Diary -Sep (1) 2001-

日記才人

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15 Sep 2001
Saturday

 『麗しのサブリナ』(1954年・米) を観ました。

 監督のビリー・ワイルダーについては、数ヶ月前に朝日新聞の夕刊連載コラムで三谷幸喜が「憧れの人に会うことができた!」として、完全にミーハーな文章を書いていたのが印象的でした。自分では特に意識してこの監督の映画を観たことはありませんでしが、それでも例えば 『お熱いのがお好き』 『アパートの鍵貸します』 などはいつの間にか観ていて、それぞれとても気に入っています。(特に『アパート〜』でのシャーリー・マクレーンの可愛いことといったらない)

 オードリー・ヘップバーンの出演作で未見のものがあることほど幸せなことは、この世にそうそうないでしょう。これでまたリストに赤の二重線を引いてひとつ消すことになってしまいましたが、残る作品たちは本当に慎重に観ていきたい。少なくとも、体調や気分が悪いときに勢いだけで観てしまうようなもったいないことはしたくないなぁ、と強く思います。

 それだけ書いてしまえばこの 『サブリナ』 でのオードリーの素晴らしさについてあれこれ言うこともないはず。パリから帰ってきて見違えるように美しくなったその姿だけでも楽しめるのに、あちこちにユーモアあふれるシーンが散りばめられていて、これから何回見てもその度に笑ってしまいそう。身分の違う悲恋もの風テーマではありますが、豪快にハッピーエンディングに持ち込むラストは期待に見事に応えてくれるしね。2時間を超える長尺なのが多少気になるけれど、じゃあどのシーンを捨てていいかというと、頭を抱えてしまう。

 実は何より印象的だったのは、ライナス役のハンフリー・ボガードだったりして。

 彼については、『カサブランカ』 を観ても全く感情移入できなくて、どこが名優なんだろう?ってずっと考えてきたのです。ほとんど笑わず、クールに振る舞うだけの俳優で、全然つまらないじゃないかと。「ボギー」なんて愛称、もってのほかであります。
 
 …といった違和感がこの 『サブリナ』 で見事に氷解。これならすごくよく分かる。彼のような堅物のキャラが、素敵な女性(しかも弟の彼女)と出会って急速に心を動かされていく様が、ほとんど冗談のような場面なのに、とてもリアルに感じられるのです。おそらく彼の魅力の大きな部分を占めているのは、その独特の声質なのでしょう。あの「声」とべらんめえ調の台詞回しの持つ圧倒的な存在感に、初めて酔うことができたような気がします。
 
 いい映画だ。願わくば世界中の全ての恋愛がこのような結末を迎えんことを。

***

 ぶっ続けに、1995年のシドニー・ポラック監督によるリメイク 『サブリナ』 を観ました。感想は… やめとこうかな。ハリソン・フォード出演作なら相当何でも許せる自分だからこそ2時間強耐えられた、という説もあります…。世の中には、決してリメイクしない方がよい映画があるということなのでしょうね。



13 Sep 2001
Thurssday

 うちの困った副社長の話を聞いとくれよ。

 しばらく前に久しぶりに再会したインドはデリーの高官を出迎え、熱く握手を交わして開口一番 『やっと再会できたね!』 と叫ぼうとした彼の口から飛び出したコトバは、

 「SEE YOU AGAIN!」

 いやまあその。
 確かに漢文でしたら「会」「君」「再」と漢字を並べて何となく意味は通じるのかもしれませんが。出会いガシラに「さようなら!」と声をかけて固く握手されたデリー高官のキツネにつままれたような顔が忘れ難い。

 …子供の頃は「キツネに包まれた」ような顔、だと信じていたわけですが。

***

 たとえ何千人が死のうとも、訪れたこともない街の、会ったこともない人々の死をリアリティをもって感じることなんて、僕にはできない。まして彼らのために涙を流してみせるような偽善者にはとてもなれない。ただ、CDプレイヤーで Prince & The Revolution の "America" を夜通し流し続けるだけ。

♪America, America
 God shed his grace on thee
 America, America
 Keep the children free

 Freedom
 Love
 Joy
 Peace




12 Sep 2001
Wednesday

 「腹を立てて相手を恨むのはやめた方がいいですよ」

 賢者はそう言った。「つまらないことで腹を立てると、相手と同じレベルまで自分を落としてしまいます。気にせぬ風を装い、知らぬふりを貫くことです。ダメージを与えられないと分かれば、相手もいつまでもちょっかいを出すことはしなくなります。」

 愚者は言った。「だが、そもそも相手と自分が同じレベルだったら?」

***

 テロリズムに終わりはない。相容れないイデオロギーは、互いに破壊し尽くすその日まで戦い続けるのだろう。決して訪れないその日まで。

 …久しぶりに Nine Inch Nails の "March of The Pigs" を聴きながら、すべての秩序を破壊してしまいたいと思った。



11 Sep 2001
Tuesday

 世界貿易センタービルに飛行機が突っ込み、爆発大炎上している。ワシントンの国防総省(ペンタゴン)にも飛行機が墜落した模様で、炎上し黒煙が上がっている。同時多発テロとの見方が広がっており、ブッシュ大統領もその旨の声明を発表した。世界貿易センタービルはアメリカ合衆国を代表する高層ビルで、ある意味米国の象徴と言える建物だけに、敢えてこれを狙って突っ込んだと見るべきなのだろう。

 パレスチナ解放民主戦線が犯行声明を発表したという。
 
 米国とはすなわち、表面上は自由と民主主義を掲げて突き進む、壮大な実験場であるように思われる。その裏に渦巻く金の流れと陰謀の全貌を把握している者はいないのではないか。であれば実験場に爆竹を投げ入れて走り去る輩が後を絶たないのも当然だろう。実験の結果が判明しないままでいる方が立場上有利な人々も多数いるわけだから。

 テレビ画面の向こうで燃え続ける世界貿易センタービルとペンタゴンを見ながら、明日の株価がどう動くのか、少しだけシミュレーションしてみる。そうこうするうちに、ツインタワーが倒壊してしまった。倒壊? 110階建てのビルが? マンハッタンだけでも一体何人の命が失われつつあることか。


 …ひどく出来の悪いパニック映画を見ているような、極めて不快な夜になりつつある。



10 Sep 2001
Monday

 昨日のスティング "If You Love Somebody Set Them Free" の引用については、Somebody を Them で受けるのはおかしいのではないか?という説がある。確かに三人称単数形の him あるいは her になるべきところだが、口語ではしばしば somebody を they で受ける。

 "Them" が何を指すのかについて議論したがる輩に対し、辞書で調べた上記の事項と、恋愛対象への所有欲を徹底的に糾弾する歌詞全般の流れをもって「この them は直前の somebody を受けてるんだってば」と、鬼の首でも取ったように勝ち誇って語る自分がいた。

 だが何年も経って、本当に何も分かっちゃいなかった自分の浅さを思い知る。

 そんなことはスティング本人には全く関係のないこと。その頃彼は、日本盤ベストのボーナストラックになる、宮崎シーガイアのキャンペーン曲 "Take Me To The Sunshine" をのんびり歌っていた。頼むから誰か彼を Sunshine とやらに連れて行ってやってくれ。既に破綻しているその世界に。

 …そんな彼の声が、大好きだ。
 "THE DREAM OF THE BLUE TURTLES" の5曲目、"Shadows In The Rain" の緊張感溢れるインタープレイを聴きながら、全然訪れようとしない眠りを呼びこむべく今夜も格闘を続ける。



9 Sep 2001
Sunday

 TVで映画 『サムシング・ワイルド』 を観る。1986年米、ジョナサン・デミ監督。メラニー・グリフィス、ジェフ・ダニエルズ主演。ちょっとイッちゃってる悪役にレイ・リオッタ。

 メラニー・グリフィスは大胆で奔放な演技、美しい肉体でかなり魅せる。ジェフ・ダニエルズはエリートサラリーマン役で、メラニーと出会って道を踏み外し、どんどん転落していく姿を好演(というのか?)している。『ダーマ&グレッグ』のような思いっきり境遇の違う2人の情事を楽しんでいるうちは良かったが、メラニー・グリフィスの高校同級生役でレイ・リオッタが出現すると状況が一変し、血なまぐさい展開になる。(そして正直言うとややダレる。)

 この2年後、メラニー・グリフィスは 『ワーキング・ガール』 という当たり役を演じて大ブレイクする。『ワーキング・ガール』 は観終わった後が爽快で、好きな映画だ。シガニー・ウィーバーやハリソン・フォードを押さえて、スクリーンではメラニーが圧倒的に輝いている。彼女が "Heartbeat" (US#5/86) の大ヒットで知られる Don "Miami Vice" Johnson と2回も結婚・離婚し、子供をもうけていることはこの際どうでもいいことだろう。

 レイ・リオッタ。どこかで見た顔だと思ったら、これも先日テレビで観た 『タービュランス〜乱気流』 でやっぱりちょっとアブナい悪役だったのを思い出した。悪役顔、というのがあるらしい。

***

  『サムシング・ワイルド』 で重要な小道具として用いられていたのが手錠。メラニー・グリフィスはモーテルのベッドで、ジェフ・ダニエルズの両手に手錠をかけて自由を奪い、彼の上にまたがってセックスする。また終盤では、狂った目をしたレイ・リオッタがジェフ・ダニエルズに手錠をかけるが、最後には手錠をしたままのジェフがナイフでレイを刺し殺す。

 34歳の高校教師が12歳の少女に手錠をかけて援助交際しようとし、結果として女の子が死ぬような時代になってみれば、86年のこの映画は別に何の衝撃ももたらさないのかもしれない。ちなみに教師はそれ以前にも執拗に女性に手錠をかけることにこだわったという。

 この問題について、スティングは極めて象徴的に要約したタイトルの曲をヒットさせている。"If You Love Somebody Set Them Free"(『セット・ゼム・フリー』)。もし誰かを愛するならば、その相手を束縛してはならない、と。だがスティング自身が "Every Breath You Take"(『見つめていたい』)という半ばストーカー的な束縛ソングを歌っていることもあり、ここはむしろ人間の二面性/二律背反性を読み取るべき文脈だろう。さらに都合が悪いことに、スティングは "Don't Stand So Close To Me"(『高校教師』)という曲も作っているのだが、議論をより複雑にするだけなので割愛しよう。

***

 ここまで書くのに1時間もかかってしまった。
 手錠をかけられた両手でキーボードを打つのがこんなにたいへんなことだとは…



8 Sep 2001
Saturday

 TVで映画 『ポストマン』 を観る。ケヴィン・コスナー主演・監督。

 SF者として、先にデイヴィッド・ブリンの原作を読んでいるので、それほどダメージはなかった。ダメージというのは他でもない、この映画は不評極まる大駄作とみなされているのだ。その年で最低の映画に与えられるゴールデン・ラズベリー賞を、最低作品賞・最低主演男優賞その他都合5部門も受賞している誇り高き作品である。

 誰がどういう評価をしていようと、見るのは自分自身だしね。自分がどう感じるかがすべて。公務員魂のあるべき姿を描こうとしたストーリィの核心部分はいいと思うのだが、ID4然とした「アメリカ合衆国マンセー」演出はやっぱりダメな人にはダメなんだろうな。何といってもラストの銅像シーンが。原作にもなかったはずのまったくの「蛇足」。ゴールデン・ラズベリー賞はコスナー個人への反感とか不評の反映だと思うのだけれど、ここまで期待通りにやってくれると個人的にはむしろ評価してあげたくもなってくる。

 それでも津嘉山 正種さんがポストマン(=コスナー)の声をあてていたので好感度3割アップ(当社比)。山像かおりさんがアビーの声をあてていたのですが、どうしても「アリー my ラブ」のレネの顔がチラついて結構たいへんでした。またまた江原正士さんもいたようで。誰の声だったんだろ?



7 Sep 2001
Friday

 ものすごい勢いで夏が終わろうとしている。

  浴衣着て 少女の乳房 高からず  − 高浜虚子

 そんな清楚な句が似合った季節が、今まさに終わろうとしている。

***

 秋を感じる瞬間は、日常のあちこちに潜んでいる。例えば、シャワーを浴びるとき。自分の部屋のシャワーのお湯は38度から70度までの設定が可能だ。夏場は最低の38度でも熱いのでお湯だけで浴びることはとてもできない。水を足して相当ぬるいシャワーを浴びるわけだ。

 ところが先週あたりから、38度のお湯のまま浴びてちょうどいいくらいに感じられてきた。気温が下がったのか、自分の体温が下がったのか、あるいはその両方だろう。これから冬に向かって、シャワー温度設定は次第に上がっていくことになる。少しずつ、少しずつ。すべては移り変わる。

 …86年に Robert Plant が歌ったように。

***

 夏から秋になり、こんな酒を飲む日々に。


もっとも秋を感じる瞬間、かもしれない…



6 Sep 2001
Thurssday

 ところで角川映画といえばメディアタイアップに優れていて、TV媒体を中心とした秀逸な広告宣伝手法により、映画と小説の両方を相乗効果で売りまくるスタイルを確立したと言ってもいいだろう。実際、忘れ難いキャッチコピーを多数残している。いくつか例を挙げると、

『犬神家の一族』 金田一さん、事件です!
『人間の証明』 母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね
読んでから見るか、見てから読むか
『野性の証明』 お父さん、こわいよ! なにか来るよ 大勢でお父さんを殺しにくるよ!
男はタフでなければ生きていけない やさしくなければ生きていく資格はない
『悪魔が来たりて笛を吹く』 この小説だけは、映画にしたくなかった。−横溝正史
『蘇る金狼』 動く標的、撃ち落せ! いま何故か−大薮春彦
『戦国自衛隊』 歴史は俺たちになにをさせようとしているのか?
『復活の日』 <愛>は人類を救えるか
『野獣死すべし』 こんなハードボイルドがあるか
『スローなブギにしてくれ』 いつも若さは刺激的
『悪霊島』 鵺の鳴く夜は恐ろしい…
『セーラー服と機関銃』    か・い・か・ん。
『この子の七つのお祝いに』 母から娘へ一枚の手紙が奏でる“殺し”の子守唄
『汚れた英雄』 0.1(コンマイチ)秒のエクスタシー
『幻魔大戦』 銀河系の運命をかけて…目覚めよ光の天使=サイオニクス戦士たち
ハルマゲドン接近!
『時をかける少女』 いつも青春は時をかける
『愛情物語』 お父さんって呼んでもいいですか
『Wの悲劇』 顔ぶたないで、女優なんだから!
『二代目はクリスチャン』 てめえら!! 十字を切って悔い改めやがれ。でないと、一人残らず叩っ斬るぜ!!


 何だかひどく偏りまくっているような気もするが、まあよしとして。

 『戦国自衛隊』 は、自衛隊がいきなり戦国時代にタイムスリップしてしまい、戦車や装甲車で武田信玄の騎馬隊と対決するというとんでもないストーリィで忘れ難い。ここにも草刈正雄が一瞬出演しており、「忙しいんだよな、オレは」とかなんとか一言だけセリフがあるらしいのだが、これは同時に撮影が進行していた 『復活の日』 の撮影が忙しかったから、という楽屋オチらしい。

 『ストリーツ・オブ・ファイアー』 で知られるマイケル・パレ主演で数年後に 『フィラデルフィア・エクスペリメント』 という米軍駆逐艦のタイムスリップものが作られた時に、「おーこれってまさに戦国自衛隊じゃん!」と思ったのは自分だけではあるまい。恐るべしジョン・カーペンター。



5 Sep 2001
Wednesday

 ところで昨日のスティーヴン・キング著 『ザ・スタンド』 だが、どこかで読んだようなストーリィだと思わなかっただろうか?  …そう、日本の誇るSF巨匠、小松左京センセの 『復活の日』 そっくりなんである。

 とは言ってもやや古い小説だし、巨額の制作費を投じて撮影された角川映画についても知らない人が多いかもしれない。今日はその映画版をベースにちょっと語ってみよう。だいたい、主人公が草刈正雄だったりオリビア・ハッセーだったりするのである。そればかりか、多岐川裕美や緒方拳に千葉真一、ジョージ・ケネディ、ボー・スベンソン、グレン・フォードらが出演して深作欣ニが監督、1980年公開にして製作費約25億円という、超大作路線を驀進した角川映画を象徴する一作だった。それでも配給収入が日本だけで26億5,000万円、その他世界34ヶ国に輸出されたというから、投下資本を回収してお釣りまできたわけだ。

 ストーリィは以下の如し。
 アメリカが極秘に開発していた細菌兵器を、悪天候の中輸送していた飛行機が山脈に激突し、ウィルスが飛散して世界中が汚染される。インフルエンザのような症状なので安心しきっていた人々がバタバタと死に始め、パニックの中あっという間に人類滅亡の危機が。しかしこの致死率100%のウィルスは寒さに弱く、南極基地にいたさまざまな国籍のごくわずかな人類が生き残る。

 余命幾ばくもない子供が無線で南極隊と話すシーンは忘れ難い。やっと生きている誰かとつながった無線に向かって子供は語る。「みんな死んだ、僕はライフルを持っている」。必死の説得もむなしく響く銃声。南極基地を重苦しい空気が包む瞬間だ。

 そのうちこのウィルスの弱点は核の放射能であることがわかる。誰かが米国の核爆弾のスイッチを押しに行かねばならない。決死隊のメンバーは、もちろん草刈正雄である。(同行するボー・スベンソンは途中で死んでしまう) なぜ決死隊かというと、核爆弾のスイッチに到達するためには地上を歩かねばならず、それはすなわちウィルスへの感染=100%の死を意味しているからだ。つまり南極基地にとって草刈正雄はまさしく自らの命を捧げる殉教者にして救世主、2度と帰ってこない永遠の英雄として送り出すことになるわけだ。

 死に絶えた地上を歩いてたどり着いた草刈正雄が決死の思いで核爆弾を炸裂させた結果は驚くべきものだった。ウィルスが放射能で死滅したばかりでなく、放射能の方も相殺されて無害となったのだ! 何たるご都合主義! 実に素晴らしい!

 そんなわけで、南極隊を助け、地球の未来を救い、本人も生き延びた草刈正雄は、南を目指して歩き始める。オリビア・ハッセーたちが待つ南極へ向かって。何せ南北アメリカ大陸を歩いて縦断するのだからたいへんだ。ウルトラクイズも真っ青である。ホームレスの如きボロをまとい、フラフラになりながら人類の死滅した南北アメリカをひたすら南へ、南へと歩き続ける草刈正雄。この殉教者の如き行脚シーンについては、ファンの間でも賛否両論あるようだ。しかし、全般を通して彼の演技はなかなかのもの。昨年のNHK朝の連続ドラマ『私の青空』で見せた軽妙なキャラで若い世代からも再び注目を集めている彼だが、ぜひこの映画のような若い時代の演技も見てほしいと思う。

 それはさておき、どうやって海を渡ったのか南極隊のもとに帰りつく草刈正雄。まさか帰ってくることはあるまいと思っていた基地の人々は、歓喜して飛び出し自分たちの「救世主」を迎える。オリビア・ハッセーと抱き合うシーンは上に掲げた映画ポスターとは別パターンの図案として知られている。オリビアには既に子供が育っていて、帰還まで何年もかかったこと、南極基地の男女間で新しい生命を作り始めたことが暗示され、タイトルの 『復活の日』 がすなわち人類にとっての復活の第一歩を表していることを感じさせつつ映画は終了する。

***

 まあそんなわけでキングの『ザ・スタンド』と共通する部分が多々あるストーリィではある。細菌兵器の管理トラブルも、その舞台であるアメリカも、闘う男たちの設定も、帰ってくる1人の男の様子も、ラストに暗示される復活の前兆も、相当程度似通っている。まあどちらがどちらを、なんて野暮な話は止めておこう。どちらも素晴らしい小説/映画だし、こんな素晴らしい作品を2つも楽しめること自体を喜ぶべきだと思うから。

 もっとも、『復活の日』 には必ずしも賛成できない場面もある。それは南極基地で辛うじて生き残った人々のクリスマスのくじ引きだ。場所柄、南極隊はほとんどが男性で構成されている。オリビア・ハッセーはその中の数少ない女性だったわけだが、クリスマスに隊員の間でくじ引きが行われ、選ばれた幸運な男性がオリビアと夜を共にすることができるという設定なのだ。自分の好みとはまったく関係なく、性の道具とされる少数女性の悲しみがオリビアの表情からも十分に感じられる。生き残ったわずかな人類は、何とかして子孫を残さねばならない。すなわちオリビアは人類の使命を帯びて、イヤでも誰かとセックスしなければならない。1対多である以上、その相手は平等な方法で選ばれるべきである、という理屈付けがされてはいるが、いずれにせよ議論を呼ぶシーンだろう。田嶋陽子や上野千鶴子とはぜひ一緒に観たくない映画である。

***

 それでも、ジャニス・慰安、じゃなかったジャニス・イアンがテーマ曲の「ユー・アー・ラブ」を歌い始めると、何でも許せるような気になってしまうから、角川映画ファン&洋楽ファンは困ったものだ。

 サントラはもっと凄いことになっていて、ジャニス・イアンのヴォーカルの他、ギターに渡辺香津美、ベースにロン・カーター、ドラムスにスティーヴ・ガッド、キーボードにチック・コリアが配されていたりして眩暈がする。角川春樹が「金はいくらでも出すから、世界で一番いいヤツ連れて来い」とか何とか言って集めさせたのだろうが、映画総製作費26億円というのも、さもありなん。むしろサントラだけでいくらギャラを払ったのか気になるところだ(笑)



4 Sep 2001
Tuesday

 ずいぶん前になるが、スティーヴン・キングの 『ザ・スタンド』 を読んだ。

 1978年オリジナルリリース、当初削除されていた15万語を加筆修正して90年に無削除完全版リリース、いずれも爆発的なセールスを記録した大作だ。ある軍事施設から流出した細菌兵器としてのインフルエンザウィルスが猛威を振るって世界をほぼ壊滅させ、生き残ったごくわずかな人々が「善」と「悪」をめぐる壮大な争いに巻き込まれていく。人間の根源的な強さと弱さをえぐり出しながら、ラストではある種の宗教的な高揚感すら感じさせる、渾身の力作と言ってよいだろう。

 近年の、例えば映画 『ショーシャンクの空に』 とか 『グリーン・マイル』 のようなヒューマン・ドラマでキングを知った人も多いと思うが、それと同じものを期待すると肩透かしだろう。しかしながら、自分のようなキング読みに言わせれば、彼の70年代の諸作には、その後の円熟したストーリィテリングとはまた異なる、ひどく切迫した、堰を切って溢れ出す怒涛の「コトバ」のほとばしりを感じることができる。

 その意味で、初期の3作、具体的には "CARRIE" "'SALEM'S LOT" "THE SHINING" の輝きは永遠だと思うし、この後 "THE DEAD ZONE" "FIRESTARTER" などで見せる展開を踏まえると、光と闇あるいは正義と悪の戦いテーマの集大成としての "THE STAND" はまさに金字塔だ。

 近年のキングは、残念ながら自分にとっては必ずしも最高の小説家ではなくなりつつある。『ドロレス・クレイボーン』 などの被虐待女性テーマものや、数作書かれた作家主人公ものも、もちろん読んでいる間は熱中させてくれるのだが、その読書体験を通して自分に刻み込まれたものが何かあるかというと大いに怪しい。思えば、そういう体験をさせてくれた最後のキングは1986年リリースの "IT" だった。そしてその衝撃と余韻はキング体験の中でももっとも強いもののひとつであって、思い出すと今でも身体が震えるほどだ。

 まあ、人はいつまでも同じところに留まってはいられない。キングも明らかに70年代後半のあの位置から遥か遠くに歩いて行ってしまったのだ。そのことを確認したい向きは、この 『ザ・スタンド』 を読んでみるのも良いだろう。決して爽快な読後感が得られるストーリィではないが、それは人生だって同じこと。もっとも、90年に付加された序文だけは、例によって軽妙かつ痛快な語り口なので安心されたい。

***

 「心の痛みは、ひとが生まれ変わるための理由にはなる。
  しかし、世界中の痛みを全部合わせても、事実はかえられないんだ。」

 ("THE STAND" - Stephen King)



3 Sep 2001
Monday

 最初に断っときますが、今日は例によってH"の話です。

 エッチじゃありません。エッヂです。DDIポケット社が提供しているPHSサービスです。今さらPHS?とお思いかもしれませんが、再三書いているとおり、都市部で生活する分にはこれ以上使いやすい携帯端末はないのです。

 まず第一に、音が良い。会話の音声です。DoCoMoやJ-Phoneのケータイと比較すると、音声の圧縮レートが全然違ってて贅沢に64k使ってますから、耳元で囁いているようなリアルな声が聞こえます。(相手が固定電話かPHSでないと、その威力をフルには発揮できませんが…) そして、データ通信が速い。これも64kbpsで通信できますから、携帯端末にしてはなかなかのスピードです。出先でノートPCやPDAにつないでウェブをブラウズするのにも使えますし、より便利なPCカード型端末なども売られています。

 しかし、それなのに i-mode に大きく水を開けられたのは一体何故か? 最大の原因は、ウェブサイトをブラウズできず、独自仕様の「オープンネットコンテンツ(ONC)」と呼ばれるコンテンツサービスに固執してしまったことでしょう。i-mode の方はHTMLとの親和性を活かして、いわゆる勝手サイトと呼ばれる独自コンテンツが暴走的に発達し、ユーザを増やしたと言われています。ところが、実はH"で普通のサイトにアクセスしてもそこそこの情報は取れるのです。

 例えばこの日記ページにアクセスしてみます。自分の愛用するSANYO J80なら「情報サービス」というコンテンツメニューで、ONCの独自アドレスを入力すべきところ、「http://www.col.ne.jp/~winter/diary/diary_top.html」と入力します。しばらくすると、データをダウンロードして回線が切れます。メールボックスには、この日記の冒頭3,000文字(feel-H"各機なら10,000文字!)が入っているというわけです。これでBBSの最新書きこみを出先からチェックすることも可能。最近はより快適にリンクを辿ったりできる無料ゲートウェイサイト(例えば銀河など)もあって、うまく使えば相当便利なモバイルライフが送れます。まだまだH"は捨てたもんじゃないっす。

 実は先日、J80から、feel-H" のパナソニックHS-110に一瞬浮気=機種変更しましたが、1週間もしないうちに元のJ80に戻しちゃいました。通話音質が若干こもり気味になっていたような気がしたのと、カラー液晶のため電池の持ちがやや悪くなっていたことが理由。その他の点ではもちろん素晴らしい技術革新がありましたが、自分にとっての優先度は、通話音質の良さと圧倒的な電池の持ちだったので、迷わずモノクロ液晶のJ80へ。でもって、HS-110をYAHOO!オークションで売ったら、何と買い値の約3倍で売れて、利益が出てしまいました(^^;)。ううむ。まあ、買い手も機種縛り期間中だったのでしょうから、白ロムが手に入ると思えばあれでも安かったのかもしれませんが…

***

 冒頭の「最初に断っておきます」は、こちらのサイトの真似っこです。
 ああ、あちこちに増殖していく… ともあれ、リンクありがとうございましたm(__)m



2 Sep 2001
Sunday

 えひめ丸引き揚げ作業中という絶妙のタイミングで金曜・土曜と2夜連続放映された 『タイタニック』 を観る。ヒットした映画らしいが、全然興味がなかったのでこれまで観たことがなかった。むしろ苦手な内容だったので、積極的に避けてきたのかもしれない。ついでに言うならば、ディカプリオ出演の映画を観るのもこれが生まれて初めて。

 しかし。
 自分にはやっぱりダメだった。だいたいオープニングの海底探査シーン+ローズおばあちゃん登場まで30分もかかってしまうのである。まったくもって冗長の極み。それなら「レイズ・ザ・タイタニック」とか、全然違うけどピーター・ベンチリーの「ザ・ディープ」とか観ちゃいますよオレは。B級好きですんまそん。

 コンピュータグラフィックスが話題だったらしいが、これも馴染めなかった。例えば大海原を走るタイタニックの鳥瞰シーンなどは基本的に全てCGだと思うのだけれど、素人目にも明らかにアニメ風だったりして、ちょっと興醒め。イルカが飛び跳ねるシーンとかね。

 もちろん、見るべき対象はディカプリオやウィンスレットの演技などではなく、豪華客船のセットであり、調度品の数々であり、内装の凝り具合であることは分かっていたよ。それにしても各キャラクターの描き込みの浅さとセリフのしょぼさは辛い。あの3等客室でのわざとらしいアイリッシュダンスのシーン導入とか、誰か何とかしておくれよもう。あの船がアイルランドで造られ、多くの人が乗り込んでアメリカを目指していたことは史実としてよく分かったけれど、もっと他に見せ方はなかったのかしらん?

 沈没シーンに至っては、何だか笑うしかなかったんですけど、不謹慎ですかオレ? あれだけの実物大セットを組んで、ぶっ壊したジェームズ・キャメロン監督は確かに凄い人かもしれません。でもなぜか、例えば「ポセイドン・アドベンチャー」の豪華客船横転シーンとか、天地逆転した客船内装とかから受けた衝撃にはるかに及ばなかったのですよ。個人的には。リアルに撮れば撮るほど、リアリティが感じられなくなる。そんなこともあるらしい。

 キャシー・ベイツは相変わらず素晴らしい助演ぶり。また、艦長が「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三とあまりにもそっくりの白ヒゲ爺さんで、爆笑したっすよ。「艦長」といったら洋の東西を問わずああいうキャラなのか? 今回セリフが単純だったのでほとんど英語のまま観ていたのだけれど、ときどき日本語音声にしてみたら、ローズのいけ好かない婚約者男の吹き替えが江原正士さんで、これも面白かった。ジョン・ケイジ@Ally McBeal とは似ても似つかぬ声色、さすがはプロのお仕事です。

 何より苦手なのは Celine Dion の "My Heart Will Go On" だったりするわけで。
 日本でも知らない人はいないくらいに流れまくったこの曲だが、これがかかるとすぐラジオを消し、CDは売り飛ばし、街で流れるや走って聞こえないところに避難してきた経歴を持つオレとしては、「日本で一番この曲を聴いたことがない人」チャートの上位にランキングできる自信極めて大。今日もエンドロールで流れ始めるや否やすぐビデオを消しちゃったヨ!

 沈む豪華客船の上で、ついでに「ロミオとジュリエット」もやろう。

 というのがジェームズ・キャメロンの当初の企画だったそうですが、個人的にはむしろ「ポセイドン・アドベンチャー」「ロミオとジュリエット」を立て続けに観る方がはるかに濃密な映画体験ができると思いました。後者はもちろんオリビア・ハッセー主演の旧ヴァージョンで。

***

 そんなもん見てる間に歌舞伎町じゃ火事で44人死亡、逃げ場のなさは「タイタニック」の比じゃなかったかもしれない。キャバクラ店の名前「スーパールーズ」だけが虚しく響く週末の午後。



1 Sep 2001
Saturday

 先に録画してあった映画 『ルナ・パパ』 を観る。1999年、ドイツ/オーストリア/日本合作、タジキスタンの俊英、バフティヤル・フドイナザーロフ監督の長篇第3作。

 舞台はタジキスタンの湖のほとりの美しい小さな村。村にやってきた劇団の役者と名乗る男(姿は見せず)に誘惑され、月の光の下で結ばれた17歳の少女マムラカット。後に妊娠したことに気づいた彼女は、父親と兄の3人で、子供の父親探しを始める…

 この道中がまた奇天烈な出来事だらけ。ウサギ農場を営む厳格な父親、戦争の後遺症で精神を病んだ、しかしとても心がきれいで優しい兄がそれぞれいいキャラクターだし、何より少女マムラカット本人の、生命力に溢れ輝きを失わない活き活きした演技がいい。中央アジアの砂漠っぽい風景の中を車を飛ばして父親を探す3人の旅からは、たとえば 『バグダッド・カフェ』 のロードムービー版のような印象を受ける。

 思えば 『バグダッド・カフェ』 を観たころは、こうした砂漠の中でのファンタジックな映像にまったく馴染めなかったものだ。でも今なら、あの不思議な時間進行といい、風景といい登場人物といい、カルト的な魅力の一端を理解することができる気がする。そう、人の嗜好は確実に変わるのだ。変わらないことを自らの拠りどころにして、頑固なまでに自分のスタイルを守る人もいるが、もし守ること自体が目的になってしまっているのなら残念なことだ。

 オークランド近辺で活躍する Too $hort というラッパーがいる。
 1989年リリースの彼のアルバムに、"LIFE IS... TOO $HORT" という作品がある。最高位は全米第37位ながら、当時78週間もチャートインしたロングセラーだ。

 …そう、人生は何かに執着するには短すぎる。
 少なくとも僕は、自分で自分を縛ってしまって何かに目をふさぐより、ありとあらゆるものをもっと自由に感じ、楽しみたい。こうしている間にも、指の間からこぼれる砂のように、時間は未来へ、未来へ、未来へ向かって流れていくのだから。
 

 『ルナ・パパ』 で、私生児を妊娠してお腹が大きくなった少女マムラカットは、村中の人々から陰湿なイジメを受ける。追い詰められたラストシーンで兄は、奇想天外な手法で妹マムラカットを助け出す。古い因習や偏見に満ちた世界から、自由な世界に「飛び立つ」彼女を見上げて手を振る兄の表情に、猛烈に心動かされてしまった。不思議な余韻と温かさが心に残る。

 兄ナスレディンを演じていたのは、「ラン・ローラ・ラン」でローラの恋人役を演じたモーリッツ・ブライプトロイ。「ラン…」もまた、そのうち観なくちゃと思っているところ。やっぱり、人生は何かに執着するには短すぎるのだ。走って走り続けなくてはならない。


 …Too $hort が10数年間にわたり頑固に執着してラップしている内容が、PIMP/PLAYER LIFE一直線のエロエロ路線であることはこの際無視する方向で。




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