WORMS'MEAT HISTORY

ウチノ
WORMS'MEATは1988年に高校の同級生ムラヤマ(当時BASS)と後輩のキウチ(GUITAR)エグチ(GUITAR)モテギ(DRUMS)の5人で結成する。
バンド名がなかなか思いつかなくて、オレの憧れのGHOULのマサミさんにお願いしたら一週間後に「WORMS'MEAT」というバンド名を考えてくれた。本当に大切なバンド名なんだよ!
この時点でHARD CORE PUNKのバンドをやる限りこの名前でやろうと決めました。一生この名前は背負って歩きたいです。

この5人では2回ライブをやり、ムラヤマが違う音楽をやりたいという理由で脱退。彼は本当にすごいよ。今じゃ宇田多ヒカル、シルバ他なんかのサウンドプロデュースやっています。(ちょっとWORMS'MEATとは違うけど、マサミさんのトリビュートアルバム(Tribute to MASAMI 汚れなき豚友達へ!!)にオレはムラヤマと35曲目のボーナストラックを制作しました。)
 次のベースがクギノという飲んだら最悪な人。ライブでは問題ないんだけど、本当に飲むと酒乱。長い間会ってないんで今何をやっているかわかりません。もしこのページをみたらBBSに書き込みして下さい。待ってます!!

1989年にドラムがオイカワ(現A-HEAD:GUITAR)というこれまた高校の同級生が入り、数回ライブをやり、オレ以外はみんな脱退してしまうんだ。ここから長いメンバー探しが始まる。

あまりにもメンバーがみつからなくて、ヨウジロウ(JUNTESS)マエダ(JUNTESS)マーロン(SLAVER)がメンバーとしてスタジオに入ったりしたんだけど結局だめで、メンバーが決まるのは4年後、1993年になる。

1992年にマサミさんが亡くなりアンティノックで追悼ライブが行われた。その時のオレ以外のメンバーは、キウチ(GUITAR)カチョウ(BASS、現FROM HELL、SLEEPERS)コニー(DRUM、現URBAN TERROR)だった。このメンバーはマサミ追悼ライブのWORMS'MEATで、このライブ1回だけ。

1993年マサミさんの一周忌ライブでウチノ(VOCAL)、トオル(GUITAR)、イイジマ(BASS)、オダジー(DRUM)というメンバーでライブをし、正式メンバーが決まる。しかし数回のライブ後イイジマが脱退し、カトオがBASSに加入。
とにかく月1回はライブをやっていきたいという気持ちで、この頃はCDを出すなんて想像もしてなかった。

この頃からいろいろなジャンルのバンドとライブをやりたいと思うようになるんだけど、他のジャンルとやるとカトオは演奏できないぐらい飲みすぎて良い印象を持たれなかったり、他のメンバーはなじめなかったりと試行錯誤しながら活動をしていた。この色々なジャンルとやりたいというのは、ずっと変わらないです。それが自主企画をやっていくにつれて表れてきます。

 
1994年からWORMS'MEAT企画「SOUND OF VIOLENCE」をはじめる。
とにかく色々なバンドとやりたい。その気持ちと、オレ自身は、WORMS'MEATを音=暴力というコンセプトを持ちたいと思いはじめた。ここでいう暴力とは「力」によるものではなく、客が満足して打ちのめされたり、とにかく見るにたえなかったという感情を持ってくれればいいと思っていた。今もそう思っている。
オレは今の若い世代の子が言っている口先だけの軽々しい「リスペクト」「ユニティー」などという言葉はキライだ。そんな意味も含まれている。

このメンバーでは、カトオが逃げてしまう1999年までライブをやる。ちょうどこの頃DOG IN BLANKETのフルヤも逃げてしまう。なんでここでフルヤの名前が出てくるかというと、実は奴はWORMS'MEATがCDを出す話を現実化してくれたり、オレの知らないジャンルを紹介してくれたり、色々やってくれてた人です。役に立ってた人なんだけど残念です。

カトオが逃げたのが正式にわかったのは、ライブ当日に来ないしケータイも通じなかった西荻ワッツのライブの日だった。この日はオレのソウルメイト園山恭平の企画だった。
恭平ちゃんは元々、群馬でTRAD MONGOOSEというバンドをやっていてその時知り合って以来、現在まで本当お世話になっている。ライブなんだけどベースがいないどうしよう?とメンバーで話していると、「オレやろうか?」と恭平ちゃんが言ってくれて、その日のライブをやる。この日のライブはオレの中で本当に一番ムカついたライブだった。本当にカトオは許さない。
この日から恭平ちゃんがベース(サポートメンバー)として活動をする。

最初恭平ちゃんにはマスクをかぶってライブをやってもらった。でも本人が気に入ったみたいで最後のライブまでずっとかぶっていた。
最初のオレの狙いは、ミステリアスなキャラがほしかった。けっこう色々「アレは誰?」ときかれ、「知らない!」と言ってました。狙いは成功です。このマスクのバージョンは初代デストロイヤーverと、2代目ライガーverがあります。

そしてオレがどうしてもやりたかった場所、法政大学学生会館大ホールでのライブもこの頃やった。
なぜここでやりたかったかというと、オレはここで15歳の頃初めてライブをみたんです。もの凄い衝撃を受けたのがここで、同時にその日は色々なジャンルが出ていてHARD CORE PUNK以外のジャンルも面白く、客はどのバンドでも楽しんでました。そしてこの日からHARD CORE PUNKにオレははまって行き、後にWORMS'MEATをやる上での色々なバンドとやりたいという考えも、この日があったからだと思います。

そして2000年頭またハプニング!トオルが結婚を機に脱退することになる。
恭平ちゃんがベースからギターにチェンジ、メンボで入ってきたトヨシマがベースに加入。すんなり決まってライブもトオル脱退から間を空けずできたんだけど、年末に一身上の都合で脱退することになる。
オレがどうしてもやりたかった場所パート2鹿鳴館はこの頃にやった。
なぜどうしてもやりたかったかと言うと、オレは目黒区出身でここでよくHARD COREのライブをみてたんです。今ではビジュアルのイメージしかないライブハウスだけど、オレにとってはパンクのライブハウスだったんです。

2001年頭からは初の女メンバー、カヲルがベースに加入する。
ここから2002年の夏前まではめずらしく順調に物事もすすんだし、カトオがいた頃の悪いイメージもなくなり良い方向に進んでたんだけど、オダジーが肺が潰れた為に入院。年末までIRON FIST TATSUSHIMA(DIE YOU BASTARD!、D.C.R.)がドラム(サポートメンバー)として加入。
正直言います。このメンバーの時が一番良かった。もしこの4人が正式メンバーとしてWORMS'MEATをやったらスゴイ物が生まれたのではないかと思う。

2003年オダジーが戻ってくる。そしてオダジーはやる気を取り戻す事になるんだけど、どうしてもサポートではなく正式メンバーでやりたかったらしく、メンバーを探しながら3人でスタジオワークをしていこうと言い出し、今までお世話になった恭平ちゃんが脱退する。
そして10月、3人でやっているスタジオワークでドラミングに対して意見されるのが気にくわないという理由で、前向きにメンバーを探そうといった言いだしっぺのオダジーが脱退する。(友達としては接するけど、一緒にバンドをやることは二度とないでしょう。)
カヲルは産休に入る。(復帰するかは未定!)

2004年、メンバー募集中・・・・・・・    

2004年6月6日6時6分 WORMS'MEAT WEB SITEオープン。

2005年 ライブ展開を再開するため、メンバーにミステリーライガーマン(Guitar)、ボス(Bass)、志賀康男(Drum)をメンバーに新宿D.O.Mのラスト店企画(西新宿店舗の)に出演。
更に、サポートメンバーでのライブを経て、豊嶋(Bass)、新海篤(Drum)をサポート?メンバーに迎え、新宿アンティノック20周年記念ライブ、等に参加。

続く

 
 
 
 
 
 

モドル