4.2日目(気仙沼〜本八戸)

朝、まともに朝食をとるも、朝の電車に関してうまく伝わってなかったみたい。宿から駅まで駆け込みする羽目に…。 後にももう1回駆け込むシーンがありますが、田舎で駆け込みは一番危険ですからね。出来ればしたくないものです。何とか電車に間に合った我々は 一ノ関へ向かうのですが、気仙沼で長時間停車がありました。写真は駆け込みを敢行した鹿折唐桑駅の看板です。読みにくいですよね、これ。

今回は岩泉へ行くのに気仙沼からS字を描いて行くことに。まず初めは大船渡線を西へ行き、一ノ関へ向かいました。 途中でお座敷列車らしきものとすれ違いましたが、何だったのでしょうか。 因みにこの列車はキハ100系の4両編成でしたが、2両編成の後ろに2両の回送車をつないだ形です。これは今までになかったパターンで驚きました。 確かに4両走らせる需要は感じませんでしたけど…。写真は気仙沼駅にて撮影。

さて、一ノ関から北上した後には花巻から快速はまゆりに乗り宮古へ向かいます。これにも指定席が付いていましたが、 自由席も楽々座れる程度。どうやら、新幹線が通っている新花巻の方が乗客が多いようです。始発駅は盛岡でしたが、ここからの乗客もまばら…。素直に 自由席に乗りました。この車内では昼飯食いつつ、また寝てみたりして、またしてもゆったり快速に乗った私たちは釜石を目指します。車両は朝と同じ 朝のものより車体が長いキハ110系です。花巻駅にて撮影。

釜石からもう一度キハ110に乗り換え、宮古駅で乗り換えたこの車両、キハ52系で岩泉へ向かいます。この区間は、 平行道路が整備されていることもあり、廃止が危ぶまれていますが、岩泉へ行く道路の整備が不十分で、今のところは大丈夫だそうです。しかし、 道路に負ける日はそう遠くはないようです。因みに、水郡線などで新車を投じた際に余剰となったキハ110系が岩泉線で使われることが決まっており、 玉突き廃車の波はこんなところにも押し寄せています。これは、キハ58系が単に老朽化しただけではなく、天井にアスベストが使われていることも 関係しているようです。宮古駅にて撮影。

岩泉線の入り口駅、茂市では、盛岡方面から来る快速リアスの接続を取るために長時間停車し、いよいよ岩泉線です。 この路線は、朝方1本途中の岩手和井内で折り返す1往復と、茂市⇔岩泉が2往復、そしてこれのように、宮古まで足を延ばすものが1往復の計4往復のみと、 完全なローカル線です。途中大川駅に引込線のような分岐が1ヶ所ある以外は、岩手和井内であってもポイントがなく、完全な単線運行となっています。 一番走っていた頃では、走る事が出来る最高の2時間に1本、まであったそうですが、利用客は減っていったわけです。それでも鉄道は残され、地元の人、特に 茂市付近の住民にとっては貴重な足となっています。本来ならいつ廃止になってもおかしくありません。やはり東北には住民が少ないのでしょうか。こうした 廃止話は主に東北で聞くような気がしてならないと思います。確かに雪国での生活は過酷でしょうからね。写真は、茂市駅から岩泉線の線路を撮ったもの。 岩泉線にはこれ位しか信号はありません。

さて、岩泉線に揺られること約40〜50分ののち、無事に岩泉駅まで来ました。ここにくる電車は1日3本。もはや駅の存在意義が あるかどうか…。この駅では、岩泉観光協会の人がきっぷを売ってくれます。私も面白い切符があったら買おうと思い、軟券の子供きっぷを買ったところ、 「はい来たー」との掛け声を頂いて…。何とも自由な駅だなぁと感じました。かなりいい人なんだとは思いますけどね。そんな感じの触れ合いも混ぜつつ、 岩泉駅付近を見回ります。この駅は、小本からのバス便他、色んなところからバスが出ていることもあってか、茂市よりもかなり拓けたところ、と言う印象を 受けました。写真は岩泉駅にて撮影。

そんな岩泉は言う事も自由。この路線、ただでさえ1日3往復しか走っていないのに、太平洋側の小本に伸ばせ、と言っています。 確かに、岩泉〜小本には1日6〜7往復のバスが走っていまして、駅にくるのが電車<<バスって言う岩泉駅。小本〜岩泉の方が需要はありそうですが、 小本って三陸鉄道ですよ…。共倒れ必至ですね。ステッカーがかなり色あせているため、今はそんな運動はないとは思いますが、いやはや、そんな新線は 開業するのやら…。岩泉駅待合室にて撮影。

さて、その本数がやや多いバスに乗り、先ほど問題の小本を目指します。車内では、私達の他には2人乗っていた程度、 その内一人は途中で降りたため、ほとんど利用者がいませんね。その利用者も恐らく鉄道ファンのようで、少なさ実感。ですが車内は世界経済○同体党首の話で、 普通のバスよりにぎやかにしてしまいましたが、これも田舎ならでは。小本が岩泉町の一部だというのに驚きつつ、三陸鉄道を北上して久慈へ向かいます。 この時三陸鉄道は、「沿線30万人が今までより1年に1回多く三陸鉄道に乗ろう。」なんていう「マイレール」運動の実施中でした。いわゆる乗って残そう、 ってやつ。その一環として、2000円で2200円分使える、遊園地の乗り物券的な回数券の発売をしていました。小本〜久慈1250円、と言う事で2人で分けて買う ことで100円浮かし、しかもマイレール運動のシールまでくれちゃって、何だか得した気分。しかもシールは4人分くれたので、三陸鉄道さん、本当に ありがとうございます。

これが三陸鉄道の車両、キハ36系です。「36」、「サンロク」、「サンルク」、「サンリク」、「三陸」ってダジャレか! それはほっといて気仙沼から真上にいこうとすると、三陸鉄道を2回通ります。どちらでも同じ車両が使われていて、なんと車内には自販機まで…。レベル高いです。 割引切符でちょっと得した我々は、暗くて海が見えない中三陸海岸を北上、久慈へ向かいます。

さて、久慈では飯を食う、と言うのを決めてましたが、いざ降りると何もない。ようやく中華料理屋を見つけるのに30分以上も 掛かりました。駅員さんもあんまり把握してないらしく、寒いのが重なって勘弁してほしかったです。何でそうなのか、考える前に実は久慈駅の駅看板に、 この辺の三陸海岸沿いの町の事をまとめて、「不思議の国の北リアス」と言う事が判明…。あのー、まさに不思議の国で迷いましたよ。 何とも勘弁してほしかった瞬間でした。

これがその証拠ですね。このがっかり具合は行かなきゃわかりませんよ。まあ、ともかく無事飯も食べた私達は、八戸線の終電で 八戸市街地にあたる本八戸へ到達し、明日朝に備えます。その列車、久慈駅8時頃発なのですが、これで終電…。八戸線は途中の鮫〜八戸で本数が多いものの、その先での本数は 少なくなってしまいます。車内では奇跡のUNO敢行…。まさに不思議の国で不思議な事をやってのけた一行は無事にこの日の行程を終えたのでした。

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