Essay


第五回:死への恐怖

今回は、これと同じ日にアップされる僕のオリジナル曲に関連させて『死』を語ってみたいと思う。
人なら誰しも、『死』については考えるだろう。何故なら生きることは死ぬことへつながるわけだから、死を無視し続けるわけにはいかない。
目をそらしても、いずれそれに直面する日がくる。
『死』……僕にとってこれほど難しい問題はない。生きること、死ぬこと……自分自身の問題としても、小説家を目指す人間としても、『死』は永遠の課題である。
そもそも、僕たちが生まれてきたことに意味などあるのだろうか?
僕は今のところ、その意味を見出せていない。漠然としたものは感じるにせよ、明確な答えなどない。
僕はちょうど世間で言うところの『受験生』に当たるわけで、この時期になってその問題にぶち当たる人間をよく見ている。
同じクラスでK大学を志望する僕の友人は、ストレスで眠れないと言う。昔はK大に受かることを純粋に目指していたから良かったが、今の自分には何一つしたいことがないのにこのままでいいのか、というようなことを言っていた。
そんな思いがストレスとなって、眠れなかったり、少々ノイローゼ気味になってしまっていたりするのである。
「大学ならどこでもいい」ともはや大学受験を諦めている別の友人もそうだ。彼はときどき「死にたい」などと言うが、全く冗談ではない。
大学に行くことに意味を見出せるかどうかはともかく、生きる上での意味を見出せるかどうかは重要だ。
またまた別の僕の友人は、大学はいくつか志望してはいるものの、落ちたとしても専門学校があるし、そもそも独学でも大丈夫だ、と言い切る人間だ。
彼は絶対サラリーマンにはならず、芸術家になるのだという。

彼は自分を信じている。努力することですべてうまくいくと思っている。彼は生きる意味を、芸術家として何かを人に伝えたいということに見出しているように思う。たとえ夢破れ住所不定で行き倒れるとも、彼はそれでいいと言っている。

『死』――僕たちはこれを迎えるとき、いったい何を想うだろう? 自分は後悔しないだろうか? 自分の納得が行くような生き方が出来るだろうか? 自分が生きてきた意味は見つかるだろうか?
僕たちは死ぬまで、あらゆる悩みから解放されないのだろうか…………。


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