Diary -July (1) 2001-

日記才人

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15 July 2001
Sunday


 大韓民国ソウル市より無事帰還。
 ある意味、自分の人生で最も重要な数日間だったということになるのかもしれない。いや、ソウルがどうこうっていうんじゃなくて。そこがどこであろうと全く関係なく、自分の心の中を整理する貴重な時間になりました。プチ旅行記の方は骨組できたら順次アップしていく予定です。

***

 NHK教育の日曜午後3時からの映画枠で、映画『フォーエバー・フィーバー』を観た。昨年恵比寿ガーデンシネマで『ロッタちゃんはじめてのおつかい』を観に行ったときに予告編を観て、もうこれは絶対観たい!と思っていた映画だ。

 アジアの映画の面白さについては何回か書いているけれど、今日のこれは98年シンガポール映画。シンガポール英語(Singlish)の独特のイントネーションや、後ろに "〜ラッ" と付けるクセは、シンガポールの華僑たちと一時ずいぶん仕事上でやり合ったのでとても懐かしく響く。舞台は77年のシンガポールで、スーパーマーケットのしがない店員ホックが、憧れのオートバイを手に入れるためにダンスコンテストに出場することになる物語。年代でピンと来る? そう、ディスコブーム全盛期!

 映画の方も冒頭でいきなりかますカール・ダグラスの "Kung Fu Fighting" をはじめ、重要な役割を果たす "SATURDAY NIGHT FEVER" のサントラ楽曲総出演でノリノリにさせてくれる。誰がなんと言おうと、ディスコミュージックは20世紀のポピュラー音楽の最大の遺産のひとつだろう。人間だもの、辛いときや悲しいときもあるけれど、あの弾力的なベースラインとドラムのグルーヴが聞こえてくると、つい身体が動き出す。そして身体が動いている間は、辛いことだって忘れられる。

 主人公のホックはいかにもパッとしない感じ。ブルース・リーに憧れる設定で、ルックス的にはブルースを相当ウッちゃんに近づけて崩した感じかな。そもそも彼は「ダンスなんてダサい」と馬鹿にしていたクチだったのだが、仲間と観に行った「サタデイ・ナイト・フィーバー」のトラボルタ(ニセモノ)のかっこよさにすっかりやられ、賞金目当てにダンスコンテストに出ることに。画面から出てきてホックに話しかける偽トラボルタが笑わせる。でも全然踊れなかったホックが、偽トラボルタの教えに従ってバッチリ決めてディスコで踊るシーンでの輝きっぷりといったらない。どんなに取り柄のない男でも、何かに熱中しているとき彼は最高に光り輝くもの。女の子たちもきっと男のそういうところに惹かれるんでしょ? えっ、違うの?(^^;)

 ところで脚本が素晴らしいと思ったのは、この縦糸に対してホックの家庭事情を横糸として絶妙に織り込んであったから。決して裕福とはいえない5人家族の長男ホックに対して、次男レスリーは両親の期待を一身に背負って医学部に進学した優等生。妹はまだ大きくないけど、ハーレクインロマンスみたいなのばかり読んでる(笑)。で、両親の良い子だった弟レスリーが、もう親の言いなりに生きることはできない、実は性転換して女になりたいんだ!と宣言するあたりからストーリィが加速し始める。

 兄弟妹愛(かなり泣かせる)、幼馴染みのメイとの心のすれ違い、金持ちのボンボンとの確執… アジア映画の底辺にいつも流れる貧困の問題を、ここでも大きくクローズアップ。でもホックは、心まで貧しいヤツになったりはしない。絶対に。

 Kung Fu と Dancing が交錯するラスト方面のカタルシスは素晴らしく、期待通りのハッピーエンディングに僕の心は熱くなる。そうそう、こう来なくちゃ。1週間の長いヴァケーションの最後を締め括る、とてもいい映画でした。オススメ!

***

 そして今日一番心に残ったフレーズ。"Don't think. Just feel."
 この言葉に、ぐっと背中を押された。よろめきつつ一歩を踏み出す自分が今感じてるこの気持ちこそ、きっと正解なんだろう。ありがと、Bruce Lee。



11 July 2001
Wednesday

 イチローがランディ・ジョンソンから内野安打を打ち、引退するカル・リプケンJr.がホームランを放つ。これぞオールスターゲーム。21世紀冒頭を飾る素晴らしきお祭り気分。

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 年賀状を整理していたら、こんな感じの『わくわく21世紀史』が出てきた。自分自身の歴史も重ねてみよう。

2001(平成13)年  中央省庁再編(1月)
             winter生誕31周年(5月11日)
             宇宙飛行体験ツアー開始(12月)
             2001年宇宙の旅
2002(平成14)年  サッカーW杯日韓共同開催(6月)
2003(平成15)年  天馬博士が鉄腕アトムを製作(4月7日)
             第2東京タワー完成
2005(平成17)年  中部国際空港開港、愛知万博開催
             香港ディズニーランド開業
2006(平成18)年  日本で地上波デジタルテレビ放送開始
2007(平成19)年  営団地下鉄13号線(池袋〜渋谷)開業
2009(平成21)年  winter生誕40周年(5月11日)
             日本で皆既日食(7月22日)
             マクロス進宙式
2010(平成22)年  日本のアナログテレビ放送終了
             プエルトリコがアメリカ51番目の州に昇格
2013(平成25)年  厚生年金支給開始年齢が65歳に引き上げ
2015(平成27)年  エヴァンゲリオン初号機起動
             1984年からデロリアンが出現
2029(平成41)年  人類の宇宙移民開始。この年を宇宙世紀0001年と制定。
             スカイネットが1984年に向けてターミネーターを送りこむ。
2035(平成47)年  日本で皆既日食(9月2日)
2062(平成74)年  ハレー彗星が76年ぶりに地球に接近
2069(平成81)年  ネブカドネザル号が建造される
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2100(平成112)年  winter生誕130周年(5月11日)

 ♪嗚呼素晴らしき哉 "21 Century Schizoid Man"。by King Crimson。
  墓碑銘はいつだって『Confusion』に決まってる。

  そんなわけで、次の更新は7月15日(Sun)の可能性大。どうかご了承くださいませ。



10 July 2001
Tuesday

 ちょっと東京を離れて外国に行ってきた。

 土曜日の朝イチで出発だったので、準備その他がややたいへんだった。空港のカウンターに到着すると、案の定忘れもので、マイレージカードがどこにも見当たらなかった。幸いにして番号を控えていたので、JALのカウンターに並んでお姉さんに手動でチェックインしてもらう。

 なんと驚いたことに、お姉さんは浴衣を着ていた。

 まだ夢を見てるのかと思ったが、よく考えてみるとその日は七夕であり、JALが気を利かせたつもりでのコスプレサービスなのだった。手際よく作業するお姉さんのうなじや、浴衣の袖からのぞく白い腕が涼しげでよい、という見方もあるのだろう。結局制服なんてどうでもよいものであって、人間は何を着ていようと(あるいは着ていまいと)、大抵の仕事をこなすことはできる。

 だからといってJAL機内のスチュワーデスたちが全員浴衣を着ていたり、はたまた水着だったりするわけもなく、僕の期待は多少裏切られた。シンガポール航空のチャイナドレスに対抗しうる制服は果たしてあるのだろうか。

 JALと言えば今やTVCMで1時間に10回くらい流れるような気がする矢井田瞳の "Over The Distance" のヘヴィローテーションの方が問題だろう。YAIKOの高音裏返りは好き嫌いが分かれるところなのは間違いない。みんな Alanis Morissette とかもう忘れちゃったのかな。

 JALボーイング777には1機ずつ星の名前がついているのだそうだ。搭乗機の名前は『アルタイル』、すなわち七夕の彦星であった。1年にたった1度、織姫と会うことができるという七夕のストーリィは、幼い頃から僕らの心を魅了してきた。遠距離恋愛カップルたちの精神的支柱になっているといっても過言ではない。ロマンティックを通り過ぎて、崇高な関係ですらある。

 だからといって、足摺岬上空あたりでJALボーイング777織姫号と空中でガシャーンと出会ってもらっても困るんだけどな(藁

 それはともかく、機内で七夕にちなんで短冊を配るサービスはなかなか気が利いていた。書いてもらった短冊をまとめて何とか八幡宮に奉納してくれるんだという。そうこうしているうちに飛行機は着陸した。降り立った地は、僕の心の中ではアイスランドよりもアルゼンチンよりもはるかに遠い外国、南九州の某空港だった。

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 それから数日間の記憶は早くもほとんど風化していて、気がつくと自分の部屋でこれを書いている自分がいる。休む間もなく、明日の夜からとてもとても近い大韓民国ソウル市に旅行予定。今週末から来週に書けての日記はソウル旅行記になる可能性大。



6 July 2001
Friday



 FRISKが好きだ。

 ご存知ベルギー原産のミント菓子。会議中や仕事中に理由もなく突然猛烈な睡魔に襲われてグラグラしがちな自分にとっては手離せないアイテムだ。コンパクトでクールなパッケージや、そのメカニズムも含めて、自分の心を思いっきりくすぐってくれる。手に持ってシャカシャカ振る音だけで、パブロフの犬ならぬフリスクの犬の如く、条件反射で口中にミント味が広がる。

 そんなわけで僕の机の中には味違いも含めて常時3,4箱転がっ ているわけだが、昨日もFRISKスペアミント未開封が出てきた。出てきたのはよいが、賞味期限が「01.04」となっていたのには驚いた。まさか2004年1月ってことはあるまい。すなわち3ヶ月ばかり賞味期限切れである。

 そもそもFRISKに賞味期限なんてあるのだろうか。
 賞味期限を超過するとどのような不具合があるというのか。

 考える間もなく封を切り、3粒ほどまとめて口に運ぶ。期待を裏切らないスペアミントの刺激。何ら問題なく食用可。よかった。棚からぼた餅ならぬ、机から未開封FRISKである。

 そういえば、現代の小学生にアンケートを取ったところ、好きな諺として圧倒的多数から『棚からぼた餅』が挙がったという。一方嫌いな諺は『石の上にも3年』など。楽して幸運に巡り合いたいという気風の現れなのかもしれない。

 棚ボタだけを追い求める子供たちが大人になった社会は、いったいどんなところなのだろう。

 賞味期限切れのFRISK箱に印字してある sharpens you up という文字を眺めながら、「貴方を尖らせます」とつぶやいて、ちょっぴり口をとんがらせてみた。

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 都合により9日(月)夜くらいまで更新なしの予定です。何度もいらしていただいたお方にはお詫び申し上げます。今後ともよろしくです。



5 July 2001
Thursday


 昨日はアメリカ独立記念日だったんだね。

 独立記念日に映画 INDEPENDENCE DAY 観るという企画を実行し忘れた。ていうか一度観れば十分過ぎますあの映画。ハエ男フェチでない限り。それより敬愛する Tim Burton 先生の『猿の惑星』リメイク版の方がずっとずっと気になる。コーネリアス元気かな。

 (コーネリアスはいません)
 (それどころか、マーキー・マークことマーク・ウォルバーグが主演です)

***

 ところでトルシエ監督は相変わらず最高だ。
 自分のチームの某選手の発言を指して、「サッカーの文化が成熟していない」と斬って捨てた。元発言は何かというと、パラグアイ戦に完勝したあと一部の選手が話した「もっと強い相手と対戦したい」というアレだ。

 トルシエ哲学は徹底している。
 それによれば、勝敗を分けるのは、試合ごとの良い準備とその実行。「格付け」には意味がない。逆にそんな考えは、サッカーの進歩を停滞させる。

 つまり相手が強かろうと弱かろうと関係ない。よいサッカーをすることが第一で、そうすれば勝利は自ずとついてくる、という趣旨のようだ。

 だが現実にはなんと多くの人々が「格付け」に惑わされていることだろう。
 順位や偏差値や、収入やメル友の数やなんかで「自分はみんなより有利な位置に立っている」と思い込むことで思考停止し、心の安定?を得ているみたい。だがトルシエが言うまでもなく、そんなことでは「今日の勝利も、明日の勝負を保証してはくれない」。そもそもそれが「勝利」なのかどうかも大いに怪しいところだ。

 実体のつかめない某内閣には相変わらずほとんど興味がないのだけれど、トルシエとカルロス・ゴーンについては、もう少し応援してみたいと思っている。



4 July 2001
Wednesday


 今夜も飲み会。それもダブルヘッダー。イチローは打ち続けるが俺は飲み続ける。

 帰宅すると午前0時。シャワーを浴びて眠る寸前、小腹がちょっとした反乱を起こす。なぜアルコールを摂取した夜に麺類、特にラーメンを食したくなるのかは永遠の謎だ。だが今夜ばかりはキッチン周りにラーメンはなく、代わりに見つかったのは「揖保の糸」すなわちそうめんだけだった。

 とにもかくにも茹でてみる。沸騰した鍋に、麺をぐるりと放射状に広げながら突っ込む。先端から軟化して、鍋の中に飲みこまれていくそうめん。塩をひとつまみ入れるんだったかな。それともそれはスパゲティだったか。

 さてと。そうこうするうちに茹であがる。

 おや? 麺つゆがない。これさえあれば大抵の料理の味付けは誤魔化せるという奇跡の調味料、麺つゆを切らすとは何事か。ここで選択肢は約3つ。

 1) この際そうめんであることを忘れ、醤油をかけたり、
   パスタソースをかけたりして、とにかく食す。
 2) 諦めて明日のお味噌汁にでも入れることにし、ひとまず眠る。
 3) 捨てる。

 …そうじゃないだろ。正解は4) コンビニで麺つゆを買ってくる、に決まってる。玄関のドアを開けると雨降りだ。ガッデム。傘をさして近くのセブンイレブンへと急ぐ。

 「いらっしゃいませー」

 こういう時に限って、いつも可愛いなと思っていた女の子がレジに立っていたりするものだ。麺つゆ一本差し出すのは気が引けるので、つい他のものを抱き合わせでレジに出す。もちろんそれは MICHIKO LONDON のロゴの入ったコンドームなどではなくて、菓子パンそれもメロンパン@¥100だ。個性の強そうなメロン皮が馴染んでくれないけれど、外はパリパリ中はフワフワ、メロンパンの王道だ。

 「35円のお返しになります」

 上下から俺の手を包み込むようにしてお釣りを渡す彼女のしっとりした両手の柔らかさに、俺は一瞬このまま明け方まで時間が止まってくれればよいのにと思ったが、時間が止まれば明け方が来るはずもなく、そもそもレジ打ちの彼女がそのまま俺の手を包み込んでいてくれるはずもなかった。

 「お待ちのお客様どうぞ」

 俺は見えない何かに押し出されるようにコンビニから出て、とぼとぼと家に向かった。

 ピンポーン。試しにチャイムを押してからカギを開けてみたが、何事も起こらなかった。だいたい、ここでさっきのコンビニの可愛い女の子が玄関の中から出てきたりしたら俺の心臓が止まる。

 案の定、そうめんはのびきっていた。ある意味、炭水化物のカタマリだ。だがすべての食物は突き詰めれば栄養素に還元されるのであって、見た目と食感と味付けで辛うじて差別化を図っているのに過ぎない。そんなことを考えながら麺つゆでほぐしながら食したそうめんは、これまでのところ今世紀最高の美味さを誇っていたと言っても過言ではなかった。

 …まあ、今年初めてのそうめんだったのだけれど。

***

「夜遅く家に帰ってきたらちょっと小腹がすいたので、
そうめんを茹でてみることにした
できあがってからふと冷蔵庫を見ると、つゆが無い
慌てて雨の降る夜道を近くのコンビニへと急ぐ
帰ってくると、麺はのびていた」


 このテーマを自分なりの文章で書いてみよという、しまけんさんちのそうめん企画。遅れ馳せながらうちも参加還元反応。二酸化マンガンは触媒。水平リーベ礒野フネ。



3 July 2001
Tuesday


 仕事が終わってから、大好きな無印良品に出かけました。無印は自分にとってのおもちゃ箱のようなところで、出かけていろいろなアイテムを眺めているだけで何時間もお店にいられるくらい、お気に入りのモノがたくさんあります。

 ここ1年ほど使っているものに、「石けんシャンプー」と「弱酸性リンス」があります。昨年特に肌の具合が悪くなったときに、添加物の少ないものにしなくちゃと思って買ってきたもので、それ以来買い続けています。日曜日に吉祥寺店で探したらなくなっていて焦りましたが、新宿ルミネ店にはまだありました。「商品入れ替え」として値下げされていることからすると、あるいはこれから消えてしまうのかも。

 石けんシャンプーは泡立ちがあまりよくありません。良い香りもしません。でも油分を流しすぎることがないし、石油合成成分を含む他製品よりは髪や肌にも優しいようです。ところで石けんシャンプーで髪を洗うと、髪がきしみます。これはアルカリ性になってしまうから。そこで、弱酸性リンスを使ってpHバランスを整えるわけですね。

 ふと気付くと、デジタルカメラも売られています。FUJI のFine Pix 似のデザインで、35万画素@¥9,800。フラッシュ付き・20cmマクロ撮影可。大いにそそられますが、結局買わないことに。持ちモノは少ない方が自分の性格に合っているようです。

 いい風景に出会ったとして、それをカメラで撮影する手間とその画像ファイルを整理する時間があるならば、むしろ1秒でも長くその風景を自分の眼でじっくり眺めていたい。その上で心に残る何かがあるならば、こうしてコトバで書き残していきたい。そういう風に考えるようになりました。

 お買い物は結局、石けんシャンプー/弱酸性リンス/化粧水(敏感肌用)/乳液(敏感肌用)/コットンパフの5点。こうしてバスルーム周りに、お気に入りの無印良品のボトルたちが並んでいくのを眺めると、ちょっぴり心が和むのです。



2 July 2001
Monday


 新聞の切抜き箱を引っくり返していたら、数ヶ月前の朝日の投書欄がまた出てきた。どうやらアトピー関連の投書については、無意識のうちに切り抜いてしまうらしい。自分がかつて苦しんだことは、そう簡単に忘れられるものではない。

 この投書も母親からのものだ。幼少時から必死に治療を続けてきたが息子の重症アトピーは回復せず、顔といい手足といい見るも無残な状態だという。だが、彼は自分が苦しんでいるだけあって他人の苦しみや心の痛みにたいへん敏感で、友達や弟妹にとても優しく接する。そうして前向きに治療に取り組む姿を見て、母親はまた涙を流しながら誓いを新たにし、投書するのだ。神様はこの子に大きな試練を与えたが、それと引き換えに他人の痛みを分かってあげられる心をくださった。何よりもありがたいそのことに感謝しながら、この子と一緒に頑張っていこうと…

 ちなみに僕の場合はアトピー性皮膚炎という形で現れたが、僕の弟は喘息/気管支炎という形で苦しんだ。喘息の発作で夜も眠れず、息ができずに涙を流して苦しんでいた弟は、今ではすっかり回復して社会人生活を送っている。5月18日の日記にも書いたとおり、ハンセン病判決の報道取材などいい仕事を続けているようだ。兄の自分が言うのもなんだが、彼は本当に優しい心を持った男だ。動物に対しても人に対しても、いたわる気持ちでいっぱいだ。そしてそれは、きっと彼自身が喘息で苦しんだ経験から来ているのではないかと想像する。だからこそハンセン病取材を任されたりもしたのだろう。

 僕はといえば、ある人からこう言われたのを忘れることができない。
「どうか、人の痛みを分かってあげられる人間になってください」

***

 故意にそうしようと思ったわけではないのに、結果として人の心を傷付けてしまったことがある。その時その時の自分の心に素直に行動した結果だ、というのは詭弁に過ぎない。

***

 僕のアトピー体験なんてちっぽけなものだ。絶対に感染するはずのない皮膚炎なのに友達から気味悪がられ、夏のプール開放には来ないでくれと言われ、悩めば悩むほどそれをあざ笑うように悪化したその経験から、僕は何となく、ハンセン病患者が差別されて苦しんだ気持ちが少しだけ分かるような気がしている。だがそれは気のせいかもしれない。見かけだけで差別される苦しみ、例えば肌の色だけで差別されたブラックたちの気持ちを、『アンクル・トムの小屋』なんかを読むと身を切られるように痛切に感じるが、これも気のせいかもしれない。


 結局僕は、「人の痛みを分かってあげられる人間になってください」というその人の言葉の周りを、何周も何周もぐるぐる回り続けている。いつまでもいつまでも。



1 July 2001
Sunday


 真夏の太陽が照りつける中、吉祥寺に髪を切りに出かけ、ついでにデパートのバーゲンをちょっと覗いてくる。年々バーゲン時期が早まり、かつ長期化しつつあるような気がする。業界の厳しさを感じずにはいられない。

 こう暑いと街行く女の子たちの肌も露出が多くなる。短いスカート、素足にサンダル、ノースリーヴで二の腕丸出し。だけどすべての女の子がそうやって素肌を晒せるわけじゃない。街中や電車内で、アトピー性皮膚炎に苦しむ女の子たちを見るとき、僕は何ともいえない絶望的な気分になる。自分自身がアトピー持ちであるため、夏場の辛さは痛いほど分かるから。

 特に若い女の子の場合、その辛さは想像を絶する。人を見かけで差別しちゃいけない、と偉そうに理念を語るのは結構だが、そのいったい何人がアトピーの辛さを体験したことがあるというのか。全身アトピーで苦しむ心のきれいな女の子と、真っ白でつるつるした素肌だがズルくて心汚い女の子がいたとして、前者を選ぶと言い切れる人がどれほどいるだろうか。

 自分の場合、今ではごくごく軽症化してはいる。昨年まではもう何年も治まっていたのだが、転職して今の職場に来てから少しずつ肌の調子がおかしくなった。環境の変化による目に見えないストレスや、巨大な建物の構造上の問題、特に換気の悪さが影響しているのだろう。幼少時にはやはり全身発症し、医者に投与されるままに副腎皮質ホルモン/ステロイド剤を塗布してさらに事態を悪化させてしまった経験がある。だが思春期を過ぎ、成人になる頃にはごく自然に回復していった。発症の理由も回復の理由も、どうもはっきりしない。

 そう、アトピーのツラさは、原因がはっきりわからないところにある。

 そもそも「アトピー」という言葉そのものが、ギリシャ語だかで「よくわからない、謎の」といった意味だったように記憶する。原因不明すなわち治療不可。いつ治るとも、何が効くともわからない治療生活ほど辛いもののはない。なぜなら「死ぬまで治らない、何をやっても治らない」可能性が多分にあるからだ。死ぬまで永遠に続く暗黒のトンネルの中にいると気付いた時、全身を覆い尽くすアトピー性皮膚炎の患部がいっせいに悲鳴をあげ、禁断の思考が頭をよぎる。そう、生きていても意味がないという思いが。

 昨日の朝日新聞に、やはりアトピーに苦しむ子を持つ母からの投書があった。「母さん、僕を産んで欲しくなかった」と中学1年のその子から言われ、母親は涙したという。生後まもなく発症して13年、彼の治療生活の苦しさは想像するに余りある。だが「今日死のうと思った」とまで言わせるその辛さはいったい何なのか。投書はそれを、心のケアをしてくれるところの不足だといい、僕はそれに大いに賛同する。皮膚科の医者は、皮膚の治療はしてくれるが心の治療はしてくれない。アトピーのような病気の場合、心の整理や病気への向かい合い方というのは極めて大きな部分で、これがあるかないかでトンネルの暗黒度が全然違うのだ。自分の経験を振り返ってみても。

***

 すべての人の周りに、その人を十分理解し、愛を注ぎ、付き添ってくれる伴侶/パートナーがいてくれればいいのに…。僕はしばしば、そんなことを空想する。独りじゃない、そう思えるだけで、アトピーに向かい合う心の整理ができる。人間は想像以上にメンタルな生き物。愛情の欠如こそが人を自暴自棄にさせ、殺人事件を起こさせ、自殺させる究極の原因なんじゃないか? ならば愛情の連鎖を作るところからすべては始まるのかもしれない。まず自分を大切にし、相手をいたわる。いたわってもらった相手が、さらに他の人に愛を注ぐ。この繰り返しがすべての人に行き渡ったとき、劇症アトピーは多少なりとも改善しているような気がしてならない。


 楽天的だと思いますか? でもまず、医者や専門家が心のケアをすることなんかよりも、もっともっと足元から始めなきゃ、って思うのです。


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