Essay
第八回:新春麻雀放浪記
僕は麻雀が好きだ。
最近になって僕の母親が「麻雀なんてやめなさい」と言うようになったけれど、僕が麻雀に興味を持ったのはその母親たちのせいでもある。
僕の家族は12/31にみんなで世田谷の祖母の家へ行く。この祖母は母方の親なのだが、もう母の父親は他界している。だから祖母は一人暮らしだ。
そして1/1の夜には叔父が祖母の家を昼から訪ねて来、晩御飯を途中で食べるにしても、そこから大体1/2の1:00くらいまで麻雀は続けられた。
幼かった僕は麻雀なんか出来るわけないから、母親曰く「何かに取り憑かれた」ように牌をかき混ぜていたらしい。失礼である。やることと言ったらそれしかないのだから、仕方がない。
1/1まで叔父を待たなければ出来なかったのが、12/31に僕が面子に入ることで年をまたいでの二夜連続新春麻雀大会になったのは僕が高一ぐらいの頃だっただろうか。それでもまだ役は五つも知らず、去年だってゲームセンターの麻雀格闘倶楽部をやってやっと出来るようになった程度だったので(ちなみに朱雀三段が最高である)、万全以上の状態での参加は今年が初めてといってよかった。
日頃友達と麻雀に出かけ技を磨く僕に、母親は「やめろ」、父親は「世間の厳しさを教えてやる」、叔父は「もう手加減しない。当たる」とのことだった(叔父は前回まで、僕や祖母からは上がらないようにしていたらしい)。
ここで僕たちの家族麻雀のルールを一応書いておこう。
三万点返しの点3、馬なし、完全先付け、喰いタンなし、食い代えあり、カンドラ、カンウラあり、ハコテン続行、オーラス一位親上がりでも終わらない、である。
叔父が来る本大会(と言ってもそんなに大袈裟な規模のものではないけど)の前哨戦ともいえる12/31の麻雀では、三半荘で-2/42/-1といった感じで終了。父親は意地を見せ、僕は総合二位である。
さて、事件は1/1に起こった。
後もう一回で終わりか、という状態で迎えた南四局、オーラス。
この回は点数がやたら動き、僕が東二局で親満、親ッパネを含む四連荘をするも、母親からも親ッパネ、叔父からは跳満が出、オーラス時には、僕は母親に七千点の差をつけられて二位だった。逆転には3900の直撃か満貫が必要で、楽な状況ではなかった。
ドラはパーソウ。場は、これまでにないほどの対子場で、早めにドラを二枚そろえた僕は、七対子ドラ2で満貫(本来は6400だが、うちのルールでは符は数えず、七対子も2翻と考える)を狙っていた。これなら、誰からあがっても逆転一位である。
しかし、中盤もこれからといったときに、最初から持っていたスーピンが暗刻に。ないての対々も見、暗刻を残すと、キュウソウも暗刻になり、あと一なきで聴牌だが、対面の叔父からリーチがかかる。中盤後半戦で僕はウーピンともう一つの対子(忘れた)が叔父には安全と読み西、七萬の対子に待ちを変えると、終盤戦も佳境の頃にドラ・パーソウが暗刻になる。これで三暗刻対々和ドラ3聴牌。七萬も西も場には見えていない。もちろん三暗刻対々和ドラ3で逆転には充分だ。しかし―――。
次順、僕のツモは――七萬。
「ツモ。四暗刻!」
僕が結構騒いでいたり顔が赤かったりで叔父と父親にはバレていただろうが、ツモるとは思わなかったようで沈黙。
「16000・8000!」
支払い催促。何とか払ってもらって終了。もちろん一位でプラスは62だった。
僕たちの家族麻雀で役満が出ると、何かが起こる、というのは昔から言われているところである。過去に父親が国士無双と四暗刻を出した年には、それぞれ台湾転勤、父入院がおこった(ちなみにどっちも叔父が振り込んだらしい。今回の僕の役満も親だったので二倍支払った。どうもついていない)。が、しかし、台湾楽しかったし入院のおかげで父親は煙草やめられたし、結果オーライじゃん、と言うことで、ほんと何が起こるんだろう。
まあそれはともかく、1/1に役満は縁起が良い。かなり嬉しい。そういえば、元旦の朝にやっていた今年の運勢では、僕、てんびん座・トラ年・O型は576のなかで九位でした。ラッキーな年になるのかもしれない。
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