Diary -September 2003-


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30 Sep 2003
Tuesday

 締め切りぎりぎりの夏期休暇を昨日・今日と連続で消化していたのだけれど、どう見てもこれは「夏期」じゃないね。明らかに秋。なぜそう思ったかというと、雲ひとつない青空の下布団を干していたら、部屋のすぐ前に植えてある金木犀の花がちょっぴり咲き始めていたから。素晴らしい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、これは秋だ!と確信したのでした。金木犀の香りは多分一番好きなもののひとつなので、一年中咲いててくれてもいいんだけど、そうはいかないからこそ僕はこうして愛でるのでしょう。はかなさこそが魅力を増加させている。

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 休暇中は特に何もせず。多少コンテンツを作りましたが、これとて本来7月・8月に書いていなければならなかったような原稿だし。どちらかといえば蓄積した疲労をゆっくりと解消する4連休になりました。そういえば出張から帰ってきてみたら何と2kgばかし体重が増加していたんですよね。まあ現地ではホテル内にこもってイベント準備してるわけだし、出かけるのも車を利用することが多い割に、食事はしっかり食べる(ビールもね)ので、どうしてもカロリー過多になりがち。そんなわけで4日間で3回ジムに通って多少絞り込みました。ベストの70kgまではあと一歩及ばず。

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 ジムに行くついでに、読み終わって「もう読まないかなあ」と思われた本を古本屋さんに持っていった。たくさん処分したつもりだったけど総額500円。部屋にあってもしょうがないので、引き取ってもらえただけよしとしよう。その中に講談社+α新書の「日記力 『日記』を書く生活のすすめ」という阿久 悠の本があって。

 ご存知作詞家の阿久さんですが、何と20年以上日記を書いているのだそうです。日記といっても自分の考えたことを記すというより、その日自分のアンテナに引っかかった情報をまとめていく作業に近い。淡々とそのメモを連ねていくこと自体が何より貴重な時代の記録になるというのです。つまり、ある人にとっての大ニュースは僕にとってそうではなく、ある人にとってどうでも良いことが僕にとっては大発見だったりする。漫然と新聞やインターネットを眺めていても分からない何かを、その日とったメモをベースに形にしていく作業。阿久氏のスタイルは僕が考える日記の理想像にかなり近い。それを重ねることで、単なる備忘録ではなく信頼できるメディアになっていく。人の記憶はひどく曖昧なものですが、日々書くことで、鮮明な記憶として積み重なっていくというのです。ただ惰性で過ごすのではなく、自分の生きている「今」という時代が、どこへ向かおうとしているのか、その中で自分がすべきことは何か、あるいは何ができるのか、そんなことが徐々に見えてくる。平たく言えば、日記を書くことにより人は敏感になり、変化していく。そういうことが書いてある本でした。

 「日記憲法5ヵ条」というのがあって、気に入ったので多少語尾を整えて転記します。

 1 いい子でもなく、悪い子でもなく、冷静な観察者としての日記を成立させる
 2 レストランのメニューから米大統領の演説まで、およそ興味を覚えたものは、同格に書く
 3 日々の不快を排除した日記にする
 4 受けるものと、発するものとを、1ページの中で戦わせる
 5 今日があり、世界があり、そして自分がありという書き方を試みる



29 Sep 2003
Monday

 出張から帰ってきたばかりだというのに、もうロンドンに行きたくなっている。実際のところ、出張に行く前から「今年はこれとは別にプライベートでロンドンに行くぞ」と決めていたのだった。例によって向こうで買ってきた情報誌「Time Out」には秋のコンサート日程がうじゃうじゃ掲載されている。いちばん観たかったのは出張直前に既に終了していた The Fixx @ The Borderline だったり。"Hot rockers return from USA" という叩き文句には、英国で泣かず飛ばずの彼らが米国で大成功を収めた80年代の微妙な立場を感じる。「Time Out」誌上のライヴ告知記事から、年末までにロンドンでコンサートを行う/行ったアーティストたちをざっと書き出してみよう。

 Moloko, Rancid, The Thrills, Dave Edmunds, Mogwai, Tindersticks, Frank Black and The Catholics, The Wannadies, Feeder, Heather Nova, Keith Emerson and the Nice, Dixie Chicks, Jane's Addiction, Linkin Park, Adema, Brand New Heavies, The Christians, D-Influence, Omar, Lisa Loeb, Bob Geldof, Then Jerico, Suede, Unkle, Dionne Warwick, Ian McNabb, Lifehouse, The Cooper Temple Clause, Bruce Cockburn, Guided By Voices, Mark Owen, The James Taylor Quartet, Spirituarized, John Mayer, Deftones, Howard Jones, Ocean Colour Scene, Gary Numan, Kelly Rowland, Fun Lovin' Criminals, Living Colour, 50 Cent, Craig David, Santana, Wheatus, Andrew WK, Pretenders, Skin, The Stranglers, Starsailor, Roy Harper, Southside Johnny, Laibach, Mis-teeq, The Donnas, Super Furry Animals, Motorhead, Helloween, The Darkness, The Proclaimers, Linda Lewis, The Mission, Camel, Daniel Lanois, Dave Gahan, Ozzy Osbourne, Mariah Carey, Def Leppard, Julian Cope Band, My Dying Bride, Flaming Lips, Simply Red, Uriah Heep, Dionne Warwick, Evanescence, Nelly, Dexy's Midnight Runners, Bob Dylan, IQ + Carl Palmer + Pendragon, Meatloaf, Mica Paris, The Coral, Ray Charles, Level 42, Sugababes, David Bowie + Dandy Warhols, Blondie, Radiohead, Marilyn Manson, Muse, Atomic Kitten, Jools Holland, Machine Head, Fleetwood Mac, Thunder, Echo & The Bunnymen, UB40 + The Stranglers, The Wonder Stuff, Inspiral Carpets, Simple Minds, Justin Timberlake, The Levellers, Monster Magnet, Status Quo, Madness + Aswad, Feeder, The Doors, Iron Maiden, The Saw Doctors, Paul Weller, Swing Out Sister, Stereophonics, Shed Seven, Human League, Paul Young + Kim Wilde + ABC, All About Eve, Bjorn Again, Roy Ayers, etc.

 ぜいぜい。こんなラインナップのライヴが毎日のようにあちこちの会場で行われているわけだ。シンプル・マインズやプリテンダーズやハワード・ジョーンズやスウィング・アウト・シスターやヒューマン・リーグのような80年代洋楽的アーティストがまだまだ頑張ってるのは嬉しい限りだし、キース・エマーソン&ザ・ナイスやIQ+カール・パーマー+ペンドラゴンといった企画にはプログレ者の血が騒ぐ。ほかにも懐かしい面子あり、活きのいい新人ありできっとどれも楽しいライヴなのだろう。フリートウッド・マックは今回のツアーで是非観ておきたいところだが…

 …だが、こんなことを夢見てるようじゃ所詮ダメ。思い立ったらすぐに飛び立てるようでありたい。仕事も付き合いも投げ打って。なかなかそうもいかないんだけどね。今日の朝日新聞夕刊の広告特集で高田万由子がこんなことをしゃべっている。「どうしても行きたいところがあって、ほんの数日でも休みができたら迷わずそこへ行ってしまうんです。パリには以前からよく行きますが、例えば現地での滞在日数が1日でも、2日でもいいんです。パリに行ってお気に入りのカフェでのんびりする。それだけで満足なんですね」。いいなあ。彼女は続ける。「旅には時間を使いに行くんです。旅と日常の時間を区別する。人生の中で『旅の時間』と『日常の時間』の2本のフィルムが、それぞれ別に回ってる感じなんです。だから流れるスピードがゆったりした『旅の時間』の中にある記憶は、細かいことまで本当に鮮明に残っています」。観光するだけでなく、のんびりする旅があってもいいのだという。何かひとつでもできたらよいと。やり残したことがあれば「また来よう」という動機にすればよいのだから。

 別のページで桐島洋子さんもこんなことを言っている。「人生はそれ自体が壮大な旅なのだから、その途上で旅をするのは劇中劇のようなものである。逆に言えば旅は人生のミニチュアであり、私たちは旅に出るたびに一つの新しい人生を経験できるのだ」。何だか猛烈に旅に出たくなってきた。秋というのはこのように人をいろいろな気持ちにさせる季節だ。僕の大好きな秋がついそこまでやってきている。


28 Sep 2003
Sunday

 実家から荷物が送られてきた。食材等の詰め合わせだ。そんなもの要らないよといってもやはり送ってくる。ニガウリ/ゴーヤが2本入っていたので、今夜は適当な炒め物を作ることにした。本当に適当なのであって、もやしと刻みちくわとゴーヤをオイスターソースで炒めただけのビールのつまみだ。ちょっと寂しいので秋刀魚も焼いた。今年は秋刀魚が大豊漁らしく、スーパーでは一匹50円で買える。秋刀魚好きの自分にとっては嬉しいことだが、漁師たちにとっては値崩れで大変かもしれない。

 さてビールのつまみができたところで、ビールは(これも荷物に入っていた)オリオンビールを冷やしておいたので飲むことにする。何となく沖縄っぽい雰囲気になってきた。沖縄には行ったことがないが、何となく悩みや苦しみの少ない、楽天的な気質を感じる。楽天的な人のところにはたくさん幸せがやってくるものだ。世の中には論理で説明できない不思議な現象が山ほどある。

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 8月だったと思うが、録画してあった映画「アメリカン・ビューティ」を観た。ケヴィン・スペイシーの出演作を観るのは初めてか、これまで観ていてもまったく気にかけていなかったかのどちらか。こんな映画がアカデミー賞を獲ってしまうアメリカは病んでるなあというのが所感。もちろん映画自体も病みまくっていて、決して観たあとに爽快になれる種類のものではないけれど、ある種ブラックな感覚が満載で、ひねくれた米国文化ファンであるところの自分にはヒットした。娘の女友達に愛情を抱いてしまうダメ父親、病的な勝ち組志向にとり憑かれた母親、全てに不満だが何をどうしていいか分からない娘、鉄拳制裁と同性愛差別がアイデンティティの退役軍人ネイバーフッド、その息子で異常な美的感覚を有する青年。全てがねじれていて、結末は不可避的に悲劇に向かうのだけれど、不気味なユーモアセンスも感じさせるところがウケたのかな。

 今日という日は、残りの人生の最初の一日。
 僕はある意味で既に死んでいた。
 私、初めてなの。

 迷?台詞も満載なのだった。「ジェーンの友達は、僕の友達でもある」。これをつぶやく時のケヴィン・スペイシーの目つきといったらなかったよ。あんな演技はできそうでなかなかできないものだと思う。


27 Sep 2003
Saturday

 下高井戸シネマで「D.I.」を観る。パレスチナ映画である。イスラエルとの中東紛争を題材にした「コメディ」映画として今年前半評判になったものだ。単なるコメディというより、シュールでスラップスティックで、80年代後半に竹中直人が深夜番組でやっていたような独特の空気だ。監督で主演のエリア・スレイマンが細野晴臣的な雰囲気を感じさせたりもするものだからますますオカシイ。僕らにとって中東は決して身近な世界とはいえない。イスラエルとパレスチナがどうして血で血を洗う抗争になってしまうのか理解するのは難しい。それはつまり僕自身が民族的・宗教的な摩擦を日常的に感じながら生活する状況にはないからだ。しかし笑いは世界に共通の言語なのであって、この映画が宗教や文化の壁を越えて世界中で静かな支持を集めたのもそこに理由がある。そういえばほとんど台詞らしい台詞もなかった。だが言わんとすることはほとんど僕にも伝わったように思う。

 僕自身はエルサレムのチェックポイントを通ったことなどないし、そもそもこれほど緊張感漂う「国境」を通過したことがない。北緯38度線の南から北朝鮮を眺めたことはあるが、あれはほとんど「見世物」としての観光スポットだったし、ベルリンの壁付近に残る「チェックポイント・チャーリー」の跡も完全に過去の遺物だった。敢えて言えば先日の出張で訪れた旧ユーゴスラヴィアのベオグラードは、99年のNATO空爆跡が至る所に生々しく残る緊迫した風景を晒していたが、今は内戦も終結して民主政権が統治している。

 しかし「D.I.」(Divine Intervention)とは必ずしもこうした政治的な分断ばかりを指すものではないだろう。もっと身近なところにいくらでも境界線はある。むしろ僕らは無数の境界線に仕切られることによって「自分」の立ち位置を獲得しているのであって、一歩踏み越えようとするたびに摩擦や衝突を繰り返しているわけだ。そんなことにも鈍感になっていた自分に改めて気づくとともに、映画ラストの「マトリックス」まがいの忍者立ち回りシーンの可笑しさに思い出し笑いしたりもするのだった。(あの楯がパレスチナの地形だったとはねえ!) もっと笑ったのは、このシーンにお金をかけすぎてBGMの制作費がなくなったという逸話。マドンナの近作を手がけて一躍有名になったミルウェイズに依頼していたのだが、その話を聞いた彼が「タダでいいよ(笑)」と快諾して何とか成立したという、冗談だか本当だかよくわからないオチもまた素敵なのだった。


23 Sep 2003
Tuesday

 それでも街を歩いていると時々ストレート型の古い携帯電話を持っている女の子を見かけることがある。そんな時僕は思うのだ。この子、よく分かってるじゃんと。時流に流されず自分が納得したものを大切に使う人は素敵だなと思う。そういえばある知人はスケルトンボディの携帯電話を気に入って使っていたが、実際にはほとんど通話に用いることはないらしかった。何しろ映画館で床に落っことしたまますたすた帰途につこうとしていたくらいだ。そのカッコよさを何と表現すれば伝えることができるだろうか。

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 さて今日は僕が気に入っているサイトをひとつ紹介しよう。ヒットチャートを追いかけている人なら「シングルヴァージョン」とは何か知っているに違いない。アルバムに収録された曲をシングルカットする際に作られる別ヴァージョンのことだ。作られる理由はいろいろある。例えばアルバムヴァージョンは一般に長い。イントロやギターソロに十分時間をかけることができるからだ。しかしシングルカットしてラジオ局で何度もかけてもらうためにはある程度コンパクトにまとまっている必要がある。そこで、イントロを短くしたりフェードアウトを早くしたり、場合によってはコーラスの繰り返しをカットしたりして短いヴァージョンに編集されるのだ。その他にも、アルバム収録ヴァージョンではおとなしめだったバックトラックを差し替えて派手なダンス系ヴァージョンにして新装発売してみたり、ギターソロを別の人のテイクに差し替えてみたり、オリジナルにはなかったイントロを付け加えてみたりといろいろな変化があって、シングルヴァージョン収集は非常に奥が深い趣味なのである。

 さてそのシングルヴァージョンだが、ちゃんとシングル盤を購入していればよいのだが、いったん買い逃すと後から探すのは困難だ。シングル盤の多くはその場限りの発売だし、その後編集盤に収録されるのもアルバムテイクそのままということが多いからだ。だが僕らの耳はシングルヴァージョンを覚えている。コンピレーションを買って聴いてみて「昔ラジオでかかっていたのと違う…」と思った経験は誰にでもあるだろう。こういう始まり方じゃなくていきなりコーラスを歌いだすんだよ、とか、何だか曲の終わりがだらだらくどいなあとか。

 今日紹介するサイトは、何とアルバムヴァージョンからシングルヴァージョンを無理やり作り出してしまおうというもので、その名も「ポップシングルエディター」という。PCに音楽を取り込んで編集すれば比較的簡単にあの懐かしいシングルヴァージョンが再現できるというわけで、どこをどういう風にカットしたり繰り返したりフェードアウトさせればよいかについて、事細かに教えてくれるサイトなのだ。70年代・80年代に的を絞った選曲も素晴らしい。もちろん新たに音を重ねたり、ヴォーカルやソロ自体が差し替えられた曲は再現できないが、多くのヒット曲は単純な切り貼りで作られていたことがわかる。しかし中には相当な作業を経ないと再現できないほど細かく切り貼りされていた曲もあったりして、当時のスタジオ編集作業の苦労が偲ばれる。

 掲載楽曲は随時更新で、バックナンバーは基本的に公開していない。ただしメールでの問い合わせには対応しているようだ。今これを書いている瞬間に掲載されている曲の中には、例えば Tears For Fears の "Shout" がある。いわずと知れた85年全米1位の大ヒットだが、6分32秒のアルバムテイクから、わずか4分のシングルヴァージョンをどうやって作り出すか。また、Julian Lennon の "Say You're Wrong" に至ってはオリジナルが3分27秒なのにシングルは3分46秒と長くなっている珍しい例だが、これもアルバムヴァージョンの一部を切って貼り付けることにより作り出すことができる。こんな話に興味のあるお方ならご覧になって損はないサイトだろう。

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 夕方からジョン・ウェットンの来日公演を観に渋谷クラブクアトロに出かける。喉の調子が悪く、ひどいしわがれ声で吐き出すように歌うが、正確な音程をヒットすることができず、ほとんどフラット気味。自分の頭の中で「あるべき音程」との差分を必死に補いながら聴く作業がこれほどストレスフルなものとは。だが一番悔しいのは歌い手本人に決まっている。後半は多少声が伸び始め、アンコールまでどうにか歌いきった時には何やらホッとした。

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 先週の朝日新聞Be!にゴーギャンの言葉がたくさん載っている。フランス画壇での評価や家庭を捨ててタヒチにを死に場所に選んだ彼の言葉が。

「孤独が情熱を復活させる」
「ぜんぜん文明化されていない環境と、まったき孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです」
「(野生を失った芸術家は)一人になると敗れるので恐怖を感じ、乱雑な群れをつくってしか動けなくなる。すべての人間に孤独を勧めるわけにいかないのは、このためだ。孤独に耐え、ひとりで行動するには力がいるのだから」
「われわれはどこから来たか、われわれは何か、われわれはどこへ行くか? ---これが、われわれの倨傲を罰する永遠の課題である」


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 一方で僕はといえば早くも先のPHS機種変更を後悔したりしていて、相変わらずちっとも冴えない状態のまま時間ばかりが過ぎ去っていく。涼しさを通り越して寒さすら感じさせる夜の空気に包まれて、今夜もそろそろ眠りにつくとしよう。


22 Sep 2003
Monday

 我ながら莫迦なんじゃないかと思いながら、先週PHSの機種変更を行った。厳密に言えば再変更で、7月に買ったばかりの折り畳み型・カメラ付き端末から元のストレート型・モノクロ液晶端末に戻したのだ。トレンドから言えば明らかに時代逆行なのだが、この2ヶ月間は自分の価値観をよく見直す機会にもなった。

 要するに、自分にとってはこのSANYOのRZ-J81という、既に製造中止となった機種こそがもっとも完成された製品なのだった。カメラがなくてはならないか? そんなことはない。あればあったで楽しいかもしれないが、自分はその分重量を軽くしてほしい。カラー液晶は必要か? 否。電池消費量が大きい上に、直射日光下などではモノクロ液晶の方が遥かに読みやすい。カメラや画像を扱わずテキストベースで利用する場合、モノクロ液晶は実に少ない電池消費で優れた視認性を提供してくれる。最大の難関はやはり「折り畳み」という形式だった。第一に厚みがある。胸ポケットやジーンズの後ろポケットに入れることが多い自分にはかなり違和感がある。第二に何をするにもいったん本体を開いてから操作し、終了後は閉じねばならない。都合2アクション余計なのだ。片手が塞がっているとその開閉すら困難だ。そこへいくとストレート型は着信時もボタンひとつですぐ電話に出られ、終わったらすぐカバンに放り込める。荷物を持っていても片手でらくらくメールも打てる。この違いは自分にとっては大きすぎた。

 僕は一度この Diary でJ81が壊れるか紛失するまで使い続けたいと書いたことがある。その誓いを破ってまで機種変更した理由が何だったのか、今となっては既に思い出せないくらいだが、今度ばかりは本当に壊れるか紛失するまで使おうと思う。今回量販店のディスプレイを眺めて気がついたのは、もはや世の中にストレート型の携帯端末はほとんど存在しないという事実だった。カタログをめくっても見つかるのは全社合わせてほんの1〜2機種、新規開発はほぼ完全に終了しているらしい。してみると世の中の多くの人々は僕が感じるような不便さをほとんど感じていないのだろう。市場に選択肢がない以上、この次の機種変更はほぼ必ず折り畳み型にせざるを得まい。世の中に適応して生きていくのは元々得意じゃなかったとはいえ、僕はまたしても一抹の寂しさに包まれたのだった。


17 Sep 2003
Wednesday

 イエスのコンサートは15分間の休憩を挟んだ2部構成で、開演から終演まで約2時間半を要する長大なものだった。1曲が15分とか20分とかあるバンドだから長くなるのは当然だし、メンバー(と観客)の年齢を考えれば休憩を入れるのも止むを得ないだろう。第1部が終わると僕は2階席のロビーに出た。どういうわけか、彼女がきっとそこにいるような気がしたから。

 さしたる理由もない謎めいた確信だったが、予想通り彼女は窓際のテーブルで静かにワインを飲んでいた。邪魔をしては悪いかなと思いつつちょっとだけ声をかけ、他愛のない話をしてそれぞれ自席に戻った。いつも感心するのだが、彼女はしっかりとした自分のスタイルを持っている。この日の素敵なドレスも、バッグやメイクと相俟って、夜の音楽会にお出かけする彼女を演出していた。

 それは外面的なものというより、本人の生き方そのものの延長なのだろう。時と場合に応じて、一人で出かけて一人で楽しむ選択ができるのは素敵だなと思う。果たして自分は彼女のように魅力的な生き方ができているだろうか、と自問する夜だった。


15 Sep 2003
Monday

 無事に欧州出張から帰ってきました。残務を片付けたらまたぼちぼち書いていくことにします。

 今日は国際フォーラムでイエスの来日公演を見てきました。なかなかいい演奏で、不覚にもぐっときてしまいました。リック・ウェイクマンのミニムーグの音は素晴らしかったし、スティーヴ・ハウがサウンド面をすごくリードしていることも確認できました。アラン・ホワイトが人格者なのは知っていたけれど、ドラマーとして感動したのは今回が初めて。ジョンとクリスは言わずもがなですね。なんだかんだ言って彼らがイエスを支えているし、僕はイエスの音楽が本当に好きなのだなあと再認識した夜でした。

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