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Tsukuba Saxophone Ensemble
Concert series#3.1
このイベントは、終演いたしました。
多くの方々の来場をいただき、誠にありがとうございました。

2002年10月13日
筑波大学 大学会館ホール 入場料無料

[演奏曲目] [Program]
池辺晋一郎「琉球のふたつのうた」 Ikebe : Ryukyu no Futatu no Uta
吉松隆「水幻譜」 Yoshimatsu : Sui-Gen-Fu
ダリウス・ミヨー「スカラムーシュ」 Mihaud : Scaramouche
吉松隆「多少華やかな円舞曲」 Yoshimatsu : Slightly Bright Waltz
ヨハン・セバスティアン・バッハ
「ソナタ ト長調 BWV1019」より
「カンタービレ、マ・アン・ポコ・アダージョ」
Bach : Cantabile, ma un poco Adageo
from Sonata in G BWV 1019
マイケル・ナイマン「蜜橋の踊る場所」 Nyman : Where The Bee Sucks from Ariel Songs
坂本龍一「戦場のメリークリスマス」 Sakamoto : Merry Christmas Mr. Lawrence
レノン=マッカートニー「ヘイ・ジュード」 Lennon=MaCartney : Hey. Jude
伊藤康英「古典幻想曲」 Ito : Fantasia Classica
吉松隆「アトム・ハーツ・クラブ・クァルテット」 Yoshimatsu : Atom Hearts Club Quartet
吉松隆「多少華やかな円舞曲」 Yoshimatsu : Slightly Club Quartet


 ツクバ・サキソフォン・アンサンブルは「コンサートホールから街角まで」といったテーマのもと、演奏する側としても 聴く側としても音楽を身近に、と活動しております。今回は、去る9月26日に開催いたしました3回目のホールでの 演奏会の延長線として、より幅広いプログラムを織り込んでお送り致します。
 また、今回、筑波大学応援団桐葉マーチングバンド部、筑波大学吹奏楽団でサキソフォンを吹いている仲間とともに演奏する 機会を得たことをとても嬉しく思います。 音楽が人を繋ぐ喜びとともに、演奏の後には余韻しか残らない音楽という存在の不思議さ、そして魅力を改めて感じることが できました。本日ご来場くださった皆様とも、素敵な時間を共有できたら、と切に願っております。
(プログラム・ノートより)

□曲目詳細

琉球のふたつのうた
 場から音楽は生まれるという。独特な音階、優しさのなかにも不思議な哀しさ(と僕は思うのだが)の色の混じったメロディー、 そして「うた」の力。沖縄民謡には、確かにそんな場所の力を感じる。三味の音が弾かれては消えていく、その余韻を待てる空気がある。
 今回はその中から「てんさぐの花」と「谷茶目節」を。池辺晋一郎は作曲家、東京芸術大学作曲家教授、 また評論・エッセイと様々な分野で活躍している。日曜9時の「N響アワー」では、彼の柔和な笑顔とジャブのように効いてくるダジャレを味わうことができる。

水幻譜

 元は尺八と筝のために書かれた、邦楽器のための現代からの試み。1989年12月に作曲、三橋貴風、吉村七重によって初演。 「山を行く水の五つの姿に寄せる五つの幻想」(吉松)という着想のもと、以下のような名を持っている。
  I 泉(いずみ)
  II 沢(さわ)
  III 淀(よどみ)
  IV 渓(たに)
  V 流(ながれ)
 今回はテナーサクソフォンとマリンバの組み合わせで演奏する。作品の持つゆたうような情景を表現できたらと思う。

スカラムーシュ
 軽快でいながら洒落とユーモア、フランス風に言えば「エスプリ」に満ちたミヨーらしさが存分に楽しめるのが、この『スカラムーシュ』。元々ピアノ2台連弾のために書かれたものが、作曲者の手によりアルトサクソフォンとピアノに編まれたのだが、こちらのほうがうおり楽しく軽やかに仕上がっている。
 曲は3つの楽章からなる。第1楽章はおどけた感じのVif。ユーモア溢れる着想がころころと表れる。第2楽章Modéréは一転してゆるやかに、優しい旋律が遠い昔の夢を奏でる。Brazileira, Movement de Sambaと題された第3楽章はその名のとおりサンバのリズムが印象的で、その↑でサクソフォンが軽妙なメロディを奏でていく。
 一応は急−緩−急のソナタ形式を取っているは、そんな枠組みに捕われない自由な音楽が奔放に繰り広げられる。

カンタービレ、マ・アン・ポコ・アダージョ
 BWV1010ト長調ソナタは、ヴァイオリンとチェンバロ(時に通奏低音としてヴィオラ・ダ・ガンバを伴う)のために書かれた6つのソナタ連作のうちの最後の作品である。こには版がふたつあり、今回演奏する"Cantabile, ma un poco Adagio"は第3楽章だが、一方の版にしか含まれていない。編曲を好んだバッハゆえ、何か他の作品からの引用とも考えられるが定かではない。
 "Cantabile, ma un poco Adagio"とは「歌うように、しかし少し遅く」といった意味で使われる。しかしこの場合、Lento、Largo、Adageo、Andanteといった速度の関係性を考慮すべきだろう。
 この頃、バッハは新型の、より機能性に富んだチェンバロを入手し、嬉々としてそれをフューチャーしている(ブランデンブルグ協奏曲第5番など)。サクソフォンとピアノという楽器を見たら、果たしてバッハはなんというだろうか。

蜜橋の踊る場所
 映画『ピアノレッスン』等の音楽で広く知られるようになったイギリスの作曲家ナイマンが、シェクスピアの詩に霊感を得て作曲した"Ariel Songs"のなかの1曲。もとはソプラノとピアノのために書かれた。俳諧にも似た趣深さをたたえた小品である。

戦場のメリークリスマス
 大島渚監督の映画のための音楽。元YMOの坂本龍一がはじめて映像につけた音楽でもある。そのテーマは"no where land"。東洋でも西洋でもない、そんな不思議な感覚を持った音楽が独自の旋法と4度和声の多用によってもたらされている。

ヘイ・ジュード
 言わずと知れたザ・ビートルズのナンバー。"Hey, Jude. Don't let me down."とポールがささやきかけるように歌う冒頭と最後の力強いコーラス、ローズ社製のエレクトリックピアノ、ストレートな歌詞とメロディー。ビートルたちの魅力満載の名曲。

古典幻想曲
 伊藤康英自身が「対位法的小品」と呼ぶ『古典幻想曲』は、小編成の管楽合奏のために書かれ、 ついで作曲者自身の手によってサキソフォン八重奏のために編曲された。
 曲はマエストーソの冒頭にはじまり、アレグロに転換したのちソナタ形式を取る。冒頭の主題は J.S.バッハの『トッカータ ト長調BWV572』からの引用で、作品全体を通して変奏される。 伊藤自身楽しみながら作曲したというこの作品には、様々な引用や工夫、仕掛けが凝らされており、 それらを読みといていくのもまた面白いが、純粋にその美しく、楽しい作品に仕上がっている。 サキソフォン版も、原曲に劣らず魅力に溢れたものになった。
 加えて今回は、応援団桐葉マーチング・バンド部、筑波大学吹奏楽団のメンバーとともに ステージに立てるができた。その歓びを演奏にのせることができたらと思っている。

アトム・ハーツ・クラブ・クァルテット
 いわゆる「クラシック」音楽的文脈における「現代音楽」と「コンテンポラリー(同時代)音楽」の隔たり。一見しても矛盾を孕んだこの文章のままの状況へのカウンターパンチ。それが『アトム・ハーツ・クラブ・クァルテット』である。吉松隆はこのユニークな作品についてこう語っている。
 この曲、フル・ネームを「ドクター・タルカスズ・アトム・ハーツ・クラブ・クァルテット」(直訳すれば「タルカス博士の原子心倶楽部四重奏曲」)という。
 これはもちろん、クラシックからロックンロールまでの人類すべてを混合させたビートルズの傑作アルバム「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(直訳すると「ペッパー軍曹の傷心倶楽部楽団」)のもじり。これに70年代プログレッシヴ・ロックの名作であるエマーソン&レイク・パーマーの「タルカス」とピンク・フロイドの「原子母(アトム・ハート・マザー)」、そしてイエスの「こわれもの」を加え、それをさらに手塚治虫の「鉄腕アトム」の十万馬力でシェイクしたのが、この作品である。
 全体は4つの楽章からなり、第1楽章は変拍子が全開のプログレ風アレグロ。第2楽章はちょっとイヤラシめのバラード風アンダンテ。第3楽章はつま先立ちでこそこそ逃げるコキュ(間男)のスケルツォ。そして第4楽章はスラップスティック(ドタバタ)風ブギウギ。 
 吉松は、実質的なデビュー作『朱鷺に寄せる哀歌』以降、いわゆる「現代音楽」の非音楽的な傾向に反発しながら、「クラシック」音楽シーンに、5つの交響曲をはじめ様々な作品を発表している。しかし、ちょうど武満徹がシャンソンへの嗜好を抱き続けたのと同様に、1953年に生まれた吉松の同時代の音楽はプログレッシヴ・ロックであり、フリージャズであったのは当然のことであり、アルゼンチン・タンゴの革命児アストル・ピアソラについて、「同時代に生きている最大の作曲家」と述べていた事にも頷ける。

 では、我々にとって「同時代の音楽」とはいったいなんだろう? 「クラシック」音楽の世界の人間から生み出される「現代音楽」への関心が失われて久しい。ならば聴衆は何処へ行ったのか? ある者はロックに揺さぶられ、ある者はジャズに酔い、アンビエントに包まれる者もいれば民俗音楽に嗜好を満たす者もいる。そういった音楽の多様化の中で、先に述べたような狭義の「現代音楽」は、およそ「同時代の音楽」とはいえまい。

 吉松ははじめ、この曲を弦楽四重奏のために書いた(初演は1997年夏、モルゴーア・クァルテットによる)。『アトム・ハーツ・クラブ・クァルテット』というおよそクラシックから程遠い音楽を、弦楽四重奏という最もクラシックなフォーマットに投入したところに、「現代音楽」の反逆児吉松の真骨頂がある。この乱恥気騒ぎの余韻にあるのは、失われた「現代」への嘆きだろうか、それとも透明な(音楽にも似た)希望への叫びだろうか。

多少華やかな円舞曲
 吉松隆のアイディアボックスとも言える『プレイアデス舞曲集』。 ピアノのために書かれた、このシンプルな小品集は、いまやシンフォニー作曲家となった吉松の着想の原点を 垣間見ることができる点でとても興味深い。その第3集の終曲が『多少華やかな円舞曲』である。
 プレイアデスの7つの星たち、虹の7つの色、いろいろな先方の7つの音、3拍子から9拍子までの7つのリズムなどを素材とした<現代ピアノのための新しい形をした前奏曲集>への試み。
 バッハのインベンションあたりを、偏光プリズムを通して現代に投影した練習曲集であり、古代から未来に至る幻想四次空間の架空舞曲集を採譜した楽曲集でもあり、点と線だけで出来た最小の舞曲集でもある。
 全7曲で一巻を成し、一巻の演奏時間はそれぞれ約10分ほど。抜粋あるいは自由な組み合わせによる演奏も可能。トライアングルやタンバリンなどの小さな打楽器を伴っての上演も楽しいかもしれない。
 テンポやダイナミクス、繰り返しの回数なども含めて、奏者の自由な発想を盛り込んで演奏していただければ幸いである。(吉松)



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TSUKUBA SAX.ENS.<saxkimmy@hotmail.com>