Diary -April 2003-


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30 April 2003
Wednesday

「一生懸命頑張ってきた立派なお嬢さん」

 今日は久々に朝日新聞の「はがき通信」を個人的メモしておこう。東京版の第12版N27面に準拠。

見るに堪えない
24日の「うたばん」(TBS)にモーニング娘が出演。脱退する保田圭に対する司会の石橋貴明・中居正広のいじめ・セクハラまがいの発言は、見るに堪えないものだった。一生懸命頑張ってきた立派なお嬢さんに「お前なんかいらない」など延々と続く。「いじられキャラだから(いい)」と言っていたが、いじめの問題など、見ている子どもたちへの影響も考慮した上で、温かい番組作りをしてほしい。(千葉県・小野洋子・50歳)

 内容については改めてコメントするまでもなかろう。これだけ正論を述べてもらえると保田ファンとしては溜飲が下がる。「モーニング娘。」の「。」抜けくらいは大目に見なくてはなるまい。そう、彼女は「一生懸命頑張ってきた立派なお嬢さん」なのだから。少なくとも自分にとって、保田圭なしのモー娘。の魅力はほとんどなくなったといっても過言ではない。

 この「はがき通信」の右斜め上には、懐かしい「ベストヒットUSA」のロゴの前で小林克也がポーズを取っている写真がある。BS朝日でこの4月から復活した同番組に関するコラムだ。80年代当時のヒット曲を振り返るコーナーもあるが、メインは最新チャートの紹介だという。年始特番のような回顧主義ものだったらどうしようと思ったのだが、そこは安心できそうだ。確かに小林が言うように、「音楽専門チャンネルはどこも似てしまっている。この番組が今存在する意味はあるんじゃないかな」ということなのだろう。

 ラジオなら24時間ヒット曲をかけっぱなしの洋楽ステーションでもいい。むしろその方がいいのだが、TVならお断りだ。僕のマンションにはCATVが引き込まれているが、敢えて契約は断っている。24時間プロモビデオを流し続けるMTV系のチャンネルを導入したらおしまいだと思うから。何が「おしまい」なのかうまく説明できないが、簡単に言えば I will be amused to death. といったところだろう。それより小林克也が独特の口調で説明してくれるヒットの背景なんぞを楽しみにして、週に1回の放送を待つほうが性に合っている。

 MTVの普及によって、日本における洋楽へのリーチは格段に容易になったはずなのに、逆に市場は縮小し、多くの若者はJ-POPに走っている。量は質を凌駕することができないということか。このサイトに集まる人の多くが「ベストヒットUSA」世代なのも単なる偶然ではないような気がする。


29 April 2003
Tuesday

「カレーソセージ は すし に も して いる の?」

 Diary に文中リンクを張るのは結構緊張する。読者がクリックしてくれるまでリンク先のサイトが残ってくれているかどうかわからないからだ。実際、この Diary の過去ログをたどってみるとリンク切れになっているものがたくさんある。その時は面白がってリンクしたのに、その面白さを伝えられないのはもどかしい。誰でも簡単にサイトを立ち上げられるようになった現在、逆に突然閉鎖されるページも山ほど存在するわけで、文中リンクはやめておいたほうが無難かと思うこともある。

 一方で、ネットサーフィンの面白さは、誰にも管理されないまま放置されているページを発見するところにあったりもする。立ち上げた頃は一生懸命アップロードしていたのだろうが、いつしか本人の興味が加護 亜依に移行してしまったために放置されているラ・ムー(by 菊池桃子)専門サイトとか(←あり得ない)。

 ええと。
 そんなわけで、突然なくなるかもしれないページにリンクするのは気がとがめるのだが、このページだけは多くの人に知ってもらいたい、たとえ明日消えてしまおうとも、今日までは存在していたことをはっきり記しておきたい。そう思ってリンクしてみました。おそらく2002年FIFAワールドカップサッカーの際に、初めて日本を訪れることになった大量のドイツ人サポーターのために作られたと思しき「ドイツ人向け初級日本語講座」

 …いいなあ、このセンス。

 「競技場 は ここ です か?」

 これはまあいいだろう。次の「ビル は いくら です か?」も、おそらくビールの値段を聞いているのだなと想像がつく。六本木ヒルズの建築費用について熱く語られることなどあり得ない。だがその次の例文はどうなのか。

 「カレーソセージ は すし に も して いる の?」

 この例文を用いる機会が一生のうちに訪れること自体が激しく間違っているわけだが、昨年もし街角でドイツ人にこう問いかけられた人がいたとしたら、このページのせいに違いない。このほかにも、「ごげん ね、ゲロ しなきゃ いけない」(原文ママ)とか、「オフ サイド じゃ なかった、ばか やろう」「おい、線審ーさん、はた を 上げて ちょうだい」など、隣のドイツ人が突然しゃべったらめちゃくちゃビックリしてしまいそうなトホホ例文が満載。それにしても、「ま、そう ね、もちろん…」とか「レフェリー さん、あなた の 車 は どこの 駐車場 に ある か 矢って いる よ」(原文ママ)なんて、いったいどういうシチュエーションで使うことを想定してるんだろ。

 しかし、最後の例文を見て僕ははっとした。あの「彼」もこのサイトを見た上で日本に来ていたのかと。決勝戦で敗れたドイツのゴールキーパー、オリバー・カーン。ゴールポストにもたれて呆然と立ち尽くしていた間、彼の口元は確かに小さくこう動いていたのだ。

 「残念 だ、ドイツ 終ちゃった…」(原文ママ)

 …いや、もちろん冗談ですけれど。それにしても、Schade Deutschland, alles ist vorbei. なんて例文を最後に入れておくなんて、ドイツ人のブラックなセンス・オブ・ユーモアも強烈だね。

***

 昨日の天声人語に、ネット心中者に向けられた「あと40年も平凡に生きられたとして、それ以上どんな人生を望むというのかね」という言葉が転載されていた。これは朝日新聞の夕刊のあるコラムにあったもので、僕もオリジナルを読んだ時から非常に気になっていたものだった。この大学教授の言葉遣いがマイナスイメージを生んでしまっている可能性はあるが、趣旨には賛同する。

 何事も起こらない、平凡な人生。

 それさえあれば、もう何にも要らないや。僕は平日に働いて、休日は静かに本を読み、映画を観て、音楽を聴く。そして大抵は冷蔵庫の残り物で料理を作り、ときどきお気に入りの女の子と食事に出かける。泡たっぷりの美味しいビールや、しゃきっとする生グレープフルーツサワーを飲みながら、他愛もない話題を語り合い、それぞれの家に帰っていく。明日からまた仕事に出かけなきゃ… たとえその繰り返しであったとしても、文句を言える筋合いではないし、ましてや自殺に値する仕打ちでもない。

 ただ問題は、何事も起こらない、平凡な人生を手に入れることほど難しいことはないってことなんだ。


25 April 2003
Friday

「大きなひとつのストーリィ」

 最近掲示板に来ていただいたhimari さんが書いてくださいました。

>>というか、以前winterさんもここで書いていらしたように、
>>この場所がほんとうに「一つのストーリー」みたいな感じがします。


 この場所とは winter wonderland の掲示板のこと。

***

 確かに以前そう書きました。そういう気持ちはますます強くなっています。ご覧のとおり、僕の書くテキストなんてこの程度のもの。いわんや音楽テキストをや、という訳ですが、そっちはまだいい。日々是文章の修行、と称して精進する余地があります。しかし掲示板となると、これはもう僕だけでどうこうできる類のものではありません。

 ちょっとだけ自慢させてください。
 僕は、本当に掲示板の参加者に恵まれています。

 知識が豊富で、思いやりに溢れた皆さんが、次々と楽しい書き込みをしてくれます。ちょっとした話題に反応したレスがレスを呼んで、大きく盛り上がることもあります。結果として、毎日読むのが楽しみな掲示板になっています。大げさに言えば、掲示板の書き込み全体がひとつの大きな読み物になっている。読み物としての価値を有するに至っていると言えるのではないかと。

 もちろん僕も書き込む訳ですが、むしろそれより1人の読者として、楽しみにアクセスさせてもらっています。話題をたくさん持った心優しい書き手たちが、リレー形式でどんどん話をつないでいく、そんな大きなひとつのストーリィを毎日読ませていただいているような気がするのです。誹謗中傷や、読んでいて気分の悪くなるような書き込みなどなく、むしろ親切な情報提供と温かな心遣いに溢れた文章ばかりです。言うまでもなく僕には書き手を選ぶ権利などありません。ですから、こんなに読み物として面白い掲示板を作ってくださっている書き手の皆さんには感謝してもしきれない。

 そしてまた、まだ書き込んだことのない読み手の皆さんにも最大限の感謝をしています。皆さんが読んでくださっているからこそ、掲示板はこれだけ盛り上がるのです。掲示板の面白さは、実は優れた書き手を擁することだけでは実現できない。優れた読み手、静かに優しく応援してくださる、そして時には厳しい目で批評してくださる読み手をどれほど抱えているか、がキーだと思っています。つまり読み手の皆さんも立派な「参加者」なのです。できれば思い切って書き込みもしてほしかったりしますけれど。

 もう一度だけ自慢させてください。
 僕は、本当に掲示板の参加者に恵まれている。
 いや、これは何度自慢してもし足りないくらいに嬉しいことです。


22 April 2003
Tuesday

「Play a slow boogie.」

 職場に可愛いバイトの女の子がいる。
 松浦あややを少しとぼけさせたような、とても愛嬌のある子だ。甘えん坊のようでいて、からかうと急にすねてみせたりもする。その振幅の大きささえも魅力にしてしまえるというのは、可愛い女の子故の役得だ。すべての女の子はそもそも可愛いものだけれど、それを自覚しているかどうかがこれだけ大きな違いになって現れる。例えば真っ赤や淡いピンクを大胆に着こなして、それが浮くことなく彼女らしさになっている。要するに、無理やり自分を嫌ったり、卑下したりしなければ、誰だって然るべき男の子から好かれるようになるってこと。そのうち食事にでも誘おうかな。

 今日は急に会議に出席しなくちゃならなかったので、20通ばかり封筒の宛名書きをお願いした。ちょっと丸文字っぽいとはいえ彼女の字体は整っているし、気が利くので黙っていてもちゃんと2回はリストと突き合わせしてから返してくれる。これなら安心して任せられそうだ。ところが1通目、いきなり「○○株式会社 様」なんて書いている。「あのさ、会社には 『様』 じゃなくて 『御中』 ってつけてほしいんだよね」。とりあえずお願いベースで。機嫌を損ねられちゃこっちが追い込まれる。何せ今夜中に投函しないと間に合わない。彼女はしばらくきょとんとした顔をしていたが、納得した様子ですらすら書き始めた。安心して会議へ向かうことにする。

 たどり着くあてのない会議は予想通り大いに長引き、終業時刻を過ぎて終了。ようやく戻った僕の机の上に置かれていた封筒の表には、整った丸文字が並んでいた。

 「○○株式会社 ウォンチュー」。…一通残らず。

 ♪ウォンチュ〜

 残業時間の疲れた頭に鳴り響く『スローなブギにしてくれ』のメロディ。あのなあ。むしろスローな脱ぎにしてくれ。じゃなくて、苦労は抜きにしてくれ。僕は20枚の新しい封筒を取り出すと、一通ずつ宛名書きを始めた。

***

 さて、Mal Waldron のピアノ・トリオによる1960年録音の "LEFT ALONE" を借りてきて聴いています。タイトル曲はマルの作曲にビリー・ホリデイが詞を書いた名曲ですが、ここでは歌手を呼ばず、Jackie McLean にアルト・サックスで存分に泣きのメロディを歌わせています。非常に有名なテイクで、聴けば聴くほど味わい深い演奏だと思います。ビリー・ホリデイが生涯感じていた孤独感がどれほどのものであったかは想像するしかありませんが、人は一人で生まれて一人で死んでいく。これだけはどうすることもできない事実だし、そこから目をそらして日々を過ごすのと、深く自覚しながら生きるのとでは、流れる時間の「濃密さ」がまるで異なってきます。異なってくるような気がする。

 「ひとり」といえば、「ひとり暮らしをとことん楽しむ!」。雑誌というものをすっかり買わなくなってしまった自分(要するに立ち読み&調布市立図書館を利用)が、ほとんど唯一購入し続けているものです。最新号の特集は「6畳ひと間で癒し系インテリアをつくろう!」、ちょっとした工夫でいかにリラックスできる空間を作るかにこだわった記事になっています。ごちゃごちゃした雑貨をたくさん並べて「和みます」という例がたくさん紹介されていますね。僕自身はどちらかというと、無駄なものを片付けて、白い壁に囲まれたシンプルな部屋の方が好きかなあ。そこにスローなブギが流れていれば言うことはない。
 ♪ウォンチュ〜


20 April 2003
Sunday

「映画3本」

 最近見た映画の感想などを。

「アイリス」
 下高井戸シネマにて。なおさんと昨年シネスイッチ銀座に「ダーク・ブルー」を見に行ったときに予告編をやっていて、非常に気になっていた映画でした。2002年アカデミー賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などで多数ノミネートされたようですね。実話に基づく映画です。
 
 主人公の英国人女性作家、アイリス・マードックを演じるのは2人。若き日のアイリス役がケイト・ウィンスレットで、老後役がジュディ・デンチ。ジュディさんはこないだ書いた「ショコラ」でいい演技をしていたほか、007シリーズのM役など、個人的に最近よく遭遇しています。英国を代表する大女優なだけあって、凄みすら感じさせるさすがの演技。アルツハイマーが進行して徐々に言葉を失い、幼女に帰っていく姿を熱演しています。「熱演」とは書いたものの、個人的にはややピンとこない部分もありました。それは多分、僕の身近に痴呆の人が(まだ)いないから、もっとはっきり言えば「老後」の生活を自分自身が具体的にイメージできていないからでしょう。今この瞬間も僕は死に向かってまっしぐらに突き進んでいるにも関わらず、自分が年老いる日のこと、死ぬ日のことから普段は目をそらしているから。否応なく訪れるその日のことを目の前に突きつけられる映画でもあります。

 ジム・ブロードベントが夫ジョン役で、この演技でアカデミー助演男優賞を獲っています。次第に病に蝕まれるアイリスに、時には苛つきながらも、深く大きな愛で介護を続けるジョン。この「老老介護」の問題もいずれ避けて通れなくなる。そして限界が訪れ、アイリスを施設に入れることになるわけですが… 「ショコラ」でも施設送りにされそうだったジュディ・デンチ、またかって感じですね。ラストシーンの重さを現実的な意味で理解できるようになるまでには、僕はもう少し時間がかかりそうです。

 個人的な見どころは才気溢れる若き日のアイリスすなわちケイト・ウィンスレットの演技。「タイタニック」しか見たことがないので印象は非常によろしくなかったわけですが、オックスフォードの女子カレッジ在籍時にジョンと出会うシーン、以後二人の愛を深め合っていくシーンでのケイトの伸びやかな演技に圧倒されました。めちゃくちゃ頭がいいくせにちょっと不良っぽい振る舞いが、真面目なジョンを戸惑わせます。パイントグラスでエールを飲むシーン、タバコをふかすシーン、多くの男たちと寝てきたことを告白するシーン、いずれも不自然さのないこなれた演技。川で全裸になって無邪気に泳ぐシーンなど、すごく可愛く感じられてしまった。現在と過去が途切れることなく最初から最後まで交錯し続ける構成なので、ケイトの出演シーンをまとめて見るというわけにいかないのがもどかしいところ。

 いずれにしても、本当に一番好きな相手と結ばれて一生を共にし、相手が病に倒れても最後まで看取るというのはひとつの究極の愛のかたちだと思います。無条件の愛、概念的な意味でなら痛切に理解できる。だけど現実にはさまざまな問題が横たわっているわけで、それを思うとちょっと悲しくなりました。

「デュラス/愛の最終章」
 さすがに下高井戸シネマは無意味な2本立てはしませんね。これも実話ベース、女性作家がモデルの映画なのでした。マルグリット・デュラスは「愛人/ラ・マン」などで知られるフランスの作家。晩年の彼女が38歳も年下の若き愛人ヤンと過ごした16年間の愛の日々を綴る、というもの。ちなみに僕はヤン・アンドレアの原作本はもちろん、デュラスの本も読んだことはありません。学生時代にデュラスの著書の熱烈なファンとなり、5年間も毎日手紙を出し続けたヤンに、彼女から「会いに来なさい」という手紙が届きます。ヤンがデュラスの家を訪ねたその日から、2人の愛の生活が始まる…わけですが、最初からフランス映画独特の不条理な展開に振り回されて、やや困惑してしまいました。この感覚が好きな人にはたまらないんだろうなあ。

 ほとんど全編に渡って、デュラスとヤンの2人しか登場しません。ほぼ完全な2人芝居です。それでも辛うじて最後まで注意力を引き付けるのは、やはりデュラス役の大女優、ジャンヌ・モローの演技か。僕はあの「死刑台のエレベーター」も見たことがないくらいなので、ヌーヴェル・バーグと言われてもジャンヌ・モローと言われてもまったくピンとこないわけですが、確かに存在感はものすごいものがあります。不機嫌そうな唇、知的に輝く瞳、深く刻まれた皺、また皺。赤ワインを浴びるほど飲んではしゃがれ声でヤンに命令し、翻弄し、時にどうしようもなく不安になってヤンの胸で涙を流す、振幅の激しい恋に身を焦がします。紛れもなく圧倒的に年老いた女性として年老いた女性を演じているわけですが、ヤンと過ごすうちに次第に美しさを取り戻していくように見えるから不思議。いや恐ろしいといってもいい。ジャンヌ・モローはこれから何本映画を撮れるのかわかりませんが、これは晩年の驚異的な演技として長く記憶されることになるのでしょう。だからこそ、あまりにもどうでもよいヤン役のエーメリック・ドゥマリニーの演技が眠気を誘ったのは痛い。まあ、それがモローの演技を引き立てていたのもまた事実ですけれど。とはいえ、ラスト10分くらいを寝過ごしてしまったのは非常に痛い。こんなの初めて。

 映画館を出ると若い女性たちの会話が耳に飛び込んできました。
 「すっかりあたっちゃったよー」
 「えっ、何に?」
 「アイリスにデュラス、2本立て。これ完全に『老婆あたり』だよ。老婆が脳裏から離れない… もう当分老婆ものは見なくていいわー」

 …おいおい、湯あたりじゃないんだから。

「プロポーズ」
 今夜の日曜洋画劇場。クリス・オドネルは「バットマン・フォーエバー」他のロビン君だったんですね。何だかビバリーヒルズ高校/青春白書のブランドンを思わせるルックス(&髪型(笑))。でも見たのは他でもない、レニー・ゼルウィガーが共演してるから。トム・クルーズとの "JERRY McGUIRE" 以来すっかり好きになってしまって、今年のアカデミー受賞作 "CHICAGO" の上映も今からとても楽しみにしています。正直、ゼタジョーンズより楽しみ(だがクイーン・ラティファの演技も楽しみ)。

 映画自体は他愛もないラヴコメディ。独身男を続けたいクリスと、3年間付き合ったレニーが結婚を巡ってギクシャクする中、死んだ祖父から1億ドルの遺産相続の話が転がり込む。条件は明日の午後6時5分までに結婚すること。大慌てで花嫁探しが始まり、1,000人の花嫁候補がなだれ込む騒動に…

 まあ、結末は当然予想されるとおりのハッピーエンディングですが、純白のウェディングドレスを着た1,000人のエキストラが街中を全力疾走するシーンは馬鹿馬鹿しいなりによく撮れています。また、神父役のジェームズ・クロムウェル他の渋い脇役陣もなかなかいい味出してますね。個人的にびっくりしたのはブルック・シールズで、いけ好かない高飛車な性悪女を演じさせられているのですが、相変わらずの美貌なだけに可愛そうなくらいの扱いでした。映画途中で別の女の子が「私プリンストン大卒よ、ブルック・シールズの後輩なの」という楽屋オチの台詞をしゃべるシーンがあって笑わせました。サプライズその2はマライア・キャリーの出演で、オペラ歌手役でちょろっと出ています。台詞もあって、可愛い笑顔を見せてくれます。何か似てるなあとは思っていたのですが、終わってからクレジットを確認してびっくりでした。

 レニー・ゼルウィガーに関して言えば、この映画での演技はそれほどでもありませんでした。特にクリス・オドネルとの絡みは全くといっていいほど不発、わざとらしいにもほどがある。ですが、何度も出てくる妹役のメアリー・シェルトンとのシーンは活き活きとして実に素晴らしい。不思議なものです。メアリー・シェルトンは表情の豊かな可愛い女性で、もっとスポットを当ててあげたいと思わせる助演ぶりでした。もともとTV畑の出身のようですが、最近は映画での仕事が多くなっているようで、僕も「25年目のキス」で見ていることになっているようです。これからもっと気をつけて見てみよう。


19 April 2003
Saturday

「ジャズ喫茶」

 といっても僕なんかにはあまりピンと来なかったりするわけですが。でも一度ぜひ行ってみたいなーとは思っていました。というわけで、土曜の昼下がり、吉祥寺で髪を切ったあとに出かけてみることに。

 吉祥寺はとても好きな街です。週末はさすがに混み合いますが、サイズ的にもちょうどよいし、適度にいろいろなお店があって楽しめます。そしてジャズの街としても知られています。都内でも少なくなった「ジャズ喫茶」がわずかに生き残り、小さなライヴハウスもあります。ディスクユニオンも通常店舗とは別にジャズ/クラシック館があるくらい。ユニオンならいくらでも入れるのですが、ジャズ喫茶はなんとなく敷居が高いような気がして、ジャズ好きの友人にお願いして一緒に行ってもらいました。

 お店は、ジャズ評論家の寺島 靖国さんのお店として知られる「メグ」です。スナックやクラブが立ち並ぶ商店街の2階なので、吉祥寺が好きとはいえこれまでほとんど立ち入ったことのないエリアでした。別に取って食われるわけじゃないから…とは言うものの、扉を開けると大音量でジャズのレコードがかかっていて、熱心なジャズファンらしきお客さんたちが席を占めています。巨大なスピーカーとアンプに向かって、半ばうつむいて音に聴き入っているようです。身体全体に響いてくる低音の塊に圧倒されながら、隅の席を探して座り、コーヒーをふたつ注文しました。

 「会話厳禁」なんて張り紙が出ているわけではありませんが、語らうことを一瞬ためらわせる雰囲気があります。それくらいみんな音楽に浸っている。実際、大型冷蔵庫ぐらいのサイズのスピーカーから流れ出るサウンドの迫力はものすごいものがあります。エレクトロボイス・ジョージアンというそのスピーカーの上に乗っているのは、重さ40kgはあろうかというJDFのパワーアンプHQS3200。定価470万円、日本にわずか13台しかないという代物です。スピーカーの上に40kgの重石を乗せることになるわけで、オーディオ的には邪道なのかもしれませんが、確かにこのセッティングは無駄な鳴きが少なく、締まった中低音を聴かせてくれています。確かに目を閉じると、目の前にドラムが、ベースが、サックスが、ピアノが、その位置をありありとイメージできる。ライヴ会場とほとんど同じ状況が再現されているのです。本物のオーディオの威力を思い知らされます。だめだこりゃ、これを自分の部屋で鳴らすことは絶対にできない。僕なんか逆に諦めがつきました。たった600円でコーヒーとこんなにリアルな音に触れることができるのなら、何十万円もかけて実際には小さい音でしか鳴らせないオーディオセットを部屋に組むよりずっといいや。もっとここに通って聴こうと。

 いくつかのアルバムがかかっていましたが、印象的だったのは Marlena Shaw の2002年リリース "LIVE IN TOKYO"。「ミスター・グッドバーを探して」から「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」への流れなんて、もうたまりません。バックの丁寧な演奏が盛り立てる中、マリーナの熱いヴォーカルが自在に動き回ります。いいオーディオで聴くライヴ盤はやっぱり素晴らしい!

 一見さんだから礼儀に反することをしちゃいけない…と堅くなっている自分を尻目に、ジャズ好きの友人はリクエストカードにすらすら書き込んでマスターのところへ持って行きます。"Confirmation" をかけてください、と。マスターが選んでくれたのは Jackie McLean の "4, 5 and 6" というアルバムのテイク。ピアノは Mal Waldron、トランペットに Donald Byrd。これがまたクールなコード進行のカッコいい曲で、スピーカーに向かってのめり込むように聴き入ってしまいました。

 午後6時ごろに向けて続々とお客さんが入ってきます。ほとんどが年配の男性。どうやら皆知り合いらしく、あちこちで楽しげな会話が始まりました。実は第三土曜日は「メグの会」という催しが行われる日で、ジャズ好きが集まり、いろいろな企画に基づいてお勧めの曲をかけ合ったりするイベントだったのですね。寺島靖国さんも顔を出されるようで、いわば「囲む会」的な雰囲気なのでしょう。僕らはこの辺でお店を後にすることにしました。が、吉祥寺に行くときにはぜひまたコーヒーを飲みに行きたいお店です。コーヒー、と書いたのは「ジャズ喫茶」という肩書きを重視してのことですが、もちろんお酒もあって、多くのお客さんはサントリーのモルツや、ウィスキーの水割りなどを飲みながら聴いています。ボトル入れてるお客さんもいましたね。ジャズとオーディオは、一歩間違うと人生を全部捧げても足りないくらいの趣味になります。もう少し歳を取ってからでいいや、とは思っていますが、いつまでそう言っていられることやら。

***

 メグを出てすぐのところに、「中華街」という中華料理店があります。横浜の中華街の入り口の門をミニチュア化したような門が場違いな迫力を醸し出しているこのお店は、吉祥寺では知られたお店です。本格的な味が、かなりリーズナブルな値段で食べられる。入り口からあの中華街らしい香りが漂っているのです。入ってみたのは今日が初めてでしたが、まさに評判どおりの美味しさでした。餃子をはじめとする点心類にはタレをつけないで、と念を押されます。これは一口食べればすぐに分かることですが、本当に何もつける必要がありません。素材が吟味され、十分すぎるほど美味しい味わいが染み出すのです。五目焼きそばや坦々麺の類もひとつひとつ美味しくて、ここもぜひまた来よう!と思いました。

***

 夜8時くらいになってしまいましたが、ディスクユニオンを漁るのを忘れてはいません。ざっと眺めると、今年リリースされたばかりの Faith No More の新しいベスト盤が中古で落ちているのを発見、拾っていくことにします。そろそろ帰ろうと店を出て歩いていると、ジャズのライヴハウス、SOMETIME の前を通りかかりました。今夜は何をやってるのかな…と入り口を覗き込むと、大きな看板がかかっているではありませんか。思わず目を疑いました。「Marlena Shaw Live at SOMETIME 6/10(Tue)」

 何と吉祥寺のこんなに小さなお店で、マリーナ・ショウのライヴが見られるというのです。しかもたったの5,000円で。チケットはお店のカウンターのみで発売中とのことでしたが、平日の予定がとても立てられそうにないので、今日のところは購入を見送ることにしました。が、帰り道に早くも後悔。2部入れ替え制で、1部は19時からですが、2部なら21時半からなので、こっちなら何とか駆けつけられるのではないか。マリーナもそうそう何度も見られるものじゃないだろうし、特にこんな小さなジャズクラブでとなると、まさに千載一遇のチャンスかもしれない。4/10から発売開始したというチケットも、いつまでも残ってはいないだろう。今日メグで彼女のライヴ盤が流れていたのも何かの縁かもしれない。エトセトラ、エトセトラ。誰か一緒に行ってくれる相手はいないかなあ、なんて。

 さすがはジャズの街。吉祥寺に後ろ髪を引かれながら家に帰る夜になりました。


17 April 2003
Thursday

「下高井戸・シネマ・パラダイス」

 先週の日曜日、朝起きてから都知事選の投票に行きました。4年前の都知事選は、実は僕にとって生まれて初めての選挙参加でした。何とそれまで約9年間、選挙権をただの一度も行使したことがなかったのですね。理由はあまり複雑なものじゃなくて、要するに「この人に当選してもらいたい」と強く思える候補者がいなかったからなのですが、何の気まぐれか、初めて投票しに行った結果がめぐり巡って、その時の当選者の下で働くことになっているわけで。彼の仕切る行政の担い手になって3年間、いろいろなことを考えさせられています。そんなこんなで今回の投票にはかなり思い入れがあったのではありますが、結果はご存知のとおり。まあ、これ以上は語らずにおきましょう。

 投票所からの帰り道、ふと思い立ちました。
 「映画でも見に行こうかなー」
 
***

 どうして映画館にあまり行かないか、その理由らしきものを以前書いたことがあります。いろいろ書いたのですが、その時敢えて触れなかった理由のひとつは、「映画は映画館で観るものだ」という考えを押し付けられるのが苦手だというもの。映画通(を名乗る人)にそんなことを言われると、即座に256通りくらいの反論をしたくなってしまう。どんな楽しみ方があったっていいじゃない。ビデオで観る映画の楽しみを否定しなくたっていいじゃない。TVで放映される映画だって面白いじゃない。それでも「映画は映画館で観なくてはならない」と言い張る人はいます。まるで傷のついたアナログレコードのように。それこそ「レコードはアナログ盤で聴かねばならない」という主張にも似て、頑迷で救いがたい袋小路的な思想だなあと思います。

 僕自身は、アナログ盤の暖かさも映画館の楽しさも適度に認める中庸主義者(要するにいい加減)なので、敢えて映画館に行かないのもどうかと思い、この週末にふと思い立って出かけてみたのでした。

***

 さて、ふと思い立って出かけることのできる映画館といえば、定期券で通える範囲の近所にならざるを得ません。といった瞬間にもう「下高井戸シネマ」なのですね。下高井戸シネマといえば、わずか126席の小さな映画館ながらも熱心なファンが多いことで知られています。これまでの経緯等についてはこのページこのページをご覧いただくとして、実は僕自身も以前から観たいプログラムが多くて気になっていたところではありました。しかしなかなかきっかけがないと足を運ばないものですね。再び京王線沿線に住むことになったのに、なんと3年間も素通りしていたというわけです。

 ここはいわゆる名画座/二番館に近いプログラム構成ですが、2本立てになることは多くなく、料金もロードショー館と比べて劇的に安いわけではありません。その代わりに劇場内は清潔で、椅子等も新しく、比較的よく整備されている印象を受けます。毎日だいたい3種類の映画を観ることができます。午前10時くらいからの「モーニングショー」と午後9時くらいからの「レイトショー」、その間約4回ほど同じプログラムを流す「メインスケジュール」です。これらは互いに連動して企画ものになることもあり、先にメインスケジュールで公開されたものが翌週レイトショーに落ちていくこともあります。

 さてコスト的なメリットを享受しようと思ったら、「友の会」に入会すべきでしょう。年会費3,500円を支払うと、まず無料鑑賞券が2枚もらえます。以後は入館時に会員証を提示すると、鑑賞料金がシニア料金相当(通常1,000円)に割引されます。つまり、毎回「映画の日」あるいはレディースデイ相当ということになるわけです。1本観るごとにスタンプが押され、5つ集まるとまたまた無料鑑賞券がもらえます。たくさん映画を観る人にとってはお得なこのシステム、僕も早速入会することにしました。逆に言えばこれは「せっかくだから映画を観に行こう」というドライヴをかけることにもなります。1,000円といえばそれほどメチャクチャな額ではありません。ランチをちょっと節約したり、無駄なCDを買わずにいればすぐに捻出できます。入会手続を担当してくれたのは窓口のアルバイトと思しき女の子で、素人っぽいながらもゆっくり丁寧に説明してくれました。好感度アップ。

 どうでもよいことですが、会員と一緒に観に行くと、同伴者(1名)は割引されて学生料金で見ることができます。つまり通常1,600円のところが1,300円。そんなわけでみんな「一緒に映画を見に行きたいんですけど〜」とか言って僕を誘ってみると良いよ。今後のメインスケジュールはこんな感じ。

4/19〜5/2 「8人の女たち」
5/3〜5/16 「たそがれ清兵衛」
5/17〜5/23 「アマデウス ディレクターズ・カット」
5/24〜5/30 「ゴスフォード・パーク」
5/31〜6/6 「猟奇的な彼女」
6/7〜6/13 「小さな中国のお針子」「バティニョールおじさん」(2本立て)
6/14〜6/20 「裸足の1500マイル」
6/21〜6/27 「ウェスト・サイド物語(ニュープリント・デジタル・リマスター)

 個人的にはレイトショーとして6/14〜6/20に公開される「SWEET SIXTEEN」+「アモーレス・ペロス」の2本立てが嬉しい。前者は大好きな「英国貧困もの」、都内で先に封切られていた間、観に行くかどうか相当迷っていたものだし、メキシコ映画の躍動感を伝える後者の素晴らしさについては、かつてこのDiaryでも熱く語ったことがあるとおりです。ちょっと楽しみが増えました。

***

 さて日曜日の午後に戻って。
 この日は5周年記念特別プログラムとかで、次の2本を同時上映で公開していました。「アイリス」と「デュラス/愛の最終章」ですが、それぞれの簡単な感想については、また日を改めて書くことにします。


16 April 2003
Wednesday

「スウェットの季節」

 少なくとも東京地方に関して言えば、スウェットの季節は終わり、汗ばむ季節になってしまった。駄洒落ではない。子供の頃からコットン100%のスウェット素材が好きだった。カジュアルで実用的で、洗いざらしていくほどに味わいが出てくる。トレーナーもいいが、最近はフードつきパーカがお気に入りだ。それもジッパーフロントでなく、プルオーバータイプがいい。ジーンズにTシャツ、その上からプルオーバーのパーカを着て、気持ちよい春風の吹く街に出る。自然と心も晴れるというものだ。

 アメリカン・ウェイ・オブ・ライフに憧れた思春期以来の志向だが、途中から実用性が大きな位置を占めるようになった。汚れてもガンガン洗えるスウェットシャツは、余計な気を使わずに着倒すことができる。コットン100%というのもいい。アトピー持ちだった小さい頃から化学繊維とは相性が良くなかった。結局は自然素材に回帰する。綿であれウールであれシルクであれ、肌に触れる衣類であればこそ、頑固に自然素材にこだわりたい。

 欠点は、スウェットシャツ1枚で過ごせる期間は長くないということだ。真冬にはちょっと寒いし、真夏には暑くて着られない。要するに春秋のごく一瞬だけが厳密な意味での「スウェットの季節」ということになる。そして2003年春の東京では、どうやらもう終わりかけているようだ。今夜も家に帰ってから、スポーツジムへの行き帰りにお気に入りのプルオーバーのパーカを着ていたが、そろそろこいつの出番もなくなるだろう。ロングスリーヴTシャツの季節になり、さらには半袖シャツの季節が来る。女の子ならノースリーヴに生足でサンダルになっていくだろう。Seasons change, people change...

 エクスポゼの "Seasons Change"(US#1/87) はこの後、"♪I'll sacrifice tomorrow just to have you here today" と続く。かなり壮絶な意思表明だ。貴方と今日一緒にいられるなら明日を犠牲にしてもいい。ところが僕の Diary はちっともそういう方向には展開せず、女の子の服装の変化という観点から、昨日と今日朝日新聞に連載された「制服異変★女子高生は今★」という家庭欄のコラムに飛んでしまう。

 「なんちゃって制服」が増殖しているらしい。服装自由の学校で、制服そっくりの私服(!)を着たり、他校の制服(!)で登校したりするということだ。一方で、「ほっそり脚」に見せたいからと、ひざ上17センチなどという無茶なスカートのミニ化が進行しているという。結論から言うと誰が何を着ようとまったく構わないことなのだけれど、かつては管理体制の象徴だった制服というアイテムが、完全に自分演出用のファッションとして機能している点は確かに面白い。一昔前までは私服ありの学校でわざわざセーラー服に白カーディガンを羽織って蝶結びのリボンをつけるなんてことは考えにくかった。

 何を着るか、は最も象徴的な自分の演出方法のひとつだ。「女子高生」がブランドとして高い価値を持っていることを一番良く知っているのは彼女たち自身だ。とすれば、「記号」としての制服とルーズ/ハイソックスで「期間限定」の可愛い着こなしにこだわるのは当然だろう。朝日のコラムは一歩突っ込んで、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」的な「縛られたい」心理に持ち込もうとしているようだが、ちょっとやり過ぎの感もある。もっと単純に、突出したくないとか、周りと合わせないと浮いてしまう、といった日本独特の非「出る杭」化工作の一種と見るほうが自然かもしれない。

 ロシアの女子高生レズビアン・デュオ t.A.T.u. が日本で大ブレイクしている。オリコンのアルバムチャートで初登場1位、いったん落ちたものの再び首位に返り咲くという、洋楽新人のデビューアルバムとしては信じられない動きを見せている。僕自身、数日前に京王線で前の席に座った女子高生たちがカバンからCDをごく自然に取り出してブックレットを読んでいたのを目撃して、これは本物のブームだと確信した。これをプロデュースしたトレヴァー・ホーンって人はね、その昔 Yes のヴォーカリストだったこともあって、Buggles では云々… と薀蓄を垂れそうになる自分をぐっとこらえて思った。t.A.T.u.の日本盤のジャケット(の表にインサートされている写真)が輸入盤と一緒だったらこんなに売れていただろうかと。知らない人のために解説すると、輸入盤はややおどろおどろしい色調のダークなジャケなのだが、日本盤では2人が女子高生制服風のチェックのミニスカ+白ブラウスという格好でこちらを向いている写真が挿入されている。この制服ジャケの効果は絶大だったのではないか。

 時代の徒花になることがこれほど約束されている「アーティスト」(?)を演じるのって、どんな気分なんだろう。プロモ来日はドタキャンされてしまったようだが、今この瞬間を逃すともはや見る価値が大幅に減少する可能性が高いので、その意味ではやや残念なニュースだった。以上、「なんちゃって洋楽サイト」っぽい日記。


14 April 2003
Monday

「痛チョコ」

「ショコラ」(の続き)
 北風に乗ってどこからともなく現れる母と娘。立ち寄った古い村で店を開業し、チョコレートを作り始める。 因習と規律に縛られたこの村で、教会にも通わず人々にチョコレートを食べさせる彼女をめぐり、いろいろなトラブルが発生し始める… というストーリィ。チョコレートの暖かさが、硬く凍った人々の心を溶かし、開いていく過程に、ジョニー・デップ演ずる風来坊キャラが絡んで、ひと波乱起こしてくれるあたりは軽妙な展開。

 ジュリエット・ビノシュという女優は非常にセクシーだ。フランス人らしいが、ぱっと見た感じ、年齢不詳の美女だ。肩を露わに出した衣装を着ている場面が多く、雪のように真っ白な肌と、むっちりした肉付きの良さが印象的だ。彼女が演じる謎めいた母親キャラクターは、非常に適役であるように思われた。ただ、TV放映時の吹き替えが山像かおりさんというのはどうなのかな。「アリー my ラブ」シリーズにおけるレネ役の吹き替えのイメージが強くて、個人的にはレネ像を振り払うのに必死になっているうちに映画が終わってしまった感も。

 「ポネット」の女の子は残念ながらそれほど強烈な演技を見せてはくれない。むしろ印象的なのはジュディ・デンチ演じる老女だろう。娘と孫との間に複雑な関係を抱える祖母役をタフに演じる。眼光鋭く睨みつけるぶっきら棒な表情がクールだ。英国を代表する大女優であることは後から知った。よく思い出してみれば、最近の「007」シリーズでボンドの上司「M」役を演じているのを観ている。もっとも、あれはやや無駄に豪華なキャスティングかな。丹波哲郎が意味もなくいろんな映画に出てくるようなものか。

 その他にも様々なキャラクターが登場する。チョコレート騒動をめぐる村全体の反応を表現しようとしたのだろうが、ちょっと数が多すぎるかもしれない。決めどころのはずのジョニー・デップの出番すら消化不良に感じられる。だが、豪華すぎるキャスティングに文句を言ってもしょうがない。大道具小道具、衣装、音楽とどれをとってもまずまずお金がかかっているし、バレンタイン・デイに彼女/彼氏と一緒に見るには悪くない娯楽映画だと思う。こういうの、嫌いじゃないですよ。

 自分自身がチョコレート好きということもあるけれど、確かにチョコには不思議な力があって、食べた人に何らかの影響を及ぼす食べ物のような気がする。身近にあって簡単にハイになれるものといえば、カカオたっぷりのチョコとカフェインたっぷりのコーヒーではないか。子供のころ、図書館で本をたくさん借りてきて読み耽るのが好きだった。その中でもひときわ印象的だったものに、「チョコレート戦争」(大石真、理論社)がある。北田卓史さんの挿し絵も可愛い。金泉堂は町一番のケーキ屋さん。チョコレートのお城を飾ったショーウィンドウの前に立っていたら急にガラスが割れて、犯人と疑われる明と光一。悔しくて、2人は作戦を練って戦いを挑むが…というもの。すぐに引き込まれてドキドキハラハラさせられ、それでいて最後は温かい気持ちになれるという、児童文学の傑作だと思う。何だかまた読みたくなってきた。

 「チョコレート戦争」の魅力を語るのに豊富な語彙は要らない。事実、Amazon.co.jp で見かけた次のレビューを超えるものなど存在しない。

チョコレート戦争はどう?, 2001/05/03
レビュアー: 8才 しおり   東京都新宿区 
私はチョコレート戦争を読んで、これはいい本だと思いました。この本は、おとなが読んでも子どもが読んでも、だれだってわらえちゃうお話だと思います。 私もひとりでクスクスわらってしまいました。この本は、本当にあるような、ないようなお話だから、おもしろいです。 ぜひ、みなさまも読んでみたらどうですか? おもしろくてとてもいい本です。


 僕はしおりちゃんの感想文を読んで、ちょっと目に涙が溜まってしまった。泣き虫だからしょうがない。でもそれくらいに、純粋にココロが伝わってくるいいレビューだ。オトナになって汚れてしまった僕には、もうこんな文章を書くことはできない。

***

 映画を観終わってから食べた板チョコはひときわ痛かった。いや、美味しかった。


13 April 2003
Sunday




「Video Killed the Saturday Afternoon」


 金曜日の夜に九州から上京したなおさんを迎えて軽く飲み会を開催したまではよかったが、例によってごく一部はオールで朝を迎えてしまい、土曜日は半分くらい眠って過ごすことになった。今回は量的にはたいしたことなかったので翌日に残ることはなかったが、天気も悪く、見るべきビデオがたまっていたこともあり、そのまま映画/ドラマを消化する午後を過ごした。

★「スティーヴン・キングのシャイニング」
 先日NHKで放映された、約5時間もののTVドラマ版。キューブリックの映画化を酷評したキングが自ら脚本を書き、気合十分で臨んだとされるもの。結論から言うと、冗長だった… いや、確かにオリジナルのディテールはきっちりと書き込まれている。原作と比較して「あの場面がない!」と地団太踏むような部分は少ないのだが、逆に「これなら原作を読んだほうが…」と思わせる困った作品に仕上がっている。ジャック役のスティーブン・ウェバーはアメリカではシットコムのお笑い俳優として有名らしく、ジャック・ニコルソンの怪演にはかなわないまでもなかなか頑張ってはいた。原作 "The Shining" には相当思い入れがあるだけに、難しい評価となった。

「メリーに首ったけ」
 スポーツジムの館内に流れるビデオで後半部分だけ見たことがあったが、数ヶ月前にTV放映されたものの録画が発掘されたので最初から見る。キャメロン・ディアスは世間で絶賛されるほど素晴らしい女優とも思わないが、この映画に関しては当たり役ではないか。弟思いで知的なのに、どこか天然っぽい姉を好演している。だが何と言っても本作のポイントはベン・スティラーの存在だろう。「僕たちのアナ・バナナ」でもエドワード・ノートンといいコンビネーションを見せていたが、ここでのベンの「弱さ」は最強だ。僕は見ていて、Ally McBeal におけるジョン・ケイジの若い頃ってこんな感じ?とか思ったりする。随所に盛り込まれる爆笑ものの演出が完璧に決まりまくるが、やはりサタデー・ナイト・ライブ上がりのコメディアンは質が違う。「リアリティ・バイツ」が未見なので、TV放映してくれないかなあ。その他ブラットパック世代にとっては、完全に解脱して怪しげな詐欺師を演じる捨て身のマット・ディロン(しかも素晴らしくハマり役)にちょっとホロリと来たりもできるお得な映画。ラストシーンはこうでなくちゃ、というラブコメの王道。観終わった後スッキリできること請け合いのお勧め作。

「ショコラ」
 これは以前映画館まで観に行きそうになった作品。今年のバレンタインデー(タイミングいいね、チョコレート絡み)前後にテレビ東京でお昼に放映されたのを録画していたもの。キャストが豪華だった。ジョニー・デップにジュリエット・ビノシュ、ヴィクトワール・ディヴィソル、そしてジュディ・デンチその他。といっても僕は「イングリッシュ・ペイシェント」も「存在の耐えられない軽さ」も「ポネット」も観たことがないので、ジュリエットとヴィクトワールについては(多分)初めて観ることになるんじゃないか(「ポネット」のポスターは好きだったが)。おっと時間が尽きたので、この続きは後日またということに。


9 April 2003
Wednesday

「winter into spring」


 まだまだ続く花粉の季節。あちこちにマスク顔が揺れる街角。それともあれはSARS防止? さてさて僕も鼻炎気味。薬を飲めば止まるけど、ハイになるか眠くなる。どちらも仕事の邪魔になる。こんな鼻炎くんや鼻炎ちゃんがうじゃうじゃ集まる都市はどこ?
 答え:ラオスの首都「ビエンチャン」。

 …かなりお寒くこんにちは、winterです。4月になって多少スケジュールに余裕ができ、課長も部長も入院・手術とあって職場に穏やかな空気が流れています。5月後半くらいからはまた終電に近い残業が始まる予定ですが、しばらくは落ち着いたペースで自分の環境を整えよう。そんなわけで昨夜も20時帰宅、カレーの残りを食べてスポーツジムへ。

 4月から福利厚生事業団との契約が変わったようで、利用料金が200円値上げされていましたが、ジョギングしてマシーン使ってサウナに入ってシャワーを浴びて650円なら安いものです。仕事帰りと思しき男女の間に混じって走り始めます。僕は走っている間はたいていの嫌なことを忘れることができます。しかも、走り終わった後に激しい悔悟の念に襲われることもありません。これが衝動買いや自棄酒や行きずりのナンパに走った場合との決定的な違いです(3つめのはやったことないけど)。そんなわけで、走る走る。これもある種の避難場所なんだろうな。でも避難場所や避難ルートはできるだけたくさん持っているにこしたことはない。それがwinter哲学。前向きに。

 もうひとつは、これまで午前8時30分出勤のシフトで1年やってきましたが、4月から9時出勤になったこと。わずか30分ですがこれは大きい。といっても30分余計に眠るのではありません。朝型の僕にとって静かな朝の時間は何より貴重な活動時間。散歩したり読書したり、こうして日記を書く時間まで確保できる。朝が爽やかな季節に向かって、楽しみが毎日ひとつ増えた気分です。松井が大リーグ公式戦初ホームラン(しかも満塁)を打ったというニュースも、ちょっと気分のいい今日なのでした。


7 April 2003
Monday

「ココロころころ」


 昨日、東京国際フォーラムでオリヴィア・ニュートン=ジョンのコンサートを楽しんできた。最近この会場で、こうしたベテランアーティストのライヴを見ることが多い。当然会場にも年配の客が多く、落ち着いたアダルトっぽい雰囲気が漂っている。正直言ってもうスタンディングのクラブで見る元気はないし、できれば座り心地のいい椅子からゆっくり見たいなーという思いがある。その意味でこのオリヴィアのコンサートも、じっくりと楽しめる極上のエンターテインメントだった。同じお金を投じるなら、コンサートや美術展や映画など、ココロに訴える何かにしたいなーと最近強く思うようになった。

***

 だからというわけでは全然ないのだけれど、今日は仕事を1日お休みして家事をこなし、夕方にはまたまたカレーなど作っていた。先日「避難場所としてのカレー」について書いた時にはうっかり忘れていたが、これってパトリシア・コーンウェル作の「検屍官」シリーズの女性主人公、ケイ・スカーペッタの行動とよく似ている。イタリア系であるケイは仕事に煮詰まると、イタリア料理に腕を奮う。薄焼きピザやパスタなど、その作り込みシーンからして読んでるだけで美味しそうだ。

 「検屍官」シリーズについていうと、某しまけん君あたりもつまらない発言をしていたとか人づてに聞いたことがあるような気がするのだが、実際自分も何度も読みかけては挫折してしまっていた。どうにも面白くなかったのだ。翻訳が悪いのかな、とも思ったが、コーンウェルのこのシリーズはすべて同じ女性が訳しているのでどうしようもない。それより、裏表紙のコーンウェル近影があまりにも理性的な美人っぽいので圧倒されてしまい、ページが先に進まないという謎の事情も関係していた。

 していたのだが、先日古本屋で100円で拾ってきて何度目かわからない挑戦をしてみたところ、割とあっさりバリケードを突破して最後まで読み通せてしまった。もちろん読んだからといって何かが変わるとか、新しいパースペクティヴが開けるという類の本ではない。だが女性ファンが多いというケイ・スカーペッタというキャラの立ち具合や、取り巻きの多少魅力的なサブキャラたちの配置など、それなりに勉強にならなくもない読書だ。何より、行き詰ったときは料理に走ることでスランプを打開するというスタイルにちょっと安心した。それは人によってカレーだったりシチューだったり餃子だったりすることだろう。

***

 「初めて」つながりで書いておくと、1月にテレビ放映された「千と千尋の神隠し」をやっと昨日ビデオで見た。結論から言うと、ストーリィ展開が早くてよくできたアニメだとは思うけれど、それほど画期的な作品かというとそうでもないような気がする。正直に告白すると、何を伝えたくて作られた作品なのか、作り手のメッセージを捕まえきれなかった。ひょっとして自分は相当ぼんやりしているのかもしれない。さかんに話題になっていたカオナシというキャラクターの象徴性についても、大騒ぎするほどのものなのかどうか。少なくとも僕は、映画館まで見に行かなくてよかったかなと思いました。そのお金と時間があったら、何かしらもっと有効に使うことができそうな気がした。遠回しに言えば、ココロに訴えるものがなかった。ココロがないんじゃないかと突っ込まれると返す言葉がなかったりするんですけど。


5 April 2003
Saturday

「Bygones」


 「アリー my ラブ5」が終わってしまいました。

 もう今週からジョン・ケイジにもエレインにもリチャードにもネルにも会えないと思うと、心にぽっかり穴が開いてしまったような気持ちになります。これまでのように半年待てば次のシーズンが始まるというのではなく、次回放送は(今のところ)永遠に訪れないのですから。

 思えばこの5年間はアリーたちとともに過ごしてきたような気がします。その少し前からNHKの海外ドラマにハマり始め、"Beverly Hills 90210" を見ていました。シリーズ終盤の煮詰まった展開にやや興醒めしていたところに登場したこの "Ally McBeal" は、法廷ドラマに30代シングル女性の揺れ動く心象風景を絡め、特異なキャラクター設定とCGを駆使した映像で大いに興味を引いたものでした。第1シーズンの頭は見逃したものの、それ以降は毎週欠かせない楽しみになっていきました。もっとも自分で見始めたわけではなかったので、この番組の存在について教えてくれた人には今でもとても感謝しています。

 番組のラスト、娘の心を気遣ってニューヨーク移転を決めたアリーが事務所のメンバーと言葉を交わしながら一人ずつハグしていくシーンでは、こちらまで勝手に胸が熱くなってしまいました。5年間。キャラクターとしてのアリーはもちろんのこと、演じたキャリスタ・フロックハートにもいろいろな出来事を経験したはずです。僕自身もそうだし、これを読んでいる貴方だってそうに違いない。人は永遠に一箇所に留まってはいられない。こんな当たり前のことに気づかせてくれるのは、例えばこんなドラマの最終回だったりするのですね。

 春はしばしば、出会いと別れが交錯する季節です。新しい環境に身を置くことになった人など、不安もあることでしょう。しかしそれも含めてすべてを受け止めていかねばならないこともある。満開の桜を散らす冷たい雨が降る東京の週末、さまざまな想いが心をよぎります。


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