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写真 桓武天皇の頃に弘法大師が 土佐一の宮の別当寺として 善楽寺を建立しました。 明治の廃仏毀釈によって廃 寺となりご本尊は29番札所 の国分寺に仁王像は24番札 所最御崎寺に預けられその 後安楽寺(写真下)にご本尊 が移されて30番札所と名乗 り昭和 5年の善楽寺復興後 は 2ヶ寺が30番札所となっ ていましたが平成 6年に安 楽寺の住職が善楽寺の住職 を兼ねる事で双方の檀家も 了承し決着をみました。 |
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「二ヶ所ある第三十番札所」 |
御朱印 |
善楽寺は弘法大師が、この地に巡錫、土佐一ノ宮の別当寺として善楽寺を建立、三十番の札所と定められました。以来神宮寺(現土佐神社)とともに一ノ宮別当寺として法灯を維持してきましたが明治の神仏分離、廃仏毀釈によって廃寺となり本尊の阿弥陀如来、大師像は29番札所の国分寺に預けられましたが、その後本尊が安楽寺に移り明治九年、安楽寺が三十番札所を名乗りました。安楽寺は平安時代に土佐にいた菅原道真公の長男の高視朝臣によって道真公が亡くなられたのち、その霊を慰めるため建てられたお寺でした。昭和になって善楽寺が再び札所として復興され、どちらが第三十番札所になるかで本家争いになったのですが、現在は平和共存が成り立ち本尊は善楽寺に収まり、善楽寺が30番札所(開創霊場の寺)、安楽寺が奥の院(本尊奉安の寺)となりお参りするのはどちらでも、また両方でも一向に差し支えないそうです。 |
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