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物を扱うとき、「働きかけられるもの」と「働きかけ(るもの)」の異なる2つの立場があります。
例えば、本を読むときは、「本」が「読まれるもの」で「自分」が「読む(ことをする)人」になります。
自分が自分のことを考えている時には、「考えられている自分」と「考えている自分」の2つの立場があります。
数を扱うときも同じです。
例えば足し算では、「足される数(足されるもの)」と「足す数(足すこと)」の2つの立場があります。
7+8=15
7 ・・・足される数
+8・・・足す数
これを分かりやすく説明するために、トランプ遊びの例えを使います。
なお、ここでは2桁の数までの計算に限ります。
まず、場(自分の外)と手札(自分の内)を区別して考えます。
手札に場から札を取ってくることを「足し算」とみなし、
手札を場に出すことを「引き算」とみなします。
それから、手札のうち、10の位と1の位を分けて考えます。
札1枚を1要素として、位ごとに1単位が何要素になるかを決めます。
10の位は、1単位10要素にします。
1の位は、1単位1要素にします。
「10」という位取りの表記方法と考え方は同じです。1が10個集まったのが10の位の「1」が意味することです。
札を移動させるときは必ず、この単位づつ動かすようにします。
説明のための便宜を図って、表記法を定めておきます。
15枚の手札があるとき、10の位は1単位、1の位は5単位、の札が集まっています。
これを、
[1 5]
と書き表すことにします。
角かっこ(ブラケット)の中に、10の位の単位数を書き、一つ分空白を置いて、1の位の単位数を並べて書いたものです。
もう少し例を挙げると
8 = [0 8]
49 = [4 9]
となります。
[4 9]の、10の位の4は要素の数ではなく、単位の数だということに注意してください。
前準備は終わりました。それでは、繰り上がりのある足し算は「7+8=15」を、繰り下がりのある足し算は「15−8=7」を例にとって説明しましょう。
(1) まず、手札に7枚持っているとします。
場 0 手札[0 7]
(2) 8を足すということは、場から8枚引いて手札に加えるという事でした。
場 8 → 手札[0 7]
(3) 1の位にはあと3しか入りません。
ですから、10の位の方に入れることを考えます。
すると、10の位は1単位10要素なので、8では1単位まであと2ほど足りないことになります。
そこで、1の位から2を出してやるのです。これで10になり10の位に1単位入れる事が出来ます。
場 0 → (8+2) ← 手札[0 5]
(4) 10の位に1単位入れます。すると手札の状態がすでに答えを表しています。
場 0 手札[1 5]
(5) 答えは15です。
これを整理すると、繰り上がりのある足し算 7+8 は、
1. 10の位を1単位増やして
2. 1の位から、足す8の10に足りない分の2を引く
ということになります。
一般化すると、繰り上がりのある足し算 Aa+Bは、
1. 10の位(A)を1単位増やして
2. 1の位(a)から、足すBの10に足りない分の(10-B)を引く
ということになります。
(1) まず、手札に15枚持っているとします。
場 0 手札[1 5]
(2) 8を引くということは、手札から8枚を場に出すという事でした。
場 0 ← 手札[1 5]
(3) 1の位には5しかありません。
ですから、10の位の方から出すことを考えます。
すると、10の位は1単位10要素なので、8より2ほど多いことになります。
そこで、1の位へ2を入れてやるのです。これで10の位から1単位出した事になり、なおかつ8を引いたことになります。
場 0 ← (8 2) → 手札[0 5]
(4) 場に8枚出します。1の位に2単位入れます。すると手札の状態がすでに答えを表しています。
場 8 手札[0 7]
(5) 答えは7です。
これを整理すると、繰り下がりのある引き算 15−8 は、
1. 10の位を1単位減らして
2. 1の位には、引く8の10に足りない分の2を足す
ということになります。
一般化すると、繰り下がりのある引き算 Aa−B は、
1. 10の位(A)を1単位減らして
2. 1の位(a)には、引くBの10に足りない分の(10-B)を足す
ということになります。
繰り上がり、繰り下がりのある計算するのに、いくつかの計算に分けて考えるとのが普通の教え方です。
例えば、「15−8」を計算するのに、8を5と3に分けて、15から5を引き、10になり、
さらにその10から3を引き、答えの7を求める、というやりかたです。
ここでは、それとは違う発想をしてみます。
なぜなら、計算を分けて、複数回の計算のセットにまとめ直す、という考え方には、問題があると思うのです。
いくら正しい答えが出るといっても、もしそこに自然の秩序に反するような考え方が行われるのだとすれば、
それは、自然に反するがゆえに、助長で、複雑で、苦痛を伴い、快感がなく、すっきりせず、答えが出てもひとつの物事が終わったという実感がなく、
答えを見るまでは安心できない、そういう「弊害」が起きて来るのです。
そのことを詳しく説明します。
「15−8」を次のように1つの計算の内部で2つの計算をする、と説明してしまうと混乱が生じます。
15−8=15−(5−3)
1) 15−5=10
2) 10−3=7
「15−8」は一つの計算なのに、「15−5」と「10−3」という二つの計算をするということが、「1=2」を錯覚させるためです。
ルビンの壺という騙し絵があり、見方によって、同じ絵が壺のシルエットに見えたり、向かい合っている二人の人のシルエットにみえたりするのと同じです。
「15−8」は騙し絵ではない筈です。1個の計算である筈です。1個の答えがあるはずです。これを2個の計算(2個の答え)だと言ってしまうのがいけないのです。
これは2個の計算ではなくて、1個の計算の内部での連続計算だ、と言われるかもしれません。
しかし、連続というのは、境界線がないということです。式が二つあれば、それは2個の分離したものなのであり、連続ではありません。
これが、繰り下がりのある計算をするのを複雑にし(矛盾させ)、難しくて面倒くさいと感じさせる直接の理由なのです。
絵や写真を眼で見て直感的に理解するように直接的に計算できず、間接的に空想の空間や対象をつくりだして、
まるで顕微鏡の中の細胞をレンズを覗きながらピンセットで操作するようなもどかしいことをやらないと解けない、と言うことは、
1個のものを複数個と錯覚しているか、複数個のものを1個だと錯覚しているか、のどちらかなのです。
「15−8」を2本の式の計算だと考えることは、小包の配達で例えると、自分に送られてくる荷物が、まず近所の家に届けられて、それから近所の人が家へ持ってくることで自分のところに届く、というのと同じなのです。
だから、やっていることが複雑で、助長で、なんかすっきりしないのです。
要点をまとめると、
1)答えを出すとは、自分の側から相手の側に差し出すことである。それが二段階になることは、二回、別の人から相手へ差し出しているのであり、
あきらかに1つの物事ではないことを示している。
これは論理学で言う三段論法であり、AならばB、BならばC、ゆえにAならばCである。
なぜ1回の計算の途中に、「ゆえに」などという接続があるのか。「小前提」「大前提」→「結論」という展開があるのか。
2)繰り上がり、繰り下がりで桁と桁の間の貸し借りが生じたからと言って、式が二つになる根拠はなにもない
3)二つの独立した式は、二つの物であり、二つの答えがある。一つの独立した式には、答えは一つしかない筈である。
二つの独立した答えをまとめて一つにするということは、例えるとリンゴとバナナをまとめて一つのかごに入れたということである。
リンゴにリンゴを足して、答えがなぜ、かごに入ったリンゴとバナナになるのか。
では、自然に反しない発想のほうを見ていきます。
「15−8」は、一目見ただけで、引かれる数「15」は10より小さくなることが分かります。つまり、10の位の「1」は消えてしまうことになります。
では、10の位の「1」が消える理由をうまく説明できないでしょうか。
ここでこれを、「ひく8」が「ひく10」となって、そこにバランスの力が働いて、「15」が「17」になったからだと見たらどうでしょうか。
つまり、「15」には「2」を足し、「−8」には「−2」を足した、と考えるのです。方程式の移項のやり方と同じです。
方程式では、両辺の同じ数を足して、余分な係数を消すことをやります。
例えば「3x+5=8」では、両辺に「−5」を足して、「3x+5−5=8−5」とすると、「+5」の項が打ち消されて結果「3x=3」となります。
ここでさらに、両辺を3で割って「3x÷3=3÷3」とし、「x=1」を得ます。
「15−8」に話を戻します。
方程式との違いは、繰り上がり、繰り下がり計算では、片方に2を足し片方は2を引くという風に、プラスとマイナスが打ち消し合って全体では数が変わらないようにする点が違うだけです。
これだと、これらの過程は連続的に考えることが自然にできるので、全体では一個の計算をやっている(そして一個の答えが求まる)という風になっています。
すなわち「1=1」であり、矛盾しません。
要は、「15」と「引く8」という、2つの「性質の異なるもの」を重ねて一つに合わせると、「バランスの力」が働いて、
「引く8」はきりのいい「引く10」になろうとし、同時に「15」は間を置くことなく即座にその影響を受けて「17」に変化すると同時に差を吸収して「7」になります。
説明のために分けて考えると、「引く10」は10の位の「1」が消えることを意味しますから、「15」は10の位の1が消えて「5」が残ります。
その残った「5」にたいして、「引く8」が「引く10」になった余分の「引く2」の中和成分「2」が作用し、「5」と合体するのか、
はたまた、「15」が「引く8」の「引く10」への変化に影響されて「17」になったとたんその10の位が消えて「7」になるのか、これは同時であり、連続体で境界線などないので、
どちらがほんとうか、とか、2つを重ね合わせて起きたた化学変化がどういうプロセスで答えの「5」になったのか、ということは誰にもわかりません。
実質的に行う計算は上で述べたような発想に従って「5+2」だけで済むのですが、このやり方では一瞬の「イメージ処理」だけで”計算”が済んでいるのです。
これは、二つの式に従来の分けて考える発想で、出した答えがあっているか、逆算による確かめをするときにしている”過程”と同等でもあるのです。
だから、このやり方には逆算の確かめがいりません。もうすでに逆算と同じことをやっているからです。
「5+2」は、「引かれるもの」と「引くこと」とが重なって起きる「化学変化」のプロセスを表しています。
つまり、「15−8」は、「5+2」で求まるのです。
ちなみに、10に足りない分の数のことを、(10進数における)補数といいます。
例) 8の補数は2
5の補数は5
1の補数は9