凄絶! Alanis Morissette @ Shepherds Bush Empire


23 October 1995

 今、僕はキーボードを前にして完全に途方に暮れている。

 世の中には、言葉では絶対に伝えられないものがある。この感覚は、きっと皆さんもどこかで経験したことのあるものに違いない。まして僕のような語彙の少ない人間にとっては尚更のこと。見てもらうしか、感じてもらうしかない。そして戦慄してもらうしか…。そんな、全ての既成概念を超越した凄絶なライヴだった。

 春先の全米での大ブレイクから遅れること数ヶ月、今頃になってうちで超へヴィ・ローテーションになったアラニス・モリセットのアルバム "JAGGED LITTLE PILL"。米国市場ではデビュー作同然のこのアルバムがチャートの1位を独走し、女性シンガーソングライター(しかもカナダ人)ということで1995年最大の話題になっているわけだが、こんなものは今の僕に言わせれば子供騙しのようなディスクだ。ここにはアラニスの本当の凄さの5%も録音できていない。実物の彼女を見れば全て分かる。今キーボードを打っている僕の心を支配しているのは「感動」などという生易しい単語ではない。それはむしろ…「悪寒」に近い何かだ。これから長文のレポートを書くけれども、言いたいのはたった一つだけ。

 何が何でも、絶対に今観ておくこと。

 それだけだ。これから初来日公演も予定されているが、チケットのある限り全財産をはたいても観に行く価値がある。1995年に彼女のライヴを(しかもライヴハウス級の小さなハコで)見逃すのは、リアルタイムの洋楽リスナーとしてほぼ犯罪に近い、と言っておこう。

***

 シェパーズ・ブッシュ・エンパイア入り口から外壁に沿って続く入場整理の長い列に加わる。今年最大の「現象」として英国マスコミでも大変な話題になっているアラニスだけに、今夜のチケットは完全にソールドアウトだ。ダフ屋連中も手持ちが一切なく、僕の見ているそばで余り券を驚くべき額で買い取っている。それを転売しても利益が出るということだから今夜のチケットの希少性が推し量られよう。オーディエンスは決して若くはない。ティーンよりはむしろ30代前後のカップルなどが目立つし、40代を超えると見られる人々も多い。たったアルバム1枚で全米を制覇した二十歳そこそこのカナダ小娘がここでいったい何をやらかしてくれるのか?という未だ見ぬ神秘への期待が周囲の会話から感じられる。そもそも開演前から異様な緊張感に包まれていたのだ。張り詰めていたというのとは少し異なる。どんよりした鈍く重い空気が漂っていた。それは男性的な開放感とは全く異質の、「女」にしか醸し出せないある種の生理的なテンションだったと表現しては言い過ぎか。

 いつもどおり、2階前方の席を押さえる。この会場について言えば、スタンディングの1階フロアよりも、2階席前方で椅子を確保してステージ全体を見下ろし、じっくりライヴを堪能する方が好きだ。ステージ上はいたってシンプルな構成。中央にドラムセットがあり、左右にマーシャルのアンプが1段ずつ。たったそれだけ。全米トップ爆走中の歌手の舞台とは到底思えない簡素な佇まいは、舞台装置ではなく歌い手そのものが主役であることを象徴するステージでもある。

 しかし、いったいいつまで待たせるのか。客入れBGMの Jane's Addiction "RITUAL DE LO HABITUAL" アルバムはとっくに一回りしてしまい、開演予定時刻を優に30分以上超過している。BGMが1曲終わるたびに場内から沸き起こる歓声は、僕らの忍耐がもう限界であることを訴えていた。

 …とその時、客電が落ちて暗転し、ぎゅうぎゅうに押し合うフロアは大混乱に陥った。東洋風の神秘的なSEが流れてくる中、バックバンドのメンバー4人が袖から現れて位置につく。やはりカナダの Sass Jordan のツアーにも参加した経歴を持つリードギターの Nick Lashley が歪んだリフを弾き始め、ブロンドで上半身裸のドラマーが大きなモーションからスティックを振り下ろして、土着的な激しいビートを叩き出した。うねるベースラインと鋭いリズムギター。4人が創り出す恐ろしくタイトなグルーヴがあっという間に会場の空気を支配し、そのままアルバム1曲目の "All I Really Want" のイントロに転化していく瞬間の興奮といったらない。

 延々と続くイントロ演奏に乗って、ステージ左袖よりハーモニカを吹きながらアラニスが登場する。黒の革パンツにルーズな黒のシャツ、首に紫のストール風の巻物。何と小さいのだろう。一見160cmちょいの、ちょっとだけ内股歩きのごく普通の小柄な女の子なのだ。腰から下にはナチュラルにぽっちゃりと肉がついていて、幼児体型と言ってもいいくらいだ。

 だが、しかし。

 一度歌い始めると凄まじいのである。膝を曲げ、やや前屈みになって前後左右に激しく身体を揺さぶりながら、全身から怨念を発散させるように歌うアラニス。真ん中できっちり左右に分けた長い黒髪を振り乱し、首を異様な角度に傾げて痙攣するように震えながら、声を振り絞るその姿は完全に憑き物系だ。自分と周囲へのどうにもならない苛立ちともどかしさを吐露した強烈な歌詞、ダークでゴシック系のメイクも相まって、その激しい震えは「見てはならないものを見てしまった」という禁忌の念を呼び起こす。全身が総毛だったのはこの瞬間だったが、ついにライヴが終了するまで鳥肌が治まることはなかった。こんな経験は生まれて初めてだ。もちろんヴォーカルはアルバムに録音された歌唱を数段上回る張りと伸びで、音域の広さや声の圧力はもちろんのこと、楽曲への感情移入ぶりに圧倒される。1曲目からこんなにテンション高くぶち切れてしまって、この子最後まで大丈夫なんだろうか?

 続く "Right Through You" はイントロこそアコースティック・ギターで静かに幕を開ける曲だが、コーラスで怪しく身体を揺らしながら情念を叩きつけるアラニスに、観客は完全に蛇に睨まれた蛙状態になっている。腰を低く落とし、下から見上げるように歌う彼女の目つきはかなり危ない。意図したものではないと思うが、例えば歌舞伎のような舞台芸術に近い視線の鋭さを感じる。この曲ではステージ両サイドのギタリストがコーラスを付けている。アルバムではアラニス自身の多重録音で巧みなコーラスが重ねられていたが、ライヴではそんなもの吹っ飛んでしまうくらいのリードヴォーカルで、もはやコーラスがどうこうという次元を超えていた。

 3曲目 "Not The Doctor" の前にアラニスが軽くバンドのメンバーを紹介する。彼女にすっかり目を奪われっぱなしだが、バックの演奏水準もかなり高く、特にドラマーの暴れっぷりは特筆に価するだろう。この曲では "♪I don't want to be your *****" と列挙しながら相手に対する恨みをねちねちと展開するわけだが、この繰り返しに込める感情がアルバムヴァージョンの比ではなく、本当に血でも吐きそうな勢いで喉を振り絞るのである。正直言ってこういう女とは付き合いたくないし、少なくとも恨み殺されるような別れ方はしたくないものだと思った。だが、そういう身勝手な男の感情こそ彼女が糾弾する対象であるという皮肉。この曲の後半で、アラニスはだだっ広いステージ上で大暴れしながら、シャウトのメーターがついに臨界点を振り切ってしまった。もどかしそうにハーモニカを引っ掴むと、マイクを当てて激しく吹きまくる。ほとんどデタラメといってもいいそのハーモニカの音に、背筋に寒気が走りまくったのは僕だけだろうか。とにかく全力疾走、いつ倒れてもおかしくない。テンションの高さは Tori Amos のライヴにも通じるものがあるが、彼女が「静」から紡ぎ出す緊張感だとすれば、アラニスのそれは完全に「動」であり「暴」であり「乱」である。

 4曲目はニューシングルの "Hand In My Pocket"。アルバム中でも比較的ゆったりとしたエアプレイ向きの楽曲だが、ここではオリジナルよりややスロー気味に、より大きなグルーヴを創り出していく。やはり首を変な角度に傾けて引きつったような動きを見せる瞬間が相当危険だ。だが、実はいったん曲が終わると何だか急に憑き物が落ちてしまうのだ。各曲の間のMCや "Thank you." という声は、ニッコリして超可愛かったりもするのである。二十歳そこそこの女の子にとってはごく自然な感情の発露であるのかもしれないが、このあたりの相当な二面性というか、起伏の激しさが彼女の謎を更に深めている。

 続く "Mary Jane" はワルツ調の優しい曲調で、ロングトーンのリフレインではしっかりした喉と歌唱力を十分に聴かせる。この子の歌い回しは頻繁に裏返るような独特の唱法が印象に残るが、とにかく只者ではない。6曲目の "Ironic" はイントロからヴァースまでは Lisa Loeb のような可愛らしいメロディの曲なのだが、コーラスで一気に爆裂するところがアラニス節。曲中で "♪Don't you think so, London?" なんて呼びかけてくれるものだから、会場はもう盛り上がるの何のって。彼女のアクションが小さな身体をとっても大きく見せている。

 激しいハードロッキングなギターリフで始まるのは "You Learn"。吐き出すように歌うサビ部分を聴きながら、今時分はどうしてこんな年下の女の子に人生の在り方を見透かされたような歌を歌われ、しかもそれを正面からぐさぐさと胸に受け止めまくっているのか?と急に不安になる。僕が犯してきた罪のせいかもしれないし、あるいは僕の存在自体への警告なのかもしれない。リスナーが彼女を支持する理由は人それぞれだろうが、きっとそれぞれの心に何かダイレクトに響くものがあるのだろう。ギターソロの間じゅうずっと、長い髪を振り回して暴れるアラニス。このライヴ最大の見せ場のひとつだ。

 神秘的な真紅の照明に包まれ、アカペラのスキャットが始まる。すばらしいハイトーンのヴォーカルが発する無意味な音の連なりが次第に "Alleluia" という言葉を形作っていき… 地を這うような重いビートが重なってきてスタートしたのはアルバム中でも頭ひとつ抜けた楽曲のひとつ、"Forgiven"。実は僕の取り続けたメモはここで完全に断ち切れている。凄すぎて、言葉にすることができなかったのだ。タイトルとは裏腹に、赦しからは最も遠いところに向かうこの曲を歌う彼女に取り憑いていた「あれ」は一体何であったのか。しばらくして僕はなぜか自分の両目から熱いものが流れているのに気がついた。

 続く9曲目、聞き覚えのある無機質なドラムパターンに乗ってアラニスが "♪I, want, you to know..." とだけ歌って打ち切る。ミネラルウォーターを一口飲む彼女を前に、次の曲を察知したオーディエンスは騒然となった。大揺れのフロアに向かって再び歌い始めたのはもちろん大ヒット曲の "You Oughta Know"。加速するベースラインに乗せられた会場内のコーラスのうねり、大合唱、ヘッドバンギングの嵐に、短期間で新世代のアンセムの座を確固たるものにしたこの楽曲の凄さをまじまじと見せ付けられた思いだ。身をかがめて怨念の限りをぶつけるアラニス、本当にまだ21歳なのか? しかしまた例によって、歌い終わった後の "Thank you." が可愛いので、どうやら信じざるを得ない。

 「今日はどうもありがとう、次が最後の曲よ」とキュートな声でしゃべった彼女は "Wake Up" を歌い始める。神秘的なギターが印象的なこの大曲を、じっくりと壮大に盛り上げる。このライヴは紛れもなく、今年最大の事件のひとつだ。全米1位は伊達じゃない。誰が何と言おうと、万難を排してまずは見てほしい。ギタリストがソロを弾く間に初めて自らもアコギを抱え、狂ったように激しくかき鳴らすアラニス。鎖が切れてしまったかのようにどこまでも暴走するその姿を見ながら、僕は改めて背筋に悪寒が走りまくったのだった。

 アンコールで再登場した彼女は両手に抱えたリンゴやバナナをお客さんに投げ込んでいる。先日のブラインド・メロン公演でのシャノン・フーンの演出を思わせるそれに複雑な気持ちになりながらも、屈託のない笑顔にどこかほっとしたのも事実。アコギに乗って優しくスタートしたのは "Head Over Feet" だった。アルバムの中で、ほとんど唯一といって良い前向きな楽曲である。他の曲では壮絶な恨み節を展開するアラニスが、やはり最後は人を好きにならずにいられない気持ちを肯定している歌だが、実はその好きになり具合も相当肩に力が入りまくったもので、しかも「好きになってもいいわよね?」と相手に同意を求めてくるという、男としては思わず後ずさりしたくなる歌詞だったりもするのだ。

 そして、"JAGGED LITTLE PILL" アルバムからの全曲演奏のトリを飾るラストは "Perfect"。じっくり歌い上げるかと思いきや、ブリッジ部分では喉も張り裂けんばかりの大絶唱に。1曲の中でこんなにダイナミクスをつけられるなんて、本当に只者ではない。「妥協しないこと」をテーマにしたその歌詞のとおり、彼女のステージはここですべてが燃え尽きる。命をすり減らしているとしか思えない。歌いきったアラニスは、小さく投げキッスをしてあっという間に去っていった。

***

 …いや、全然こんなんじゃなかったんだ、あのライヴは。

 これだけ言葉を尽くしても、僕の目に映り、僕を総毛立たせた「何か」をこれっぽっちも伝え切れていない。そのことが無念でならない。例えば、若い女の子が何かのきっかけで突然立ち上がり、民衆の中でカリスマ的な存在になって革命を先導するような例が世界史の中には時折出てくる。いったいどうしてそんなことが起きたのか、これまでの僕には全く理解できなかったのだが、今では何となく分かる。つまり、見るだけでくらくらするような凄まじいオーラを放つ女の子というのは、その時確かに実在したのだ。何かが変わろうとする瞬間に立ち会える興奮は、いつだって僕らを呑み込む濁流のように激しい。流れにもまれ、岸に辿り着いた後になってみて初めて「そういうことだったのか」と理解できるようになるものだ。僕にできることといえば、2日も経とうとしているのに未だ悪寒を振り切れぬまま、あの夜の様子を拙い言葉で書き付けることだけだったのだが…


August 2003 追記
 この年最も興奮したコンサートのひとつです。
 ロック系の女性シンガーソングライターが続々と出現する大ブームのきっかけとなったアルバム "JAGGED LITTLE PILL" はこの後1,000万枚以上を売り上げる大ベストセラーになります。内容が充実していたのも確かですが、上記のようなライヴパフォーマンスも話題を呼び、雪だるま式にセールスが伸びていった訳です。しかし大方の予想通り、この次のアルバムは苦戦しました。プレッシャーに耐えきれない部分もあったのでしょう。やや頭でっかちで言葉数が異様に多い作品になってしまいました。近作の "UNDER RUG SWEPT" では再びダイナミックなロックを聴かせてくれるようになり、今後ますますの活躍が期待されます。


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