタル料金は彼らに払うつもりということにでもしておこう。

ついでにTOKIOの「恋に気づいた夜」も借りてきた。歌詞はあいかわらずの素晴らしい出来だと思う。つんくさんのこの繊細さ、優しさが伝わらない世の中になったのかなあと、ま、ちょっとしんみりですかね。それにしてもこの歌詞、TOKIOのイメージと合ってないんじゃないの?シャ乱Qの曲にした方が良かったんじゃないの?とかぼそぼそ思うのであった。

「らいおんハート」の歌詞評だけど、やっぱ匿名だと声が大きくなるというか、ちょっと過激すぎるかもね。とま、ちょっとだけふぉろー(になってない)。



9月19日(火)  "I WISH"は不発だった

オリコン・チャートを祈るように眺めてきたが、残念ながら"I WISH"に込められたものは人々に伝わらなかったようだ。その一方で「らいおんハート」は首位を独走している。実に複雑な気分だ。

確かにスタジオライブとかを見る限り、娘。、とりわけ新メンバーの稚拙さばかりが目に付いてしまうのは否定できない。が、こうとしか表現できない歌であるのも事実だろう。日本人にはイノセントは表現できないし、かつ伝わらないのかもしれないとすら思う。

気を取り直して、ようやく、最初のコンテント、"I WISH"の歌詞評をuploadした。何の役にも立たないだろうが、このようにメッセージを受け取った輩もいる、そういう無に等しい叫びである。



9月13日(水) 無料サーバは面白い

無料サーバを探してみた。いやあるものである。ざくざく見つかる。気前の良いところでは 50Mもくれる。しかも商用OKときたものだ。匿名サイトを立ち上げる気などさらさらなかったので、 こういう世界には目もくれなかったのだが、いや驚いた。

なんでもあり、あるいはなんにもないのがインターネットとは思うけど、今更ながらに世界は 変わったと実感した。さっそくいくつかのアカウントを取得。こんなんで遊んでたら仕事にならんなあ、 とかいってる間にウェッブページの立ち上げ完了。



9月12日(火) 開設のきっかけ/らいおんハートの歌詞への疑問

このサイトを開設しようと決意したきっかけは、SMAPの歌「らいおんハート」の歌詞への疑問だ。 聞くところによれば、この歌詞がすばらしくてこの曲を気に入った、あるいは歌詞に感動して泣いてしまった などという意見が多く交わされているようなのだ。

もちろん音楽は趣味の世界のものなんで、100人が100様に楽しみ、評価していればいいんだろうが、 実は私、この歌詞が気に入らなくて、らいおんハートのCD購入を止めてしまったのである。SMAPは実にかっこよく この曲を歌う。メロディはキャッチーでこれまた文句なく良い出来だ。けれども、この歌詞はどうにもいけない。

私の趣味の問題と言われればそれまでなのかもしれないが、もっと根本的に、日本語の能力、感性、詩作の才という 面から、この歌詞には議論として提出できそうな、そして評論と呼び得るレベルで指摘できそうな問題点が少なからずある、 私はそう考える。

ネット上にはJ-POP批評を志すサイトが数あれど、歌詞を中心にした評論を展開する場は、私が知る限りでは存在しない。 以前からそのあたりがくすぶっていたのだが、「らいおんハート」の評価を聞いているうちに、このサイトを立ち上げる 決意のようなものが湧いてきた。

もうひとつ、というか、こっちが私にとってより重要なのだが、モーニング娘。を代表とするつんくさんの書く歌詞の 一般的な評価が何とも受け入れがたいという思いが以前からあった。私はつんくさんが、現在のJ-POPでは最高の作詞家 であると評価しており、その評価は日増しに、新曲のつど、上がろうとも下がることはない。このサイトでは娘。の曲を 中心に、つんくさんの詩作のすばらしさについて叫んでみたい。

というわけで、Here We Go !





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