Diary -September & October 2002-


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26 Oct 2002
Saturday

 掲示板に「1,800円あったら少し足してCDを買ってしまうので、なかなか映画に行けません」という書き込みをいただきました。映画は割と好きな方だけど、自分も映画館に足を運ぶことは滅多にありません。ただ、理由はどうやら同じではないみたい。何故なら自分は (1) 1,800円あったら中古で2枚くらいCDを拾ってさらに少しお釣りを残し、かつ (2) 1,800円あっても映画がそれに見合う娯楽かどうか大いに疑わしいと考える種類の人間であるようだから。

 映画館で見る映画の魅力を否定するつもりは全くありません。むしろかなり好きなのです。大スクリーンと、しっかり調整された音響設備で堪能することで何倍も楽しめる映画があることも承知しているつもり。それでもやはり、1,800円という料金設定は高すぎる。相対的にではなくて、絶対的に高すぎるのです。遠回しに言うと、自分の生活水準に関わらず、僕は映画館で見る映画に1,800円を支払う気がしない。もっと遠回しに言うと、たとえ年収1億円であっても、映画館に熱心に足を運ぶことはないだろうと思う。

 ひとつには、ハズす可能性が十分にあるということ。これはかなりギャンブルに近い。どれほど友人が「オススメ!」と言ってくれた映画でも、自分にとってはまったく駄目ということが十分にあり得ます。その場合、料金はたいしたことないとしても、投じた時間を取り戻すことができません。実はこっちの方が深刻な問題。映画は猛烈に時間を拘束するエンターテインメントで、90分から120分程度、否応なしに席に固定される。その結果どうしようもない映画だったときの後味の悪さは、多くの方が一度は経験されているのではないかと。(もっともそのどうしようもなさをネタに日記を書くという利用方法はありますけど)

 一方で、あとでテレビやビデオで見て「これなら映画館で見たかった!」と思う映画もあるわけです。要するに、最近はCDはたいてい試聴可能なのに対して、映画はそういうわけにいかないという点に問題があるような。だから映画館に通いまくっているというお方はきっと、お金に余裕があるないの問題ではなくて、時間感覚、もっというと時間に関するコスト感覚が僕とは違うということなのでしょう。自分なんて映画は好きだけど、できればヒット曲を聴くのと同じように、1本の映画を4分くらいで楽しめたらいいのになー、などと無理な空想をしてみたりする。自分で見に行くことには多少の躊躇がありますが、お誘いを受けたりすると割とホイホイ行っちゃったりするので、お気軽に声をかけていただきたく。

 今書きながらふと気づいたんですけど、映画館で見る映画のもうひとつの役割は、友人ないしカップルが同じ時間と同じ空間と同じ擬似人生体験(=映画のストーリィ)を共有するためにあるのかも。とすれば、暗所に2時間近く固定されること自体が重要なのであって、むしろ1,800円なんて安すぎる、2時間なんて短すぎるのかもしれません。映画自体がハズしていようといまいとかなりどうでもよろしい。隣の席で同じ映画を見て、映画終了後の数時間を一緒に過ごすこと自体が目的である場合には。自分がそういう映画館の使い方をしないものだから、ちょっと気がつかなかった。

 …だからといってその映画が「グレムリン2」だったりしたらどうなのよ(ボソッ)


19 Oct 2002
Saturday

 怪しいとてもキュートな運び屋さんからイカしたブツを入手した。
 大英帝国に産するそのブツを日本で見かけることは滅多にない。日本では王室御用達っぽい高級ブランドが幅を利かせているようだが、庶民が利用するのはもっと別のもの。そしていつだって、普通の人々が利用するものこそ素晴らしい/美味しい。そんなわけで入手されたのは右の紅茶 TYPHOO。フォートナム&メイソンなんて目じゃないっす。スーパーで大量に売っている激安ブランドのひとつですが、これぞ庶民のティー。自分なんか英国じゃ水道水を沸かして紅茶をいれ、濃い牛乳を注ぐだけで幸せなミルクティの出来上がりでしたよ。懐かしさに包まれて、運び屋さんに厚く感謝。

***

 先日の朝日新聞のコラムに載っていた言葉ですけれど。シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」で、シーザーを暗殺して逆に敗勢になったブルータスが語る言葉ってのが、
 「およそ人の世には汐時がある」
 (There is a tide in the affairs of men.)
なのだそうです。さらにブルータスは言い継ぎます。「汐に乗れば幸運がもたらされ、汐に乗り損なえば座礁もする」。

 これは多くの人が感覚的には理解していることだと思われます。つまり、運勢には波があって、ツキ始めるとどんどんいい方向に回り始めたり、逆にある時点から急速にツキが落ちたりする。別にパチンコや競馬のようなミクロのレベルでなくても、人生全般において同様の波/汐をある程度感じながら日々を過ごしている人が多いのではないかと。

 ところがよく考えてみるとこれには全く根拠がない。悪いことが続いた後に良いことが起こる保障などないし、逆に良いこと続きで一生を乗り切ってしまうラッキーな人もいる。悲惨な運命をたどった挙句、結局非業の死を遂げる人だっているわけです。とするとブルータスの汐時説も、したり顔で語る割には根拠に乏しい勝手な思い込みだといえなくもない。つまり、人は悪いことが続く時には「次にいいことが起こらないとやってらんないよ」と考えるわけですが、その期待から身勝手に構築された似非論理だといえなくもないわけです。つまり、人生は最後にはどこかで帳尻が会うようにできていると。だからツキまくっているときは落とし穴があることに注意すべきだし、落ち込んでいるときだって次の角を曲がるときっとツキが待っているよと。

 自分はどうかといえば、やっぱりどこかで帳尻が合ってほしいと思うタイプかなあ。だから、ってこともないかもしれないけれど、大きな幸福とか莫大なお金とかは望みません。そんなものを手に入れてしまったら、それに見合った猛烈に悲惨な不幸を背負い込んでしまいそうな気がしてならないから。まさに根拠なしの漠然とした不安ですけどしょうがない。それくらいなら、毎日自分をプチ不幸?な状態に置くようにして、来るべきほんのりした幸せに備えておきたいってなもんです。なるほどこれが「不幸になりたがる人々」の正体だったのか。

***

 そんなわけで、毎日見つかる小さな幸せを大切にしていきたい。いきましょうじゃありませんか。いきまっしょい。いくぞオラ!

 イマイチ締まりませんが、運び屋さんのブツの中で一番嬉しかったのは、僕が毎日のように利用していた大好きなスーパー、TESCO のレジ袋でした。トリコロールのシンプルなデザイン。燃えるゴミを入れて来週の収集日に出すなんてことは、到底できそうにないや。どうもありがとう。


13 Oct 2002
Sunday

 読書の秋に続いて、「映像芸術の秋」。

「酔っ払った馬の時間」(ハフマン・ゴバディ監督、2000年イラン)
 例によって、近年僕が熱心に観ているイラン映画のひとつです。朝日新聞に載っていた招待券プレゼントに応募したら当たったので、早速行ってきました(渋谷、ユーロスペース)。場面はイラン・イラク国境の山岳地帯。主人公は両親を亡くしたクルド人の子供たち。イランの映画には必ずといっていいほど、子供たちが出てきます。多くは貧しい境遇にありますが、めげずに家族で力を合わせて精一杯生きていく。その素晴らしい表情と、自然な演技ぶりにはいつも胸が熱くなりますが、この映画も例外ではありません。
 5人姉弟の一人、マディは不治の病に冒されて重い障害を負っています。彼を思いやり、支えようと一生懸命の姉弟たち。彼の手術代を捻出するため、姉は嫁入りし(しかし結局マディの手術代は得られない)、長男のアヨブは過酷な肉体労働に加えて、イラクで騾馬を売ってお金にしようと、国境越えの密輸キャラバンに加わります。仮に手術が成功しても短い命だと分かっていながらも、必死になって家族の一員を思いやる彼ら。クルド人の村を取り巻くのは激しく雪が降る過酷な自然。それをカメラはただ淡々と捉えていきます。
 「酔っ払った馬」とは、厳冬の山越えに際して騾馬に酒を飲ませることを指していますが、国境の警備隊に見つかり、あわてて逃げるアヨブの騾馬が転倒し、荷物に押しつぶされて動けなくなってしまうシーンの緊迫感といったら。マディの手術のためなんだ、お願いだから立ち上がってくれ!というアヨブの悲痛な叫び。この後訪れる短くも奇跡的なラストシーンは、心に深い余韻を残してくれます。「運動靴と赤い金魚」「太陽は、ぼくの瞳」もそうでしたが、すべてを説明し尽くさず、この後の展開は君自身の心の中にある、と言わんばかりの切り方は、ひょっとするとイラン映画にある程度共通した美学なのかもしれない。必ず何らかの「オチ」を求めてしまうハリウッド映画に毒された自分には、それも極めて新鮮な感覚なのです。
 果たして僕は「家族」に対してこれほど深い愛情を持って接してきただろうか。そしてこれからそうした「家族」を増やしていくことを引き受けるだけの覚悟があるだろうか。限りなく否定形に近い2つの答えを胸に抱きながら、映画館をあとにしました。秋の夜風はちょっとだけ冷たかった。

「マトリックス」(キアヌ・リーヴスとか)
 そこへいくと、先週TV放映されてようやく見ることができたこの映画から得られたものは、正直言うと少なかったです。でもそれは当然のことで、別に製作者たちも何か真剣なメッセージがあって作っているわけじゃないのでしょうから、この手の映画は「うひょー、キアヌ・リーヴスのカンフー演技カコイイ!」とか言って楽しいひと時が過ごせれば良いんだろうなと思います。そしてエンタテインメントとしては極上の部類に入るのも間違いない。
 コンピュータの世界の中に「没入」して、中で壮絶な戦いを繰り広げるという在り様そのものは、80年代にウィリアム・ギブソンが "Neuromancer" というSFで提示してみせたスタイルからほとんど進歩していないように思いますが、当時何回読んでもイメージをつかみにくかった「サイバーパンク」(←死語)的な世界に、極めて分かりやすい挿絵(というか挿動画)をつけてくれた、と思えば見た価値は十分にありました。来年あたり、マトリックス2が公開されるようですが、これはこれでかなり楽しみではあります。
 個人的には、TV放映でのキアヌの吹き替えがダーマ&グレッグのグレッグ役だったので、グレッグにしか見えてませんでした(笑)。最近このパターン多すぎ〜。

「ザ・ホワイトハウス」(NHK海外ドラマ、毎週金曜夜11:00〜)
 いよいよ始まりました "The West Wing"。邦題のダサさは勘弁してあげるとして、第1回を見た限りなかなか面白そうです。何といっても広報部次長役でロブ・ロウ!!! ブラットパック(←死語)陣の中で一際情けなさ度の高い彼が、ここへ来て大きな役をもらったと思いきや、相変わらずちょっと情けない感じで最高です! そしてまたブラットパックから巣立ったエミリオ・エステベスの父ことマーティン・シーンが大統領役を張っているのもなかなかよろしい。やはりこれくらい大物を持ってこないと締まらない感じではあります。大統領の声優が小林薫なのは良いとして、ロブ・ロウの声をあてているのが吉田栄作ってのはどうなのよ。ますます情けなさ度UP!で、個人的には本作のキャスティング、まずは高めの評価を与えることになりました。

 そういえばマーティン・シーン、エミリオ・エステベス、チャーリー・シーンの親子3人が揃い踏みした映画ってあるんでしょうか。さすがにない?


12 Oct 2002
Saturday

 すっかり秋です。
 恋愛に適した季節だとする説はあまり聞きませんが、それ以外ならたいてい何をするにもよい季節です。例えばスポーツの秋、食欲の秋、読書の秋… 
 そこで今日は読書編。

「底抜け超大作」(洋泉社)
 これは、大予算と豪華俳優陣を取り揃えて話題十分だったにもかかわらず、大失敗してしまった映画を集めて研究するサブカルチャー本でした。みうらじゅんが絡んでいることや、大槻ケンヂがお気に入りに挙げていることなどから想像されるとおりの爆笑本。僕自身はこういう Big Budget で Bad Taste なトホホ系ムーヴィーが大好きなのだけれど、世の中には同じようなセンスを持った人がいるものだなあと、ちょっと不思議な気分になります。もっとも、この手のクダラナイ映画は一度見る分には笑いのネタにもなりますが、何度も見るのは本当に人生の無駄なので、どこでこの趣味に線を引くかには十分慎重になるべきだと思われ。

「不幸になりたがる人たち」(春日 武彦、文春新書)
 「自虐指向と破滅願望」という副題がすべてを物語るわけですが、要するに人間というのはちょっとアブナイ生き物だということです。幸福になるチャンスを敢えて捨て、なぜか不幸な状況に身を置こうとする人が少なからずいる。もちろん幸福/不幸なんてのは非常に主観的な概念ではありますが、それでもどこかで一線を踏み越えてしまっている人が存在します。それを本書では「人間は、プレーンな状態のまま放置されると、勝手に不幸を指向して自己破壊に陥ってしまいかねない、まことに奇妙で厄介な存在」であると表現し、そこに誰もが持っている心の脆さや弱さを見出します。「我々はたとえ健やかな人生を送っているように見えても、生を営んでいる以上は、内部に予測もつかないグロテスクなものを伏在させている」と喝破する筆者には一理ありますが、この種の精神的な問題を追究していくと、どこまでが正常でどこからが異常なのか、そもそも正常とか異常とは何かといった次元に踏み込んでしまい、往々にして結論が出なくなってしまいますね。

「匂いのエロティシズム」(鈴木 隆、集英社新書)
 この筆者は高校生のときに友人宅で誤って姉の部屋に足を踏み入れてしまい、ベッドの上に乱雑に脱ぎ捨てられたパジャマを視界に入れつつ吸い込んだ、何ともいえない思春期の女の子の甘ったるい体臭その他がごちゃ混ぜになった匂いに取り付かれたわけです。めぐりめぐって結局香料会社に勤務し、こんな本を書くことになるくらいに、「匂い」というものに惹きつけられたということなのでしょう。
 ロジックは割とシンプルで、要するに人間も動物であること、生殖本能をかき立てる上で「匂い」(体臭)が果たしてきた役割、特に性器から腋の下へのアポクリン腺の移動、ワキガの持つ性的な意味合いなどについて、さも科学的に分析したぽく書かれています。が、正直言ってさまざまな仮説を仮説のまま提示したにすぎないものばかり。ストンと落ちる感覚はあまり得られず、まあそういうこともあるのかもねえ、くらいのつもりで軽く読むのが良さそう。フェロモン=エロモン仮説に至っては、やや寒いものすら感じます。その意味ではタイトルどおり、匂いとエロスが混沌として分かちがたいものである、という以上のことは言っていないし、それに尽きる本だともいえます。
 ブルセラショップが一時期流行ったように、女子高生の使用済みパンティやルーズソックスの匂いを嗅ぐことで興奮するというフェティシズムがあります。しかし一般的に、人はさまざまな匂いへのフェティシズムを知らず知らずの間に持っているものです。通常は決して好ましいと思われていないある種の匂いに、敏感に反応して密かに好んでいる人は少なくありません。たとえばストーブの灯油の匂いだとか、タクシーのバックシートの匂い、ラバーの匂いなど。また、夫婦や恋人の間でも、体臭というほどではないにしろ、首筋の匂いだとか腋、髪の匂いなど、特定の部位の匂いが密かに気に入っているという人は少なくないのかもしれません。

「アメリ」(忘れた)
 ぼんやりしてるうちに映画を見逃したので、原作でも読もうと思ったら、体よく作られたノベライゼーションだった。しかもそのことに気づいたのは読み終わってからで、素朴で可愛い挿絵もフランスぽくっていいなと思っていたら、これは日本版で加わった日本人イラストレーターのものだった。そんなわけでちょっとブルーになったのではありますが、ストーリィ自体は嫌いじゃないです。むしろこういう寓話があちこちに転がっている人生こそが望ましい。冒頭に出てきたフレーズのような気がしますが、人生なんて思っているよりずっとシンプルで、楽しいもの。それを複雑で面倒くさいものにしてしまってるのは、たいてい自分自身なんでしょうねー。

***

 心地よい読書疲れの身体を、食欲の秋モードに切り替えて。今夜は秋刀魚を焼いて食べました。具沢山のお味噌汁はマイタケやニンジンやキャベツやワカメなどを軽く煮込んで。旬の秋刀魚ほど安くて美味しいお魚を、僕はひょっとすると知らないかもしれない。明日もどうか良い1日になりますように。


6 Oct 2002
Sunday

 昨日は愛用の革靴のソールを修理に街に出た。
 本来、靴はしっかり手入れをしていれば長く履けるもの。消耗品であるソールだけを修理しつつ、何年も大事に履くのは欧米では普通のこと。自分のものはヒールとつま先が磨り減ってきたので、部分的な補修が必要だった。修理店に預けると、1時間くらいかかりますよ、と言われる。週末の新宿で1時間をつぶすのには何の苦労もない。先に約4,000円を支払ってぶらりと歩くことにする。

 ぶらりと、と言いつつ、実はちゃんと用事を用意している。新宿区立の図書館から借りていたCDを返却して、新しいものを借りる予定。普段は職場の近くの角筈図書館に行くのだけれど、今日は東口に出てきてしまったことだし、御苑の先の四谷図書館まで散歩がてら行ってみよう。20分くらいかかるけど、歩くこと自体は一向に苦にならない。むしろウォーキングは20分くらい継続してはじめて有酸素運動になるくらいのもので、街を眺めながらどんどん歩く。

 丸井や伊勢丹のあたりまではめちゃくちゃに混雑している週末の新宿だが、あるところから急激に人が少なくなる。新宿御苑の近くまで来ると、通りの方を歩いている人はほとんどいない。もちろん御苑自体は相変わらずカップルや親子連れで賑わっていて、僕は半年くらい前にここでTWO DOGSというお酒を飲んだのを思い出した。これは、レモンで造ったビールみたいなもので、他の材料を一切使っていないんだよと教えてくれた人のこともついでに思い出した。元気にしてるかな。あの日はちょっと寒かった。

 途中で餃子の王将が出現する。というより、実は寄り道コースとして織り込み済み。中途半端な時間なので、餃子二人前のみオーダー。ファストフードの如くさっくりといただく。いつ食べてもジューシーで美味しい。数年前まで、もう少し先にベーグル&ベーグルというお店があった。もっちりした食感がたまらないベーグルのお店だったが、立地がまずかったためいつ立ち寄ってもガラガラ。個人的にはそこがさらにポイント高かったのだけれど、結局この街からは撤退してしまったみたい。ニューヨークのようにあちこちで普通にベーグルが食べられるようになるといいな。

 東口から徒歩20分、いや寄り道したから40分くらいか。結構いい運動になる。ようやく新宿区立四谷図書館に到着。エレベータを上ろうとしたその瞬間、目に入る立て看板。「本日、四谷図書館は休館日です」という罠。

***

 さて靴は新品同様のソールになって帰ってきたし、さらに寄り道した東急ハンズではビタCシャワーの交換カートリッジ2本、浴槽用脱塩素剤、BRITAの浄水器と、水道まわりを(ほぼ)衝動買い。世田谷区の水道のヤバさは何度か書いてきたように思いますが、こうまでしないと使えない水に水道料金を払ってるかと思うとイライラ。結局角筈図書館に行って借りてきたCDの中では、期待していた Jerry Cantrell の新作が今ひとつピンとこなくて、むしろ数合わせのつもりだった平井堅「THE CHANGING SAME」があまりにも素晴らしくてビクーリ。この声まじいいっす。そして Lenny Kravitz の "LENNY" はやはりどうでもよろしかった。


5 Oct 2002
Saturday

 今週は散々だったなあ。
 まずもって、試験の出来が決して芳しくなかった(ような気がする)上に、月曜日はいきなりタクシー帰りの残業。火曜日はちょっとした式典があってお手伝いをしていたのだけれど、台風の雨で滑りやすくなっていた建物の床の大理石部分で大スリップ。肩など強打して数日経っても痛いっす。雨に弱いその靴は速攻ゴミ箱行きの刑に処しました。しかし、そもそも無駄に大理石なんぞが使われてるバブリーな構造自体が許しがたい。仕事じゃ凡ミスで課長に怒鳴られるし…

 その課長(50代女性)にガンが見つかりました。
 今や珍しくもなんともない病気だし、おそらく自分も死ぬとすればガンか心臓病か脳溢血の類だろうとは思います。とはいえ、いつも元気で大騒ぎ、夜明けまで飲みまくっていた課長も、今度ばかりは多少こたえたらしい。普段とは違う神妙な雰囲気もあります。部の仕事のピークが過ぎる11月半ばくらいまでは手術はお預けらしいですが、やはり健康が第一だなー、と身近なところで感じました。妙に健康ジャンキーになる必要もないけれど、できる範囲で身体を大切にする方が良いね。

 今週末は久しぶりにゆっくりお休みできそうです。注文していたCDラックも到着したので、これから組み立てて、CDの整理整頓などしようかな。部屋の真ん前に植えてあるキンモクセイの花が満開になってきて、素晴らしく心地よい秋の空気が流れ込んできます。今夜はゆっくりワインでも飲もうっと。


30 Sep 2002
Monday

 1ヶ月ほど更新をお休みしていました。ひとまず大きな用事が終わりました。10月29日から11月8日まではロンドン⇒ベルリンにやや長めの出張が入っており、これから各種準備でまた忙しくなる予定ですが、週末を中心にぼちぼち書いていこうと思います。

 ここんとこ、朝型に生活をシフトしていました。早起きは苦じゃないのです。朝起きて、顔を洗って、まず近所をちょっとお散歩します。この1ヶ月でずいぶん季節が変わりました。ちょっと世間から離れている間に、西武と巨人が優勝し、ビールは「秋味」が店頭に並ぶくらいに変わりました。全米チャートで大変動が起きたことも風の噂に聞きました。

 ええと。そんなわけで、体内時計が完全に朝型になってしまった自分は、今朝も目覚ましがなる前に勝手に5時半に起きちゃいました。この日記も6時過ぎ段階で書いております。涼しくて、爽やかな朝の空気は、何にも代え難い。1日のうちでこの時間にしか手に入れることができないからこそ、そう思えるのでしょう。本当は1日中朝でもいいくらい、大好きな時間帯です。1日中朝は無理か。

 他のコンテンツも少しずつ更新を開始します。どうぞよろしくお願いします。


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