Diary -January 2001-


2001年1月31日(水)

本日水曜日は全庁一斉定時退庁日につき、僕の勤務終了時間である18時15分ちょうどにオフィスを飛び出す。向かう先はHMV渋谷店なり。そう、今日は Meja のインストアイベントが行われているのだ。

到着してみると、既にアコースティックライブが始まっていた。伸びのある瑞々しい歌声、これが Meja の何よりの魅力。

ライブが終わると、J-WAVEの番組と連動した秀島史香&ピストン西沢のインタビュウなど。愛嬌を振りまきながら答えていく彼女はとても好印象で、とても「いい人」って感じでした。

どうでもいいんですけど、秀島史香ってのも曲者。ちょっとわざとらしいくらいの声でしゃべるDJで、人によっては×かもしれないけれど、自分的には結構お気に入りだったりする。

帰宅後、エノキ茸と卵とネギとお豆腐とソーセージとお味噌とご飯とヒジキなどの食材で夕食を作り、食す。

午後10時からは全米トップ40@TVKを見る。
Joe featuring Mystikal の "Stutter" のクリップがかかる。
アルバムヴァージョンは Teddy Riley 作だが、シングルは Allstar によるリミックスで、かなり癖のあるアップに変身している。何と言っても、ミスマッチとも思える Mystikal との組み合わせに注目だが、さすが今一番乗ってるラッパーだけに、存在感抜群の機関銃のようなガナリを複雑怪奇な符割で披露。まさに「ミスティカルはマシンガン」by Kula Shaker。

明日は午後、まとまった雨らしい。

2001年1月30日(火)

今日は、午前中で仕事のメドをつけ(ほんとはメドがつかなくて、係長に押し付けてきてしまった(^^;))、銀座へお出かけ。「第19回北方領土の返還を求める都民大会」なるイベントに応援要員として駆り出される。地方自治体ってこんなことまでしてるのね…。

12時15分に到着してまずお弁当をいただき、場内整理やステージ片付けなどを手伝う。16時過ぎには終了して今度は懇親会として、ケータリングのお料理やお酒をいただく。

こんなことでいいのか公務員!

ま、怒るのもほどほどに早急に帰宅。明日からまた地道に働くことにします。

2001年1月29日(月)

今日は渋谷にて「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観る。

重い。
ビョークの演技は単なる演技を超えていて、ほとんど彼女の人生そのままをぶつけているよう。確かにぜひ見ておくべき映画だと思うけれど、確かに想像以上に重くて、線路の上で踊るシーン以降はまさに下向きの螺旋を下る一方で、人間の醜さや悲しさや、辛さが切実に描かれる。

 ライブステージ上でも持て余し気味だった Bjork の表現衝動が、ようやく容器のサイズに合ったのかなあという感じ。あちこちで言われてるけれど、これは演技というより Bjork の生き様そのものであって、「迫真の」とかその手の形容が空々しく響く。歌手であり、母であり、一人の女性である Bjork の全てをリアルにパッケージした、ある種奇跡的な映像なのかも。
 "It's Oh So Quiet" というフレーズが独房で2回繰り返されたのが印象的だった。

 暗黒のまま音楽が流れる、3分半の突き放すようなオープニングも、振り返ってみるととても効果的だった。

2001年1月28日(日)

●図書館に行って本を返却し、またたくさん借りこむ。全てを読み尽くせるわけではないのだが、それでもたくさん借りずにはいられない。細切れ時間を集めないと読めないから、頑張って読もう。

●朝は焼肉(ハツ?)、あんかけ卵焼き(?)などを食す。昼はカレーうどんなり。そして夜はチキン系。雪で路上コンディション悪く、ジョギング/ウォーキングはできず。また次回ということで。

●新大久保駅の事故は、誤って転落した一人を見ず知らずの2人が助けようとして全員巻き込まれたものであることが判明した。何たる悲劇。そして人間の勇気。

2001年1月27日(土)

●最近、毎週木曜2300からNHK教育で中坊公平氏の番組を見ている。「日本人の法と正義」というもので、司法改革などを語るわけだ。氏の人柄がよく出ており、内容もわかりやすい番組だ。
 先週の放送では、弁護士とは弱きを助け、強気をくじく商売であって、弁護士・医師・牧師の3つだけはビジネスオンリーが許されない、プロフェッションでなくてはならない、という主張をしておられた。何故ならば、この3つの職業は他人の不幸が飯のタネであって、その代償が必要だからだという。なるほどおっしゃるとおりである。
 こういう弁護士ばかりであれば、また世の中も変わってくるのだろう。

●雪に覆われた朝だった。しかもますます強く降り続き、夕方までどんどん積もった。久し振りの大雪。

●そんな中、出かけるわけにもいかず読書したり、ビデオに録画してあった映画などを見た。

1.「どんな時も」("ANGUS" 1995)
 深夜によくやってる謎の映画モノをよく録画しておいて、暇なときにまとめて見るのは極上の悦楽だ。この映画もそんなもののひとつ。キャシー・ベイツが助演でクレジットされていたので見てみたら、あーら何と "ANGUS" じゃありませんか。
 これ、サントラは中古CDでよく見かけるアイテム(Green Day "J.A.R." 収録といえば分かるよね)なのでよ〜く知っていたのですが、邦題があまりにも外していたので、新聞で映画紹介を読んでも全くピンとこないまま録画していたのでした。
 アウトラインは、思春期を迎える少年少女の肉体的なコンプレックスを真正面からテーマにしたもので、中盤で亡くなるおじいさんの素敵な人生訓など、良心的な映画だとは思ったが、如何せん華に欠ける。残念。ただし、「普通」じゃなくてもいいじゃないか、人はそれぞれ異なった身体を持って生まれてくる、そうした「個」を尊重しようよ、という主題はとても大事なことで、僕は主人公の肥満の少年を思いっきり応援したくなる。単純でごめんね。でも映画を見るときくらい素直で単純になったっていいよね。

 そうそう、後に90210の Janet 役でレギュラーの座を射止めるリンゼイ・プライスがちょい役で出演していたのを確認できたのも大収穫(^^)v

2.「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)
 ホラー/ゴシック系としては古典中の古典だが、何となく今まで避けてしまっていて、ようやく見ることに。言うまでもないでしょうが、巨匠ロマン・ポランスキー監督です。アイラ・レヴィンの大ベストセラー原作はもちろん先に読んでます。
 はっきり言って、最近のホラーものに目が慣れてしまった世代が見ると期待外れだと思うかもしれない。モンスターも出てこなければ血しぶきもない。もちろんそれはポランスキー監督の狙いどおりなわけで、怪奇現象一切なしで、アパートの住人達の悪魔崇拝や怪しげな薬草といったアイテムだけで淡々と積み重ねる異常世界が、妊婦/若妻であるローズマリーの妄想の境界線ぎりぎりに迫るところが見どころなんだろう。
 僕自身は、ぐちゃぐちゃなホラーはちょっと遠慮したいところなので、この抑えた演出は映像美としてそれなりに楽しめました。68年を象徴するファッションも素敵。細かいドットのワンピースとか、白基調のインテリアとか。

●夜は例によってNHK海外ドラマ三昧。"Beverly Hills 90210" "Dharma & Greg"。前者は最終回に向かって各種役回りが精算されていくさまが美しいし、後者はますますぶっ飛んでいく展開に笑いが止まらない。ああ、幸せ。

2001年1月26日(金)

今朝は電車が15分くらい遅れ、新宿駅から職場まで全速力で走って走って、やっとのことで間に合った。
まあ、30分遅れればさすがに諦めて届けを出して遅刻するのだけれど、半端に間に合いそうなときはやっぱり走るしかない。あと1本早い電車に乗るようにすればいいじゃない、と言うのは簡単だけれど、朝は1分でもゆっくり本を読んだり、少しでもゆっくりと朝食を作って食べていきたいのだよ。

ところで、ショックなことに、これまでゴミ分別を間違っていたことが判明した。可燃ゴミにビニール袋やラップ類を出していたのだけれど、これは不燃ゴミの日に出すべきものだった。ごめんよ環境! すまない地球! そして収集後分別作業をしていただいた皆様、たいへんご迷惑をおかけしました。

今日のお昼はニシンの塩焼き。卵入りなので、美味しさ倍増。
夜はえびギョーザとメンチカツ、牛肉コロッケなど。美味しかったです。明日は朝から雪が積もっているらしい。本当は週末は美術館や映画館に行って精神の保養をしたいのだけれど。

夜のニュースはどこも、山手線新大久保駅で3人死亡事故の件で持ちきり。人生はかくも儚きものなり。アーメン。

2001年1月25日(木)

今日は下水道局のF本部長とワシントンホテルで昼食をご一緒する。
氏は先の異動で局長クラスに昇格なさっている。前の会社の後輩のお父さまだったことが判明して、今の職場に入る前に一度夕食をご馳走になったことがある。

氏のお話はいつもとても勉強になる。例えば公務員としての処世術なんてものは、誰も決して教えてくれないものである。なぜならば、それを教えることは、すなわち敵に塩を送ることだからである。

しかし、今の氏は既に上るところまで上り詰めつつあり、さらに私見を交えさせてもらえるならば、氏は出世に汲々としているわけではないのである。もちろん仕事は人一倍お好きなのであろうし、いつもどうやったらより面白く、より楽しく仕事ができるだろうかと知恵をめぐらせているタイプのお方のように思われる。

本日の教訓は、職場の上司にはこっそり年賀状は書くべし! そして可能であれば旅行した際や帰省時に、気の利いたお土産をさりげなくお渡しすべきだとのことであった…
苦手な分野ではあるが、そうした出費は決して損得勘定してはいけないという。そうした投資を地道に重ねたヤツが、最後の最後には笑うことになるのだという。

恐るべしお役所。しかし、悲しいかなそれがまぎれもない現実。

2001年1月24日(水)

いささか古い話になってしまったが、昨日の朝日新聞夕刊に興味深い記事を見つけた。

それは『ボルトンさん歌盗用で6億円賠償』という見出しである。
チャートファンには比較的知られている事件だが、敬称の使い方などが勉強になるのでちょっとばかし引用してみると、

 米国の人気歌手マイケル・ボルトンさんに歌の一部を盗用されたとして、ソウルミュージック・グループの先駆けとされるアイズリー・ブラザーズのメンバーが著作権法違反で訴えていた訴訟で、米連邦最高裁は22日、ボルトンさん側に約540万ドル(約6億3000万円)を支払うよう命じた。
 原告側によると、ボルトンさんのヒット曲「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」(1991年)は、アイズリーさんらが64年につくった同名の歌と、曲や歌詞が酷似しているという。

と書かれている。
ここでいくつか引っかかった点をいくつか挙げてみよう。

(1)このように「さん」という敬称を用いるのに違和感を感じる方もいらっしゃるかもしれない。しかし朝日はナップスターものの記事で「米国の人気ハードロックグループ、メタリカのラーズ・ウルリッヒさんは強く反対した」といった表現を好むものであり、首尾は一貫している。
 ただし、浜崎あゆみや宇多田ヒカルなどには敬称を付けないことも多いようだ。

(2)ボルトンさんは、ご存知のように既に人気歌手としてのピークを過ぎている。「人気歌手」という肩書きが寂しく響くのは、残念ながら事実である。そしてまた、今の彼にとって、6億3000万円というお金は結構大金なんだろうなーという想像を禁じえない。米連邦最高裁まで争ったのだから、加えて莫大な訴訟費用がかかっていることだろう。大丈夫だろうか。全く他人事のような心配しかすることができないのも、残念ながら事実である。

(3)そもそも、どうしてこんな事件になってしまったのか、大いに理解に苦しむ。ボルトンさんは、本当にアイズリーの同名曲を知らずに、盗作の意識なしに「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」を制作したのだろうか? おそらくそうではないだろう。プチソウルフリークとして、ちょっとばかしいい気になって、雰囲気を借りるつもりでフレーズまで借りてしまったのだ。
 でもって、「私はあなた達の曲を愛しています。敬意を表して、引用させていただきます(ついては然るべき使用料についてご相談させていただきたい)」とアイズリーズに事前にお断りしておけばよかったものの、そこをすっ飛ばして小銭を稼ぎに走ったがために、「ソウル・ミュージック・グループの先駆け」であるところのアイズリーさんたちの逆鱗に触れてしまったのだ。

 ここに、日本の公務員社会における最重要心得としての「根回し」が、欧米社会においても普遍性を持つという事実が証明されてしまったのである。
 ビバ盗作! ハレルヤ根回し! そしてアーメンボルトンさん。

 …というには論理の飛躍がありすぎる。
 だがしかし、興味深い事件ではあった。

(4)ちなみに、自分自身は歌手としてのマイケル・ボルトンを擁護する立場に立っている。やはり彼の signature である「声」の存在感には圧倒される。90年前後の絶頂期のヒット曲は、どれを取っても勢いに満ちている。さらに付け加えるならば、"SOUL PROVIDER" "THE HUNGER" "EVERYBODY'S CRAZY" と遡るほどに、ロック的な観点からも大いに楽しめるカッコよさがある。
 ソウルおやじになってしまった(それはそれで悪くない)ボルトンさんしか知らない方がいらっしゃれば、ぜひご一聴をお薦めしたい。

さてもうひとつ気になったのは、『米コンバース、事実上の倒産』という記事である。

えっ? あのコンバースがつぶれたの? 僕の履いてる ALL STAR はどうなるの?ってな具合である。

何でも、ALL STAR に代表されるキャンバス製のバスケットシューズで一世を風靡した同社も、ナイキその他の急成長に勝てず、ついに倒産したという。
自分自身やっぱり定番でお気に入りのスニーカーだから、ちょっと動揺してみたりする。

きっとブランド価値を欲しがるほかの会社がブランドごと買いとって、生産は続くんだろうけど(希望的観測)、気になったのはもっと別の点だ。

それは、Billy Squier である。

…ここで、もし以下の記憶が間違っているとそもそもこの文章全体が砂上の楼閣の如く崩れ去るのだけれど、もし正確な情報をお持ちの方がいらしたらあとでこっそり教えてほしい。一応ネットでざっとちゃちゃっとちょっと検索はしてみたんだけれど、うまく裏が取れなかったので…

確か、Billy Squier 絡みではなかったか。コンバースは。

そのオボロゲな記憶によると彼は某シューズ会社の重役の御曹司であった。しかしながら、会社に入ってビジネス界で辣腕を振るう代わりにギターにのめりこみ、ロック界で華々しくデビュウしてしまったのだ。Piper を経てソロデビュウ、"The Stroke" で大ブレイクしてしまうのである。その彼の親父が、コンバースの副社長か何かだったのではないかという、極めて曖昧ではかなげな記憶(もしくは捏造)がカゲロウの如く紙面から立ち昇ってきたのだ。愛はかげろう。雅夢。

しかしながら、自分にとって Billy Squier の最高に強烈なイメージは、やはり最大のヒット "Rock Me Tonite" (#15/84) のビデオクリップだろう。クネクネ踊る彼のダメ人間ぶりに、これはヤバイとマジで焦った中学2年の夏。恐るべしMTVである。

思えば、Squier という名字のスペリングは間違いやすい。何故ならば、プログレ者なら誰でも知っているイエスのベーシストのそれは Squire だからである。彼の名字の間違いやすさを、Pat Benatar のそれや Linda Ronstadt のそれと並べて教示してくださったのは、あれはMさんであったろうか。
しかもこの曲に限って言えば、スペリングが間違っている。"Tonite" と敢えて綴った真意は全く不明ながら、印象だけは強くなり、僕らの心の中で勝手に増殖をはじめてしまうのだ。ホントかよ。

そんなことを考えながら、彼のベスト盤をちょっと取り出してみた一晩でした。
Billy Squier、あらゆる意味でB級と言わざるを得ないような気もしますが、通して聴いてみるとやっぱりカッコイイ。セルアウトしきれず、かといってハードにもなりきれない、微妙なアメリカンロックを楽しみたい時に、久し振りに聴いてみようかという気になるベスト盤だと思います。

2001年1月23日(火)

昨日は一晩中ネットサーフィンしていて日記を書くのを忘れてしまった。いかんいかん。

昨晩・今夜と連続でカキフライを食してしまう。いかに好きだからとて、また旬だからとて、揚げ物連続はイカンでしょう。そうでしょう。やや反省しつつ、明日からは揚げ物抜きの和食に戻る予定。

そういえば明後日、下水道局の某F局長(クラス)とお昼ご飯を食べることになってしまった! 約1年振りということもあり、粗相のないようにしたい…とか思って緊張してると失敗するんだよね。

2001年1月21日(日)

午後2時より、テレビ東京にて懐かしの「ストリーツ・オブ・ファイア」を見る。ウォルター・ヒル監督、マイケル・パレとダイアン・レイン主演のロックンロール活劇である。

84年頃だったと思うが、実際に映画館まで出かけて見たものである。実家のあった某K県はとても田舎で、田舎ではありがちなことに、新作封切館でも2本立てである。同時上映は確か「レックレス 〜俺たちの明日」とかいう邦題だったような気がするけれど、その後全く見つけることができない。実はこっちの方が切実で青春のリアリティを感じさせてくれたのだが…

さて、16年あまりを経て再び見た「ストリーツ…」だが、マイケル・パレは若いねぇ(^^;)。もちろんダイアン・レインも。
細かい台詞まで覚えていて、何となく嬉しくなってしまった午後であった。ちなみに重要な The Fixx の "Deeper And Deeper" はエンドロールでかかる曲なので、こういうTV放映時にはかからないのである。残念!

2001年1月20日(土)

今年2度目の積雪だ。
天気予報どおり、午後から粉雪が舞い始め、夕方以降は本降りに。
雪そのものはもちろん嫌いではないのだけれど、明日はきっとうちから一歩も出られないんだろうなぁ。

雪にちなんだ曲でもかけようか。
"Sometimes It Snows In April" - Prince & The Revolution とか。しんしんと降り積もる雪の中、じっくりと本を読むのもまた趣深いものがあるね。

2001年1月19日(金)

結局のところ、独り暮しのメリットは、自分の自由に時間を使えるということだ。
起きたいときに起き、読書したいときに読書し、また音をなくしたいときには静寂に浸れる。誰からも干渉されない自分の時間。

これを守りたいがために、結婚せずにシングルというライフスタイルを積極的に選ぶ人々というのも増えてきつつあるという。

天やで北海天丼を食し、帰宅後 "AIRFORCE ONE" を観る。
ハリソン・フォードのファンということもあり、よくできたプロットに最初から最後までぐいぐい引っ張られて観てしまった。アメリカ合衆国という国は、本当に… やめとこ(^^;)。

今週もあっという間に終わってしまった。
Time keeps on slipping, slipping into the future...

2001年1月18日(木)

静かな環境で書を読むのが、これほど快適だとは!

知らず知らずのうちに、無音状態を避けるようになっていたような気がする。気がつけば必ず音楽を流していたし(その結果がこのCDの山)、特に見たい番組でもないのにTVをつけていて、あっという間に1時間単位で時間を浪費していたこともある。

でも、ひょっとすると1日のうちで、こうした静寂に包まれてじっくり物事を考えたり、心を落ち着かせたりする時間が必要なのではないか?という気がしてきた。あわただしく過ぎ去るばかりの日々に、ほんの少しだけ立ち止まる瞬間を持つということ。

2001年1月17日(水)

そんなわけで今朝は久しぶりにちょっと早め、06:30起床。
ネットをぼんやり眺めながら目を覚ます。もともとは朝型なので、そんなに苦ではない。というより、早起きして本でも読んだほうがエンジンのかかりがいいし、頭にもすっきりと入るような気がしている。

できるだけ朝型生活に近づけていこうっと。

2001年1月16日(火)

21時まで残業。久しぶりだったので相当疲れてしまい、帰りに丸正でセールのカキフライ(好物)を買って、家であり合わせのお味噌汁など作って一緒に食べた後はすぐに就寝。

せっかく「できるホームページ・ビルダー2001」を購入したというのに、お勉強は明日からなり…。

2001年1月15日(月)

今日は郵便局でお年玉付き年賀ハガキの当選ハガキを交換する。
といっても、もちろん最下等の4等×1枚(^^;)。

これまで最高で3等まで当たったことがあるけど、年々切手シートすら当たらなくなりつつあるような気がする。ついでに言うと、残りハガキの番号から察するに、どうも自分は1等か2等を相手に送ってあげているのではないかという気がする(^^;)。これがまさにお年玉ってことだから、いいのかなぁ?

朝日新聞を購読しているのだけれど、家庭欄の好きな連載コラムに中坊公平さんの「金ではなく鉄として」がある。
今日もなかなかいい内容だった。印象的なフレーズを。

「一瞬も相手に主導権を渡さず、一息に持っていく彼の迫力に、『なるほどケンカっちゅうのは、力が強いから、体が大きいから勝つというモンやないなあ』と、見とれていた。後にいろんな意味でケンカをする時、この場面がよく頭に浮かんだ」

うーん、深い。流石。

2001年1月14日(日)

今日はお汁粉を作って食べる。
あずきのほどよい甘さと、お餅のもちもち感が見事にマッチして、何だかとても幸せな気分。

近所の図書館に出向き、借りていた本×19を返却し、またしても結構借りこんでくる。調布市の図書館は、分館であっても概ね静かで蔵書が豊富なので、かなり気に入って利用中。うちはぎりぎり世田谷区なんだけど、世田谷区図書館はどうも新刊方面の入荷がしょぼい印象がある。

帰宅後プリンターの接続、ドライバーインストールその他の作業。
試しにあるウェブサイトを印刷してみると、十分な品質でカラー印刷できてめでたしめでたし(^^)。
しかし、そんなんなら先月買って年賀状を印刷しろよって声もありますが(^^;)、季節を外して買ったからこそこの値段だったわけで。来年末が、このプリンターくんの年賀状デビュウになるわけです。乞うご期待!

2001年1月13日(土)

今日は吉祥寺キム○ヤにて、プリンターを衝動買いしてしまった。
CANON BJ-F360 で、\16,800+Taxのところ、\2,000の商品券がついてきたので、実質\14,800なり。
近くの某パソコン店では\19,800だったので、なかなかいい買い物だったのではないだろうか。

これとは別に、8日に高井戸のオリン○ックで購入したシステムメタルラックも到着。高さ157cmの4段モノ、キッチン周辺のお片づけに大いに貢献してくれました。

ついでに、最近何となく流していたロト6、何と!番号3つ当たりました。\1,000だと思います。ようやく運が向いてきたか?

2001年1月12日(金)

昨年4月に転職して以来初めて、当時の上司だったM屋氏+M本氏(こちらは直属の上司ではない)と新宿で酒を飲む。
両氏とも人間的にとても尊敬できる方なので、お話を聞きながらほっとしてみたり、合併後の会社の状況を聞いて同情したりする。
お店は西新宿の「倉敷」というところで、岡山ゆかりらしい。お魚メインで、確かに一味違う美味さだが、お代も一桁違う(^^;)。
一人ではちょっと入れない雰囲気が漂っているなぁ。

帰宅後、大事な友人から年賀状が到着していた。こういうつながりは大切にしたいものだ。
あまり大事でない友人…というか、前の会社の同期の女の子からも年賀状が来ていた。表現に苦しむほど可愛い女の子だけど、既に人妻&1児の母@シンガポールなり。

シンガポールといえば、リッツカールトンはいいホテルだった…
あれは8月末の淡い思い出。というか、出張中の一時立ち寄り。


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