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2004年1月13日更新>

ハーゲンのオペラ・ガラ        2004年1月11日

  1月8日の夜、アライサの奥様からメールが入りました。「11日に、ハーゲンと言うところで、オペラガラに出演します。予定されていたボータが病気で、急遽代理で歌うことになったのです。貴方いらっしゃれるかしら?」 11日と言ったら3日後です。ハーゲンって、いったいどこにあるんでしょう?あちこちインターネットで調べて、デュッセルドルフから電車で一時間くらいで行けることがわかりました。翌日切符やホテルの手配をし、11日には守備よく発つことができました。

  会場はハーゲンシアター、この町きっての由緒あるな建物です。内部は馬蹄形になっていて、ステージには美しく花が生けられ、上から9つのシャンデリアが下がっています。

初めにオーケストラの演奏で、軽快なセヴィリアの理髪師の前奏曲。そして、後はここの劇場専属の歌手たちが、オペラアリアや、オペラの一シーンを、軽いフリをつけて歌います。単に立って歌っているだけではなかったので、なかなか面白かったです。

  さて、われらがアライサは、4番目に、アンドレア・シェニエの「ある晴れた朝」のアリアでスタート。これは大変力が要るアリアで、真っ先に歌うのはとても難しい、とのことです。大変力強く堂々と歌われ、観客は圧倒され、割れんばかりの拍手。さらに、私の大好きな、ドン・カルロからロドリーゴとの勇ましいデュエットで前半を締めくくりました。

休憩時間に化粧室に行きますと、恐ろしく長い列。始まる合図の鐘がなると同時にやっと席に戻ることができたくらいです。待っている人たちを観察していると、かなり満足しているようでした。後半は若い26歳のバスでジョコンダのアリアに始まり、続いてアライサとソプラノ、ヘッセが、トスカの第一幕の一シーンを歌いました。トスカが登場して、退場するまでの場面で、嫉妬深いトスカがカヴァラドッシの描いているマリア像を見て、青い目だと言って腹を立てる場面です。二人ともしっかりふりをつけているので、本当にオペラを見ているようです。このソプラノは若かったし、私がベルリンで見たトモワ・シントウよりずっと良かったと思いました。この場面、13分ほどありました。

その後、続いてオーケストラのカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲が演奏と、ラ・トラヴィアータのアリア、“E strano”に続き、アライサがトゥーランドットの中の有名なアリア、「誰も寝てはならぬ」を実に堂々と、それでも愛情込めて歌いました。(ホセ・クーラの歌い方をきいたことがありますか?彼は実に傲慢な感じで締めくくるのですよ!愛などあったものではない)

聴衆は興奮し、総立ちになって拍手。私もうれしくて夢中で拍手を送りました。
最後に出演の歌手全員が参加して、トラビアータの「乾杯の歌」を歌い、鳴り止まぬ拍手に答えて、アライサがもう一曲、“Dein ist mein ganzes Herz
を歌いました。
何度も何度もカーテンコールがあって、コンサートはやっと終わりました。
ボータのキャンセルで、50枚ほどチケットが戻されたそうですが、代理がアライサと聞いて、小躍りして喜ぶファンもいて、その返却の券もすぐ売り切れたそうです。

アライサはコンサートの成功にとてもうれしそうで、コンサート後のレセプションでも、みんなにサインをせがまれいつもファンに囲まれていました。翌日は9時からシュトゥットガルトで講義をするので、4時半に起きて、デュッセルで6時半の飛行機に乗らなければならないというアライサ、教授のお仕事もかなりハードだそうです。今年はそのせいか、あまりステージ出演がないのでさびしいのですが、また素敵な声を世界に披露して欲しいものです。



Der Kreidekreis     プレミエ 2003年10月19日

  このオペラの作曲家、Zemlinskyは日本ではまったく無名ですが、20世紀初頭に7つのオペラを作曲し、これは最後のオペラで、1933年にチューリッヒで初演され、好評を博しました。ストーリーは中国の昔話が元になっているのですが、政府を批判している部分があるため、ナチスによって上演が禁じられ、そのまま忘れ去られていたところを、今回の再上演となったわけで、実に70年ぶりの上演ということになります。今回の上演で大成功を収めましたが、なんと言ってもこのオペラの雰囲気にぴったり合った演出の良さを指摘すべきでしょう。David Pountneyは、「愛の園のバラ」のときと同じ演出家で、今回は以前よりいっそうシンプルな舞台で効果を挙げています。

このオペラは歌手と俳優が2人で一役を演じるのですが、舞台の上に一段高い舞台があって、黒い衣装の俳優は下の真っ黒な部分に座ってせりふをしゃべる、黒子に徹し、歌手が上のステージで歌ったり動作をしますが、違和感が無く、実にすんなりうまい具合に観客にわかるようになっています。

  第一幕は真っ赤。トンの売春婦の店です。17歳のハイタンが、母親に連れられて、借金を払うため身を売りに来ます。そこに来た皇帝の息子パオ(アライサ)と戯れているところに突然壁が倒れ、金持ちのマが現れて、ハイタンを気に入り、パオと競りますが、桁違いの大金を出してハイタンを買い取ってゆきます。

  第二幕は黄緑、主人公ハイタンを買った金持ちマの家。今はマを愛し、子供もできて幸せになったハイタンですが、本妻がねたんで、マが遺産をハイタンに残したいと知るなり、恋人と組んでマを毒殺します。マが死ぬときは、するすると赤い格子が舞台の奥に広がって、殺されるのを暗示しています。本妻と恋人は、裁判官や使用人、産婆などが、ハイタンの子供を実は自分の子供だと証言させるよう買収します。

  第三幕、裁判所で、みんな買収された証言者がハイタンの子供は本妻の子だと証言し、ハイタンはムチで打たれ、死刑を言い渡されます。そこに、皇帝が崩御し、パオが新皇帝になったこと、彼は死刑を言い渡された罪人の裁判をもう一度やりたいから北京に来るようにとのおふれが来ます。

  第四幕、真っ白。雪の中を北京まで歩いてゆくハイタンとやはり死刑宣告を受けたハイタンの兄、二人は北京に着く前、雪の中で銃殺されます。これはオリジナルと違う部分で、オリジナルでは二人は北京に行くのです。

  第5幕、真っ青な舞台。上から、大きな輪に乗った新皇帝パオが静かに下りてきて、まずハイタンの兄を自分の部下にし、次にハイタンの裁判のやり直しをします。子供の親を決めるのに、白い輪の真ん中に子供を置いて、両方から引っ張って、輪から出したほうが親と認める、と皇帝がいい、マの本妻とハイタンが引っ張り合いますが、子供がかわいそうでハイタンは手を離します。それを見て、ハイタンが親と判断し、殺したのは本妻であることを暴くのです。そしてパオは、ハイタンがマの家に連れて行かれたとき後をつけて、家に忍び込み、ハイタンを抱いたことを告白し、子供が実はパオの子供であることを認めるのです。オリジナルではこれでハッピーエンドなのですが、このオペラでは、この場面はすべてハイタンの幻想で、最後はその場に倒れて雪のうえで死んでしまうのです。

  曲を聴いていると、シュトラウスやワーグナー、ドビュッシー、はたまたジャズっぽかったりタンゴのような部分まであり、すべていろんな要素が入っていますが、全体にリリックで表現豊かなメロディーです。感情の激しい盛り上がりなどは無く、比較的静かに歌われますが、それがとても耳に心地よいのです。曲は、拍子が間断なく変わり、指揮するのが大変難しいとのこと。チューリッヒでははじめての、ちょっと東洋系の顔つきのアメリカ人Alan Gilbertが指揮。リリックな面を良く出していたと思います。歌手はすべての役がみんな素晴らしかった。なかなかこういう調和の取れた上演はそうないと思うのですが、全員に不満がまったく残りませんでした。主人公のハイタンは全幕ずっと通して歌う大変な役ですが、Brigitte Hahnが非常に好演していました。外見はかなりたくましいのですが、17歳のたおやかなハイタンの感情の動きを良く歌い上げていたと思います。アライサの歌ったパオは第一幕と第五幕のみの出演で歌唱時間が短いのですが、5幕では高音もあり、大変難しいそうです。夏に胃の手術をしたアライサは経過が良く大変好調で、声が力強く、HPもGPもフルヴォイスで歌い、プレミエで歌った後も少しも疲れていないとのことでした。

オペラが終わるとブラボーと喝采が本当に長く続きました。もちろんひとつのブーも出ませんでした。私は感情を押し付けてくるドラマティックなオペラ以上に感動して、いつまでも胸がいっぱいでした。近年、演出家が目立ちたがる、あまり意味のないスキャンダラスで刺激的な演出が多いなかで、こうした、暴力や血やセックスのない、お話もステージも美しいオペラがもっと上演されるといいなあと心から思いました。  

Der Kreidekreisエピソード

その1

着衣リハーサルのあった10月16日は、アライサの目覚まし時計が動かず、かなり遅れてきたので、リハーサル開始時間に間に合わなくて、もうちょっとで歌えなくなるところだったそうで、リハーサルの始まりをずらして、無事終わりました。翌日のゲネプロは、少なくとも一時間半前に出るから、といっていたものの、道路が混んでいたため、始まる30分前にやっと到着。また、その日はオペラハウスの裏口に大道具を運ぶトラックが2台も停まっていて、仕方なく歩道に乗り上げて駐車。そこにもう一台車が停まっていましたが、やむを得ずその横に。さて、ゲネプロが終わり、その後食事をして出てきてみると、車が見当たりません。どうも、前に停まっていた車の持ち主が出られなくなって、レッカー車を呼んだようです。「どうしよう?」とオペラハウスの横のほうに歩いてゆきますと、そこの駐車場にちゃんと彼の車があるではありませんか。ほっとしましたが、フロントガラスには、「罰金30フラン」の紙が。

プレミエ当日は、うまいこと停められたようで、車はちゃんとそこにありました。

その2

新皇帝になったアライサのパオが、第5幕に登場するときは、大きな輪の上に座って天井からゆっくり降りてきます。万が一のため、背中から細い綱で上からつっているのですが、中間で歌わなければいけないので,捕まるところもなくて大変だそうです。

地面に着地して、上の金色のガウンを脱ぐと、グレーの軍服なのですが、客席から見ると、背中が破れているのです。後で近くで見ますと、服の真ん中に切れ目が入っていて、そこから、上からつるす綱を引っ掛ける金具が覗いているのです。上着を脱ぐと、しっかりとしたサスペンダーのようなものをつけていて、それに金具が付いているのですが、上着を着たまま動き回るので、背中が破れているのはどうもみっともない。周りの人たちが衣装係りに文句を言いましたが、結局そのままに。歌手は大変ですね。

ZDF TV Gala

アライサ2003年5月18日、ミュンヘンでTVガラ ”Sternstunden der Musik"に出演し、”Plaisir d'amour"を歌いました。司会のThomas Heckが紹介すると、にこやかに登場するかと思いきや、なんとオーケストラを指揮しているのです。前奏が終わると観客の方を向いて歌いだしました。きれいな黒のスモーキングがとても素敵でした。また、このプログラムでは、ルチア・アリベルティ、ボッッチェリも出演しました。アライサはもちろんマイクなしで歌ったのですが、ボッチェリがマイクの前で歌っていたのはどういうわけでしょうね?

Das Rheingold, Munich

2003年4月30日および5月3日、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で、Das Rheingold が去年に引き続いて上演され、今年はアライサがローゲを歌いました。ローゲは今のアライサの声に非常にあっていて、また彼の歌うLogeは知的でオペラの影の中心人物となり、従来演じられてきたLogeとはまったく異なります。演出はバイロイト歌劇場の客席という奇妙な設定で、ラインは水槽の中に金魚が泳いでいる、というもの。あまりに意味のない部分が多く、観客をひきつける魅力には欠けましたが、歌手陣がすばらしく、(トムリンソン、リポブシェク)納得させられました。ただ、3人のラインの乙女たちはハーモニーも悪く、割れがちに歌っている感があり、残念でした。2日とも、ローゲのミュンヘンでの成功でご機嫌のアライサは、オペラのあとは友人たちとレストランで夜更けまで語り合っていました。初めの日は一番小さなお子様ラウラちゃんが初めてオペラを見に来て、大変お行儀よくしていたのには感心しました。

Liechtenstein, Vaduzの Liederabend

アライサは2003年3月16日、リヒテンシュタインの首都Vaduzで、ピアニストのJean Lemaire氏とともにLiederabendを行いました。リヒテンシュタインはチューリッヒから電車で1時間20分、さらにバスで30分ほどのところにある、アルプスをのぞむ小さな国です。国が小さいので、飛行場はもちろん、電車の駅もなく、バスが唯一の公共の乗り物です。首都VaduzVaduzer-Saalは、小さいながらも音響のよいホールで、かなり有名な人が演奏しているようでした。アライサのリーダーアーベントの前夜はオペラ「こうもり」を上演したので、リハーサルに行ったときはその舞台装置がセットされていました。前夜、下痢で一睡もできなかったと疲れた顔をしていましたが、翌朝のリハーサルのときはかなり元気を取りもどしていました。

今回のプログラムは、前半はウィーンと同じ、ベートーベンの「はるかな恋人に寄せる歌」とワーグナーの「ベーゼンドンク」、後半はラインベルガーの作品129、その後、いつもとは指向を変えてメキシコのフォークソングを歌いました。これが大変よくて、本当にアライサらしく、声ものびのびしていましたし、聴衆も沸いていました。おなじみの、Madre miaから始まって、Arrullo, Te quiero dijiste, Intima, Espanolerias, Dime que si, Perjura, Granada. Te quiero dijiste はおなじみの曲なのに、アライサが歌うとそれは素敵なのです。Te quiero mucho, mucho mucho mucho… と繰り返すところ、女性なら誰でもあんなふうに言ってほしいですね! 最後はおなじみのグラナダで締めくくり、聴衆がワッと沸きかえりました。アンコールは3曲、メキシコの歌と、一曲トスティを歌いました。リサイタルの後は、またパーティがあり、たくさんの友達に囲まれ興奮して長い間話していて、とうとう最後にホールの人が、12時で閉めますから、というまで残っていました。  

チューリッヒのAriadne auf Naxos

2003年2月9日からチューリッヒオペラハウスで「ナクソス島のアリアドネ」の上演が始まり、アライサはバッカス役をはじめて歌いました。初日と2日目は風邪のためキャンセルしましたが、3日目から歌うことができました。この役は歌う時間は短いのですが、非常に難しく、大変な体力を要するそうで、体調が万全でなければとても歌えないということです。私の見た23日、25日とも調子がよく、エレガントなバッカスでした。演出も傑出していて、美しい舞台に気持ちよいテンポで次々場面が展開し、少しもあきさせないのには感心しました。アリアドネ役はJoanna Kozlowska,ツェルビネッタはElena Mosucで、いずれも好演でした。また、Haushofmeister 役をインテンダントのPereira氏が好演していました。

第一幕,アライサはバッカスを歌うテノールとして登場、ひどい格好のカツラを地面にたたきつけて怒っています。次に出てくるとき、黒いベレーのようなものをかぶっていたので、後で、いったいあれは何ですか、と聞きますと、笑いながら、男性が夜寝るときに髪が乱れないようにかぶるネットだと説明してくれ、アライサも一つ持っているそうですが、毎朝洗髪するので使ったことはないそうです。

第二幕、バッカスとして登場、緑と金の長い衣装を着ていますが、アライサがキャンセルしたとき、代役のテノールは背が低かったので、かかとの高いブーツを履いていて、それが大変目だってみっともなかったのですが、アライサのときはちゃんと金のサンダルを履いていました。また、バッカスらしく、髪をくるくるウェーブをつけてあって、ステージでは大変若々しく見えました。オペラの後、その髪どうしたんですか、と聞くと、これが本来の髪の毛だよ、とすまして答え、実は休憩のとき、メーキャップ係がカーラーでウェーブをつけてくれた、と種明かしをしてくれました。

最終リハーサルのとき、ニンフの長い衣装がやしの木の幹に引っかかり、彼女が引っ張ったので、びりびりと音がして、すそが破れてしまいました。破れた布切れは木の幹にくっついていましたが、翌日のプレミエの日もそのまま木の幹に付いたままでした。その後は、気がついてとったようで、もう見当たりませんでした。彼女の服ははじめからすそが破れたようなデザインだったので、あまり気にならなかったと見えます。

アライサのカレンダーは6月以降が空白になっていて、気になっていたのですが、6月はメキシコでカルメンを歌うことが決まっていて、8公演あるそうです。また、9月にもメキシコでリーダーアーベントを行い、10月はCDの録音で一月メキシコに滞在するとのことです。また、CDはベートーベン、ラインベルガー、ワーグナーのリートで、とても素敵になるはず、とは本人の弁。

アライサのチューリッヒの家の居間に、天井まで届く大きな暖炉がありますが、実はアライサ自身のデザインなのだそうです。中ほどに、メキシコの太陽のカレンダーを埋め込んであるのですが、とにかく大きすぎる、とみんなから大変不評をかったそうです。

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アライサは2002年秋からStutgart大学の教授として招かれ、1日に7人の生徒に教えていました。一人1時間半、30分のお昼休みだけで後はぶっ続けという厳しいスケジュールで、2003年の7月まで続けるそうです。アライサはその仕事に大変満足していましたが,もし来年度、余程よい条件で無い限りは契約するつもりは無い、と言うことです。ギッチリ詰まった時間割では体力的にとても大変だからだそうです。

2002年12月21日のミュンヘンフィルハーモニーで行われたアライサのクリスマスコンサートは大成功で、非常に良い雰囲気の中,聴衆もよく応えてくれました。彼はこのコンサートのため,純銀のきらびやかな飾りのついたガラ用上着を着ましたが,それを全部手で磨かなければならず,前夜5時間半もかかったそうです。アライサは声の調子が大変よく、相当に疲れ切ったそうですが,とても良かった,とのこと。今はクリスマス休暇を楽しんでいる最中で,もうすぐ来年2月のチューリッヒのアリアドネのバッカスの役を勉強し始めるそうです。

2002年12月14日,アライサはミュンヘンで,子供のためのTVガラに出演,4曲歌いました。大変楽しい番組で、同時放映される予定だったのですが,ZDFで「病気の子供に心臓を」という番組が飛び入りで入ったため,アライサ出演のガラは放映がキャンセルされてしまいました。素敵な番組だったのに,残念,と言っていました。

アライサはメキシコシティはアライサの母校UNAMで、11月22日、リーダーアーベントを行いました。プログラムはウィーンの時と同じものですが,母校であることもあり,マエストロが歌うと言うことで期待も大きく,その期待に十分こたえ,素晴らしいリーダーアーベントとなりました。公演後休む暇も無くフランクフルト経由でチューリッヒに戻り,26日には車でStutgartに向かい、そこで彼はStutgart大学の声楽教授の職につきます。名誉ある職に就き、後輩の指導にあたることは彼にとっても大変嬉しいそうです。

チューリッヒ,La Traviata

2002年11月13日,チューリッヒオペラハウスで上演された La Traviataで、アライサはアルフレッドを歌い,好評を博しました。今シーズンは13,17日と2回歌います。ジェルモン役はブルゾンで、実に良いコンビでした。Flimの演出も嫌味が無く、パーティの場面では,かなり退廃的なムードを強調して、ヴィオレッタの心境を浮き彫りにしていました。人気演目のLa Traviataはいつもより劇場の席も2列増やして,まさに満席、熱い喝采を浴びていました。また、オペラの後はスポンサーの銀行のパーティがあり、アライサ氏のお兄さんや友人も同席して楽しいひとときを過ごしていました。

ベルリン、オペレッタ・ガラ

2002年11月8日,ベルリンのコンサートハウスでオペレッタ・ガラが催されました。選曲はすべてレハール作曲のオペレッタからなされ、オーケストラはBerliner Symphoniker、指揮者はMarcus Bosch. ソリストはアライサと、25歳の新進ソプラノNataliya Kovalova。オーケストラは素晴らしく澄んだ音を出し,さすが、と思わせましたが,歌手と演奏する時もかなりのヴォリュームで演奏するので,やや声を消し気味になってしまったのは残念。ソプラノKovalovaは特に特徴だった声ではないものの、完璧な歌唱は聴衆を魅了しました。アライサも調子よかったのですが,オケに声が消されてしまった部分があり、それが非常に残念でした。第一曲目のWolgalied, Gern hab' ich die Frau'n gekuesst, Schoen ist die Welt, 得意の Freunde, das Leben ist lebenswert と好調で、デュエット2曲も息がぴったりあって楽しい雰囲気でした。寒いベルリンでしたが、コンサートハウスの中は熱気にあふれていました。

 

地中海クルーズ船のリーダーアーベントを終えて…

2002年10月11日イスタンブール発の豪華船クルーズは,21日早朝バルセロナ着で終了しました。下船するとエアポートに直行、そこでクルーズの様子を語ってくれました。アライサ本人と長男のリカルド君は,別々にテラス付きの豪華なスイートルームをあてがわれ,非常に快適だった由。2度行ったリーダーアーベントは大変調子がよく,満足の出来だったこと,たくさんの地中海の島々を回ったけれど,マヨルカ島が一番印象深かったこと,大変美しく,気温が28度でリカルド君は泳いだこと,などです。ミュンヘンの自宅にいったん帰ったら,すぐチューリッヒに発つそうで,ステージの予定は沢山無くても随分お忙しいようです。

アライサは2002年8月2日から9月3日まで故郷のメキシコで過ごしました。家族とともにゆっくりと休養をとり、お子さんのアベサロム君は浮き輪なしで泳げるようになり,アライサも前よりいっそう黒く日焼けました。恒例行事のような10月12日から21日の豪華線”Miss Europe"での船旅は、今回も長男のリカルド君を同伴するそうです。ちなみに,この船旅の料金は,ドイツ発で4,286.80ユーロとのこと。

ケルンテンの夏,オシアッハ音楽フェスティヴァル

オーストリアはイタリアに近い,美しい湖水地方の村の1つ,オシアッハでは、毎年夏2ヶ月間に渡って,ケルンテンの夏として有名な音楽フェスティバルが行われています。非常に足場の悪い村なのですが,音楽祭を目指して国内国外から人が集い、付近のホテルは満員になります。昼間は湖や美しい自然の中を散策、夜は着飾ってコンサートに出かけます。今年はアライサ第二回目の出場で、オシアッハ修道院のStiftskirche教会で,ルメール氏のピアノ伴奏でリサイタルがありました。教会はロマネスク様式ですが、内部はゴシックで、壁画,天井画とともにレリーフの装飾が非常にユニークで美しく,音響も良く、リートのコンサート会場としては申し分ありませんでした。

前半は、まずManuel de Falla の7つのスペインポピュラーソング、‘86年録音のCDをお持ちの方も多いと思いますが,ちょっと聞くと簡単なように思いますが,どの曲も大変難しい曲で、ピアニストにとっても大変な曲ばかり、リハーサルでも、何度も中断してはルメール氏に,こういう風に弾いてほしい,と細かく注文をつけていました。本番ではぴったり息があって素晴らしい出来、処がドイツ人にはあまりなじみのなかった曲だったようで,おわったあと、私が拍手をはじめるまで皆シンとしていました。続いてドニゼッティの「漁夫」、ヴェルディの「星に」と「乾杯」、いずれもアライサならではのドラマ性を展開させ,続くトスティの3曲も,アライサのためのような曲、快調のうちに前半を終えました。休憩時間には修道院の中庭にビュッフェが設けられていました。

後半はウィーンで歌ったドボルザークのチェコ語の「聖書による10のリート」作品99及びラインベルガ‐の「古いイタリアの詩による3つのリート」、自然の中のリゾート地で開放された気分で歌えたのか,ウィーンの時よりものびのびと歌っていたように思いました。熱烈な拍手に答えてシューベルトとシュトラウス、トスティ,最後に「グラナダ」で聴衆を沸かせました。今回はORFオーストリア放送の録音および前半は録画撮りもありました。聴衆は年配の方が多いように見うけましたが,帰りながら,「なんと心地の良い声でしょう」と語り合っていました。今回アライサは大変調子が良く,高音も実に美しく響いていました。近年の多忙が声を疲れさせていた感がありましたが,少しずつ回復しているとのことでした。リサイタルの後は、少しの疲れも見せず指揮者ワイケルト夫妻を含む沢山の友人に囲まれて夜がふけるまで楽しそうに語っていました。良く朝早くメキシコに発った彼は,故国で家族とともにゆっくり休養をとって、来期に向け意欲を燃やしていることでしょう。

Richard Strauss Tage--リヒャルト・シュトラウス祭

ドイツのGarmisch-Partenkirchenで2002年6月9日から16日まで開催されたリヒャルト・シュトラウス祭で、アライサは9日、オペラ「ダフネ」に出演、翌日は演出家、歌手を交えてのミーティング、13日はオーケストラリーダーに出演しました。また、5日間行われたFischer-Dieskauのマスターコースにも1日出席しましたが、残念ながら歌いませんでした。

ダフネの会場はアイススケート場で、観覧席の一角に大きな舞台が作られ、真っ白に塗った釣り天上や壁は木製で、スピーカーの役を果たし、音響効果をよくしていました。コンサート形式と言うものの、舞台ではほとんど普通のオペラと同じように演技し、簡素ながらコスチュームもつけていました。会場が広いため、歌手達はマイクをつけています。この上演は実況中継でドイツ国内に放送されました。

コンサートはブリテン作曲、「テノール、ホルン、オーケストラのためのセレナーデ作品31」で、非常に難しい曲でした。絶対音感がなければ到底歌えない曲、しかもアジリタも必要とされています。こう言う難曲に取り組むのはいかにもアライサらしいと思いましたが、観客が大分戸惑っていたのは事実です。でも終わった時は大喝采を受けていました。コンサートの後はサイン会があり、沢山のファンが彼のサインを貰うために列をなしていました。

アライサは11日、フィッシャー・ディスカウのマスターコースに出席し、レッスンの後、歌うつもりでいたのですが、話がディスカウのほうに行っていなかったのか、ディスカウはレッスンを終えるとすぐ退場してしまい、観客は帰ってしまったのでアライサはあっけに取られていました。あとからディスカウや夫人のジュリァ・ヴァラディに挨拶していましたが、帰る道々も残念そうでした。また、この日はドイツ対カメルーンのサッカー試合があり、アライサはホテルのレストランでテレビの前に座って大声で歓声を上げていました。

アライサは服に関しては完璧主義者で、コンサートの時はいつもコンパクトな蒸気アイロンを持ち歩いています。10年も愛用しているそうで、最近ねじが1つ取れて具合が悪くなり、新しく求めました。このアイロンはスイス製ですが、ドイツにしか売っていないとか。軽いし小さくなるので、旅行者には重宝と思われました。

アライサは自分の車を2台持っていて,1つはベンツの600, ベンツでも一番大きな車で、もう1つはポルシェです。家族が一緒の時は大型ベンツに乗っていますが,その時は非常に安定した運転です。ところが一人でポルシェで長距離を走るときは,時速200キロを越すスピードを出すそうです。ドイツは速度制限がありませんから,高速が出る車は好きなだけ出すことが出きるのです。普通,ポルシェが走ってくると,追い越し斜線にいる車はだいたい譲るのですが,今回Garmischに来る時、前を走っていたBMWがどうしても道を譲ろうとせず、やむなく横の斜線に入った途端BMWが割り込んで,危うく衝突するところだったとか。後から思い出しても冷や汗が出るほどだったそうです。

ザグレブのWerther

クロアチアの首都ザグレブのクロアチア国立歌劇場で、マスネのウェルテルが上演され, アライサが初日にタイトルロールを歌い,大成功を収めました。 この公演は、メゾソプラノのDunja Vejzovicの35周年の歌手暦を記念に企画されたもので, 初日にアライサが特別出演したものです。当日は大統領も観劇し、劇場は熱気に包まれていました。演出自体はあまり目新しいものではありませんが, アライサのウェルテルはいつもながら情熱的で、聴衆を感動させ, かのアリア、そよ風よ…の後は長い拍手が続きました。Vejzovicは年配で動きも容姿もシャルロッテとはかけ離れていますが,それを補って余りある歌唱ぶりで、音色,テクニック,感情表現など申し分ありませんでした。聴衆は曲が終わらないうちから熱狂的な拍手をし,最後はブラボーと喝采とともに長いカーテンコールがありました。オペラの後はVejovicのオマージュ・セレモニーがあり、アライサもインテンダント・音楽総監督・指揮者のBasic氏から劇場のメダルを授与されました。その後はオペラ関係者のパーティがあり、アライサはいつも沢山の人に囲まれていました。

ザグレブのオペラハウスで,初めてアライサがWertherの衣装を試着した時, そのあまりの大きさにびっくり,全てだぶだぶだったそうで、チューリッヒのテレーズの衣装を持ってきて使おうとまで考えたそうです。ところが衣装係が見事にサイズを直して, 2度目に着た時はぴったりになっていました。でもこの次に歌うテノールのために, また広げなければならないわけですね。

ここのウェルテルは半ズボンをはいています。下に黒い長い靴下をはいていますが,それはタイツではなく、女性用のガーターのようなもので止めてあるのです。ミュンヘンのオペラハウスで特別に作ってもらったのだそうですが,「セクシーだろう」と冗談を言いました。オペラの後見たら, そのガーターが赤く染まっています。「ウェルテルの血が新鮮だったんだよ」だそうです。

今回もテレーズ同様, 頭の後ろに毛の房をつけていますが, オペラが終わった後係の女性がはずそうとしましたが,実にしっかりとめつけられてあって、なかなか取れません。「アライサさんこのままお家に帰ってくださいよ」といいながら,10分あまりもかかってやっと取ることが出来ました。その毛の房は、襟足の毛をゴムでしばって小さな束を作り,そこに20本あまりのピンで留めてあったのです。

アライサはいつも公演の合間にリンゴとミカンまたはオレンジをたっぷり食べるのですが、今回オペラハウスに行くと、頼んだはずの果物がまだとどいていませんでした。彼はちょっと考えて, 私にオレンジを3つ、ホテルからもらってきてくれ、と頼みました。私は大急ぎでホテル迄走ってオレンジをもらうと、それを持ってまたオペラハウスまでかけ戻りましたが,大通りをロングドレスとハイヒールでオレンジを3つ持って走っている日本人を見て、通りがかりの人は呆れて見ていました。オペラハウスに戻ってしばらくすると, 頼んだ果物がどっさり届きました。

チューリッヒの3月プレミエTherese

去る2002年3月16日、チューリッヒオペラハウスにてJules MassenetのオペラThereseと MascagniのCavalleria Rusticanaのプレミエがありました。

Thereseの演出はGilbertDeflo, 指揮はStefano Ranzaniで、Defloの演出は様式感のある大変に洗練された美しい舞台を作り出していて、各場面ごとが、まるで一枚の美しい絵のようでした。第一幕は広々とした庭園の並木を背景に手前に池があり,舞台上には館に続く石の階段があります。どの場面も,はげしい感情の表現はありますが,イタリアオペラのようにフォルテシモではなく、舞台と良く調和していて洗練されたデリカシーを漂わせています.アライサが黒いマントに身を包み,静かに登場するシーンはとても印象的でした。最後はテレーズを残して黒幕が下り,突然暗闇にギロチンが浮かび上がり,身の毛もよだつようなシーンでした。

前半はまだ調子が出ていなかったアライサも、第二幕は本領を発揮し,感情表現も素晴らしかったと思いました。またタイトルロールの二キテアヌは,いつもズボン役や、ドラベッラを歌っていましたが,このドラマティックなロールを見事に歌い上げ,アンドレ役のVolleも好演で、3人のバランスが良く取れていました。登場人物が少ないだけに,バランスが特に大切なこのオペラで、CDのようにバルツァが歌っていたら, こんなに美しい作品には仕上がらなかったかもしれません。

返す返すも残念なのは,もう1つのオペラ、カヴァレリアとの組み合わせです。この全く違うタイプのオペラは、まさにベリズモオペラそのもの、感情のぶつけ合いで,オケも歌手も必要以上に古・ヴォリュームで、前に上演されたテレーズの印象をすっかり希薄にしてしまうことです。 知名度の低いテレーズだけでは客寄せが出来ないとふんだ企画側の意図と思われますが, せっかくの珠玉のようなテレーズとは、せいぜいメノッティか、もしくはバレエのようなものを組み合わせてくれていたら, と願わずにはいられませんでした。

Thereseのプレミエ当日は, アライサ家族がチューリッヒに集合しました。 まず奥様のエテリー, お兄様のラファエル, 大きなお子様のリカルド、甥のアレハンドロと、彼のエージェント2人, またピアニストのルメール氏をはじめベルリンやチューリッヒの親友達もかけつけ、これだけ顔を合わすことは普段ないので、オペラ後のパーティーでは, 大半の人が帰ってしまうまで語り合っていました。

今回演出を担当したDefloは非常に語学の達者な人で, 英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、フランス語は立て板に水を流すような流暢な話しぶり, 話していて次々に言葉が変わります。 さらにはロシア語までぺらぺらとか。 5各語を流暢に話すアライサさえ感心していました。また大変に気さくで楽しい人でもあり, アライサによると, 非常に様式感を重んじ, 舞台の構成に凄いエネルギーを投入する, とのことです。  

テレーズ第1幕は、バックに美しい並木の木立が描かれたスクリーンが下げてありますが, このスクリーンが少しでもゆれないよう, たいへんな重りをつけてあるそうです。

アライサは今回タミ−ノの時のような毛の房を後ろにつけていますが, これはピンで留めてあり, 留まるようにするため、後