編鐘とは


編鐘の発見
 中国の古代宮廷楽器「編鐘」は、2400年前の「編鐘」が発掘されて以来、紀元前や紀元後数世紀の古墳から、中国全土で400〜500組(セット)も発見されているといわれている。編鐘は、その大きさから、楽器としてばかりではなく祭器として、また、皇帝の権威の象徴としても使用されたことがうかがわれる。大小の青銅製の鐘から成り、大きなものは人が入れるほどの大きさがあった。数人がかりで打ち鳴らしたと考えられている。
 
武漢曽侯乙編鐘 (中国最大で最古の編鐘)
 中国では、1978年8月、湖北省の考古学者たちが湖北省随州市北西部にあった曽侯乙墓を発堀。曽侯乙墓は、約2400年以上前(紀元前5世紀)の春秋戦国時代の古墳で、規模が大きいとともに保存状態も極めて良く、青銅器、武器、楽器、漆器など15,000点余りが出土した。地下音楽殿堂の発掘が注目を集めた中で、5オクターブ65個もの多数の銅鐘がひと組になった編鐘は、中華人民共和国建国以来の考古学史上十大発見の一つとまで言われている。これらの編鐘は、その墓が、曽国の支配者 乙のものであったことから「曽侯乙編鐘」と名づけられた。編鐘65鐘は、上段の鈕鐘(ちゅうしょう)19鐘、中段の甬鐘(ようしょう)33鐘、下段の甬鐘12鐘と、下段中央のはく鐘1鐘から成っている。はく鐘には31文字の銘文があり、紀元前433年に楚の恵王が、曽侯乙の逝去を知って特別に、はく鐘を造って贈り、祭ったと記されている。1992年春、東京国立博物館で「特別展 曽侯乙墓」が開催され、日本で初めて曽侯乙の編鐘が紹介された。

編鐘の伝来
 韓国には、16音律の様式で高麗朝(1116年)に伝えられた。1416年頃から鋳鐘所が作られて本格的に鋳造され、文朝・宗朝時代には、祭礼楽になくてはならない楽器として使われた。また、唐楽系の宮廷音楽にも使われたと思われる。この編鐘は朝鮮半島まで伝搬したが、日本には伝わらなかった。また、日本には儒教的な大編成の雅楽が輸入されなかったので、編鐘を使用する音楽は伝えられていない。日光東照宮に13世紀に伝来したと思われる唯一の編鐘が保存されている。この編鐘ははるかに小型であるが韓国の祭礼楽用の系統の特徴をもっている。

日本で製作された編鐘
1、南條編鐘

 伶楽の研究家木戸敏郎先生からの要請により、京都在住仏具鳴り物師の南條一雄氏が、中国の伝統楽器・編鐘を日本的な形で1982年に復元。1983年3月、国立劇場で初演された。復元された編鐘は、銅と錫の調合により音色が微妙に変化、音程の調整に焼き入れ作業ののち、金属を少しづつ削っていく微妙な作業工程を経て完成する。現在、京都大原の実相院や国立劇場など全国に5つしかない楽器である。
 
2、久乗編鐘
 この久乗編鐘は、富山県高岡市の山口久乗氏によって2002年に現在の形で完成。2003年3月<世界水フォーラム>での「音でつづる水の旅」の演奏は、この楽器を使用した。余韻のある美しい音色は、脳にα波を発生させ、癒しの効果がある、1/fゆらぎを含むことが日本音響研究所の分析により証明されている。

株式会社 山口久乗では、他にも西洋音階の編鐘なども製作しています。山口久乗へのメール

いのりの音にひきよせられて〜私と編鐘の出会い〜
長谷川有機子 
 
 私と編鐘の出会いは1999年、京都の街角に響く名工の「技の音」をテーマとしたコンサート開催のため、仏具鳴り物師の南條一雄さんをお尋ねしたのが最初でした。編鐘の音を聞かせて頂き、その天上の音のような響きに心打たれました。その後特別に編鐘をお借りして使わせて頂き、2001年法然院、また2002年富山県の大楽寺でのコンサートでは、初めて編鐘をメロディー楽器として使用しました。その頃から私はすっかり編鐘の虜となりました。しかし貴重な編鐘を日常的にお借りできず、編鐘の調べをより多くの人々に聴いて頂きたいという私の思いは募るばかりでした。そのとき、友人から富山県高岡市の山口久乗の「久乗編鐘」のことを知らされ、高岡に飛んでいきました。中国古代楽器「編鐘」とは違う「久乗編鐘」の安らぎの音色に心打たれただけでなく、<今、子供達に手を合わせて祈るという心が失われている。その心をこの『おりん』から生まれた「久乗編鐘」を通じて伝えられたらと願っている>という山口さんの思いにも共感しました。「久乗編鐘」は、より美しい音色と使いやすい楽器にと考える私の意見も取り入れて、世界水フォーラムでの演奏のために、山口さんが新たに製作してくださいました。


制作者の山口敏雄と出来たばかりの16音編鐘を前に話し合う(2003年2月


 

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