落ちる絵本


佐藤はるみさんは、学生時代、図書館でアルバイトをしていました。
図書館には、利用者が自由に入れる開架書庫とは別に、表に入りきらない本
を収納する開架書庫という、倉庫のようなスペースがあります。
そこの図書館の開架書庫は格別殺風景なところでした。
天井は高く、その高い天井まで、人ひとりがようやく通れるくらいの通路を
除いて、すべて書架になっています。書架の色も壁の色もグレー一色で、
省エネのために、通路を除いて室内の照明は消してあります。

利用者から要求されたとき、図書館員はそこに本を取りに行くのですが、
佐藤さんはその仕事が嫌で仕方ありませんでした。
薄暗い室内はだだっ広く、書架が高いために視野が遮られているので、人が
いるのかいないのかわかりません。誰もいないと思っていると奥の方から人
の声がしてきたり、かたかたと物音がしたりして、びっくりさせられることも
何度かありました。

そのうち他の女性アルバイトも開架書庫に入るのを嫌がり、男子学生や職員
に頼んでいるというのに気づきました。どうしても行かなければならない
時は、みんなドアをストッパーで開け放しておき、目指す本棚のところに
走っていき、本をつかんで飛び出してきていたのでした。
気味の悪さが何に由来するものなのか、誰にも分かりません。あえて言う
なら生理的なもので説明できないのです。

ある時、佐藤さんは利用者に頼まれて児童書を取りに行きました。ちょうど
手が空いているのは佐藤さんだけで、人に頼めなかったのです。メモを片手
に目指す本を探していると、誰もいない書架の端でぎしぎしときしむような
音がした後、スチール書庫を叩くような音がしました。
佐藤さんは恐る恐るそちらの方を見ましたが誰もいません。しかし通路に本
が一冊落ちていました。
「うしろの正面だあれ」という題名の何の変哲もない絵本です。なあんだ、
と思って拾い上げた瞬間、何か気味が悪い感じを覚えました。慌ててその
絵本を立ててあった場所に戻し、佐藤さんはカウンターに戻りました。

以来、佐藤さんは、開架書庫に入るたびに、そちらの方をうかがうように
なりました。怖いと思うのですが、確認しなくては気が済まないのです。
ときには通路を横切って、びくつきながら見に行きます。なぜこんなことを
しているのだろうと思いながら、見ないではいられません。そしてたいてい
その絵本は、床に落ちていました。それを見ると、許されたような気がして、
脱兎のごとく入り口に駆け出すのです。

あるとき佐藤さんは、担当の司書にそのことを話しましたが、その司書も
しじゅう通路に落ちる絵本があることを知っていました。棚に問題があるのか
と思い場所を移してみましたが、どこに置いても、一番下段に置いても、
翌日には通路に転がっていると首をひねっていました。


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