「リアルタイム・バイツ」



 ポピュラー音楽の最大の魅力は、同時代性にあると思うのです。
 「コンテンポラリー」と言ってもいいし、「リアルタイム」と言い換えてもいい。日本語に馴染みやすいので、以後は「リアルタイム」と統一しますが、僕らが日常何気なく使うこの語句は、原義を離れて大きく2つの意味で用いられているようです。

(1) その当時の〜 (過去)
  「ホール&オーツの "Private Eyes" をリアルタイムで聴いていた。」
(2) 今現在の〜 (現在)
  「ホール&オーツの新作 "DO IT FOR LOVE" はリアルタイムの音楽だ。」

 (1)が聴き手の心に与える影響というのは計り知れないものがあります。たとえば "Private Eyes" が流行っていた当時に熱心に練習していたバスケット部の思い出や、その頃付き合っていた人のことを一瞬にして思い起こす。イントロだけで楽しい思い出やしんどい記憶が総天然色で蘇るのは、リアルタイムで聴いてきた音楽の持つ大きな力でしょう。あ、今の「リアルタイム」は(1)の用法ですね。されど(1)のリアルタイムは一日にして成らず。平たく言えば、不断の(2)の積み重ねが揺るぎない(1)を形成するのです。ますますややこしいな。もっと簡単に言おう。

 大好きな音楽と同じ「現在」を過ごすこと。
 その集大成が貴方を形作る。

 貴方の人生のサウンドトラックは貴方にしか作れない。しかもそれは、「リアルタイム」で音楽を聴くことによってしか作ることができないのです。

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 ちょっと脱線します。

 確かに時代を超えて聴き継がれるヒット曲というのもあります。だけど、多くの楽曲はその時期に一瞬だけ小ヒットして、その後はすっぱり忘れ去られてしまう。もっといえば、ヒットすらできずに膨大なCD在庫の山に埋もれて消えていく音楽が大半なわけです。

 じゃあ一瞬だけ小ヒットして消えた音楽や、時代を超えて生き残れなかった音楽はクズなのか? 振り返って聴いちゃいけないのか?

 世の中には「名盤」と呼ばれるものがあります。「ロック必聴盤200枚!」とかね。「ロックを知りたければこれを聴け!」とかね。で、世の中には恐ろしいことにそういうガイドに従って昔の「名盤」なるものだけを後生大事に聴いてる人たちがいるわけです。これはもう、信じられないほどたくさんいる。でもってたとえば「ロックのすべての要素はビートルズにあるから他を聴く必要なし!」とか、「『ホテル・カリフォルニア』を超える名盤は存在しない!」とか大真面目に主張してる人たちがいる。もちろん人それぞれ、音楽の聴き方は自由なのですけれど、僕はちょっと残念に思う。だってそんな人たちはとっても「不自由な」聴き方をしてるから。

 確かにビートルズはすごいし、イーグルスは僕だって大好きです。「名盤」といわれるものに、確かに良いアルバムが多いことも認めます。でもビートルズだけ聴いて他は聴くまいと耳を塞いでる人たちとか、『ホテル・カリフォルニア』以降の音楽をクズ扱いする人たちが、これでもかこれでもかと奴らの価値観を押し付けてくるのにはちょっと耐えられない。幸いネットは一方通行なので、リンクをたどっていった先にそんなサイトがあった日にゃサクっと「戻る」ボタンを押せば済むのですが、日常生活でもそういう輩と対面する機会もないわけじゃありません。オフ会なんてのは一番危険。初めて顔合わせた同士だってのに、いきなり唯我独尊排他的自己流名盤論をぶちまけたがる人もいないわけじゃないのです。僕はそんな人と出会っても適当にニコニコとその場の話を合わせることができる程度にはオトナですが、だからといって本気で同意してるわけじゃないこともある訳で。

 いやいや、自分にとっての「名盤」を意識するのが悪いんじゃない。
 それはいいんです。むしろそういう意識を持って能動的に「私的名盤」を探していく作業には大きな意義がある。僕だって「My All Time Favourites」なんてコンテンツ作ってるくらいですから。そうじゃなくて、一番困るのは、他の価値観を拒絶して自分の価値観を押し付けまくることなのです。そしてそういう人に限って、新しい音楽シーンを追いかけようとしない。もう完全に自分の殻にこもっちゃってる。もしくは他者の価値観を全面的に信用して「ロック必聴盤200枚!」を教科書に、ひたすらそれを崇め奉る。がっかりです。

 ちょっと話を戻して。
 時代を超えて生き残れなかった音楽はクズなのでしょうか?
 
 結論から言えば、そんなことはまったくありません。
 時代を超えて生き残る「名盤」になろうとなるまいと、売れようと売れまいと、貴方が「リアルタイム」で聴き、愛した音楽たちはクズじゃない、貴方の人生のサウンドトラックになるのです。そしてそのサントラは、誰かが推奨する「ロック名盤200枚」なんかよりずっとずっと価値がある。なぜなら貴方がこつこつと「リアルタイム」で築いた、世界でただひとつのセレクションだからです。貴方の人生そのものだといってもいい。

 すべてのヒット曲にはヒットした意味があります。ヒットしなかった曲であっても、ミュージシャンが敢えてその時期にそういう音楽を作ったということにはきっと何らかの背景がある。もっと突っ込めば、敢えてミュージシャンが作ったその歌を、敢えて貴方がその時期に聴いて心に何かを感じたという偶然には、きっと何らかの意味がある。ある方が言ったとおり、作り手にとってその音楽は「現在」の集大成だからです。そして、聴き手にとってもその人自身の「現在」の集大成として受け止めることになるからです。他のどの時期でもなくその瞬間に作られた音楽が、聴き手側の人生の一瞬と交錯して散らす火花の意味。ところが、そういうことを意識しながら深く音楽を楽しもうと思ったら、昔のカタログを引っくり返して積み上げた名盤を聴いているだけでは足りないのです。どうしても「誰か」が作り上げた評価なり、スタンダードなりを基にして聴くしかないから。それは聴き手自身の「現在」とはほとんど関係のないものだから。今この瞬間、「リアルタイム」で音楽を聴かない限り、火花が散ることはないのです。

 もう少しだけ突っ込んでみます。

 たとえばリアルタイムでヒットチャートを追いかけていると、実にさまざまな音楽に出会うことができます。ヒットチャートの代わりに、こんな音楽サイトや、CDショップの試聴機を追いかけたっていい。その中には貴方の趣味に合う音楽もあるでしょうし、全く理解できない音楽もあることでしょう。理解できなくたっていいのです。聴くことに、出会うことに意義がある。そもそも自分の趣味に合う音楽だけを聴き続けたいのであれば、いわゆる「無人島に持って行きたい究極の10枚」を選んでそればかり一生繰り返して聴けばよろしい。

 でも忘れちゃいけないのは、聴いてる僕ら自身がどんどん変化していくってこと。昨日の貴方と今日の貴方は全然違う。それは貴方が昨日美容室で髪を切ったからじゃなくて、昨日から今日にかけての経験が、一昨日から昨日にかけての経験と全く同じということが有り得ないからです。人は経験なり、思考なり、好きな相手とのお付き合いなりを経て日々刻々と変化していく生きものです。であれば、聴くべき音楽もどんどん変わり、幅が広がっていくのは自然なこと。それを無理やり「一生この10枚さえ聴いていればいいんだ」と引きこもるのは不自然というか、少なくとも僕にとっては楽しい音楽生活とは考えにくい。自分の変化とともに、聴き慣れたレコードが別の意味合いを伴って耳に飛び込んでくることがあるのは否定しません。しかし、リアルタイムで音楽を聴ける幸せを放棄することには耐えられない。ある方がおっしゃったとおり、「リアルタイムで聴ける幸せは、十分に味わっておかなきゃ!」と考えるからです。

 昔のヒット曲であっても一向に構いません。大切なことは自分の側に引き寄せて聴くことです。そうすれば、その瞬間から貴方にとっての「リアルタイム」が始まる。たとえば80年代の音楽を、今から遡ってリアルタイム体験することはできない。ですがしかし、貴方がたとえば今日、生まれて初めて The Bangles の "Eternal Flame" という曲を聴かせてもらって、心から震えるほど感動したとしましょう。とすれば貴方にとって、今日この日からリアルタイムが始まることになるのです。2003年の6月に初めて "Eternal Flame" を聴く。これは僕などには逆に絶対体験できない聴き方です。だから羨ましくもある。貴方の人生の今日という一瞬が1989年の全米#1ヒット「胸いっぱいの愛」と交錯して散らした火花と、他にも貴方を待っている The Bangles の曲たちとの素敵な出会い。それは今でしか味わえない幸せだし、紛れもない「リアルタイム」の感動だと思うのです。

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 そろそろ本題に戻りましょう。

 少なくとも僕個人は、後ろ向きにロックのヒストリーを振り返って「あの頃は良かった…」と遠い目になるような聴き方はしたくない。確かに「あの頃」も良かったけれど、現在の音楽だって十分面白いし、そもそもあの頃の音楽がなぜ良かったと思えるかといえば、当時自分が一生懸命「リアルタイム」で聴いていたからに他なりません。これは冒頭の分類で言えば(2)のリアルタイム。つまり新作が出るのをわくわくしながら心待ちにし、発売日に買ってきて歌詞を読みながらじっくりと聴き込み、来日公演が決まれば並んでチケットを購入し、コンサート(=究極のリアルタイム経験)では一緒に歌って大いに楽しむ。そうすることで音楽を聴く喜びは何倍にもなり、その思い出が心に刻み込まれて一生色褪せなくなるのだと思います。

 僕は幸いにして、80年代前半から現在まで、ずっとリアルタイムで洋楽に接することができました。その喜びを、できるだけ皆さんにもお伝えしたくてサイトを作ってみたりしています。僕にとっては1983年も、1989年も、1995年も、そして2003年もすべて「現在/リアルタイム」でした。つまり WINTER WONDERLAND は「僕という聴き手にとっての『現在』の集大成」であり、僕自身の「人生のサウンドトラック」なのです。たとえば「LONDON CALLING」は、95年〜96年頃にニフティサーブのロックラインフォーラムで「チャートポップス会議室」ボードオペをさせていただいていた頃に書き溜めたものがベースです。でも必ず、今現在のリアルタイムな感想を書き入れるようにしています。また、「My All Time Favourites」は基本的に昔の曲やアルバムを取り上げるコーナーではありますが、それらの曲たちに出会い、自分の体験を重ねて聴き込んだ「現在/リアルタイム」性を分かち合えるように気を遣っているつもりです。伝わってるかな? トップページの一番下に、全米・全英チャートの1位を毎週載っけているのは、リアルタイムでチャートを追いかけるのをやめたわけじゃないよっていう意思表明みたいなものかもしれません。

 ポピュラー音楽の最大の魅力は、同時代性にあります。リアルタイムで聴ける幸せは、音楽を楽しむ上での究極の喜びでしょう。だから僕はいつだって、ヒットチャートや最新リリースをしっかり追いかけながら、贔屓のアーティストの新譜を心待ちにしながら、コンサート会場に足を運びながら、その曲や歌詞が書かれた背景などに思いを巡らせながら、大好きな音楽と同じ時間(=現在)を過ごしていきたい。

 リアルタイムで音楽を聴くことは、まさしく「いまを生きる」喜びそのものだと思うからです。

(Special thanks to Sakiさん、まほさん&himariさん for the inspiration)

(June, 2003)

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