Diary -Feb (2) 2002-


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28 Feb 2002
Thursday

 僕がテキストを書くときによく使う名前の一つが 「佐々木」 さんだ。佐々木さんには本当にお世話になっている。ほとんど毎日お世話になっているのではないか。例えば「加護」さんや「保田」さんや「石川」さんなんかより、統計的には遥かにお世話になっていると言える。

 にも関わらず、僕のテキスト中に 「佐々木」 さんは滅多に出てこない。佐々木さんは本当にレアな存在だ。ほとんど皆無といってもよいのではないか。実際のところ、職場にも友人にも親戚にも、佐々木さんはほとんどいなかったりする。

 じゃあ佐々木さんは一体僕に何のお世話をしてくれるのか?
 ひょっとしてあんなコトや、こんなコトをしてくれるというのか?
 えっ、そんなコトまで!?


 実は、「々」 という漢字を出したい時に使っています。
 まず佐々木、と打ち、すぐに後戻りして佐と木を消して使うのです。

***

 つい最近知ったのですが、「どう」「おなじ」「くりかえし」 などと打って変換すれば 「々」 が出てくるんですね。なんだかつまんない。僕はきっと今後とも佐々木さんとお付き合いし続けると思います。「々」 を 「くりかえし」 と打って変換するなんて粋じゃねえ。 「ささき+変換+Backspace+←+Backspace」=「々」。これぞダンディズム。通の洒落者だね。

 今日のテキストに出てくる 「々」 もぜーんぶ佐々木さんのお世話になりました。
 戻ったり消したり、ちょっと疲れた。ふう。

***

 ソルトレイク冬季五輪を総括しよう。もっとも耳に残ったアナウンサーのセリフは、

 「ああっと、これはいけません!」

 う〜ん。何回聞いたかわかんないや。
 もひとつ、こんなのもあった。女子ショートトラックでの Yang Yang A の金メダル。

 「中国四千年、冬季オリンピックで初めての金メダル!」

 …あの、近代オリンピック開始からまだ100年ちょいしか経ってないんですけど(笑)



27 Feb 2002
Wednesday

 宮崎 駿監督の 『千と千尋の神隠し』 がベルリン国際映画祭で金熊賞に輝いた。八百万の神が出てくる多神教ベースのアニメは一神教中心の欧州で受け入れられにくい、という下馬評もあったようだけど、受賞そのものは特に驚くべきことではない。

 驚くべきは、というかちょっと気持ち悪いのは、日本国内で既に2,200万人もの人が観たらしいという事実。誰も批判らしい批判をせず、みな判で押したように 「感動した」 「良かった」 などとマシーンの如き感想(と言えるのか?)を述べるばかりという事実。感動したと語る人々の表情が虚ろで目に生気がないという事実。まさにカオナシそのものだよ。

 なんてこと書いてるが、僕はまだ観ていない。2,200万人の中に含まれていないわけだ。のみならず、劇場まで観に行く気もあまりない。率直に書くと、宮崎アニメを取り巻く状況があまり心地良くないのだ。確かに猛烈な手間暇をかけ、高度な技術が駆使されたタイシタ作品だとは思うけれど、そこで繰り返し謳われるヒューマニズムとやらが、どうにも安っぽいものに感じられてならないのだ。

 歴史が教えるとおり、ヒューマニズムこそは最も危険な凶器たり得る。とりわけ、頭のいい連中が非常に分かりやすい形で小説なり劇なり映画なりの形に仕上げると、大衆というのはコロリと引っかかってしまう。たくさんの読者や視聴者が生まれること自体は悪いことではない。問題は、ほぼ全員が同時に同様な感想を抱いてしまうことなのだ。

 「ヒューマニズムの押し付け」 に人間はかくも弱い存在であり、簡単に支持者になってしまう。そしていったん抱え込んだ支持者たちを別の方向に連れていくのは少しも難しいことではない。ハーメルンの笛吹き男の例を引くまでもなく、現代社会には 「新興宗教」 という名のそれがはびこっている。そう、宮崎アニメを圧倒的にかつ画一的に支持する社会は、僕にはある種の新興宗教に洗脳された世界に思える時すらある。映像芸術は文字メディアや音楽メディアとは決定的に異なり、僕らのイメージを暴力的なまでに限定してしまう。ならば解釈の余地や批判の余地を残さない映像イメージ(の在り方)ほど危険なものはない。

***

 そこでだ、旦那。

 千尋って保田 圭に似てないか?
 カオナシってアリス・クーパーに似てないか?
 トム・ヨークってピーター・バラカンに似てないか?

 (圭ぴょん以外は全員怒ると思う)



26 Feb 2002
Tuesday

 どうも引っ掛かっている。眞紀子嬢の 「スカートを踏んづけられていた」 発言。

 首相は抵抗勢力になってしまった、とはいささか歯切れの良過ぎる批判だった。でも小泉氏の 「涙は女の最高の武器」 発言が差別的だったのと同様に、上記スカート発言は微妙な問題を孕んではいないか。女性がスカートとパンツの選択肢を持ち、男性が(ほぼ)スカートを着用し得ない社会においては、「スカート」 を持ち出した瞬間に逆の意味で差別的だと反論されてしまう可能性があるのではないか。

 差別されたくないのか、それとも時には女性であることを利用しちゃうのか。一体どっちなんだ。ショーザフラッグ! スカートひるがえし。できれば白い旗希望。チラリとね。

 チラリと見えたそれはひどく骨太で、しばし放心。まさに骨太の放心。米百俵も運べばそりゃ骨も太くなる。だからといって銀行に公的資金を注入して国有化し、返す刀で巨大金融機関の郵便局を民営化しようだなんて、いくらトロい僕でも政策の矛盾に気がつくよ。気がつくでしょう? 気がつかないの?

 …気がつかなかった。
 ミニスカはいてれば踏んづけられることも有り得なかったなんて。するってえと、やっぱり正しかったのはミニハムずだったってことなのかい? おい?



25 Feb 2002
Monday

 ここだけの話にしておいていただきたいのですが、自分だけ早々と4月1日付けの人事異動が決まってしまい、身辺整理を始めています。通常の異動は直前1週間くらいに内示されるのですが、自分の場合は割と大きく組織をまたぐこともあり、1ヶ月ほど前に内示を受け、以後は新所属先の面接を受けるなど面倒くさい手続きを踏まねばなりません。

 今働いている職場には、課や部の上に 「局」 なる組織がありまして、今回はその 「局」 をまたがる異動ということになります。局というのは想像している以上に大きな壁であって、局が違うとある意味で別会社のような扱いを受けたりします。一番笑ってしまったのは、別の局の人と初めて会うとおもむろに名刺交換などを始めてしまうこと。これ冗談じゃなくて。自分が前にいた会社では、社内で名刺交換することは有り得なかったので、めちゃくちゃ新鮮な驚きでした。ていうかちょっとあきれた。局が違っても一応同じ大きな枠の中で仕事してるのにねー。その意識がないのかしらん。縦割り恐るべし。

***

 さて、毎日楽しませてもらったソルトレイク五輪もいよいよおしまい。

 日中に閉会式の様子を録画しておいたので、少しずつ見ています。選手入場のBGMでピンク・フロイドの "Run Like Hell" が使われていたのはプログレ者たちへの配慮なのか。あるいは世界を100人の村に例える傾向を踏まえ、13人の少数派に配慮した結果なのか。でも何よりビビったのは、キッスが登場してパイロと花火を炸裂させながら歌う "Rock & Roll All Nite"。いやー、お祭りというからにはここまでやらなくちゃね。これに合わせて滑ったカタリーナ・ビットとクリスティー・ヤマグチもヒヤヒヤものだったんじゃないかと思います。

 アース・ウィンド&ファイアの "September" "Shining Star" 等のメドレーはブラック層へのアピール、そしてアトランタ五輪に続いての閉会式出場になるグロリア・エステファンはヒスパニック層への配慮。多民族国歌アメリカならではの演出ですね。グロリアが "Oye!""Party Time" に交じって懐かしい "Get On Your Feet" を歌ってくれたのが嬉しかった。ダイアン・リーヴスやハリー・コニック・Jr などジャズ方面からの出演も米国の層の厚さを感じさせてくれました。

 いろいろな問題もあった五輪ですが、やっぱりスポーツは面白い。昨日の日記に書いたフレーズをちょっともじるならば、スポーツ観戦も立派な「スポーツ」です。見る側の僕らも一緒になって楽しみ、盛り上がり、くたくたになったオリンピックが終わりました。選手の皆さん、運営者の皆さん、そして目に見えないところで力を尽くしてくれたボランティアの皆さん、どうもありがとう。また次の大会まで…



24 Feb 2002
Sunday

 昨日の日記で佐藤有香さんのフィギュア解説のお話を書いたところ、BBSで早速反応があったので嬉しいです。前にも書いたことがありますが、同じく好きなスポーツ解説者にマラソンの増田明美さんがいます。どれくらい好きかというと、画面は見ずに増田さんの声だけ聴きながら2時間半近いマラソン中継を楽しめるくらい好きな語り手/声なのです。

 スポーツ選手としての能力と語り手としてのそれは全く違います。有名だった選手を解説に呼べばよいというものではありません。むしろその逆で、そんな選手に限ってちっとも的確な説明ができず、聞いてる方がイライラするような無能な解説だったりするもの。なにも会場に出かけるばかりでなく、テレビでスポーツを観戦するのも立派な趣味のひとつのはず。だとすれば、良き解説者に恵まれるかどうかはまさにその観戦の善し悪しを左右する重要なファクター。これって切実な問題なのです。

***

 さて今日は吉祥寺に髪を切りに行きました。例によってこちらにて。

 吉祥寺は好きな街で、月に1回は必ず歩きに出かけます。新しさと古さが適度に調和していて、時間の流れ方が渋谷とも下北沢とも異なっているのです。最近はかなり人口密度が高くなった気がするけれど、人通りの少ない細い道もたくさん残っていて。武蔵野の風情を感じつつ、何を買うでもなくいろいろなお店を眺めながら歩くのが楽しいのです。

 そんな武蔵野市が 「吉祥寺駅前周辺からポイ捨てをなくそう」 というキャンペーンを行うらしい。吉祥寺駅前は電車やバスの利用者が多く、タバコの吸殻や空き缶・瓶のポイ捨てが拾っても拾っても絶えないイタチごっこが続いています。このため毎週日曜に早朝清掃を始める、というのです。

 そもそも、吸い終わったタバコや飲み終わった空き缶をどうして道端に捨てることができるのか、そのセンスがよく分かりません。ちょっと歩けばゴミ箱や吸殻入れがあるのに。こういう人々は、自分の部屋に空き缶や吸殻を投げ捨てられてみないと理解できないのではないか。

 とすれば、武蔵野市が展開する早朝清掃キャンペーンなどもってのほか。自分が捨てても誰かが片付けてくれる、自然ときれいになる、という勘違いから正さねばなりません。むしろ今すぐ清掃をやめるべきです。ゴミは堆積するに任せ、吸殻だらけ空き缶だらけの吉祥寺駅前にしてみせて、自分のポイ捨て行為がどれほど街を汚しているかに気付かせねばなりません。

 でも、ポイ捨て常習者ってやつは、汚い地面であればますます気にせずポイ捨てするのかもしれず。ここはやはり条例で対応せざるを得ないでしょう。即ちハムラビ法典もといハムラビ条例で。タバコにはタバコを、空き缶には空き缶を。人材を投入すべき対象は清掃キャンペーンではなく、むしろおとり張り込み用捜査員です。吸殻を捨てた者はその場で拉致。数名で取り押さえ、泣きわめくそいつの全身にタバコの火を押しつける。空き缶を捨てた者も即刻取り押さえ、市職員数十名が気の済むまで空き缶で殴りつける。


 …武蔵野市職員が気の毒だ。でもこれが日本の地方自治の現実。そんなことを考えながら歩いていた帰り道、僕の前の男がまた吸殻をポイ捨て…  吉祥寺を愛する者の一人として、キャンペーンの成功を祈らずにはいられません。ホントに。



23 Feb 2002
Saturday

 メールが送信エラー連発のフランツはもう置いといて、今日もフィギュアスケート。

 今日はエキシビション、テレビで楽しみました。全員、競技のプレッシャーから解放されて実に伸びやかな滑りを見せてくれます。

 疑惑の金メダルに揺れたロシアのペアが表現したチャップリンの世界。惜しくも銀メダルに終わったプルシェンコの正確なジャンプ。アンコールではわざと転んでみせたりも。イリーナ・スルツカヤがカウガールに扮して登場し、Rednex の "Cotton Eye Joe" に合わせて滑ったのには驚きました。しかもあの笑顔! 競技中には絶対見られない、スルツカヤのスマイル。ビールマンスピンも一層美しく決まりました。

 アイスダンスのチームは上半身の動きに目を奪われがちですが、実はスケーティングがとてもしっかりしています。ヤグディンの得意技のひとつ、リンクの端から端まで華麗過ぎるステップワークで魅せる場面など、何度見てもやっぱり良いものです。そうそう、村主の演技力も改めて世界にアピールできたんじゃないかな。

 お待ちかねゴールデンスマイルのサラ・ヒューズ。
 ミュージカル「フォッシー」のメドレーは、時にコミカルな動きを交えつつ、実にキュートに滑ってくれました。アンコールは "You'll Never Walk Alone" で、911テロへのトリビュート。個人的には、ちょっといただけなかった。確かにサラはニューヨークっ子だし、今回の大会全体の基調を成しているのも反テロリズムだけれど、この場面でこういう使われ方はしてほしくなかったなあ。ちょっとだけ醒めましたけど、やっぱりサラ・ヒューズは可愛い。イチ押しです。

 こうしてエキシビションで伸び伸びと滑る選手たちを見ていると、これが彼ら本来の姿なんじゃないかという気がしてきます。そもそも、フィギュア競技に点数や順位をつけることに意味があるのか? 芸術点って主観そのものですよね。観客の一人一人が、この人のこの演技がいいと思えればそれでいいんじゃないのかなという気もしてしまうのです。

 今回の中継も全体を通して、五十嵐さんと佐藤有香さんの解説が素晴らしかった。余計なしゃべりや興奮した叫びは一切ありません。ショートトラックやモーグルの絶叫解説者とは全然違う、とても落ちついた語り。淡々と的確に解説を加えつつ、決して非難したり批判したりせず、選手の演技のいいところをさりげなく持ち上げて誉める。やはり彼らの解説あってこそのフィギュアスケート中継だと思うのです。



22 Feb 2002
Friday

親愛なるフランツへ

 テレビで観たかもしれないが、女子フィギュアの優勝はクワンでもスルツカヤでもなかった。米国の16歳、サラ・ヒューズだ。ちょうど約1年前、昨年の2月18日の日記にも書いているとおり、僕は上記3人を代々木体育館のグランプリ・ファイナルで生で観ている。スルツカヤの技術やクワンの優美さにも打たれたけれど、最も鮮烈な印象を残したのはサラだった。彼女の笑顔は他の誰より輝いている。今日もジャンプが決まる度にこぼれ落ちる笑顔がますます演技を引き立てていた。サラ・スマイル。

 オリンピックのように世界中の注目が集まる場面でのプレッシャーは半端ではないはず。でもアメリカ選手の多くはニコニコしながら、観客の大歓声も味方につけて素晴らしい演技をしたり世界記録を出したりする。もちろんその背景には猛烈な努力とトレーニングがあるわけで、単純に 「まず自分が楽しんできます」 とか言ってるどこかの選手たちとはちょっと違うような気がする。

 そんな意味で、モーニング娘。の新曲 "そうだ! We're ALIVE" の歌詞がすごく「努力志向」なのは興味深い。とかく楽な方向に流れがちな若者たちにつんくが投げかけたいメッセージは、容易に想像出来るだろう。

努力 未来 A BEAUTIFUL STAR
 努力 Ah Ha A BEAUTIFUL STAR
 努力 前進 A BEAUTIFUL STAR
 努力 平和 A BEAUTIFUL STAR


 基本的にいつもポジティブなモー娘。の歌詞だけど、ここまでベタに努力志向なのは珍しい。陳腐だとかウザイとか批判するのは簡単。でもその前にまず努力とか未来とか前進とか平和とか歌ってみろっつーの。人間って驚くほど暗示にかかりやすい生き物。国会や霞ヶ関で馬鹿なことやってる人たちはもうしょうがないのかもしれないけど、そうじゃない世代がこの歌を口ずさむことには多少なりとも意味がある。あるんじゃないかと思いたい。ついでに「ひなまちゅり」萌え

 それじゃ、良い週末を。

winter



21 Feb 2002
Thursday

親愛なるフランツへ

 まこっつくんのことは先日ちょっと話したと思うけれど、彼の日記で僕の言葉が引用されていた。

『The Smiths もモリッシーもさ、全然よくねえよなんだこりゃ、って思ってたんだけどね。イギリスにいって、あの土地で聞くとすんげえ染みるんだよ。その時やっと、彼らがこれだけ支持を得ていた理由がわかったんだよね。』

 断っておくとこれはかなり正確な引用で、あんな酒の席での酔っ払いの戯言をよくこれほどしっかり覚えているものだと妙に感心した。彼の日記はこのあと「僕にとってのGENEも同じだった」と続く。GENE というのは自他共に認めるスミスのフォロワーで、フォロワーとしては一級品の完成度を誇るバンドだったのだが、それは置いておこう。

 ポイントは、リアルタイムその土地の音楽を聴くことの重要性。

 もちろん、すべての音楽を 「リアルタイムでかつ現地で」 聴くことなんて物理的に不可能だ。でも、リアルタイム性と現地性のいずれかを実現することくらいなら出来るかもしれない。そうやって聴くことでまた違った印象を受けるかもしれないよ、という程度の意味。例えばフランツの故郷、プラハも音楽的に恵まれた土地だろう? モルダウ川を眺めながら聴くスメタナの 『わが祖国』 はきっと、東京でステレオの前に座って聴くそれとは違う何かを感じさせるだろうと思う。

 僕は実際、ロンドンの薄暗い空の下で、決して美味いとは言い難い料理を毎日食べながら(それは嫌いではなかった)、ラジオで繰り返し流れるザ・スミスの "This Charming Man" やモリッシーの "November Spawned A Monster" などを聴くたびに心をがしがし揺さぶられた。日本にいた頃はあれほど毛嫌いしていた音楽が、モリッシーの声が、ジョニー・マーのギターが 「すんげえ染み」 たのだ。あの土地であって初めて持ち得る力を感じたのだ。

 現地で聴くことはなかなか難しいから、せめてリアルタイムでヒット曲を追いかける楽しみだけは大切にしたい。歌は世につれ、世は歌につれとはよく言ったもの。名盤と呼ばれるCDはいくらでも買えるけれど、ヒット曲を旬の時期に聴く喜びだけは、後からお金で買えないものだから。

 まこっつくんは日本のバンドに期待しつつテキストを結んでいた。僕もそれなりに邦楽を聴き続けるだろうし、デリコみたいな手法もアリだと思う。でも「日本」という国/在り方に対して屈折した苦手意識を感じる僕は、日本語以外で歌われる(あるいは日本語で歌われない)音楽を中心に聴き続けるのだろう。日本語であっても、大槻ケンジとかスチャダラパーのようにある方向を突き詰めたタイプや、電気グルーヴのようにバックトラックと一体になって全体が音響として成立しているものは割と好きみたいだ。時には片想いが桃色だったりもうすぐひなまちゅりだったりするのも好きみたいだ

 明日は、いよいよ女子フィギュアの自由演技。ミシェル・クワンの優雅なスパイラルと、イリーナ・スルツカヤの3-3回転ジャンプに注目したい。

Yours sincerely,

winter



20 Feb 2002
Wednesday

親愛なるフランツへ

 今年初めての、苺を食べた。

 農産物もハウス栽培や輸入もののおかげでだいぶ季節感を失いつつあるけれど、果物には辛うじてそれを感じる事が出来る。スーパーの店頭に並ぶ果物は、間違いなく季節に連動して変遷していくし、その季節の旬の果物を食べることほど美味しく、身体に良いものはない。秋から冬にかけて、柿、林檎、蜜柑と移り変わった主役の座は、今、苺に取って代わられようとしている。

 大粒で水気の多い苺は美味しいし、小粒でたくさん詰まったパックも捨て難い。甘酸っぱさを味わうため、水洗いしてそのまま口に放り込むのも好きだし、コンデンスミルクをかけて思いきり甘く食べるのも悪くない。今日は軽く砂糖を振り、牛乳をかけて食してみた。

 苺とミルクの相性の良さに最初に気付いた人は天才なのではないか。フォークで苺を食べていると、自然と果汁が牛乳に溶け込む。つまり苺ミルクだ。あるいは行儀が悪いのかもしれないが、苺を食べ終わった後にこのミルクを飲むのが楽しみでもある。小難しく言えばカルシウムや蛋白質、乳脂肪分、そしてビタミンを豊富に摂取できる組み合わせということなのだろう。でも苺ミルクは何より単純に美味しい。その美味しさを鮮烈に感じられるのは、春先にかけてのごく短い期間だけのこと。

 ソルトレイク・オリンピックが終われば、春はもうすぐそこまで来ている。

 イチゴ、で懐かしく思い出したのがストロベリー・スウィッチブレイド。水玉模様のジルとローズが歌う 『ふたりのイエスタデイ』 を引っ張り出してかけてみた。

♪And as we sit here alone
 Looking for a reason to go on
 It's so clear that all we have now
 Are our thoughts of yesterday


 ちょっぴりしんみりするコーラス。ここにも現在と過去と未来が、凝縮されている。

Sincerely yours,

winter



19 Feb 2002
Tuesday

親愛なるフランツへ

 もう下北沢を出て他の街に行ってしまったのだろうか。定住タイプだと思っていたけれど、ある日突然行動様式を変えてしまうのも君らしいといえば君らしい。「人は過去に縛られるべきではない」 と繰り返していた君を思い出すよ。すかさず 「未来にも縛られるべきでない」 と付け加えたそのウィットと共に。

 ここにもうひとり、未来に縛られることを拒否しようとしている男がいる。君も知ってのとおり、僕の大好きな小説家のスティーヴン・キングだ。1/27付のロサンゼルス・タイムスに語ったところによると、これ以上書き続けても過去の作品のリサイクルになるだけだから、今の契約が終わったら引退したいのだという。お金ならもう十分すぎるほど稼いだはず。2000年に締結した3冊の新作出版契約の金額は4,800万ドルだったそうだ。50億円を遥かに超えるね。ペーパーバック権や映画化権、テレビドラマ化権などの付随契約を加えると、きっと天文学的数字に違いない。

 自分の本を繰り返したくないからという理由に対して、君なら何と言うだろう。確かにキングの新作 "From A Buick Eight" は車がモチーフになっていて、初期の "Christine" を容易に想像させる。要するに、キングにはもう手がけてしまった分野が多過ぎるのだ。少年/少女の成長物語、吸血鬼、死者の蘇り、幽霊屋敷、作家と狂信的なファン、超能力者、爽やかな脱獄、黒人囚人の起こす奇跡、その他諸々。テーマだけではない。長編/短編/ノンフィクションとあらゆるジャンルで成功を収めたからには、もはや何を書いても自分の二番煎じになってしまう。僕が最近読んだ 『骨の袋(上・下)』 の書評を書けずにいたのもまさにそのため。最愛の妻を悲惨な事故で亡くした作家がスランプに陥るが、湖畔の別荘で起こる超常現象を通して解脱していく物語。テーマは全く違うのに、多くの読者は主人公が作家である点だけを取り上げて、『ミザリー』『ダーク・ハーフ』 の繰り返しだと糾弾する。フランツ、君ならきっとこう言うだろうね。「明らかにキングは"未来に縛られて"いる」 と。

 そう、過去に縛られるべきでないのと同様に、未来もオープンにしておくべきだ。僕もその点には同意する。縛られるくらいなら僕だってすぐさまWINTER WONDERLANDを閉鎖するだろう。大好きな小説家がペンを置こうとしているのはとても残念だけれど、キングが残した膨大な作品集がなくなることはない。残り数冊の新作出版契約が全うされるまでの数年間、僕は旧作を1冊ずつ読み返しながら、彼が心変わりしてくれる最後のチャンスに賭けたいと思うんだよ。

 だって、キングのタイプライターにセットされる真っ白なタイプ用紙は、何にも縛られないオープンな未来そのものなのだから。

Sincerely yours,

winter



18 Feb 2002
Monday

 下北沢から 『いえすたでい』 は無くなっていたが、フランツまでいなくなった訳ではなかった。それどころか、彼に再会出来たのだ。約10年ぶりに。それも意外な場所、ディスクユニオンで。

 ディスクユニオンというCDショップはバス通り沿い、スズナリ横丁の近くにある。新品も中古も扱っているが、自分の利用は専ら中古盤だ。買うにも売るにも世話になる。一昨日も中古新入荷のコーナーをさくさくと漁って、自分のサイトのキラーコンテンツとなるべきベスト盤レビュウのネタにと2枚ばかりレジに持って行ったところで、予期しない再会があった。

 レジに立っていたのは、何とフランツだった。約10年前に大学から失踪したきりになっていたあいつが、下北のユニオンでレジを打っている。先に気がついた僕も、ふと顔を上げた彼も、お互い呆然として声が出なかった。最初に口を開いたのはフランツの方だった。

「…こちら2枚でよろしいでしょうか?」

 これが10年ぶりの会話なのだろうか。

 自分も負けずに言葉を返した。「…え、ええ」
 僕は、購入する2枚のうち片方がエイス・オブ・ベイスのベスト盤であることを、そしてそれが700円の中古盤であることを、誰に対してともなく少々恥じた。だがフランツは淡々とバーコードを読み取り事務的にレジを打った。幸い後ろに客は並んでいなかった。フランツはニヤリと笑うと、レシートの裏にボールペンで走り書きをして僕によこした。

「久しぶりだな。このアドレスにメールをくれよ」
「日本にいたなんて知らなかった。また飲みに行かないか」
「残念だがそれは無理だ。ここのバイトも今日までだし、明日からはどこにいるか分からない。決めてないんだ。だけどこの街じゃないことは間違いない。とにかく、メールをくれよな。あっ、お待たせしました」

 次の客が列を作り始めていた。

 そんなこんなで、その後どこに行ってしまったかも分からないフランツに宛てて、僕はメールを書くことになってしまったのだ。



17 Feb 2002
Sunday

 フィギュアは金になるそうです。きん、じゃありません。カネです。カネ。

 しかもメダルの色が如実に金額に影響するそうで。たまには役に立つ朝日新聞によりますと、長野五輪後のISU公認エキシビション大会出場料は、金メダリストが10万ドル、銀5万ドル、銅3万ドルだったといいます。さらに、名前が売れた五輪メダリストがプロ転向すれば、年間収入1億円以上。一方で、メダルが金と銅では生涯収入で約15億円は違うらしいです。ちょっと想像もつかない額だなあ。

 そんなことより今日最も痛快だったのはショートトラック。
 寺尾の失格判定もあったけど、何といっても決勝でダントツびりのオーストラリア選手が、前4人の転倒で金メダルをかっさらったこと! 豪にとっては冬季五輪初の金メダルだそうで、人生何が起こるか分かりません。最後まで投げずに滑ってみよう。

***

 昨日は夕方にちょっと買い物がてら下北沢まで足を延ばしました。好きな街なんですよね。ごちゃごちゃっとしてて。適度に使えるレコード屋もあって。そして何より、懐かしい。学生になって一番最初に遊んだ街だったりするし。

 でも、当然だけどどんどん変わってる。知らないお店がいくつも出来てる。知ってたお店が無くなってる。僕が好きなのは北口に降りて、ピーコックの前を右手にずっと歩いていくコース。昔は突きあたり付近の右のビル2階にレコファンがあったんだぜとか言っても、分かんないかもしれないね。1階は相変わらず女の子の下着専門店だったりする。

 その向かいに無印良品があって、ちょっと買い物。無印はれっきとしたブランドで、それもどちらかというと好きな部類に入ります。控えめな言い方してますが、洗面所周りにはかなり無印の品物がたくさん並んでる方。今住んでる仙川も便利だけれど、無印があればもっといいのになあ。でも最近の業績のマズさでは今後の拡大は難しいでしょう。それどころか下北沢店も危ないかもしれない。この通りにはもう少し駅寄りにカフェ・ラ・ミルがあったのだけれど、少し前に閉店して今はメガネ屋さんになってました。近辺だとリーガルのシューズショップや、突きあたりを左に行った先にある BODY SHOP あたり危険だと思う。あんなに客が入ってない BODY SHOP も滅多にないです。確かに下北的にはちょっと価格帯高めだと思うけど。


 …そしてフランツとよく通った居酒屋の 『いえすたでい』 も、やっぱり無くなっていた。



16 Feb 2002
Saturday

 ソルトレイク五輪、見ています。
 好きなフィギュアスケート絡みで幾つか。

 まずは本田くん。本番に弱い練習チャンピオンでしたが、今回はなかなか頑張った。日本人選手は一般に小柄で手足が短いので、どうしても身体全体を使っての表現力で勝てない部分があります。本田くんの場合はジャンプが武器だし、まだまだ若いので今後も期待できるでしょう。しかしあの作為的な眉毛は何とかならんのか(笑)。それを言うならジャンプの船木の方がヤバい。

 で、金メダルのヤグディン。聞くと、不幸な家庭に育ったので「愛」に飢えているらしい。ここまで上り詰めた彼の喜びようには素直によかったねーと思えました。SP4位から銀メダルまで持ち直したプルシェンコも見事。ロシアはこの2人が競い合ってこそ、ですよね。

 で、ロシアといえばペア採点疑惑。
 結局カナダ組も金メダルになりましたが、どうもスッキリしない話です。ロシアの金は剥奪しなくていいのかな? 「金」はひとつにするのが筋でしょう? まあ、審判による採点競技には必ずこの種の疑惑がつきまといます。人間が人間を評価して点数をつけるスポーツはどうも苦手。シンクロしかり新体操しかり。逆に陸上競技とか球技とか、客観的な数値で勝敗が決まるスポーツの方が好きです。もっとも、それらにおいても個別の判定が審判によってブレることはありえますけれど。

 フランスの審判はロシア組を勝たせるよう圧力をかけられていたらしいです。
 もっとショックだったのは、長野で銅メダルを取ったフィリップ・キャンデロロまでこんなことを言ってること。

 「陰謀、共謀はどこの国でもやっていること。それはフィギュアスケートでは常識だ。過去50年のチャンピオンについても疑いはある。今回問題となったフランスのルグーニュ審判は言われたようにやっただけ。彼女の助けがなければ、私も長野五輪でメダルを取れなかった」

 …ううむ。
 そうなのか?という思いと、それだけは言ってほしくなかったという思いが交錯中。

 まだまだ疑惑を残しつつ、いよいよ注目の女子フィギュアが近づいてきました。クワンや恩田の演技が、可能な限り正当な判定を受けることができるよう期待しています。




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