合戦の概要




 

畿内平定戦

畿内における三好氏の全盛時代を築いた三好長慶が永禄七年(1564)に没すると、 三好義継が後を継いだが、若年のため家臣の三好三人衆(三好長逸・三好政康・ 石成友通)が後見となった。しかし、既に大和(奈良県)全域を平定し、長慶から 大和一国を与えられていた松永久秀が三好政権の中で実力を蓄えていた。永禄 八年には共同して将軍足利義輝を殺害したが、やがて三人衆と久秀は対立する ようになり、権力闘争を展開する。飯盛城にあった義継は三人衆によって高屋 城に移された。 義継は三人衆に冷遇されたこともあって、同十年二月、久秀のもとに走った。 このように三人衆と久秀の争いは一進一退で収拾のめどが立たなかった。この ような状況の時に信長の入京を迎えた。 信長は入京あることを予期して、江北の浅井長政には妹の市姫を嫁がせ、伊勢 に対しては北伊勢の神戸具盛の養子に三男信孝の送り込み工作をしていた。 さらに信長は入京の名分を二つ持っていた。将軍の地位を回復すること。これは 義昭からの願いである。もう一つは天皇を保護し、その所領を保全すること。 この旨の綸旨(天皇の発給する文書)を信長は既に永禄十年十一月に正親町天皇 より受けていた。 永禄十一年九月、入京を果たした織田信長は抵抗する三好三人衆の諸城を占拠 した。それで三好三人衆は四国へ逃げ延びた。 摂津(大阪府・兵庫県の一部)の国人も次々に信長方に応じた。伊丹城の伊丹 親興、池田城の池田勝正、それに前後して高槻城、茨城城も降伏した。 大和の松永久秀、河内(大阪府)の三好義継も三好三人衆とは不和になっていた ので、信長に帰服した。 こうして、信長は伊丹・池田・和田惟政(芥川城)に摂津を、義継(若江城)・ 畠山高政(高屋城)に河内を、久秀(多聞山城)に大和を与えた。 九月、三好三人衆、篠原長房らに擁立されていた十四代将軍足利義栄は義昭・ 信長と対決しようとしたが、はれもののために摂津富田で病没した。翌十月に 信長は義昭を将軍職につけた。 永禄十二年正月に三好三人衆が京都本國寺にいた義昭を攻めたが、三人衆は 撃退されことなきを得た。このために早速、信長は義昭のために新御所を 建てた。 しかしほどなく信長が実権を握り、義昭の権限に制約をつけ始めた。両者の 間はだんだん険悪になってきた。 元亀元年(1570)四月、信長は朝倉義景を討つべく、越前(福井県)に進攻した。 ところが不意に近江の浅井長政が信長に背いた。しかし、六月に姉川で浅井・ 朝倉軍を破ることができた。この戦いで徳川家康の活躍は目ざましかった。 信長は早くから徳川家康の力量を見定め、永禄五年、同盟を結び、信長の娘 を家康の長男信康に嫁がせ、徳川に武田氏の勢力を防がせた。こうして後顧 の憂いをなくしていたのである。 しかし、信長にとって最大の敵は摂津石山(大阪市)の本願寺であった。元亀 元年九月、本願寺の顕如が挙兵し、石山戦争が始まる。 十一月には信長は三好三人衆、六角・浅井・朝倉といったん和睦するが、 これ以降本願寺とも三度にわたって交戦・和睦を繰り返す。 元亀二年、浅井・六角が本願寺門徒と蜂起。松永久秀と結んだ三好三人衆が 蜂起、甲斐の武田信玄、三好義継、本願寺は信長と対立を深めた足利義昭を 奉じた。 元亀四年二月、義昭は信長と対立すべく兵を挙げるが、七月、信長は義昭を 追放し、室町幕府を滅亡させる。 改元して天正元年(1573)八月、浅井・朝倉滅亡。本願寺と信長が和睦。天正 二年四月、顕如は義昭と結んで蜂起。九月、長島一揆、三年五月、武田勝頼 を長篠で破り、八月には越前一揆を平定、いずれも大虐殺が繰り返された。 十月、顕如はまた、信長と和睦する。 天正四年、紀伊由良より備後鞆に移った義昭は毛利に幕府再興を以来した。 毛利は義昭・顕如と結び、反信長派に参入した。四月、信長は荒木・細川・ 明智・原田に命じて本願寺総攻撃を開始した。本願寺は孤立したが、七月には 毛利の水軍が織田水軍を破り食料を本願寺に運ぶことに成功した。 天正五年、信長は本願寺の後ろだてである紀伊雑賀一揆を攻め、一応、雑賀 は信長に降った。八月、松永久秀が大和信貴山に籠もり、信長に背いたが、 織田信忠に攻められ、自害して滅んだ。 同年末から翌年にかけて、羽柴秀吉は毛利との対決のため、中国攻略の大将 となる。天正六年二月、上月城で毛利と対峙したが膠着状態のため、上月城を 放棄し、尼子氏は滅亡した。播磨三木城の別所長治が信長に反した。三木城、 神吉城攻めに移るが、間もなく荒木村重も信長に反し、有岡城に籠城した。 荒木・三木・毛利・本願寺が強固な反信長戦線を作る。 しかし、天正七年、有岡城は落城し、さらに同八年になると三木城も陥落した。 三月、ついに顕如は信長と和睦し、石山戦争はここに終結した。 しかし、信長の天下布武の夢は本能寺の変で消えた。
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