Aimee Mann @ Mean Fiddler


13 July 1995

 正直に告白すると、今日の今日まで、エイミー・マンの素晴らしいソロアルバム "WHATEVER" は僕だけの秘密にしておこうと思っていました。でも、宝物にしていたその楽曲たちを目の前で生で歌われてしまい、心から感動に浸っている今、皆さんにお伝えしない訳にはいきません。

 エイミー・マンはチャートファンの皆さんには85年全米8位の大ヒット "Voices Carry" を持つ元 'Til Tuesday のヴォーカリスト/ベーシストとして知られていることでしょう。そして Rush ファンにとっては "Time Stand Still" での印象的なコーラスが忘れ難い存在のはず。僕自身、彼女の声を最初に耳にしてからもう10年近くが経とうとしているわけですが、まさか95年の今、この地で生の姿を見ることができるとは思ってもいませんでした。今週末に行われる Phoenix Festival に出演するために渡英した彼女、今夜は一度きりのウォームアップ・ギグなのです。会場の Mean Fiddler の様子については4月のフランシス・ダナリーのライヴレポートで詳しく触れました。都心からかなり離れたところにある老舗の小さなクラブで、年齢層も比較的高く、大人の酒場的雰囲気が漂っている会場です。

 前座を2ステージこなして、ぎっしり詰まった観客の前にメインのエイミーが現れたのは午後10時。軽く "Hi, good evening." と言って微笑みながらアコースティック・ギターを抱える彼女は、その昔ビデオクリップで見た時からは確かに10年を経たとはいえ、理想的に歳を重ねて大人の女性になってそこにいました。ひょろっと長い手足を包む、膝に穴の開いた色落ちジーンズに、スミレ色の長袖Tシャツ。プラチナム・ブロンドのショートヘアで飾らないルックスの彼女は、どことなくジョニ・ミッチェルに似た表情も見せます。特に頬のあたり。彼女のアコギのボディは傷だらけ。年季の入った一本。細い指でしっかりフレットを押さえながら、アルバム "WHATEVER" 収録の各曲が綺麗なコードと共に紡ぎ出されていきます。

 エイミーの曲の良さは、まず何といっても美しく愛らしいメロディ、そしてそれを生み出す元になっている素晴らしいコード進行に尽きます。実は彼女、ボストンのバークリー音楽院という有名な音楽大学を出ており、かつてそこでコードの概念をしっかりお勉強したとのこと。ちなみに学校の先輩にはドナルド・フェイゲンやクインシー・ジョーンズ、そして卒業はしていませんがドリーム・シアターのメンバーなど、錚々たる人々ばかりなのは皆さんご存知のとおり。

 "WHATEVER" は新興のimagoレーベルから1993年にリリースされました。女性ヴォーカルファンの皆さんにはぜひ聴いていただきたい1枚です。1曲1曲、ほんとに丁寧に書かれた涙もののメロディの宝庫。例えば、ジャンルはさまざまですが It Bites、Francis Dunnery、Enuff Z'Nuff、Beatles、Todd Rundgren などのポップ玉手箱的なメロディにぐっとくるお方なら絶対に気に入っていただけるはず。もし1曲も楽しめなかったとおっしゃるなら僕がお金をお返しする覚悟でオススメします。



 さて、今夜のバンドはエレクトリック・ギター、ベース、ドラムス、キーボードとエイミー(アコギ)の計5人。アットホームで息の合った演奏はとっても和みます。キーボードはどうやらパトリック・ウォーレン。僕の大好きなマイケル・ペンの右腕として活躍している彼をこんなところで生で見られるなんて…

 エイミーのヴォーカルは気負わない中音域が最大の魅力ですが、メロディがときどきハイノートをヒットする時にふっと力を抜く瞬間もたまらなくセクシー。といっても、あくまでも清楚な感じなのですけれど。とにかく自分の声域に合ったメロディを書かせればピカイチの才能を持つシンガー/ソングライターだと思います。

 1曲ごとにお客さんに語りかけて会場は盛り上がります。何といっても Mean Fiddler は小さな会場、ステージから最も遠いお客さんでも20メートル以内。お互いの呼吸が感じられるような場とはまさにこのこと。「いいぞ〜」 と声が飛べばアコギを弾く手を止めてニッコリと 「どうもありがとう!」 ですし、エイミーの方から 「私に何か聞きたいことはない?」 って尋ねてくることも。
「ねえねえ、次のアルバムはどこから、いつ出るの?」 っていう質問に 「録音はもう済んでるんだけど、imago がつぶれちゃったからねえ… 秋に出せればいいとは思うけれど、業界のことはちっとも分からないから何とも言えないわ」 と言ってみんなをどっと笑わせます。ステージそばでジョークを飛ばしまくるお客さんがいて、曲の途中でエイミーが演奏を中断して笑い転げるシーンなんかもあったりして。

 秋に予定されている新作からも数曲披露されましたが、前作を凌ぐさらに素晴らしい楽曲ばかりで、じんわりと感動してしまいました。世の中には、本当にいいコードに乗せてこんなにも素晴らしいメロディを書ける人がいる… しかもそれを実に美しい声で歌っている。こんな人に限ってセールス的には苦戦し、一方でろくでもない音楽がミリオンセラーになっていたりするのがこの業界の不思議なところですが、この夜の Mean Fiddler に集まったロンドンの本物の音楽好き200人あまりに限っては、その辺の事情を十分に理解してる人たちだったみたいです。大喝采に包まれて最高の笑顔を見せ、2回のアンコールを冗談を交えつつほぼ独り舞台で堂々とこなした彼女。'Til Tuesday の残像は微塵もなく、一人の女性アーティストとしての充実した輝きに包まれていました。


 いい曲を書く人は必ずいつか報われる。そう思いたい。きっとこの夜一緒にライヴを観た200人は、僕が今こうして書いているように、あちこちで家族や友人に素晴らしいコンサートであったことを語っていることでしょう。そうして少しずつ評判が広まっていくものだと思うし、僕も自分だけの宝物にしていた傑作 "WHATEVER" をこうして皆さんに紹介して一緒に楽しみたいと思ったというわけです。ま、騙されたと思って聴いてみてくださいな。決して損はさせませんから…


July 2002 追記

 今にして思えば、この時から予兆はあったのです。本文中でも触れているとおり、マイケル・ペン人脈のパトリック・ウォーレンがこのツアーに参加しており、マイケルとエイミーの接点となっていました。ご存知のとおり2人はその後結婚し、今や非常に仲の良い夫婦として、地味ながらも非常に質の高い音楽活動を続けています。"I AM SAM" のサントラでビートルズの曲をデュエットする2人を聴く日が訪れるなんて、この時にはまったく予測できないことでした。

 この日のライヴで、僕にとってのエイミー・マンの存在は決定的なものになりました。この後、同年初冬にエイミーのさらに素晴らしいコンサートを体験することになります。


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