Diary -January 2003-


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31 Jan 2003
Friday

 昨晩は下北沢Revolverで産業Night。僕のかけた曲についてはそのうち Monthly Texts にアップするのでそちらでお読みいただくとして。好きな曲をいっぱいプレイできて楽しめました。いらしていただいた方々にも、1曲でも2曲でも楽しんでいただけたならこれ以上の喜びはありません。

 そこで皆様に軽くお礼を。
 まず、新横浜から駆けつけてくださったoguraさん。フランシス・ダナリーの日本有数のファンとして(僕の中では)非常に有名だったoguraさん、手広くロック全般を聴いてらっしゃる好青年というイメージでした。昨夜はうまく説明できませんでしたが、僕の情報源って本当にあんまりないんですよ。一応ヒットチャートには目を通すし、ラジオも流します。でもあとはレコード屋でできるだけ買ってみるしかない。買う前にネットや友人(このサイトに訪れてくださる皆様)からもいろいろ情報をいただいたりしますけどね。また遊びに来てください。
 次にSakiさん姉妹。こちらもロック好き姉妹として個人的に非常に有名(笑)。しかし Sakiさん本当によくコンサート行ってますね。アリス・イン・チェインズを見逃したことは一生悔やみそうです。あの頃「もっとビッグになってからいつでも見られるし」とか思ってた僕が馬鹿でした。ハイ。
 nicolaさん、例のものありがとうございました! 今週末は聴くべきものが多くてとても楽しみです。しかし、毎回うるさくてダサい音楽ですみません… UKナイトみたいなnicolaさん系?のイベントにも行ってみたいので、次回よろしくお願いします。
 sekikoさん、本たくさん読んでますねえ。いろいろ読んでみたいので、時々おすすめを教えていただこうかなと。本ってコストパフォーマンスの非常に高い娯楽ですよね。どこにでも持っていけて、自分のペースで楽しめる。好きなところだけ読んでもいいし、繰り返し読み込んでもいい。僕は読書で出会う「言葉」そのものが好きなのかな。ついでにいうと、「言葉」が好きな(「言葉」を大切にする、といってもいいです)女の子も好き。
 まほさん、美味しそうなビール飲みっぷりがまた見られて何より。80年代好きそうなので、割とその辺にこだわった選曲にしてみました。"Why Can't This Be Love" には間に合わなくて残念でしたね。次の機会に!
 シカゴから駆けつけたのは Kyonさん。といっても多分新横浜よりは近いはず。本当によいコンサートだったのだなあ、と表情を見ながら思いました。美味しいお土産もいただきました。ごちそうさま。「モッキンバード」聴けてよかったです。
 Hatchさんの選曲はいつもながらの手堅さだし、オーガナイザーのふりーまんさんのサイトは2/14再開です。あれ、URLが分からないと宣伝にならないのか… 毎度毎度ありがとうございます。次は5月のどこかの金曜日に行われるらしき産業ナイト。また多くの皆様にお会いできますように。

***

 「守るべきものがあるってのは、いいことですよ。」
 そうだね。今回も胸の深いところを突かれました。


30 Jan 2003
Thursday

 確かに僕らは死によってすべて規定されている。リッチだろうとプアだろうと死だけは確実に、平等に訪れる。その一点を以って僕らは他の誰かと価値観を共有することができるといってもいい。僕の友達も既に何人もこの世を去った。高校の同級生は骨肉腫や交通事故で逝ってしまった。会社の同期は入社式に引き続いて研修を受けた後に心臓発作で死んでしまった。別の同期は自ら命を絶った。

 その度にいろいろなことを考える。
 …考えたはずなのだが、全部忘れてしまった。なぜなら、僕自身が生きねばならなかったからだ。どんなに親友であろうとも、あるいは恋人であろうとも(おそらく)、その死にあたっていつまでも考えに耽るわけにはいかない。そのことは僕をちょっぴり悲しくさせる。悲しくなりつつも、僕は日々の雑事(たとえば生きること)に追われ始め、時の経過とともにすべてを忘れていく。Out of sight, out of mind。

 「忘れる」ことは、神が人に与えた最大の能力のひとつではないか。少なくとも、「記憶する」ことと同じくらい素晴らしい能力だと思う。あんなことやそんなことを忘れることができなかったら、僕はとっくに発狂しているに違いないから。


29 Jan 2003
Wednesday

 仕事で台東区立中央図書館のある建物に出張してきた。台東区西浅草三丁目なんて、こんな用事でもなければあんまり歩くことがない。つまりその建物はかっぱ橋道具街通りの先にある。数年前に建ったばかりのその建物は、パリのポンピドゥーセンターを思いきりチープにしたようなガラス張りの近未来風エレベータが(よくない意味で)印象的だったが、図書館の中に設けられた「池波正太郎記念文庫」なるスペースは非常に興味深いものだった。

 最初に断っておくと、僕は池波正太郎の本をほとんど読んだことがない。あるのかもしれないが、書名を思い出すことができない程度だ。「鬼平犯科帳」も各種のエッセイも、これからの読書の楽しみに取ってある、とでも言い訳するしかない。だけどこの「池波正太郎記念文庫」に収集されたさまざまな資料、自筆原稿・絵画、愛用の万年筆やパイプなどを眺めるうちに、俄然興味が湧いてきた。何より惹かれたのは池波氏の書斎の復元で、執筆の際必要なものが、手を伸ばせば取ることができるように配置された机の周りや書架、各種の辞典類をはじめとする蔵書の様子が大変興味深かった。僕は「書斎」と呼べるスペースを作れる人を多少羨ましく思う一方で、書斎なんてなくたって、どこでも文章(のアイディア)を書くことはできるし、読書もできるという気持ちも持っている。おそらく、しっかり作られた書斎やリスニングルームは、ある種自分にとっての「隠れ家」としても機能するのだろうと思うが…。

 余談ながら、池波正太郎は株式仲買人を経て、20代は東京都の職員として下谷区役所衛生課で働いていた。32歳で役所を辞め、執筆活動に専念するようになったという。自分もちょうど同じ年齢なので、いろいろ考えさせられる。とにかく今度本を読んでみようと思う。きっかけなんて何だっていいんだよ。何かに引っかかって本を手に取るところからすべてが始まる。

***

(個人的メモ)
★朝日新聞1月17日付け 山田養蜂場一面広告より
「一人の狂信者の凶弾によって、ガンジーは78年の生涯に終わりを告げた。最後の言葉は『その青年を許せ』であったという。」
「ガンジーの碑文
 『7つの社会的罪』 Seven Social Sins
 1. 理念なき政治 Politics without Principles 
 2. 労働なき富 Wealth without Principles
 3. 良心なき快楽 Pleasure without Concience
 4. 人格なき学識 Knowledge without Character
 5. 道徳なき商業 Commerce without Morality
 6. 人間性なき科学 Science without Humanity
 7. 献身なき信仰 Worship without Sacrifice」

★朝日新聞1月9日付け 広告より
「なぜ今、子供の百科事典が売れているのでしょうか?
 1. 教科書のない新しい授業、「総合的な学習の時間」に必要な参考書だから。
 2. 身近に「調べる本」があれば、「疑問や興味」を知識に結びつけることができるから。
 3. 新しいカリキュラムでの「宿題」や「自習」に不可欠だから。
 4. 「調べれば何でもわかる」という安心感が、子供の学習意欲を支えるから。
 5. 「習ったこと」は忘れても、「調べたこと」は忘れない-- 本当の知識が身につくから。
 6. 「わかりやすい」百科事典は、子供の好奇心を刺激し続けるから。
 7. 「百科事典を引く」習慣が、「検索力」「日本語力」「判断力」を養うから。」

 (さらに個人的メモ… 上の1,3はどうでもよいし、4は何でもわかるわけじゃないことから誇大な表現だ。6は何を言ってるのかさっぱり要領を得ないし、7も決して論理的な帰結ではない。個人的に百科事典の魅力は2,5あたりにあるような気がする。それにしても「本当の知識」といえるかどうかには大いに疑問がある。そもそも「本当の知識」とは何ぞや?)

★ 朝日新聞1月29日付け広告 斉藤美奈子 著 「趣味は読書。」
「ベストセラーは、それが売れていればいるほど、読者を見つけるのが難しいのはなぜか? 気鋭の文芸評論家が、変貌する読書の現場に迫る!」 「小林秀雄賞受賞後第1作! 読まず嫌いのあなたのためのベストセラー・ガイド」

★朝日新聞1月10日付け広告 マイケル・J/フォックス 著 「ラッキーマン」
「世界中が涙し、魂を震わせた全米No.1ベストセラー!!」
「本当に大切なものを、ぼくは病気のおかげで手に入れた。だから、ぼくは自分をラッキーマンだと思うのだ。」 「30歳の若さで、パーキンソン病に冒されたマイケル・J・フォックスが、自らの人生、仕事、家族、パーキンソン病との闘いを、みずみずしい文章で綴った感動の記録。」


28 Jan 2003
Tuesday

 昨夜遅く、サイパンから帰ってきました。強い陽射しの下、おそらく日中の体感温度は30℃を超えていたでしょう。成田に着いた瞬間、気温差約30℃の冷たい雨の中に放り出されました。わずか3時間ちょいでこれだけ気候が違うのですね。

 もっとも、土曜日・日曜日はサイパンも大雨でした。今は乾季のはずなのに。地球温暖化とか異常気象といった言葉が頭をよぎります。僕は子供の時に父親の転勤で鹿児島県の奄美大島(名瀬市)で2年間暮らしたことがあるのですが、あの頃を思い起こさせる熱帯性の強い雨と、身体にじっとりとまつわりつくような大気中の湿気の重さが印象的でした。短い滞在だと思えばそれも決して不快じゃない。独特の体験です。

 最終日はよく晴れました。
 僕はマリンスポーツをやるわけではありませんが、海は好きです。潮の香りも好きです。海岸の日陰のベンチで、全身に海からの風を浴び、波の音を聴きながら、白い砂と透明な海と青い空のコントラストを楽しみ、時折ペーパーバックをぱらぱらめくったりしながら、思いきりのんびりしてきました。

 エア・サプライっぽいですか。心のBGMが「潮風のラブコール」だったり「シーサイド・ラブ」だったり「渚の誓い」だったりしますか。どれも歌詞とは関係ない邦題なので気をつけねばなりません。

 サイパン島に関していうと、イーグルスの「ラスト・リゾート」を思わせました。いや、最後のリゾートというよりむしろ「リゾートの最後」というべきか。たとえば最近の熱海などで感じるさびれ感にかなり近い。かつての繁栄の名残はあるけれど、あらたな観光資源の開発を怠ったまま朽ちるに任せているような。島中、日本人と韓国人と中国人がうじゃうじゃ闊歩しているのですが、リピーターをどれだけ作れるのかちょっと疑問なところも。

 もうひとつ、この島には戦争遺跡が多数あります。日本軍が悲劇的な結末を迎えた戦場としても知られるサイパンのもうひとつの側面については、また日を改めて考えてみようと思います。


24 Jan 2003
Friday

 しばらく前にトップページにも掲載したことがある、近所の猫の写真です。あまりにも気に入っているので再登場。夏の朝だったと思いますが、ぶらりと散歩に出かけたところで発見。あまりに暑い日で、近づいてもちっとも逃げずにぐったりしたまま。これは「モデルにしてくれ〜」って言ってるんだなと勝手に判断してパチリ。

 知り合いのある女の子は、初めて通る道を見るとつい歩いてみたくなるのだという。彼女によれば、それは猫の習性なのだそうで、家で彼女は「猫○○」(○○には彼女の名の一部)と呼ばれているらしい。猫のことはよく分からないけれど、人にはどんどん知らない道に迷い込んでいくタイプと、家と目的地を最短距離で結んで往復するタイプとがあるようですね。

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 "If I miss one day's practice, I notice it. If I miss two days, the critics notice it. If I miss three days, the audience notices it." - Ignace Paderewski (Polish concert pianist and patriot, 1860-1941)
(一日練習を怠ると自分で気づく。二日怠ると批評家に気づかれる。三日怠ると聴衆に気づかれる)

 困ったことに、四日以上怠って読者に気づかれているにもかかわらず、自分では何も気づいていない僕のような人もいる模様。ちょいと流れを変えるべく、南の島へ逃避行。次の更新は火曜日くらいになると予想。それでは皆様ごきげんよう。なんて、押韻らしきものを試みつつ。それにしても、season と韻を踏む単語が reason と treason しかないなんて。


23 Jan 2003
Thursday

 今日はまずベルギービール好きの皆さんに耳寄りなお知らせから。それは西友で発見した素敵な飲み物「にごり白生」。この商品自体は以前から扱っていたし、自分も飲んだことがあるのだけれど、この度缶がリニューアルされて最上段に "Belgian White" と明記されました(これまではこの部分に "SHIRONAMA" などと書いてあった)。やっと売りにする気になったか。そう、これは紛れもなくベルギーの白ビールなのです。ついでに書くと、その下には「にごり白生」、さらに「風味豊かな味と香り」、小さな字で「The original Shironama draft is authentic Belgian white beer style, traditional brewed with natural ingredients.」とあります。ひときわ目立つバナーには「二段仕込」の4文字、最後に「アルコール分 約5% 日本ビール株式会社」のクレジット。

 この飲み物は日本ビール株式会社(何となくいい加減な名前だなぁ)が輸入しているもので、原産国はベルギーなのですが、麦芽使用率が25%未満であるため、日本においては発泡酒扱いになります。つまり安い。大手国産会社のものよりは高めですが、ビールよりは安い168円/330ml(西友仙川店、今月の特価)。原材料は大麦麦芽・小麦麦芽・大麦・小麦・ホップ・天然白生酵母となっており、ご丁寧に注意書きがしてあります。「沈殿物、白濁は、白生酵母及び麦汁成分で、商品の異常ではありません」。知らない人はビクーリするかもね。

 しかしベルギービールファンならとっくにご存知のとおり、上面発酵の地ビールは基本的に酵母が生きていて多少の濁りがあるもの。そしてこの「にごり白生」もまた、ヒューガルデン・ブロンシュを思わせる素晴らしい色と香りときめ細かな泡を再現してくれます。一口含めばふわりと広がる果実系の芳香。小麦独特のフルーツっぽさと、缶の中で発酵を続ける白生酵母の旨みでベルギービールを家庭に再現。個人的には猛烈に気に入った。もちろん現地で飲むビールにかなうなんて思いませんが、コストパフォーマンスを考えると、日常用としては十分に足りるクオリティかと。近くで購入できるビールファンは、騙されたと思って一度トライしてみてくださいませ。

 最後に缶の側面にある能書きを引用しておきましょう。

「特別な白生酵母を発酵用、熟成用と2回使用する画期的な二段仕込。その白生酵母をたっぷりと使い、しかもフィルターにかけない事でこの素晴らしい旨さと白さを創り出しています。この白生は旨みとコクの上面発酵ですが、冷やしてお召し上がりください。冷蔵庫等で冷やす際は、お飲みいただく時に丁度良い「にごり」になる様、缶を上下逆にして下さい」。

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 今日は出張で戸越銀座に行ってきた。いったい日本にはいくつの「銀座」があるのだろう。アド街ック天国で何度か見たことのあるその商店街は、すごく親しみやすかった。物価も相当安そうだ。ドラッグストアにて噂の「重曹」を購入。これって胃薬扱いで売られてるんだね。冷たい雨の中を帰宅後、お風呂にお湯をためて重曹を入れてみる。確かに水が丸くなる印象がある。昨日までは長く入っているとカルキで肌がピリピリするような刺激の強いお湯だったのに、今日はそれがない。心なしか、身体の奥までじんわりと温まるような気もする。そして何より湯あかのつかないことといったら。水あかの類も落ちやすくなるみたいだ。これはホントになかなか良さそうですね。

 アド街ック天国、といえば2月8日放送で僕の住む仙川の街が紹介されるようなので、楽しみにしています。テレビ東京系列で同番組をご覧になれる環境のお方は、駅前その他の開発が進んで急速に便利度の増している仙川の魅力をぜひチェックしてみてください。


22 Jan 2003
Wednesday

 今日のお昼に新宿パークタワーの地下で食べたインドカレーも美味しかったのだけれど、ここは昨日食べたカキフライについて触れておかねばなるまい。

 それは神田駿河台にあるとんかつ屋「駿河」のカキフライ。BAR「しんぐるらいふ。」第2回でも触れたマーブルディスクの近くにある古いお店である。転職する前は御茶ノ水駅近辺が営業の担当エリアだったり、市ヶ谷に住んでいたり、しまいには職場そのものがお茶の水に一瞬移転したりして、とにかくこの付近を毎日歩き回っていた。何のことはない、レコード屋を回っていたのである。営業中の空き時間にCDを買いまくるなんてのは当然の日課で、それどころか家から持ってきた大量のCDを売って軽いカバンで帰社したこともあったくらいだ。その頃よく通っていたとんかつ屋が「駿河」だったのだが、転職・転居に加えてCDを買わなくなったこともあり、お茶の水からはかなり遠ざかっていた。昨日は例によって上野公園に出張、東京国立博物館と黒田記念館のライトアップに関する打ち合わせ終了後現地解散となったので、久しぶりにお茶の水に立ち寄ってみたというわけだ。

 「駿河」といえば明治大学の学生、それも体育会系・応援団系の学生が愛用していそうなお店である。要するにお洒落とは対極、古き良き伝統を頑なに守り続けている印象がある。店長のオヤジもある意味名物で、まさしく頑固者を絵に描いたような老人だった。「だった」と過去形にしたのは、昨日はいなかったからである。自分が最後に通った3年前の時点で既に肉体的にはかなり弱っているように見えたから、引退したと考えるべきだろう。しかしひょっとすると…という不吉な予感も胸をよぎる。いずれにせよ、昨日は若者(それこそ明治大学のバイトみたいな)が、あのオヤジの道具を使ってカキフライを揚げてくれたのだった。

 「駿河」ではとんかつ以外のメニューは邪道だ。だが、冬はカキフライを食べてもよいと僕は考えている。そもそもとんかつ定食(赤身 or ロース)とエビフライ定食の3種類しか選択肢はないのだが、冬場のみカキフライ定食が加わる。そしてそれは店外の看板に大々的に宣伝されている。営業でこのあたりを歩いていた頃は、「駿河」のカキフライ看板が道に出ると、そろそろ寒くなるな…と冬を予感したものだった。ここのカキフライは、とにかく粒が大きい。巨大、と言ってもよい。それが5つも。レモンを絞り、ごく軽く醤油をかけて食すのが自分流だけれど、素材の海っぽい苦味をそのまま味わうのも良いだろう。付け合せは刻みキャベツとスパゲティナポリタン。このスパゲティがまた、昔懐かしいのだ。いわゆる昔の食堂の洋定食の伝統をしっかりと引き継いでいる。要するに巨大な缶詰めに入った業務用のスパゲティナポリタンなのだけれど、これがどちゃっとキャベツとカキフライの横に乗っかって出てくる。ここだけ昭和50年代くらいから時間が止まってる感じである。お米はそれほどでもないが、大きめのお椀でシジミ汁がついてくるのも個人的にはポイント高い。

***

 そんなカキフライ定食を食しながら、しばし前の会社での日々の思い出に浸っていたが、食べ終わると同時に現実に引き戻され、往年の感覚を取り戻しながらCDを買い漁った。昨日購入したのは以下のディスク。

"THE VERY BEST OF ASIA : Heat of The Moment (1982-1990)" - Asia 先日2枚組のコンプリート盤を買ったばかりだというのに…。どちらを買ってもアルバム未収録3曲は入手可能です。まあ1枚ものは1枚もので必要なのでよしとしよう。
"A SECRET HISTORY... THE BEST OF THE DIVINE COMEDY" 鬼才ニール・ハノンのディヴァイン・コメディ。"National Express" とか "Something For The Weekend" とか、ヒット曲はそれなりに押さえてあります。やっぱダンディでカコイイ。
"7 YEAR ITCH : GREATEST HITS 1994-2001" - Collective Soul 全部アルバムヴァージョンのようで、ちょっと手抜き。"Shine" が5分もあるのはねえ… といいつつやっぱり欲しかったベスト盤。
"MELTING POT" - The Charlatans 帯付き日本盤を700円で買うことができてかなり嬉しかったベスト。初期のハモンドオルガンはやっぱ最高〜
"THE BEST OF THE EAGLES" 2001年リマスターの欧盤。噂どおりかなり音質が改善されている。今現在買ってもよいイーグルスのベストはこれだけだろうなあ。しかしここまでやるなら "Already Gone" (US#32/74) も収録してほしかった。これじゃ初期のベスト盤を処分できない…
"GREATEST HITS" - Will Smith コロンビアとの契約解消ベスト盤。まあいろいろありますが、パーティ用に1枚買っておいてもいいんじゃないでしょうか(笑)。本当はクーリオやJay-Zやバスタ・ライムスのベスト盤が買いたいんだけど。
"THE BEST OF THE CORRS" 別に内容がどうとかじゃなくて、コアーズは自動的に買っちゃうのでしょうがない。ジャケの写真も綺麗だし、ブックレットにこれまでのライヴのチケット写真や、全シングルのジャケ写真が掲載されている点も評価高いっす。
"A DECADE OF STEELY DAN" ダンのベストは何種類かあって、これは定番。85年の初版は Bob Ludwig 先生のマスタリングだけど、今聴くと到底耐えがたいモコモコした音なので、96年再発の Glenn Meadows リマスタリング盤で再購入。99年から再発が始まったオリジナルアルバムはさらに異なるリマスターで、"AJA" なんて物凄い音になってるらしい。93年の "CITIZEN" 箱で一応全音源所有してるので、新リマスターは少しずつ買い集めていくことにします。

 …とここまでは普通の買い物だったのだけれど、最後に立ち寄った神保町ジャニスで魔が差してしまい、テレンス・トレント・ダービーの1st、3rd、4thを各100円で再再(再?)購入。いったい何度買ったり売ったりすれば気が済むのかと思いつつ、急に聴き直したくなったんだからしょうがないだろと自分に言い訳しながら。こういうお店で一番転がってそうな2ndの「N.F.N.F宣言」がたまたま切れていて、微妙に中抜けの買い物になってしまいました。都合11枚、8,000円くらいの散財。いや、「駿河」のカキフライ定食を入れれば8,800円くらいか。どうやらKISSの横浜追加公演をあきらめた分を一気に使い切ってしまったらしい。


21 Jan 2003
Tuesday

 加護ネタに振り回されて、一昨日の「シングルス」感想が中途半端に流れている。もうしばらくは加護が出てくることもないだろう。「シングルス」について言うと、とても雰囲気のいい映画で、楽しんで見ることができた。貸してくれたお方に率直に感謝したい。この種のアメリカ的青春映画は基本的に大好きなのです。

 映画中でステージに立っていたサウンドガーデンつながりで、ヴォーカルのクリス・コーネルが新たに結成したバンド、Audioslave のアルバムも他の方の厚意により聴くことができました。ありがとうございます。Rage Against The Machine + Soundgarden ということで、確かに「そのまんまやないけ!」とツッコミたくなる瞬間多数でしたが、アルバム後半に行くにつれ、クリス・コーネルの歌を生かした曲が増えてきていい感じ。ラスト数曲は結構気に入りました。しかしオープニングの "Cochise" がやっぱりその。あまりにも "Whole Lotta Love" なんじゃないかと。AFNで昨秋からずっとかかっていた曲なのに、なぜか「今頃レッド・ツェッペリンの未発表曲が発掘されたのかなあ」などと大ボケな想像をしながら聴いてた自分です。初顔合わせのスタジオで「とりあえず "Whole Lotta Love" でもジャムるか」とかやってるうちに適当にできてしまったとしか思えない。違うか。

 「シングルス」に戻ると、ブリジット・フォンダ演じるジャネットが豊胸手術を受けそうになるシーンがある。本人は受ける気満々で病院に行くのだが、医者が「君はそのままで十分きれいだよ」と必死に引き止めるのだ。僕も女の子は何より自然な身体が一番だと思う方なので、個人的には、世の女の子たちが一生懸命やせたがるダイエット志向もあんまりよく分からなかったりします。それはさておきジャネットは彼氏を選ぶ条件を事細かに決めている。それじゃキミ一生シングルだよ!とかツッコミたくなるのだけれど、細かいのはさておき一番重要なのは、彼女がくしゃみをしたときに "God bless you !" と言ってくれることなんだとか。そんな風に私に気を遣ってほしい、ちょっとしたときに気遣いを見せてほしいってことなのかな。くしゃみ後の "Bless you !"、日本人的にはちょっと声かけるのも難しいよね。「お大事に」って感じなんだろうけど、文字通りに堅く意味を取れば。

 …「貴方に神様のご加護がありますように」。

 また加護かよ。


20 Jan 2003
Monday

 珍しい姓というのは得なのか、損なのか。僕など比較的ありふれた姓の方だろう。そこへ行くとたとえば中坊公平さんなんてのはそれなりにインパクトがある。特に、弁護士会に中坊さんは彼とその父しかいなかった(だから悪いことはできないぞと戒められた)話を何かで読んだことがある。中坊さんなんかよりもっと強烈なイメージを残していた姓があった。だが僕はそれを今日、朝日の夕刊で見かけるまですっかり忘れていた。それは「西大立目」さん。これで姓である。名付け親もさすがに名前まで長いと語呂が悪いと思ったか、こちらは一文字。とはいえ「永」だから、短いんだか永いんだかよく分からない。それはさておき、彼は往年の甲子園の名物審判であった。僕が子供の頃、夏休みにずーっと見ていた高校野球で、スコアボードに浮かぶ彼の名前は自然と脳裏に刻み込まれた。

 テレビの画面越しにも彼の大きな身振りや声は伝わってきた。厳正な判定に定評があったそうだが、確かに彼のストライクの宣告は有無を言わせないものだった。どっしり構えた体を直立させ、右手を真上に突き上げた。これは「ストレート・アップ」と呼ばれる基本動作とのこと。以前も日記に書いたことがあるが、最近のプロ審判のあの横に流れるように崩したストライクコールは気に入らない。一体誰に向かって宣告してるんだ。ストライクかボールか、ジャッジが情報を伝えるべき相手はグラウンド上のナインであり、会場の観客たちである。とするならば、西大立目さんのいうとおり、「外野席最上段の観客に分かるジャッジでなくてはならない」という信念を貫くほかない。50歳ですっぱりマスクを置いた後も審判技術の向上に努めた指導者は、胃がんとの壮絶な闘いの結果、先月亡くなったとのことだった。80キロ以上あった体重は48キロにまで落ちていたという。

***

 珍しい姓といえば、「加護」だって負けちゃいないわけで。

 …真面目にもうやめとこうと思ったのだが、某所で「最近、楽しみにしているもの。」とまで書かれてしまっては何もなしってわけにもいかない。というわけでちょっとだけ加護ネタを。ていうか俺ホントにモー娘。とか良く知らないんだよね。そこでいかにも初心者らしく加護プロフィール(らしききもの)をチェック。

ニックネーム:あいぼん
趣味:歌を覚えること、なしを切ること
特技:ものまね
好きな食べ物:栗
嫌いな食べ物:にんじん、牛乳


 一部は納得できるが、一部は大いに不可解だ。確かに加護のものまねはすごい。半端じゃない。あれでルックスがあれほど天使の如く可愛くなかったら、有り体に言えば清水ミチコやコロッケのようであれば、ものまねで食っていくことも不可能ではないと思わせるほどだ。特に一昨日から昨年にかけては Gackt の真似で一世を風靡した。これはある意味似てないんだけど、加護の愛くるしいルックスや雰囲気とのギャップで笑わされている面が大きい。小川の猪木まねや田中邦衛まねとは根本的に違うところだ。しかし加護は無意識にやってるわけじゃなくて、やっぱり「これだけのギャップを作ればこれだけの笑いが取れる」としたたかな計算をしているフシがある。

 嫌いな食べ物がにんじんと牛乳ってのは、本当に嫌いなのかもしれないが、ある程度大衆の好き嫌いをリサーチした結果という気がしなくもない。いわゆる同情票を集めにかかっている。一方で、好きな食べ物が「栗」ってのもうまい。逆の意味で、嫌いな食べ物として栗を挙げる人というのをあまり見たことがない。剥くのがめんどくさいとかはあるかもしれないが、基本的に多くの人は栗に対してバッドインプレッションを持っていない。特に季節外れの時期に「栗って美味しいよね」とか言われると、「そういえば!」と急にマロンの甘い風味が口中に広がり、帰りにコンビニで思わず「甘栗むいちゃいました」とか「マロンホイップクリームパン」とか買ってしまいかねない危うさがある。その時点で、貴方は既に加護の術中にハマっているのである。

 そして趣味。歌覚えはまあいいだろう。仕事だしね。しかし「なしを切ること」って。食べることじゃないんだよ。切ること。白いろのエプロンをつけて、小さな手でなしを切る加護の姿を想像してほしい。「はい、どうぞ」。差し出されたジューシーななしを前に、僕らは言葉を失う。あるいは理性を。…なんてモーヲタの真似するのも楽じゃなかったりするんだが、ここで「なし」=「梨」が何かのメタファーである可能性に気づいた僕らは愕然とする。梨、梨、梨… 梨華? そう、石川梨華だ! いささか唐突に思われた「なしを切ること」という趣味はすなわち、プチ先輩としていつも加護の目の上のたんこぶ状態でのさばる石川をけん制するフレーズなのだった。愛らしく天真爛漫に見える加護の表情の下で、かくも邪悪な感情が渦巻いている。僕らはまたしても、彼女一流の「すりかえ」と「とぼけ」のテクニックに翻弄されるばかり。

 加護 亜依。
 どこまでも恐るべき子供/アンファン・テリブルなのである。

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 この辺で勘弁してください。マジよくわかんないんで。


19 Jan 2003
Sunday

 一昨年の12月に書いたニューヨーク旅行記に、現地で撮ってきた写真を貼り付けてコラージュしてみました。NY好きのお方はどうぞ。

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 連続TVドラマ「ザ・ホワイトハウス」(The West Wing)については昨日触れたばかりだが、さっそく今日の朝日新聞の天声人語が採り上げている。マーティン・シーンの反戦運動のことだ。ご存知のように彼は「ザ・ホワイトハウス」において米国大統領役を演じている。しかし朝日は大衆への配慮を忘れない。

「M・シーンといえばコッポラ監督の『地獄の黙示録』の演技が印象的だったが、若い人にはチャーリー・シーンの父親といった方が分かりやすいか。」

 やはりエミリオ・エステベスは忘れ去られる運命であった…。それはさておき、マーティン・シーンは以前から反核運動で知られ、イラク攻撃をめぐっても反対の立場を打ち出している。ドラマの大統領役については「個人としては賛成できないことも演技ではしなければならない。つらいときもある」と答えているようだ。おっしゃるとおり。しかしちょっと考えれば、シェイクスピア(あるいは Rush)を引用するまでもなく "All the world's a stage." なのであり、僕らはすべてその舞台で演技する役者たち。要するに主権国家とか、原油価格とか、仕事に行って疲れて帰ってくるとか、愛する人と結婚して一緒に子供を育てるとか、そんなのはすべて周到に作り上げられたフィクションにすぎないわけです。だからドラマに限らず、僕らが「現実社会」と思っているもの(それもフィクションなんだけれど)においても、「個人としては賛成できないことも演技ではしなければならない。つらいときもある。」というマーティン・シーンの言葉はパラレルに適用できる。

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 だから時として、現実っぽいドラマや映画は、かえって嘘っぽくなってしまうことがある。キャメロン・クロウ監督の「シングルス」を見終わりました。シアトルの独身者専用アパートを舞台に、4人の男女の恋愛模様を描きます。あのマット・ディロンが長髪無気力系ロッカー役で出演(ある意味好演)していることからも分かるとおり、90年代初期のグランジ・ムーヴメントをもろにかぶった映像。在りし日のサウンドガーデンやアリス・イン・チェインズがステージ上で演奏している姿に涙、また涙。ていうかクリス・コーネルカッコよすぎるよ…

 でね、雰囲気のいい映画なものだからさっくり見ることができてしまうのだけれど、どっちかというとコミカルな漫画みたいな印象を受けました。シアトルの若者の日常、みたいな写実的イメージを期待するとちょっと外します。むしろポップでキッチュな連作ドラマみたいな。台詞回しもちょっとあざとい気がしましたが、伝えたいメッセージはよく分かりました。しかし最終的にちゃんと2人ずつくっついちゃうってのはどうなんだろ。…いかん、また「ハイ・フィデリティ」や「アバウト・ア・ボーイ」の結末に納得できない病が復活してしまったらしい。できればこの「シングルス」も、リアルタイムで仲良しの友達(男女)を誘って映画館に見に行きたかったな。

 個人的にはブリジット・フォンダ演じるジャネットの可愛さが印象的。リンダ(キーラ・セジウィック)も悪くない。何だか藤谷美和子みたいな感じでしたが、藤谷のようなバランスを欠いた女性には非常に惹かれる方なので(要するに好き)。しかしケヴィン・ベーコンの奥さんってのはマジすか。冴えないスティーヴ役を演じたキャンベル・スコットの印象の薄さもすごいと思いました。あれで素だったらマジでほかの映画で使えないところですが、多分そういう地味な役作りだったんだと思います。「個人としては賛成できないことも演技ではしなければならない。つらいときもある。」 結局マーティン・シーンに締めてもらうことになっちゃった。次のキャメロン・クロウものは「ザ・エージェント」がビデオデッキ横に待機しています。


18 Jan 2003
Saturday

 加護どうでもいいですか。自分風邪がぶり返してちょっとおかしくなってるだけですか。それにしても先週と今週の「ウィル&グレイス」は面白すぎでした。笑いすぎてどうかなりそうだった。コメディものの海外ドラマは基本的に大好き。ユーモアを忘れず、小さなことで笑える人は長生きするらしいよ。海外ドラマといえば「フレンズ」がいよいよ今年の秋から始まる第10シーズンで終了するそうだ。出演者のギャラが暴騰して継続困難になりつつあるという話は以前も聞いたけど、そんなに面白かったかなあ? いずれにせよ最終シーズンは1話あたり制作費1,000万ドル(12億円!)、通常24話のところを18話しか作れないらしい。一方で現在僕の毎週の超お楽しみになりつつある「ザ・ホワイトハウス(The West Wing)」は2005年2月まで、少なくともあと2シーズンは続くとのこと。ちょこっと安心。

***

 「ちょこっとLOVE」プッチモニには加護などいないわけですが。強引に持ってきます。ある漫画雑誌にこんなインタビューが載っていたらしい。「今イチバン欲しいものは?」という問いに対する答え。

  高橋:魔法がほしいです!
  小川:自分に負けないパワー!
  新垣:「ドラえもん」がほしいです

 まあいいだろう。小悪魔キャラを狙う高橋の魔法や、汚れ系キャラを爆走する小川が自分に負けないパワーを求めるのは理解できる。一番の子供キャラとして新垣がドラえもんを欲する、という筋書きも悪くない。問題は加護だ。加護がイチバン欲しいものは。

  加護:すきとおったキレイな歌声

 …やられた。今これ真面目に受け取ってしまった方いらっしゃいました? 貴方はもう騙されている。のみならず、勤勉で善良な市民の多くは騙されてしまう。芝居にも程があるのだけれど、加護は何ら悪びれることなくこういう受け答えができてしまう。スゴイのだ。

 モー娘。にはこの種の質問が似合うのか、別の雑誌にもあった。

  Q.今一番欲しいものは何?

  新垣:DVDプレイヤー。

 まあそこまで即物的にならなくても良いとは思うが。ていうか君のギャラでも買えるだろ。Samsung のDVDプレイヤーとかさ。しかしここでも焦点は加護の回答だ。

  Q.今一番欲しいものは何?

  加護:透明人間になれるアメ。

 この子は一体どこからこんなフレーズを引っ張ってこれるのか。誰でも一度くらい「透明人間になってみたい」と思ってみたことはあるだろう。大衆の欲望を熟知した加護はそこを突く。しかも「透明人間になれる薬」じゃない。「アメ」だ、アメ。ここで僕らは完全に翻弄される。加護のムチに。この鞭は、無知からは百万光年の彼方にある。

***

 オチませんか。オチがありませんか。ならば登場願いましょう。いつだって素敵なオチをくれるのは彼女。「くれた」と過去形になっていくのが悲しいくらいに。

  Q.今一番欲しいものは何?

  保田:やかんと鍋。

 …その強烈な生活臭に圧倒される。奥さんにするなら絶対に保田圭。間違いないよ。


17 Jan 2003
Friday

 でも本当は、「好きな街のために働く」なんてのはフィクションに過ぎない。結局のところ僕は自分のために働いているのであって、食べるため、CDや本を買うため、部屋代を払うため、生活をするために仕事をしているわけだ。たまたまその勤め先が街の仕事であるからといって、それを「街のため」などと表現するのは議論のすりかえに過ぎない。欺瞞にもほどがある。僕は紛れもなく自分のために働いている。それ以外の理由で働いていると称する人、特に世のため人のために働いてますなんていう人は最も信用ならない。僕にとっては。

***

 さて加護 亜依である。唐突なようだが「すりかえ」つながりだ。
 僕なんかよりはるかに議論のすりかえが得意な天才少女・加護は、「すりかえ」と「とぼけ」のテクニックを駆使して僕らを煙に巻く。某所で指摘されていた話題にこんなのがあった。めちゃくちゃ古い、2002年1月放映の「うたばん」にミニモニが出演したときのことだ。

   中居:さぁ参りましょう、最後です。はい、加護ちゃん。
   加護:わたくし、デデデンデン『お年玉をもらったよ』、です。
   中居:誰にもらったの?
   加護:加護です。
   中居:だ、誰に?あげたの?
   加護:もらいました。
   中居:誰にもらったの?
   加護:えーと、親戚の人たちです。
   中居:親戚の人たちに、いくらぐらいもらった?
   加護:えーと、2千円札と2円で、2002年。
   石橋:何買うの?
   加護:加護買わないんですよ。
   石橋:ためとくの?
   加護:イエス。
      貯金して、あのお母さんが、
     「大人になったらウェディングドレス、それで買えるでしょ」って。
   石橋:ためてるんだ。
   加護:はい。
   石橋:お年玉を毎年。
   加護:はい。
   石橋:どんなウェディングドレスを着たいの、加護は。
   加護:えー、白いろ。
   中居:白いろ。
   加護:白いろのやつが着たいです。
   石橋:どんな人がいいの?となりに立っている人は?
   加護:ん? 男の人。
      なんだろうな、なんか大きい人。

 すごい。加護はすごすぎる。こんな受け答え、アドリブでできるんだとしたら、僕らは彼女の幼い顔立ちに完全に騙されている。術中にはまっている。いきなり「デデデンデン」である。石橋の「ためとくの?」に答えて「イエス。」である。どうしてここで「イエス。」が出るのか。どうしてウェディングドレスを貯金して買うなんていう素敵なネタに持ち込めるのか。どうして「白」じゃなくて「白いろ」なんていうスウィートな単語が飛び出すのか。「ん? 男の人。なんだろうな、なんか大きい人。」に至ってはもはや完璧である。加護の器の大きさ云々という議論自体が無意味に思えてくるほど素晴らしいフレーズだ。

 さらにこのあと石橋に「大きい人って中居クンぐらいか」と訊かれた加護、「は、ちっちゃいですねぇ」。「オレちっちゃくないんだぞ!」という中居に対し加護、「ちっちゃいです」。で、結局石橋が「170センチぐらいがいいのか」と言うと加護は「うん、そのぐらいで。」とか言っちゃうのである。大物なんてもんじゃない。この子に可愛いイメージだけで近づいてしまうと大やけどすること間違いなし。僕らの心の内側はすべてお見通しなのである。

   石橋:何歳でウェディングドレス着るの、加護は?
   加護:エヘ・・・(矢口の方を見て)何歳で着ますか?
   矢口:加護ちゃんがだよ。
   加護:加護ですか。

 これが有名な加護の「すりかえ」と「とぼけ」のテクニックだ。加護に尋ねているのに平気で矢口に振る。一応先輩を立てた(当然結婚は矢口が先だろうから)という読みも可能だが、要するにとぼけてみたわけだ。ここで石川なんかだと平気で「私○歳までに結婚するの!」とか自分ネタに持ち込んでしまうところだろうが、さすがに矢口は冷静に切り返す。それに対して「加護ですか」。当たり前だよ。

   石橋:何歳でウェディングドレス着るの、加護は?
   加護:エヘ・・・(矢口の方を見て)何歳で着ますか?
   矢口:加護ちゃんがだよ。
   加護:加護ですか。
      加護ね、寿命が短いんですよ。
      ほれ(石橋に手を見せる)ほれ。
   石橋:生命線が短いのか。
   中居:短命だ。
   加護:分かんないんですけど、ネガティブになりました。

 いかん、ウェディングドレスの話なのに、いきなり「寿命」話にすりかえられている。しかも恐ろしいことに、石橋も中居クンも加護の手相にかまってしまい、すりかえに気づいていない。要するに場の空気は完全に加護によって捻じ曲げられてしまった。可愛さ故の役得である。これが保田圭だと絶対にこうはいかない。「何言ってんだよお前は。」がいいとこである。そして加護のとどめは「分かんないんですけど、ネガティブになりました」。独特の間でこのフレーズをつぶやく加護を想像してほしい。完璧だ。天然じゃない、人工のすりかえ/とぼけ美学がここに完成する。恐るべし加護。

***

 なーんて。加護ファンの真似してみたんですが、難しいですね。
 分かんないんですけど、ネガティブになりました。


16 Jan 2003
Thursday

 「東京の観光」ウェブサイトに小さな反響があって驚いています。

 そもそも昨年4月に今の部署が設置され、その初期メンバーとして全然別の部門からリクルートされてきた自分にとって、「観光」とは何ぞや?みたいなところから既に謎でした。例えば東京をニューヨークやパリに匹敵する国際観光都市にするという意気込みは良いのですが、それを支えるインフラが全くない。特に象徴的だったのが、東京都が観光案内のサイトを持っていないということでした。(厳密に言うと外郭団体に作らせていたのですが、あまり良い出来ではなかったようです)

 早速作成しようということになりました。僕も検討プロジェクトチームに加わって、他のメンバーと一緒にあれこれ企画を考え、走り回ってネタを集め、何とか昨年の10月に仕上がったのがこのサイト。まだまだ最終完成ヴァージョンとは言い難く、最新の情報にアップデートされながら、毎日少しずつ変化していくものです。英語・中国語・韓国語への翻訳や、体裁を整えてサイトをデザインしてくれたのは専門の業者ですが、驚くべきことに主要なコンテンツは職員の手作りだったりします。

 例えば人気コンテンツに 『イチオシ! 東京めぐり』 というコーナーがあります。そもそもは「外国人が東京に来て街歩きをしようと思っても、お勧めのコースがない。旅行会社に行くとお仕着せのパックしかない。東京のこんなところを見てもらいたい、という街歩きルート50選(仮)を作ろう!」という企画でした。僕はこちらのプロジェクトチームにも入っていたので、自分の担当エリアだった多摩地域コースの実地踏査などに出かけたものです。桧原村なんてこんな用事でもなければ絶対行かなかったと思うので、貴重な体験ではありました。そんなこんなで職員がアイディアを出し合いながらコースの案を作り、実際にひとつひとつ回ってみて街歩きルートとしての魅力を検証したわけです。ルート上の美味しそうなお店を探して、自らデジカメで写真を撮ってくるなど、かなり手作り系のアナログな企画でした。作業している間は結構大変でしたが、今にして思えば最初から安易に外部委託せずにコツコツ作り上げたのが良かったのかな、という気がしています。

 そうそう、この「イチオシ! 東京めぐり」という名前も僕が半分アイディアを出したのでした。もともとは「東京観光ルート50選」という非常にお役所的なタイトルだったのですが、とにかくそういう堅いイメージは捨てようと。シンプルでキャッチーで、しかも読んで意味が通じるものというコンセプトを念頭にプロジェクトチームでいくつか考えた案の中からなぜか(?)選ばれたのがこれ。「イチオシ!」には東京都推薦であることを、「東京めぐり」には東京の様々な観光スポットをめぐるルートであることを示しています。

 好きな街である東京のために働けるということは、ある意味幸運なことだと思っています。僕は「国」のために働くことにはほとんどリアリティを感じることができない(感じられる方にはぜひ頑張って仕事をしていただきたい)のですが、「自分の住んでいる街」のために働くことには比較的リアリティを感じられる。やりがいもあるし、とことんやってみると面白さも手応えもあるようです。そしてこうして一人でも二人でも反応をいただけると、ますます頑張ろうという気持ちになるものですね。どうもありがとうございました。


15 Jan 2003
Wednesday

 あんこネタに思わぬ反響があって驚いています。

 あんこを用いたお菓子はお団子や饅頭など素朴なものが多くて良い。最新技術を凝らした西洋のケーキも悪くないが、例えばうさぎやのどら焼きなどは江戸の味を現代に伝えるある種のタイムマシンのような役割も果たしているのではないか。

 同じように江戸から明治にかけての雰囲気を残すエリアとして、東京は台東区の上野の山があります。森、と呼んでもよいくらい木の生い茂った上野地区は、各種の美術館・博物館・動物園・お寺などが集積する貴重な歴史・文化ゾーンとなっています。しかしながら、東京の誇る観光エリアとして、外国人や地方からの旅行者に分かりやすい構造になっているとは言い難い。

 先日書いたとおり、ここのところ僕が取り組んでいる仕事は「東京を国際的な観光都市にする」というものです。観光案内センターを整備したり、東京の観光のホームページを作ったり、案内標識の外国語化を進めたりというソフト面でのサポートも重要ですが、突き詰めていくと「まちづくり」そのものに行き着いてしまう。アヴェニューとストリートが碁盤の目状になっていて位置を把握しやすいニューヨークや、放射線状に広がるパリや、地下鉄・バスが極めて便利に整備されたロンドンなどと比べて、東京の街のあり方はいかにも分かりにくい。東京に住んでいる自分たちですら迷うことがあるくらいですから、初めて訪れる外国人旅行者たちにとっては謎以外の何ものでもないのではないか。

 そこで「観光」を強く意識しつつ、まちづくりそのものからやり直していきたいと考えているわけですが、全体に着手するには東京はいかにも大きすぎるので、さしあたり上野の山近辺から着手したいと。今年はまずいくつかの歴史的建造物をピックアップして、夏場以降に夜間のライトアップを行う予定です。これをきっかけに、少しでも多くの観光客が足を運んでもらえるよう、さらに知恵を絞っていくつもり。さらりと書くのは簡単ですが、ひとつひとつの建物について関係者(国だったり宗教法人だったりします)と交渉を重ねるのはなかなか骨の折れる仕事であったりします。

 折しも今年は徳川家康が幕府を開いてから400年という記念すべき年にあたります。江戸開府400年という節目に、古き良き味わいを伝える素朴なお菓子を食べながら、未来のこの街の姿に思いを馳せるのもまた悪くないものです。


14 Jan 2003
Tuesday

 うさぎやのどら焼きを食べた。

 何気なく書き出してしまったが、これは僕にとっては大事件である。まず第一に、僕はあんこが大好きだ。ほとんど恋しているといってもよい。「ごめん、地球上からお米がなくなりました。これから毎日あんまんかあんぱんを食べてください」と言われて悲しむどころか大いに喜びかねない。第二に、上野の老舗「うさぎや」と言えば、その筋のファンなら知らない人はいないどら焼きの聖地だ。一説によればどら焼き発祥の地でもあり、その美味しさは半ば伝説と化している。そして第三に、僕はこれほどあんこが好きでありながら、未だかつてうさぎやのどら焼きを食べたことがなかったのである。

 意外に思われるかもしれない。美味しい食べ物は好きだが、それを食べる(だけの)ために出かけるのは面倒くさいという究極のものぐさあんこファンであるところの自分は、日常生活においては Pasco の「ずっしり大入りあんぱん」(つぶあん100g入り!)や第一パンの「横浜あんぱん物語」、あるいはヤマザキの「高級あんぱん(栗入り)」あたりで妥協しながら、「きっといつか誰かがうさぎやのどら焼きを食べさせてくれる日が来るに違いない」などと全く根拠のない確信を抱きつつ、心の中で口を開けて待っていたのである。そしてまさにその日がやってきた。飛んで口に入るうさぎやのどら焼きである。

 職場で突如として配布されたそれは、ずっしりとした質感に満ちた代物であった。その質感を確かめるように両手で包み込む。おっと、力を入れすぎてはいけない。あんを包む皮の部分のふんわりとした柔らかさはどら焼きの命だからだ。期待に胸を高鳴らせつつ、しかし周囲にはそれと悟られぬよう開封する。震える指がもどかしい。いよいよ俺もうさぎやのどら焼きを…

 はっ。

 半分開封しかけて気がついた。お茶がない。これはいけない。どら焼きを食すのにお茶を用意しないとは何事か。この点だけとってみても、いかに僕が自制心を失っていたかがよく分かる。どんなにコーヒー好きの自分でも、ミルクティを愛する自分でも、そしてビールに恋する自分でも、どら焼きには緑茶なのである。甘みと渋みは両者の品格を高め合う絶妙のパートナーだ。男の子と女の子が恋愛を経てひとつに結ばれるように、どら焼きと緑茶もまたひとつに溶け合うことが予定されている。エンゲージリングを交わし合った仲なのである。熱い湯のみを前に、いよいよどら焼きが姿を現す。そっとひと口、はむっ…

 稲妻が僕の全身を駆け抜けた。

 いったい何なんだ、この皮の柔らかさは、そしてこのあんの粒のつやつやとした輝きは。単にふわふわで柔らかい皮というばかりではない。卵をたっぷり使い、もちっとした食感が口全体を大いに満足させてくれた後、ふわっと溶けていく。一方のあんこは、小豆そのものの味を活かした控えめの甘さが優しい。しずくが垂れてきそうなみずみずしさ。やや紫がかった小豆の粒がつやつやと輝くさまは、まさに神々しいと表現するしかない。ひと口食べるごとに、あんこの新鮮さが細胞の一つひとつに染み渡っていく感がある。

 やっと自制心を取り戻した僕は、お茶で喉を潤した。これだったのだ。僕の探し求めていたどら焼きは。なんだか2003年の運をほとんどここで使い果たしたような気持ちになりながら、僕の心は猛烈に満たされつつあった。ドラえもんの気持ちがこれほどリアルに感じられた日はない。

***

 ドラえもんの誕生日は2112年9月3日。
 今年から9月3日には Rush の 『西暦2112年』 を聴きながらうさぎやのどら焼きを食べようと真剣に思いました。


13 Jan 2003
Monday

 「ナイナイの岡村じゃない方」とか「ケミストリーのヒゲじゃない方」ってのはまだ分かる。まだ許せる。しかし、「ホール&オーツのホールじゃない方」って何だよ。有り得ない。有り得ないよこんばんはジョン・オーツファンのwinterです。正確に言うと、ジョンあってこそのダリルと言いたいわけですが。ヒゲじゃない方あってのヒゲなのかどうかはよく分かりません。

***

 うわ、やっちゃったよ。アリー・マクビールに娘が出現。
 ちょっと飛び道具的展開なので一概にどうこうは言えない。でもアメリカでは代理出産ビジネスや精子バンクが次第に日常のものになりつつあるようだし、知らない間にバイオロジカルな意味での自分の子がどこかで生まれている可能性はないとは言えない。そうした子供が自分を「お母さん」(あるいは「お父さん」)と訪ねてやって来たときに、僕らは一体どういう表情をして玄関に立っているのだろうか。

 でも要するにポイントはアリーの台詞に隠されていて、それまでずっと探してきた理想の人は、パートナーとなるべき男性なんかじゃなくて、自分の子供だったんだという発見。その人がいることで自分が安心し、落ち着き、面倒を見てあげたくなる相手。それが異性の相手であった場合には恋愛に発展して結婚することもあるわけですが、必ずしもそうではないかもしれないということ。つまりアリーはそういう理想の男性を追い求め続けて三十路まで突っ走ってきたけれど、結局どの男性にも心の安住を見出だせなかった。ところが、降って湧いたように現れた「自分の娘」と過ごしながら、「これだったんだ」と確信を抱きつつあるようで。

 これは極端な例としても、例えば「別に結婚して男の面倒を見る気はないが、せっかく女性に生まれたのだから子供は産み育ててみたい」という人もいることでしょう。逆に男性で、子供を産むことはできないが、もし誰かが自分の子供を産んでくれるのであれば、やはり独りで子育てをしてみたいという人もいるかもしれません。選択肢はさまざまなものが考えられるわけですが、それを困難にしている社会的システムがある。とすれば、できるだけ多くの選択肢を実現可能とするようなシステムに改革していくのが行政や立法の仕事なのだろうなと思います。

 アリー役のキャリスタ・フロックハートが実生活で養子を育てるシングルマザーであることを考えると、なかなか興味深いストーリィではありました。しかし、床に横になりつつ片肘ついて上体を起こし、アリー娘とボードゲームしながら語りかけるジョン・ボン・ジョヴィのカッコよさは誰か何とかしてください(笑)。

***

(個人的メモ)
★1月13日付け朝日新聞 「みみずくの夜メール」(五木寛之)
「長生きとは、何歳まで生きたか、ということではない。その一年がどれほどめずらしく、驚きや感ずることの多い年であったか、ということだろう。そういう一年は、たぶんじつに長い一年にちがいない」



12 Jan 2003
Sunday

 あまりに皆さんのお話が面白かったものだから、ついついちょっと飲み過ぎてしまいました。反省はするのだけれど、結局また飲むことになるんだろうなぁ。美味しいお酒、とよく言いますが、お酒そのものはさておき(もちろん美味しくないわけじゃないけど)、一番楽しいのはその場で交わされるお話の数々なわけで。そういうメンバーが集まれるということはとても幸せなことだと思います。

 ある方は「3年間探し続けたCDが今日見つかったんですよ」と語ってくれました。その喜び、分かるなあ。僕は先月くらいからここ数年の方針を転換して、CDを再びたくさん購入するようになりました。音楽を聴くことは僕の必ずしも多くない趣味のひとつです。とするならば、そこにはできるだけお金を惜しまず投入したい。良いCDを買うこと、コンサートに足を運んで生の演奏を聴くこと、そして音楽好きの仲間たちと語らうこと。ひょっとすると明日何かの事故で死んでしまうかもしれない自分であればこそ、本当に好きなこと、好きなものを思いきり楽しんでおきたいから。死んでしまってからでは遅すぎる。

 CDショップを巡りながら宝物を掘り出していく楽しさを、身体が少しずつ思い出し始めています。

***

(個人的メモ)
★2002年12月21日 朝日新聞 「街日和」
「子どものころが、そうだったじゃないですか。ポケットに100円もあれば豪気なもの。自転車に乗って、隣町にでもどこにでも遠征できた。自転車に乗るということは、健康になったりお金が浮いたりするだけじゃない。『自転車的なるもの』が身に付く」
「自転車に乗るということは、『足るを知る』ことでもある。老人や子どもや障害者以外、何で健康な大人が車に乗る必要ありますかね。(中略) 『便利で快適』は、もうそろそろいいじゃない。自転車に乗ると、そんな考え方になっていくんです」



10 Jan 2003
Friday

 朝出かけるときってみんな切羽詰まってるもの。
 しかし出がけにスリッパをちゃんと逆向きに揃えて置けるようでありたい。

 だいたい何故僕らは一分一秒を争って家を飛び出す羽目になるのか。あと5分早く起きれば、5分も余裕ができてのんびり靴を履き、確実に戸締りや火の元を確認して駅に向かえるのに。そんな風に第三者的に自分を責めながら、僕はできるだけ毎朝玄関でスリッパを脱いだのと逆向きに揃える。そうすれば、帰ってきたときにスリッパが(何なら、部屋全体がと言い換えてもいい)自分に「お帰り」と言ってくれてるような気がするから。独り暮らしであればこそ、忙しい朝でもちょっとした手間を忘れずにいたい。誰にも邪魔されない空間で気ままに暮らす贅沢を維持するためには、それなりの税金を納めなくちゃならないのであって、その税率は決して理不尽な値ではないのです。

 仕事始め第1週はひたすら長かった。
 3連休でちょっとひと休み、ですね。


9 Jan 2003
Thursday

 寒い夜が続いています。43℃のシャワーを浴びるのも良いけれど、今日はバスタブにお湯を張って、ゆっくりと暖かいお風呂に入ってみよう。ぷかぷか浮かんでる塩素除去器が効果を発揮したかは怪しいところだけれど、安い入浴剤でも入れればプチ温泉気分。お気に入りの石鹸シャンプーと弱酸性リンス、無添加石鹸、麻+綿混紡のタオル、そして泡立てネット。

 あわただしい1日の中で、のんびりと頭の中を整理できるお風呂の時間はとても貴重。どんなに忙しい日でも、自分と向かい合う時間は大切にしたいから。お風呂ラジオやCDの音楽など不要。むしろ湯気に包まれて静かに考え事に耽りたい。ときどきいいアイディアを思い付くこともあるのだけれど、愛用の100円ミニノートを持ち込むわけにもいかないし、お風呂上りには大抵忘れちゃってる。でも大丈夫、きっとまた思い出せる。十分にリラックスできた後は、睡眠もぐっと深くなるような気がします。

 冬の夜ならではの、ちょっとした幸せ。


8 Jan 2003
Wednesday

(個人的メモ)
★1月7日(火)朝日新聞広告欄より
日経WOMAN
「恋も仕事も自然体がうまく行く… あなたを幸せにするスローライフ宣言
●あなたはどちら? ファストフード型人生vs.スローフード型人生 ●糸井重里さん『僕の考えるスローライフ、【晩熟のすすめ】』 ●スロー生活実践編。スローキャリア、スロータイム、スローラブ… ●もっと自由に、楽しくおいしく!ぐうたらスローフードのすすめ」


CREA
「こまっちゃうほど犬が好き!」

AERA
「日本の針路 スウェーデンに学べ
 (ルポ)90年代不況から銀行国有化へて蘇ったIT世界一国家
 リストラは若手社員から、でも国の負担で若年労働力を再教育」
「ケータイやりすぎ『どこでも写真』」

MINE
「総力特集 片づいている家の収納の新ルール!
 たった3つのルールで家はこんなに片づく!
 散らからない部屋にする "モノ" との付き合い方」

婦人公論
「新井素子 すべての不運は、将来の幸運への貯金である <多感だった少女時代の結論>
 工藤夕貴 『世界に通用する女優になる』と直感した15歳の初詣
 草g 剛 <SMAPの時間、ひとりの時間> 僕が死生観を語ってもいいですか?」

週刊朝日
「新春 御指南ワイド 2003年あなたを変える8つの『秘薬』
 (健康)40代から脳を若返らせる
 (会話術)ヨイショは誠意である
 (資格)マニア青島親子の収支決算
 (ファッション)男の決め手は光りモノ
 (男の恋愛)口説き文句「ナニナニしませんか」
 (女の恋愛)ダメ男の見抜き方
 (資産)分散投資を理解せよ
 (節約)こうすれば『衝動買い』しない」

AUDIOSLAVE Special Live in Tokyo 2003
「レイジ meets サウンドガーデン! まさに奇跡のコラボレーション "オーディオスレイヴ"
 東京1日限りの初来日公演、急遽決定!!」


***

 ええと。この種の個人的メモは必ずしも賛同の意を表すものではなくて。逆に批判的な意味で傍線引いてることも多いわけですが、その辺はご想像にお任せするとして。要するに、僕の視線が常にどうでも良いところをさまよっているということが垣間見えれば目的は達成されたも同然。安心して眠ることにします。皆さんオヤスミナサイ。


7 Jan 2003
Tuesday

(個人的メモ)
★1月6日(月)朝日新聞経済欄より <世相と思い 手帳03年版>
「9千万冊市場 不況でも堅調」 「金箔仕上げ・革表紙人気」
「「軽薄」糸とじ式が復活」 「風水影響? 女性は黄好み」


 …いつものように個人的メモを作ろうとしてはたと気づく。またしても冬ワンの後追い、朝日新聞。11月に大いに盛り上がった手帳ネタ、今頃切り口を変えて記事にしてみました的な。いいよ。いいんだよ。この際許しちゃいましょう。自分の寛大さにプチ感動を味わえる日常生活に乾杯。

 記事によれば、銀座・伊東屋では能率手帳のロングセラー「ゴールド」(税別3,800円)が目立って好調らしい。革表紙で、紙の縁が汚れない金箔仕上げの高級品。不況で節約ムードの中、ささやかながらも自分に投資しようという気持ちの表れというが、それは僕が日頃書いてるスタンスそのものですね。一方で見開き1ヶ月分の「月間カレンダー」だけの手帳を選ぶ人も多いという。確かうちの掲示板でもそういうコメントがあったような。要するに、電話番号やスケジュールの管理なら大半は携帯電話で足りるようになったため、500円前後と安いこのタイプに人気が集まっているらしい。確かに、電話番号を携帯電話で持ち歩けるのは大きい。自分も手帳に付属の住所録は取っ払っちゃってるし。本当に住所が必要なのは年賀状の時くらいで、それすらPCで管理してる人も多いんだろうな。

 厚手のシステム手帳のブームは完全に去ったとも書いてある。自分も薄型軽量の糸とじ式手帳に回帰したクチだけれど、要するに手帳なんていつでも持ち歩いて、ささっとメモしたりチェックしたりできなきゃ何の意味もない。どんどん膨らみブタ手帳になっていくシステム手帳や、とっさの時に起動と検索がうざいPDAじゃダメなのです。朝日は僕の愛用するタイプにもちゃんと言及している。「一方で、外国製手帳にならって1週間を縦割りにした新タイプも広まり始めた。仕事のスタイルを変えてみようという意識の反映か」。うーん、ちょっと違うんだけれどね。詳細は11月の日記に書いたので省略。

 これはあらゆる物事に言えることだけれど、幸福な社会とはどのようなものかと言えば、僕はできるだけ選択肢が多い社会だと考える。そしてそれぞれの選択肢が平等に尊重され、どれを選ぶのも自由であること。手帳なんてちっぽけな例だけれど、人それぞれ自分にぴったりくるデザインやサイズのものは異なるはず。無理やり、もらい物の手帳に自分を合わせていくなんて本末転倒。ありとあらゆるスタイルの手帳ができるだけ安価に販売され、その中で自分の求めるタイプを慎重に選択していくことができる社会(文房具店だって小さな社会だ)こそが理想的。その延長にライフスタイルの選択がある。どういう人生を生きるか。その自由をかみしめて日々を生きる人と、漫然と死に向かって惰眠を貪る人と。

 朝日によれば、手帳が一番売れるのは、1月第2週の前半だという。悔しいけれど、さすがに記事の最後はうまくまとめてある。「どのようなタイプを選ぶか。大事なパートナーは1年後に、頑張った人にとって貴重な『ビジネス自分史』になっているに違いない」。ビジネスに限らず、日記帳代わりにいろいろとメモを書き込んだ手帳が大切な財産になることは、きっと貴方もよく知っていることだろう。1日1日を大切に、前向きに、充実させていこう。お気に入りの手帳を持つことは、そんな気持ちと毎日向き合うきっかけになる。


6 Jan 2003
Monday

 仕事始め初日から、前の部署で一緒だったお姉さんとドイツ風居酒屋⇒ベルギービール専門店へと飲み歩く。雰囲気の良いお酒はいいね。

***

 昨晩放送のアリー my ラブ第5シーズン。相変わらずブルーカラー的作業着姿が良く似合うジョン・ボン・ジョヴィとアリーのすれ違い。まるでビリーにしていたようにジョン・ボン・ジョヴィのお尻を嗅いじゃうアリーだけれど、前回から引き続く結婚紹介所は彼とエレインを引き合わせるわけで。見事なすれ違いは今後の2人の接近を予感させる演出。一方で「僕ら労働者」と「君たちインテリ」の間にしっかり線を引いた設定は、2人の別れをも予感させる。

 今回のメインストーリィには、感情移入できる人とそうでない人がいるんだろうなぁと思った。大体、空を飛びたいなんてまともじゃない。死ぬかもしれないのに、翼をつけて屋根から飛び降りる人を弁護しようとは普通思わないでしょう。僕だってハーヴェイのように空を飛ぼうとはしないよ。だけどアリーがハーヴェイを理解したように、僕も彼らと同じ立場にいたからその気持ちは良く分かる。ハーヴェイは幼少時代、両親が争う家庭にいたたまれず、自分の部屋にこもって、窓から遠くへ飛び立つことばかり考えて過ごしたという。アリーも言う。私もね、両親が喧嘩を始めると、その声が耳に入らないように音楽を聴いたの。それでも駄目になると、窓際に立って、空想の世界に耽ったの。

 1月2日にも書いたとおり、仲の良い夫婦は何より心を温かくしてくれる。そういう夫婦は、たくさん子供を作って、温かい家庭を無限に拡大再生産してほしいと思う。一方で、心底から愛し合っていない夫婦のもとに生まれることは、何より辛いことだ。彼らの争いを耳にすることは、端的に言うと、子供にとっては地獄そのもの。でも僕らはどの家庭に生まれるかを選ぶことはできない。もしそういう家に生まれてしまったら、できるだけ遠くに逃げ出したいと思う気持ちはごく自然なものだろう。ハーヴェイにとっての翼は、アリーや僕にとっての音楽や空想力だった。だから僕には良く分かる。ハーヴェイが川を越えて飛行し、直後に力尽きたとき、彼の心に悔いはまったくなかったに違いないことが。

 遠く飛び立ってこれだけの距離を置き、ようやく心の安定を得ている僕がここに書けるのは、どうやらこの辺りまでかな。だから僕はきっと仲の良い夫婦やカップルを見て人一倍心温まるのだろうし、アリー・マクビールという女性の生き方に心惹かれるのでしょう。
 …前向きに!

 前向きに!/Bygones!といえばリチャード・フィッシュですが。第5シーズンになって急速に身を固めるモードに突入してるのはやや唐突ですねぇ。これまで敏腕経営者としてケイジ&フィッシュ法律事務所を切り盛りしながら、金に物を言わせてさまざまな女性と遊んできた彼がここへきて、「俺たちもそろそろ潮時だろ」。ここが「上がり」じゃないという感覚。ちょっと考えさせられるものがあります。
 …前向きに!

***

(個人的メモ)
★しばらく前の朝日新聞「ひと」欄(手がけた即席めんが10億食になったスープ職人 山田 正彦さん(55))
「31年の経験から学んだ売れる秘訣は『シンプルな味。そのためには、原料を厳選し、混ぜる種類もできるだけ少なくすること』」


5 Jan 2003
Sunday

 1月3日付け朝刊に掲載された宝島社の一面広告には大笑いしました。曰く、名は体をあらわす。そこで今までの呼び名を変えれば、中身もそれにつられて古い何かが変わりはじめるかもしれないよ、という企画。題して「呼び名を変えれば、日本も変わるかも」。いくつか例を挙げると、

 消費する ⇒ 景気貢献する
 公的資金 ⇒ 失策穴埋め金
 国会議員 ⇒ 国民奉仕員
 国債 ⇒ 前借
 構造改革 ⇒ ミッション・インポッシブル
 官僚 ⇒ 公僕員
 総理大臣 ⇒ 日本株式会社CEO

まだまだあります。

 紅白歌合戦 ⇒ 紅白スター・ウォーズ
 円高 ⇒ いいんだか
 義務教育 ⇒ サバイバル基礎コース
 教師 ⇒ 隊長
 オヤジ ⇒ ベテラン
 バツイチ ⇒ マルイチ
 道路公団 ⇒ 迷路公団
 年金 ⇒ 幻金
 生命保険 ⇒ 死亡保険

さらに。

 不景気 ⇒ 貯蓄期
 公約 ⇒ 虚約
 ひきこもり ⇒ 天才予備軍
 お客様 ⇒ 神様
 外務省 ⇒ 害務省
 代表取締役 ⇒ 代表取り締まられ役
 風俗嬢 ⇒ ビタミンガール
 米国 ⇒ 肉国

そして。

 失業者 ⇒ ワーク・ポテンシャル
 浮浪者 ⇒ 路上哲学者
 給料 ⇒ ギャランティ
 転職 ⇒ 進職
 老人 ⇒ 師匠
 老後 ⇒ 解放期
 グローバル・スタンダード ⇒ ヨクバル・スタンダード
 警察官 ⇒ 正義官
 女子アナ ⇒ TVコンパニオン
 遺憾の意 ⇒ ごめんなさい
 粛々と ⇒ 適当に
 前向きに善処する ⇒ 無視する

 茶化したシャレものが大半ですが、しばらく前に国立国語研究所が外来語の言い換えを提唱してアウトソーシング⇒外部委託、だとか、アナリスト⇒分析家、だとかの一覧表を挙げていたのに比べれば遥かにセンスが良くて気に入りました。そう、国債は前借に他ならないし、生命保険は死亡保険に他ならない。離婚歴だってこれからはまったく普通になっていくのだから、マルイチにしたってちっとも構やしないのです。

 長かった9連休もおしまい、明日からまた1年の仕事が始まります。
 健康でストレスフリーな生活が送れればあとは何も要らない。出世も名誉も使い切れないお金もすべて不要、シンプルで心穏やかな落ち着いた日々が過ごせますように。それだけです。


4 Jan 2003
Saturday

 あんなにたっぷりあった9連休も、あっという間に終盤。いったい何してたんだろ。

 とりあえず読みきった本もあります。幸田 真音「日本国債」。証券会社における国債のトレーダーたちの暗躍と、その裏に蠢くさらに大きな影。600兆円を超える借金を抱える日本、毎年90兆円近い発行(借換債含む)が行われる国債。その膨大な借金を引き受け、市中で消化していること自体がかなり異常な事態であるわけですが、ある日突然入札が不調に終わる未達が発生し、世界経済に大混乱が生じて… という「経済サスペンス」。

 誰がどこでどういう仕掛けを打っているのか、犯人は誰なのかという謎解きもありますが、本格的な推理ファンが読むにはちょっと軽いかもしれません。キャラクターもありがちだし、台詞も歯が浮くようなものが多い。だからこの手の本の役割は金融の仕組みを理解するためのガイドブックということになります。国債の金利が上昇すると価格は下落する。新聞の経済欄で何度も見かけるフレーズですが、なかなか実感が湧きません。だいたい、90兆円近い借金がどういうルートで流れているのか。誰が引き受けて/引き受けさせられているのか。そういうカラクリが登場人物らの言葉によって非常に分かりやすく説明されているので、入門書として最適かと。

 余談ですが、幸田 真音(こうだ まいん)っていう名前はとても気に入っています。ペンネームとのことですが、「まいん」という響きと文字がすごく好き。彼女自身、外資系銀行や証券会社で債権ディーラーなどを経験し、40代になってから作家に転進したとのこと。色白の綺麗な女性で、この他にもたくさん著作がありますが、ものによってはレビューでかなり叩かれているものもあります。

 映画はあまり見られなかったかも… とりあえず見始めたキャメロン・クロウ監督の "SINGLES" は、長髪グランジ風のマット・ディロンに爆笑しつつ、ライヴ演奏しているバンドがアリス・イン・チェインズだったりして、猛烈に感涙を誘いました。"Would?" のフレーズじゃんこれ!みたいな。もうこうやってマイクを掴むレイン・ステイリーの姿を見ることはできないのです。

***

(個人的メモ)
しばらく前の朝日新聞より
★マガジン ウォッチ(亀和田 武)「無駄な遊びこそ面白い」
「ワクワクする新雑誌が読みたい。そんな雑誌が次々に現れないと、書店の雑誌コーナーから活気が失せてしまう」
「マーケティングと合理主義が排除したもの。それは無駄だ。『無駄がなくなってしまった。人間くさい無駄な遊びのページこそが雑誌を面白くするのだ』」
「印象に残ったのは村上春樹の『ド派手な魚のアロハシャツ』とローリングストーンズの前座がプリテンダーズだという記述だ。前座が『終わった時点で【もうこれで帰ってもいいや】と思ったくらい』。どうってことない1行が、私の妄想をぐいぐい刺激する。これだよ、これ。」


3 Jan 2003
Friday

 僕の住む街にも雪が降りました。元旦にも少しちらついたようだけれど、今日は車の上などにちょっと積もっている。寒いお正月を過ごしています。

***

 そういえば10月〜11月に欧州出張したときのこと。ベルリンへの移動のため、ロンドンのヒースロー空港内で時間つぶしの買い物をしていたところ、突然非常ベルが鳴り始めました。「ん?」と一瞬気にはなったものの、まあよくあるイタズラか何かだろうと思って買い物を続けていると、店員が駆け寄ってきて「店の外へ出ろ」と言うのです。マジすか、と思いながら出てみると、どの免税店もお客さんを追い出して、一斉にシャッターを下ろし始める。手際のいいもので、ものの5分もしないうちに全ての店がシャッターを下ろして閉店してしまいました。空港内には非常アナウンスが鳴り響きます。「空港内で非常ベルが作動しました。非常ベルが作動しました。全ての乗客の皆さんは、指示に従って今すぐここから避難してください」。

 ちょっとやり過ぎなんじゃないのと思いたくなるくらいでしたが、驚いたことに空港内にいた膨大な旅行者たちは、荷物を持って出口に向かって列を作り始めます。特に不平は聞かれません。北アイルランド過激派の爆弾テロがしばしば発生した歴史があるだけに、皆ごく自然に一連の動作が流れていきます。イタズラや誤作動である可能性も十分あり、飛行機の出発も遅延してしまうだろうというのに、素直に指示に従って避難する人々。ある意味精神的な忍耐力を試される場面です。僕はたまたまファースト+ビジネスクラスの出張者に混ぜてもらってJALのラウンジに退避してこの様子を見ていたのですが、実に英国らしい光景だと思いました。こういう事態にあたふたしたり、係員にぐだぐだ文句を言うのは非常に美しくない。ブリティッシュネスの美学を感じる瞬間。

 結局ベルは誤作動だったようで、飛行機もあまり遅れず飛び立ったのでした。

***

(個人的メモ)
2002年12月31日朝日新聞より
★西友が元日からお出迎え係導入
「西友は新年元日から店頭で来店客を向かえたり、お年寄りの買い物を手助けしたりするグリーター(お出迎え係)制度を導入する。今月末に同社の筆頭株主になったウォルマート・ストアーズが米国や英国で実施している顧客サービスのノウハウを活用。安さだけではないウォルマート流の営業改革の一環だ。(中略) 『友達の家に来ているように感じてもらいたい』(同社CS推進室)」
★天声人語
「『純粋』に逃避するんじゃない」(F.フェリーニ監督映画より)
「PUREであることは何と容易であることか」(飯田善国)
「『ぼくらの悲惨と うまくつりあう/よろこびは どこにあるだろう?』(三木卓)。常につりあわないのが現実だ。しかし、そこから逃げられない」

2003年1月1日朝日新聞より
★中村 元さん(水族館アドバイザー)
「アシカの場合、平和な海岸で一夫多妻のハーレムの主になれるのは強いオスだけです。ところが、サメの出る海岸では大胆なやつから襲われ、臆病な固体だけが子孫を残せる。この多様さが種を存続させてきました。企業にも様々な能力や性格の社員がいるのに、帳尻合わせのリストラで大器晩成型の人間が犠牲になっています。だいたい、すでにサメに半分食われたことを自覚していない経営者が多すぎます」「日本では百点満点以上は評価されないでしょ。頭脳は流出したんじゃない、追い出されたのです。それを止めるには、業績に正当に報いる仕組みは当然として、突出した力や異能を認め合う社会が必要です」


2 Jan 2003
Thursday

 仲の良い夫婦を見るのは何より心温まることです。昨日は Dinosaur Sr. くんのうちにお正月の挨拶に顔を出してきました。天文と美術。夫婦の向かっている方向はバラバラなようで、絶妙に調和している。2人の絆が固いからこそもたらされる静かで落ち着いた空間。僕はお2人の専門の領域は全然分からないのだけれど、2人が仲良しで素敵な家庭を築いていることはよーく分かる。あんまり邪魔になると悪いので、持参したワインが空いたあたりで早々に退散してきました。いいなあ。あんな家庭作れたらいいよねえ。

 何だか心温かい新年のスタートを切れたみたい。
 どうもありがとう。


1 Jan 2003
Wednesday

 元旦の日記と言えば、新年の抱負とかさ、今年の目標とかさ、何か堅いこと書かなきゃいけないっぽい雰囲気で。どうも型にはまってるようでイヤなのです。そんなこと心の中でじっと暖めて、あとは実行すりゃいいんであって、何もこんなところでくどくど述べるようなことじゃない。だからこの日記は、そういうこととはまるで無縁の題材で新年をスタートしてみたいと思います。

 ええと。
 冬といえば女の子はみんなブーツなど履いてますね。いやそれだけなら別に例年と何にも変わらないわけですが。今年のトレンドはどうやらジーンズなどパンツの裾をブーツに入れるスタイルらしく。つまりキーワードは「パンツをブーツにイン」。脚に自信のある女の子たちは皆「パンツをブーツにイン」して街を闊歩してるわけです。ちょっとウェスタンぽいブーツだとなおハマる。ターコイズや革アクセなどもポイントになりますね。「パンツをブーツにイン」していれば。

 しかしこの多さはいったい何なんだ。あっちにもこっちにも「パンツをブーツにイン」子が溢れてる。いや、トラッドだとか定番のスタイルだというのなら分かります。だけどトレンドのファッションってそうじゃないでしょ? 言わば定番からちょっと外れたところが新鮮なわけで。なのに、これだけ多くの女の子たちが「パンツをブーツにイン」しちゃったら、それはもはや新鮮でも何でもない。ただの右へならえです。ブーツだけじゃなくて、トップスのレイヤードやチェックのミニスカートなど、個性を放棄したような同類ファッションが街に溢れている。みんなが着てるから。みんなと同じでなくちゃ不安。もし少しでもそう思っているのなら。

***

 なーんてことを、いつも同じような服ばかり着てる自分が言ってみても全然説得力ないっすね、ハイ。皆さん安心してじゃんじゃん「パンツをブーツにイン」しちゃってください。要するに僕は、街を彩る女の子たちのファッションや生き方などを眺めながらいろいろ考えてしまうタイプらしい。こういう何の役にも立ちやしない無駄な独り言を少しでも減らすこと、それが僕の新年の抱負、今年の目標ということで。


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