Diary -Mar (1) 2002-


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15 Mar 2002
Friday

 ところで発泡酒業界の最大の懸案事項は、シェア争いでもなくビイル並み増税でもない。イチバンの懸案は、間違いなくネーミングネタの枯渇

 スーパーホップス。ブロイ。淡麗<生>。
 この頃はまだ平和でしたね。

 各社次第に趣向を凝らし始めます。
 マグナムドライ。冷製辛口。北海道生絞り。

 季節限定品もリリースされ、ただでさえ少ないネタが一気に消費されます。
 キリン常夏<生>。冬道楽。白麒麟 冬限定マイルド<生>。
 サッポロひきたて焙煎<生>。サントリー味わい秋生。

 こうなるともはやトレンドは<生>一色。
 本生。極生<生>。乾杯生。初生。

 やっぱりみんな「生」が大好きなのだ。
 そこで、次なる大ヒット発泡酒のネーミングを考えてみよう。

***

 ………「ナマアシ」 しか思い浮かばないって、一体どういうことよ?
 ていうかそんな発泡酒はやだ。

***

 金曜日のお楽しみ、アリー my ラブ4を観る。

 ジャクソン・デューパーは曲折を経てリン・ウーとよりを戻し、アリーとラリー・ポールは次第にぎくしゃくし始める。今週はジョン・ケージがバリー・ホワイト(のスピリット)を取り戻すところが主なテーマだったみたいだけれど、僕の目につくのは相変わらず瑣末なところばかり。例えばSEX嫌いのネルがハマリまくっているネット恋愛。例えばジャクソンに惚れたリンの目に映る、スローモーションのジャクソンと早送りのリチャード・フィッシュ。リチャードのエンジ色系のシャツ/タイのグラデーション。

 ドラマ中の裁判で争われていたクローン人間の是非については、ちょっと考えさせられました。結婚して間もなく交通事故で奥さんを亡くした男性が、妻との間に子供が欲しいと思う。もちろん卵子も受精卵も残しておらず、亡き妻の髪の毛等のDNAを複製して子供を作りたい、という事例。荒唐無稽、と切り捨てるわけにはいかないところまで技術は来ています。自分の場合だと、例えばネコなどペットを飼いたいなーという思いがあるわけですが、自分より先に死ぬであろうことが辛くてブレーキになっている。確かにネコは数年で死にますが、そのDNAからクローンネコを作れば再び 「続き」 として飼うことができるかもしれない。しかし本当にそんなことで良いのか? 考えれば考えるほど、違和感だけが増幅してしまうのです。



14 Mar 2002
Thursday

 一昨日の「定番」と「寄り道」論の具体例を挙げると、僕はビイルや発泡酒を好むので、当然の如く定番と呼べる好きな銘柄ができてきます。ビイルの場合は「ヱビスビール」や「スーパードライ」や「ギネス」だし、発泡酒の場合は「生搾り」や「本生」や「冬麒麟」です。

 これらお酒の効用の最たるものは、少し飲んでいい気分になるところにあります。だから一定のアルコールが含有されていさえすれば、味そのものは比較的どうでもよろしい。少なくとも自分はその程度のいい加減なビイル飲みです。

 ではあるけれど、やっぱり新しい製品が発売されると、つい試してみたくなるもの。そこで早速、サントリー 「マグナムドライ爽快仕込」、キリン 「極生」 などを試してみました。どれもそれなりに美味しくて。「極生」 の缶デザインはキリンらしからぬメタリック+ブルーの無機質なもの。喉ごしも何やらドライで薄い感じ。「爽快仕込」 もちょっとピンとこないかな。マグナムドライ系はそろそろ卒業みたいです。結局自分は定番に戻りそうな気配ですが、量販店なら1本100円ちょいで楽しめる発泡酒の銘柄遊び。これからも新製品が出るたびに、ちょっとだけ寄り道してみようっと。

 図書館から借りてきた小曽根 真のベストアルバムも、指先のタッチが一層輝いて聴こえます。ジャズほどほろ酔い気分にぴったりな音楽を、僕は今のところ知りません。


 …知らなかったのですが、今夜試してみたらなんと80年代洋楽でもイケました。
 たとえば、カッティング・クルーの "(I Just) Died In Your Arms"(「愛に抱かれた夜」)など。クスクス笑い禁止です。このヴォーカル、やっぱりいい声してるよね〜。



13 Mar 2002
Wednesday

 仕事を早めに切り上げて、有楽町に急ぎます。メアリー・J・ブライジ@国際フォーラム。

 最近音楽テキストが驚異的な大スランプに陥っていて、先日この会場で観たクリストファー・クロス&エア・サプライのレビュウもまとまってません。いかんいかん。昨日のメアリーについて言えば、先に発売されていたライヴ盤 "THE TOUR" の雰囲気に、新作 "NO MORE DRAMA" の楽曲を付加したような構成で大いに楽しめました。

 メアリー・Jって、僕の意見によると決して美声じゃないし、美人というわけでもない。ダンスがうまいわけでもないし、歌だって平気で上ずったりフラットしたりする人です。だから彼女の人気を支えてきたのは入念なマーケティングであって、ヒップホップ・ソウルの女王というレッテルとか、複雑な男性遍歴と受けた心の傷、そしてそこから力強く立ち上がるメアリー、といったパブリックイメージは何よりも重要だったと思うのです。

 ところで今回のテーマは "NO MORE DRAMA" ツアー。もう恋愛ドラマは懲り懲り、淡々と生きたいわという過去への決別宣言なのですけれど、彼女からドラマティックなプロフィールを取り去ったらどうなるのかなー、なんて思ったりして。基本的にどの曲を歌っても同じメアリー節になってしまう歌手だけに、きっとこれからもあれこれ話題/ドラマを提供してくれることでしょう。

 なんだかんだ言っても、70分なり80分なりのコンサートの間中、ステージ狭しと歩き回り、身をよじりながら全力でガナリ続ける喉のタフさには恐れ入ります。広いアメリカにはメアリーより上手い歌手はいくらでもいることでしょう。でも僕らの世代にとってはアレサもチャカもいなかった。いやいるけれど、リアルタイムで全盛期じゃなかった。だからメアリー・J・ブライジを2002年現在、生で観ることには大きな意味があるのです。

 "Real Love" "You Remind Me" のような初期のヒットは前半にまとめてDJミックステープの如くメドレー形式で聴かせ、中盤に大バラッド大会。後半にはシングル "No More Drama" の劇的な再現で魅せました。アンコールの "Family Affair" でのビデオどおりの振り付けもご愛嬌で、苦手だったこの曲もちょっぴり好きになりました。

 しかし、仕事帰りのライヴはちょっと疲れるねー。
 帰宅して朝まで爆睡、朝になって日記を書く生活はちょっと変えなきゃ、と思いました。



12 Mar 2002
Tuesday

 昨日書いたローファーに限らず、僕は本当に気に入ったものはとことん使う傾向があるようです。壊れたり切らしたりしたら、迷わず同じものをまた買ってくるのです。

 例えばシェーバーならジレットのマッハシンスリーだし、スニーカーならコンバースのオールスターだし、Tシャツならヘインズの青ラベル3パックです。ヘインズについてはコットン100%赤ラベルの粗い肌触りも捨て難いのだけれど、首周りのヘタりがやや早いので、ポリエステル混紡の青ラベル。他にもシャンプー&コンディショナーはモッズヘアだし、化粧水&乳液&コットンは無印良品(敏感肌用)だし、食器用洗剤は除菌もできるジョイです。この辺はよほどのことがない限り、ほぼ迷うことなく次回も同じものを購入する。いわば 「定番」 です。

 もちろんこれらの定番に辿り着くまでには、様々な試行錯誤がありました。その過程自体も面白かったし、いったん定番ができた後でも、ごく稀には浮気して他のものに手を出してみます。結果として、やはり自分には定番が合っている、と再認識することもあれば、これもなかなかいいんじゃない、と新しい発見をすることもある。

 いずれにせよ、ヒトは人生を重ねるうちに、次第にそのヒトだけの定番と呼べるものができてくるものです。文房具然り、身に着けるもの然り、好きな音楽然り、日用品然り。いろいろなものを試してみた上で、次第に集まってきた 「定番」 の数々が、僕の僕らしさを、貴方の貴方らしさを形作っていく。それをヒトは、「個性」 と呼ぶ。お気に入りの 「定番」 の品々に囲まれて、他の誰でもない自分らしく生きる日々ほど、僕を充実した気持ちにさせてくれるものはないのです。



11 Mar 2002
Monday

 お気に入りのローファーを、買い替えました。

 リーガル・コーポレーションが製作して別ブランドで販売しているもので、決して高価な靴ではありません。ただ作りはしっかりしています。ワインレッドというかバーガンディというか、独特の深い革の色が大好きで。型も、僕の足にちょうど馴染むのです。もう何足めになるのかなあ。

 実は、購入するお店まで決まっているのです。もちろん頻繁に購入するわけではなくて、数年に一度しか買い替えない靴なのに、そのお店の店主は僕のことを覚えていてくれます。銀座の裏通りの、本当に小さなお店。でも僕が入っていくと、「いらっしゃい。そろそろかな、とお待ちしてましたよ」 とニコニコして出迎えてくれるのです。「この革は本当にいい色です。他にも熱心なファンがいらっしゃるんですよ」 と言いながら、僕のサイズを探してくれます。一応足入れはするものの、実際には試し履きなしで買ってしまっても何ら問題ないくらい。それほど信頼しています。ニコニコしながらお釣りを渡し、「またよろしくお願いします」 と頭を下げる店主の頭には、心なしか白髪が増えたようでした。でもこの小さなお店がある限り、僕は通い続けるでしょう。

 昨日まで現役だったローファー。手入れしながら大事に履いてきました。今日からはオフィス用を引退して、近所歩き用として第二の人生を送ることになります。長い間どうもありがとう。そしてこれからも、よろしく。



10 Mar 2002
Sunday

 制服であれば別ですが、女の子の場合、職場でのスタイルにもかなりのバリエーションがあります。パンツにするかスカートにするか。スカートも長めにするかミニにするか。ジャケットにするかセーターみたいなのにしちゃうか。これらに合わせて靴や髪型など、いろいろなディテールに変化が出てきます。もちろん、色合いも男性に比べるとかなりの幅がありますね。男性の場合、堅めのオフィスで赤やピンクのような暖色系を広い面積で着用することは、かなり難しい。

 基本はスーツです。シチュエーションによってはブレザー/ジャケットにパンツを合わせることもある。でもカラーリングは基本的にネイビー/グレー/ブラック/ブラウンを中心とした範囲に収まります。シャツで変化をつけることも可能ですが、フォーマルなシチュエーションでは上着着用ですから、見える範囲は所詮限られている。派手な色で奇をてらうより、むしろブルーや白でサッパリさせた方がいい。

 となると、スーツスタイルにおいては、ネクタイはほとんど唯一遊べるエリア。
 ここで遊ばずしてどうする、というブレイクの16小節ギターソロだったりするわけです。

 でも、結局は落ち着いたトラディショナルな選択に落ち着く自分。ダークスーツの中心に明るめの色を差すこともありますが、基本はトラッドな小紋系。スーツやシャツの色に絡めた色が入っているとコーディネートしやすい。海外ドラマなんか見てると結構参考になります。「アリー my ラブ」 だと断然リチャード・フィッシュ。彼はいつもビシっとスーツを着こなしてますが、グリーンやワインレッドなど、濃いめの無地シャツに同色系のタイをグラデーションさせて合わせることが多い。すごくお洒落です。「2人は友達? ウィル&グレイス」 のウィルは、どうやらいつもストライプ/レジメンタルのタイであることが分かってきました。むしろトレードマーク。

 そう、ネクタイはお気に入りのものを身につけるのがいちばん。
 直接仕事の能力には関係しないはずですが、お気に入りを身につけるのと、気に入らない変なデザインのものをぶら下げてプレゼンするのとでは、どちらが自信に満ちて見えるかは一目瞭然。ビジネスマンにとってのネクタイは、まさしくサムライにとっての刀なのです。

 それは即ち、女の子からプレゼントしてもらって一番困るアイテムのひとつでもある訳で。気持ちは嬉しいけれど、これだけは自分のセンスで選びたいもの。プレゼントなんて、気持ちだけで十分嬉しいのです。



9 Mar 2002
Saturday

 男性の身体の中心にぶら下がっているモノ。
 その立派さ加減で、"男性自身" が評価されちゃったりするモノ。
 それは…


 …ネクタイです。当然です当たり前ですシモネタご法度です in WINTER WONDERLAND。それはともかく。

 「ねえどうして男の人ってネクタイするんだろうねー」
 「そうそう何の役にも立ってないよねー」

 職場の女の子たちの疑問はごもっとも。ならば聞かせよう、その起源。

***

 ネクタイの歴史は想像以上に古い。遠くローマ帝国時代にまで遡る。皇帝に仕える家臣たちの正装に欠かせなかったネクタイ(の原型)、要するに首の周りに紐を巻き、自分の前に垂らすというもの。これが果たす役割はただひとつ。

 古代ローマといえばコロッセウム/円形闘技場における決闘だ。剣と剣、命と命を懸けて闘う見世物としての殺し合い。そんな時に相手が首輪をして鎖をぶら下げていたらどうか。その鎖をつかんでグイと引けば、相手の首は取ったも同然。まさに相手に命をくれてやるようなもの。

 これ即ちネクタイの役割。君主に対して 「貴方はいつでもこの紐を引っ張って私の首を斬り落としても構いませんよ」 という、丸腰を表す無防備なポーズ、これ即ち君主への絶対的な服従であり忠誠の象徴。

 これが転じて、ビジネスにおいてもスーツには必ずネクタイ着用。無防備の象徴であるネクタイは、お互いに 「見てください、私は武器を持っていませんよ」 とアピールし、「決して貴方の損になるようにはいたしませんからね」 という姿勢を見せ合うある種の儀式。その上で駆け引きあり裏交渉あり、権謀術数が張り巡らされるしたたかな世界。それがビジネス。わかったかい女の子たちよ。

 …ウソです。今30秒で考えました。
 ネクタイのルーツについてはいろいろな説があるようで。日常生活のあちこちに転がっている品々、そのルーツを調べたり想像を巡らせたりするのもまた楽しいものです。



7 Mar 2002
Thursday

 モノの値段なんてほとんど幻想だ。

 高くても買う人がいるから高く売られているのであって、原材料費はごく僅かだったりする。そもそも値段が高いこと、がステータスになっている商品もあったりするから本末転倒だ。ブランド品などその最たるものだろう。もっとも欧米の馬具メーカーに起源を持つエルメスやグッチその他は作りもしっかりしていて、価格だけのことはある商品も多い。

 ところで日常品のレベルでお金をかけたときに違いを実感できるのは、やはり文房具だろう。例えばボールペン。3本100円でも買えるけれど、作り込みのしっかりした、自分の手で一番握りやすいペンを1本数千円出して買ってみると、文字がこんなに書きやすいものだったのかと感動できることを保証する。闇雲に高価なブランドもののペンを買えばよいと言っているのではない。自分の手に馴染むもの、というところが重要だ。そのためには何軒も文房具店を回って、じっくり試し書きをしてみる必要がある。書き味の滑らかさはもちろんのこと、重さ、グリップ部の太さ、すべりにくさ、胸ポケットに差すならクリップの固さやサイズなどを、いろいろと比べて最終的に絞り込もう。全体的なルックスも大切だ。機能重視で見た目を捨てるのは決して賢明とは言えない。毎日付き合うことになる文房具だからこそ、好きな色や形にこだわるべきだ。手に取っただけで、あるいは胸ポケットに差しただけで、じんわりと幸せな気持ちになれるような本当のお気に入りを、丹念に探そう。

 候補の絞り込みで迷ったら、時には値段で選んでしまってもいい。
 安い方じゃない。高い方を買ってみるのだ。時には。

 僕の今のお気に入りは、プラチナの3色ボールペン。ダブルアクションという機能で、3色ペンながらかなり細身でシンプルなボディ。一見普通のボールペンなのだけれど、角度によって赤青黒の芯を出し分けることができる。そして何よりペン先のタッチがスムース。紙に触れた瞬間から文字がスラスラと溢れ出る。たかがボールペンに1,000円以上も出すの、と言うなかれ。本当のお気に入りは、手に持っただけでじんわりと幸せな気持ちになれるもの。要約すると、僕はいい買い物をした。

 一方で、3本100円の BICオレンジ/速記ボールペンも大好きだけどね。



6 Mar 2002
Wednesday

 1日の仕事が終わるとします。

 様々な選択肢が広がっています。ぶらりと映画を観て帰る。友達を誘って飲みに行く。ジムで運動して帰る。早く帰って美味しい食事を作る。そんな中に、普段は降りない駅で降りる、という選択肢があってもいい。だがよく考えてみると、そういう選択肢はなくても良かった。

***

 終電で、家に帰った。部屋は、寒かった。



5 Mar 2002
Tuesday

 通勤電車で立ったまま新聞をタテ折りにして読んでいると、正面の席に座ってるオジさんがチラチラ、チラチラ僕の新聞を目で追っているわけ。これホントに苦手。どうしようもなく苦手。こちらも新聞の角度を変えて、裏側の記事を容易に読まれないように工夫したりもするけれど、折り畳む一瞬の隙をついて彼らはチラチラ攻撃を再開。あっという間に見出しくらいはチェックしてしまう。悔しい。なんで悔しいのかすらよくわかんないよ。キミも僕ももっと他のことにエネルギー費やすべきだよ。例えば恋愛とか。

 朝日朝刊の下に書籍広告が載っていたよ。『男の子って、どうしてこうなの?』
 世界的ベストセラー、大反響重版出来!らしい。男の子には、母親には分からない事情がある、というコピイで、例えばこんな内容。

 「男の子は、感情を言葉にするのが苦手」 「助けが必要なとき、問題行動を起こす」
 「秩序とルールが明確な方が落ち着く」 「思春期には、親以外の大人の助けが必須」
 「家庭と学校だけでは少年は成長しない」

 いちいちごもっともだよ。「秩序とルール」 なんて男の子っぽいね。すぐに線を引きたがるよ。ここまではOKとか、ここからはダメとか。「感情を言葉にするのが苦手」 だから、逆に弁の立つ女の子に惹かれるのか。ほほう。僕なんていつだって問題行動起こしっぱなしで、しかも助けが必要なのに感情を言葉にできず、秩序とルールでがんじがらめになってちっとも成長しないよ。要約すると、僕はこの本を買う必要がない。

 むしろ買うべきなのはこっちだね。『プチ スマイル』 by はしの えみ。

 はしの えみは相当痛いね。王様のブランチでの姫役は大好きでよく見るけど、あの痛々しさといったらないよ。彼女ちっとも融通が効かないから、この本も自分で全部原稿用紙埋めたらしいね。ありえない。ゴーストライター常識のこの業界でまじありえないよ。姫さまにはやはりシンデレラストーリーがあった、遠回りばかりだった芸能生活12年、はしの えみが自ら綴った初の単行本!というコピイすらイタ過ぎて、青あざだらけだよ。だけど青あざだらけの人に惹かれる人もいるらしい。要約すると、僕は今週末、はしのえみをちょっとだけ生で見に行く予定だよ。

 上の要約はかなり間違ってるね。どうやらプチスマイルで誤魔化す気っぽいよ。
 ありえない。だから、2月分の家賃滞納しちゃったんだよ。2年間で初だよ。
 キミも僕ももっと他のことにエネルギー費やすべきだよ。例えば恋愛とか。

 ちょっと春っぽいニッキになってみた。



4 Mar 2002
Monday

 貴方もきっと、大好きな相手とセックスしたことがあるだろう。なければ今すぐ大好きな相手とセックスしよう。大好きな相手がいない人は、まず誰かを好きになろう。そして次にその人とセックスしよう。そうしてもらうのが一番感覚的に分かりやすいと思うから。

 大好きな相手とセックスするのは、何よりも素晴らしい時間の過ごし方のひとつだ。1+1が2にならず、1になったりする不思議な算数だ。1になれたものはしばらくすると2に分かれたりするが、場合によっては3に増えたりするから更に不思議だ。いずれにしても、セックスする時に 「ああ、僕らはひとつになる運命だったんだ」 とか 「こんなにぴったりひとつになるなんて、もともと2つでひとつだったんじゃないか」 とか思ってみたり、神様の造形の不思議に思いを馳せてみたりすることはよくあること。少なくとも、僕にはよくあった。

 だから、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』 (渋谷 シネマライズ)のテーマそのものは僕にとって新しいものじゃない。人は元々2人でひとつだったのが、神の怒りに触れて引き裂かれ、以来人間は自分の 「カタワレ」 を求めてさまよう存在になってしまった。それを感覚的に掴むには、大好きな人とセックスすると良い。ヘドウィグはゲイで僕はストレートという違いはあるけれど、本質的な部分は何ら違わない。僕は今でも 「カタワレ」 を探してる。

 ミュージカルの映画化だけあって、基本的なストーリィはヘドウィグが歌い上げる挿入歌の歌詞に乗せて語られる。ミュージカル嫌いの人には辛いロックムービーだろうし、「怒りの1インチ」 の逸話すらも余計だった。でも音楽自体はグラムロックのギラギラした妖しさに溢れていてひどくカッコ良い。渋谷シネマライズのチケットもぎり係の被り物、あれもかなりカッコ良い。映画の中で酒場の客に被らせてるくらいだから、シネマライズでも観客みんなに配って被らせ、場内全体で合唱させれば良かったね。合唱はなかったけれど、僕は缶ビイルを飲みながら大いに楽しんだ。

 ふと気がつくと、今見ているNHKの海外ドラマ 『2人は友達? ウィル&グレイス』 もゲイが主人公。高潔なゲイと同棲したい、という女友達の話は昨年7月頃の日記に書いたような気がするけれど、このドラマはまさにそんなシチュエーション。グレイスはウィルのアパートに転がり込んで同居するけれど、ウィルはゲイだから2人の間にはセックスはないし、結婚もない。セックス抜きだからこそ逆に深く相手のことを思いやり、理解し合う関係が成り立ちうるのかもね。こんな2人はカタワレ同士じゃないのか?

 ちなみに最近読んだ本でもっとも面白かったもののひとつは、ピーコこと杉浦克昭の 『ピーコ伝』。初の自伝、というか糸井重里が聞き手を務めた対談集なのだけれど、ピーコのゲイとしての生き様、家族環境、恋愛観その他が赤裸々に語られている。僕はピーコの言ってることは概ね支持する方だけれど、それは自分の価値観が凄くハッキリしているから。だからこそ強いし、説得力がある。

 ピーコはマイノリティとしての自分を恥じることがない。むやみにマジョリティを糾弾することもない。わたしはわたし、あなたじゃない、という強烈な自覚がある。だからこそ、ガンで左眼を摘出して義眼にするという壮絶な手術にも動じることなく、「ひとりって素晴らしい」 と言い切れるのだろう。ひとりって素晴らしい、とは言うがピーコは今でも人を好きになる。それは僕も同じこと。ヘドウィグも同じこと。本質的な部分は何ら違わない。僕は今でも 「カタワレ」 を探してる。

 ヘドウィグ、オープニングで流れる曲のコーラスメロディはポイズンの "Nothin' But A Good Time" (US#6/88) そっくりだったよ。



3 Mar 2002
Sunday

 うっかりしてましたが、昨年2月後半にサイトをオープンしてから1年が過ぎていました。本当にあっという間でした。いろいろなことがあったけれど、サイト立ち上げて良かったと思ってます。今日現在。

 1周年記念テキストを幾つか書こうかなと思ってるのですが、まずは軽く 「(洋楽系)テキストサイト管理人に100の質問」 をこなしてみました。

***

 映画の話を書く予定でしたがそれは明日に回すことにして、1周年関連の話を続けます。トップページへのトータルアクセスは1年で約30,000ヒットになりました。開設当初は1日10ヒットとか20ヒット、しかもそのうち半分くらいが自分だったりする時代もありましたが、相互リンクしていただいた皆さん、あちこちでご紹介してくださった皆さんのおかげで、少しずつ伸びました。ありがとうございます。最近はトップページに1日100人超、日記ページには60〜70人の方がアクセスしてくださっています。メインコンテンツとされている音楽ページの更新が一番遅れてますね。ゴメンナサイ。

 実は、そのアクセス数もあまり気にならなくなってきました。

 確かに以前は10や20増やすのに必死になっていた時期もありました。が、時間が経つにつれ、アクセス数が多いサイトが必ずしも面白いというわけではない、少ないサイトでも面白いところはたくさんあるということが徐々に分かりはじめます。ネット上で支持されるということと、実物の人間が好かれるということは全然次元が違う。サイトキャラクターを演じて、それがネットという世界でウケるのはきっと楽しいことに違いないのですが、少なくとも自分はどうしても実生活から逃れられないわけで。ネットで遊ぶためには実生活を壊すわけにはいかないし、むしろそちらを充実させたい。そうしないと文章すら書けなくなってしまうから。実生活もネット生活も同じように大繁盛させる人を知ってるだけに痛いけど、ダメだ、僕はそんなに器用じゃないよ。

 アクセス数は増えたり減ったりします。でも、50人あるいは30人あるいは10人の方が、毎日のようにアクセスしてくれる。このことほど力をくれるものはありません。ある程度サイトを続けてきた方ならきっと分かる感覚のはず。そうなると、アクセスが多少増えようとそんなことはどうでもよくなるものです。むしろウケを狙って八方美人のテキストを書く方がツライ。何気ない言葉のカケラを、ちゃんと読んで、受けとめてくれる一握りの人がいるからこそやっていける。だから自分も、受けとめたい。

 文章の上手さなら、他にいくらでもスゴイ人材がネット上に溢れてます。
 音楽の知識も、ずっと詳しい人があちこちにゴロゴロ転がってます。

 それでも自分はただ1人だから。自分とまったく同じ人生を生きて、まったく同じように感じる人はいないはずだから。だからこういう生き方をしてこういう感じ方をしている、ということを書きつけて、それを読んでくれる方がいる限りは細々と書こうかな、という気持ちです。見返りとしてのアクセス数なんて気にすることなく。

 見返りなんて期待せず、「好きだからする」 ことを大切にしたいのです。そうしたいからそうするのだし、見返りなんて何も要らない。そうしてできた大切な思い出はいつだって心を少しだけ暖かくしてくれるもの。

 きっとサイト運営もそんなものなんだろうな、と思います。



1 Mar 2002
Friday

 心の中の灯を、力強く吹き消した。

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