Essay


特別編第一回:ラーメン


初めに言っておくが、私はWill氏ではない。
期末試験が終了し、ふらふらとWill氏宅へ遊びに行ったら、勢いで“特別編”を書くことになってしまったのである。
普段、私はネットでの一人称を「僕」にしている。しかしそれだとWill氏のエッセイと被ってしまう。
というわけで、今回のエッセイでは一人称を「私」に統一させて頂く。自分の事を「私」だなんて表現する文章を書くのはぶっちゃけ初めてである。だから何を書いていいのか解らない。

それはさておき、与えられたお題が「ラーメン」である。
私は小さい頃、ラーメンが好きだったからという単純な理由で、ラーメン屋になるのが夢だった。自分の作ったラーメンを自分で食べて生活しようと本気で思ったこともある。
だから、もし今「自分の人生において食した麺類の中で一番回数の多いものランキング」をやるとすれば、ラーメンは「うどん」「スパゲッティ」を表彰台の遥か下に追いやり、断トツの金メダルに輝くはずである。

私が高校に入学が決まった時何より嬉しかったのが、トイレが綺麗であるということと食堂にラーメンがあるということだった。何たって食堂にラーメンである。学生食堂である。おまけに食堂の従業員はちょうど良い感じにしなびたオバちゃん達だ。雰囲気抜群である。
入学式が終わり、初めて食堂に行ったとき、私は迷うことなくラーメンを注文することにした。
私の高校の食堂にはラーメンの他、カレーや日替わり定食といった定番のメニューがある。しかしラーメンはやはり人気で、昼になるとラーメンのカウンターには物凄い勢いで列が出来る。
「何にするの」
おばちゃんが私に訊いてきた。このカウンターではラーメンの他にそばも扱っている。おばちゃんはラーメンにするのかそばにするのか、もしラーメンなら何味にするのか訊いているのだ。
「醤油ラーメン」
私は昔は味噌・豚骨派だったのだが、最近は専ら醤油派である。
私の返事を聞いたおばちゃんは、おもむろにラーメンを作り始める。このあたりの過程は省略させて頂く。何故なら私がその過程を覚えていないからである。
それからほどなくしてラーメンが出来上がった。いかにも大量生産的な大雑把なラーメンである。しかし午前中の授業を終えてやや疲れつつある身体にこのあたたかいラーメンは嬉しいのだ。
私は味の分からない男である。もし本場の博多ラーメンと日清カップヌードルを目隠しして食べたとしても、その違いが分からないであろう。だからぶっちゃけて言うと、食堂のラーメンが旨かろうが不味かろうが、私には関係無いのである。
入学当初の私にとって、この食堂はキリスト教徒にとっての教会と同じような価値のある場所だった。

ところが、である。
最初のうちはラーメンが食べられるという一心でカウンターの列に並んでいた私であったが、次第に「どうもこれはおかしい」と思うようになった。否、最初から気付いていたのだが、意図的に考えないようにしていたことが感情の水面に表出してきたと言った方が正しい。
すなわち、この食堂は生徒の人数に対し従業員の数が絶対的に少ないのである。
我が高校の生徒数は3学年合わせて約2000人である。それに対し、カウンターに立つ従業員の数は3人ないし4人。これはカレーや唐揚げなどのカウンターに立つ従業員の人数も含めたもので、ラーメンのカウンターに立つ従業員の人数となるとたったの一人である。
例えば、午前中最後の4時間目の授業が長引いたとする。もしそのクラスに昼にラーメンを食べたい生徒Aがいたとしたら、もうこれはアウトなのである。
ようやく授業が終わり、Aは教壇を降りる教師を追い抜き、教室を飛び出し食堂に走る。もう必死である。
食堂の扉を勢い良く開けると、既にラーメンのカウンターには行列が出来ている。
しかしここで諦めるわけにはいかない。Aは泣く泣く行列の最後尾に並ぶ。
ここで問題となるのが、その行列の空くスピードである。もしどんどん空くようなら問題は無いが、何せこのカウンターの従業員はたったの一人である。行列は文字通り這うようにしか進まない。
Aは先程の教師に悪態を吐きつつ時計を眺める。その時には既に昼休みが始まってから10分が経過しているのだ。
もしここで後ろに誰かが立っていれば、まだ自分より劣っている人が居るという偏差値40の学生のような気分に浸ることが出来るのだが、流石にもう他の生徒は各自持ってきた弁当や比較的行列の進みの速いカレーなどを食べ始めている。
従って、ようやくAが目的のラーメンを手にした時には、大抵の生徒は昼食を食べ終わり、談笑しているのである。
そんな時、Aはコソコソと空いている椅子に座り、一人寂しくラーメンをすすることになる。
これではいけない。

私はこの食堂でラーメンを食べてはいけないと気付いた。
私は味の分からない男であるが、流石に時間が如何に大切なものであるかということは知っているつもりである。行列に並ぶ時間を節約し、その分を弁当を食べる時間に充てれば数分が浮く。
その浮いた時間を小テストなり受験勉強などに費せば時間を有効に使えるではないか。
毎日ラーメンを食っているAが半年間弁当に切り替えたとすると、一日に8分浮くとして

8(分)×30(日)×6=1440(分)

なんと1440分も勉強することが出来るのだ。これは丁度24時間、丸一日分である。
丸一日あれば、日本史であれば古代を完璧に出来るかもしれない。英語なら単語帳を半分くらい終わらせることが出来るかもしれない。ドラクエであれば1から6くらいまでクリア出来るかもしれない。

私は今では滅多に食堂でラーメンを食べない。
浮いた時間を勉強に費やしているのかと聞かれれば答えは否だが、少なくともたかがラーメンに8分を費やすくらいならその分友人と馬鹿話をしていた方がマシである。
今全国のラーメン好きの人を敵に回す発言をしたが、ここはWill氏のサイトであるからして私には関係ないのだ。


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