2010年5月22日(土)+23日(日)

 お昼頃、スーツケースと楽器を抱えて大阪へ出かけた。この日は「ガムランを救えプロジェクト」による「なんとなく集まってパフォーマンス」の日だった。場所は大阪天神橋にある廃業した銭湯。大阪市大がアート系の活動の場にするために「アート・セントー」なる名称で借りている。40名ほどが集まった。よく反響するかつての湯船や脱衣場で「なんとなく集まってよく分からないパフォーマンス」をした。10月に予定している「1000人で音楽する日。」で演奏する「ウドロ・ウドロ」もやってみた。ガムラン系の人が多いので演奏はばっちりだった。研究員として民博に来ていたフィリピン人音楽考古学者アルセニオ・ニコラスも顔を見せた。
 終わった後は宴会になったはずだが、イスタンブールに飛ぶワダスはそのまま電車で関空に向かった。ワダスが関空に着くと、お坊さんたちもすでに到着していた。トルコ航空のサービスはなかなかだった。機内食も悪くない。ほぼ満席の乗客のほとんどは日本人観光客のように見えた。機内で3本ほど映画を見て、うつらうつらしているうちにイスタンブールに着いた。

5月23日(日)

イスタンブール到着

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 午前6時、イスタンブール空港着。12時間40分のフライト。実に長い。所要時間はヨーロッパの都市と変わらない。
 パスポート・コントロールを通り抜け、広いロビーに出た。コロンとした男が「SHICHISEIKAI」と書いた紙を両手に持って待っていた。名前はオザン。30歳だという。事前に連絡をもらっていた人間とは違っていた。今回のエージェントであるエルグヴァンから移動や宿泊の手配を請け負っている業者ということだ。
 外に出てタバコ。オザンがトルコのタバコを差し出したのでいただいた。ちょっときつい。1箱4ドルほどという。その後ベンツのミニバスで市内へ向かった。途中で給油。1リットルが2ドルほどする。世界一燃料が高いとオザン。空港に来る前に給油しておくべきではないのか。
 高速道路を走り、バスはあっという間にイスタンブール市街地に入った。中層のアパートが丘陵沿いに立ち並ぶ。古い、ビザンチン様式のモスクが鉛筆のようなミナレットを従えて立っている。ほどなくデデマン・ホテルに到着した。周辺はほとんどが何の変哲もないビルだ。歴史的建造物は見えないので、古都に来たという印象は薄い。

デデマン・ホテル

 オザンがチェックイン手続きをする。322が南、池上良慶、321が河合と中川、512が橋本と池上良生。
 五つ星と聞いていたが、部屋はそれほど広くないし、豪華な調度でもない。日本の普通のシティホテルといったところだ。
 荷物を解いて寝ようとするが、神経が興奮していてなかなか眠れない。主催者と連絡を取ってみようと、アテシュからもらった連絡先に電話してみた。
 アテシュというのは、ホームページでわれわれの存在を知り、主催者に推薦してくれたアメリカ在住トルコ人である。会ったことはないが、イスタンブール公演の第1エージェントである。彼からは、主催者、現地エージェントなど電話番号リストとともに「あなたがたは何の心配もいらない。トルコ人たちの歓迎に感激するはずだ」というメッセージももらっていた。
 ところが、リストにあるどの番号に電話してもトルコ語でしか返答がない。エージェントやフェスティバルのホームページの電話にかけても応答がなく、招待状に書かれてある役所に電話しても応答がない。日曜日かつ早朝なので役所の返答がないのは仕方ないとしても、一つとして主催者サイドに到達できなかった。ちょっと不安になった。主催者はわれわれが無事到着したかどうか確認する必要はないと思っているのだろうか。それとも、オザンが報告済みだということなのか。ともあれ、向こうからのアプローチを待つしかなさそうだ。
 まだ朝7時にもなっていない。河合と時間つぶしに地下の食堂へ行った。食堂はかなり広く、日本人旅行者の姿もあった。好きなだけなんでも食べられるビュッフェだった。ワダスは、2回の機内食を余さずに食べたのでお腹がパンパンに張っていた。ここでなんとかして排出しておかなければと思い、コーヒーだけ頼んだ。河合は「やっぱ、食べようかなあ」と食べ物カウンターへ行った。隣には、腰にウエストバッグを巻いた日本人のご婦人たちが精力的に朝食をとっていた。よく食べ、よくしゃべり、よく笑う。
 3杯目のコーヒーを飲み終えたところでやってきた。地下のトイレに入る。便座が高い。部屋のトイレはちょうどいい高さだったのに、ここは座るとつま先が届かない。
 食堂でやってきた場合に備えて文庫本を持って来ていたのは正解だったが、読み始めてから失敗に気がついた。つまらないのだ。『新物理学の散歩道』というタイトルに惹かれて楽しみにしていたのだが、論文のように数式なんかがやたらと出て来て楽しめない。太ももの血流が滞り、足の先がしびれてきたので地下のトイレから撤退し、部屋に戻った。
 部屋に戻ってもやることがない。かといって今、寝てしまうと、夜になって困る。
 ノックがあった。部屋の掃除だった。ドアに「邪魔するな」という札を下げていなかったようだ。要らないというと、制服を着た女性は隣の部屋に移動した。すると間もなく、電話が来た。良慶からだった。

隣室バスルーム

istanbulphotos「スンマヘン、中川さん。ちょっと来てもらえませんか」
 隣のドアを開くと南が言った。
「ちょっと、漏水というか、洪水というか。なんや、ちよっと。ま、見てくんなはれ」
 入って右のバスルームから良慶が出て来た。
「スンマヘン。バスタブで頭、洗ろうてたら、気いついたら床がこんなんなんですわ。そんで、さっき誰かがノックしたんで、あ、やば、抗議のノックやろか、下に漏れたんやろか思うて。なんや、ヨッチョのイギリスのバスタブ事件を思い出しましたんや。まっずいなあ、思うて、中川さんに電話したんですけど。大丈夫やろか」
 イギリス・バスタブ事件というのは、初めての海外ツアーでイギリスのモールトンという町で起きた「事件」だ。共用バスタブの止水を忘れて寝てしまったために、階下に水が漏れ、宿主に訴えられたのだ。
 見るとバスルームの床にぐっしょりと濡れたバスタオルが敷かれてあった。
「ああ、ノックは部屋掃除ですよ。下からじゃないです。もし下からの訴えだったら早すぎますよ。大丈夫ですよ。バスタオルを余分にもらいましょうか」
「そうですかあ。いちおう、念のために連絡せな思ったんですわ。あーあ、焦った。えらい、スンマヘンでした。お騒がせしまして」

ウシュクダール

istanbulphotos 河合と散歩に出かけることにした。ホテルの通りと直行する広い道を坂なりに下る。すごいスピードで車が走る。日光が強くかなり暑い。下るにつれてカフェや飲食店が増えてきた。歩道はあるのだが、対岸に渡るための横断歩道との連絡がうまく設計されていない。スターバックス、ケンタッキー・フライド・チキン、マクドナルド、ピザ・ハットなども見えてきた。坂を下りきると海に出た。対岸に渡るフェリー乗り場だ。多くの人が乗降していた。
 船に乗ってみよう。1人1.5リラ。2階席から海峡を見る。遠くの半島の先にトプカピ宮殿のミナレットが見えた。旧市街地のモスクなども見える。ベンチの隣に座っていた若い女性に「あれはブルー・モスクか」と聞いてみた。彼女は「そうよ」とだけ答えた。対岸は、歌で有名なウシュクダールだ。乗り場付近には屋台の飲食店が立ち並んでいた。船着場近くにモスクがあった。かなり古そうだ。改修工事中らしく、内部には入れなかった。  
 屋台でカバブとミネラル・ウォーターを買う。カバブのサンドイッチが3.5リラだ。日本円で200円くらい。なかなかにうまいがパンが固くて下唇を怪我する。
 再び連絡船に乗って戻る。右手に巨大な吊り橋、対岸の海沿いにホテルらしい建物が見えた。フェリーを降りて海岸沿いの道を歩いた。岸壁で釣りをする人がいた。若い女性と一緒にいた男に「何が釣れるの」と日本語で聞いてみた。意味が分かったようだ。丸い小さな入れ物を指差した。10センチほどの鰯が10匹ほど入っていた。
 じゃあぼちぼちホテルに戻ろうかというときに、南から携帯に電話が入った。

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エージェント

「さっきナカガワはいるかと男2人がやって来ました。たぶん、主催者じゃないかと思う。中川さんは今どこですか」
「河合さんと散歩中です」
「そこから何分で来れますか。10分。分かりました。じゃあ、ホテルのロビーで待っててもらいますね。僕らじゃあぜんぜん分からんので、往生してるんです」
 急いでタクシーを拾った。黄色のヒュンダイの小型車だった。タクシーが猛烈なスピードで走ったので5分ほどでホテルに着いた。タクシー代は6リラ(約380円)。
 トルコ人に対応していた南と良慶が私たちを見つけ「ああ、よかった、どないなるやろ思ってた」と呼び寄せた。

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ハルン
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ボリス

 待っていたのは、今回の公演エージェントであるエルグヴァンのディレクターのハルンと若い通訳のボリスだった。50代とおぼしきハルンは小柄な白髪の男だった。英語で話しかけたが、うーというだけだ。英語はまったくだめなようだ。ボリスは一見西洋人に見える青年。後で聞くとハルンは55歳、ボリスが24歳とのこと。
 笙をあぶるための入れ物は用意できるか、天井からの掛け軸はどうして吊るか、などを聞く。ハルンはボリスの通訳を介して聞きつつ「問題なし」というが、こちらの要求がきちんと理解されているのかどうか。
 河合、橋本とともに彼らの車で事務所に行くことにした。事務所には10分もかからずに着いた。高速道路に面した10階建てほどのビルの9階だった。エレベータを降りると、住宅風の普通のマンションに見えたが、中は広い事務所になっていた。
 道路に面した広い部屋にはコンピュータが2台。白のまじった髪をポニーテールにした長身のやせた男と女性スタッフ2人がいた。われわれは玄関ドアの左手にある所長室に案内された。ハルンの部屋だ。大きな机が一つ、壁面にはレリーフ、伝統絵画などが飾られている。ハルンは大きな回転椅子に座り、われわれを机の前のいすに座るよう促した。30歳くらいの女性スタッフもバルコニー側に座った。
 ドア近くに立つボリスにハルンが何か言った。
「会場の様子をまずビデオで見てくれ」
 ハルンが目の前のラップトップにDVDを挿入して舞台の映像を見せた。音楽祭の開会式の様子だった。女性司会者がトルコ語で挨拶している。
「七聲会のことを、ほら、今、紹介している」
 と言われてもトルコ語が理解できないので「あ、そお」としか応じられない。
 来る前に写真などで想像していたが会場はやはりかなり大きいようだ。掛け軸を天井から吊るすのは無理なようだ。
「古い歴史的建物なので上からは吊るせない。ただ、両袖に照明用の仮設足場みたいなのがあるのでそれで対応できるのではないか」
「支持するポールのようなものがあればそれを立てて引っ掛ける方法もある」
「うーん。考えてみよう」
「ヒーターはどうか。こういうニクロム線の電熱器はないか」
「うーん。ないなあ」
 とハルンがボリスを見る。

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 こうしたやり取りは、すべてボリスの通訳を介して行うのだが、やりとりがけっこう長いし、別のスタッフも会話に加わるので、こちらからの要望をいつ差しはさむかのタイミングが取れない。また、ボリスの英語もときどき分かりにくい。彼はアメリカに1年ほどいて英語には自信があるようだが、細かなことになると分かりにくくなる。
 炭をおこすための受け皿の形状を絵に描いたりしつつ、しばらくこの話題になる。こちらの要望が理解されていない感じだ。河合が「あのお、ヘア・ドライヤーでもいいっすよ。いちおう、師匠の了解も取ってあるので」と言った。師匠とは良慶のこと。それをボリスに伝えると「分かった。僕のを持ってこよう」となった。
「よし、もっと大画面で舞台の様子を見てほしい」
 ハルンがこう言ってわれわれを道路に面した広い部屋に案内する。壁面に大画面のフラットテレビがあった。そこで会場の様子を再び見た後、バルコニーに出てみた。
 右手にスタジアムが見えた。ボリスが近づいて来て言う。
「あれはサッカーのスタジアムだ。試合があるときはこの辺はものすごく混雑する。あの、ガラス張りの高いビルは、リッチな連中の住宅。屋上にはヘリポートもあるんだ」
 真下の高速道路ではすごいスピードの車が行きかっていた。
 結局、すべては会場に着いてから決めようということになった。アテシュからは5時からリハーサルと聞いていたが、ハルンは「5時に車を送る」と言う。
「公演後に支払いをするが、領収書は持っているか」
「用意していない」と言うとハルンはちょっと困った顔をした。アテシュからはその種のことは何も聞いていないのだ。また、アテシュに送ったわれわれのCDもDVDも知らないと言う。ひょっとするとハルンはわれわれがどういうことをするのかもまったく知らないのかもしれない。
 ボリスの運転する車でホテルに戻る。3時になっていた。

公演会場へ

istanbulphotos 4時半に1階玄関横に全員集合。しばらくして、三つ揃いのスーツ、めがね、スキンヘッドの青年がやって来てわれわれを確認した。名前は、ビュレント。分かりやすい英語を話す。外国人アーティストの案内担当としてエルグヴァンに雇われたという。
 約束の5時を過ぎても送迎車が来ない。ビュレントによれば会場まで40分かかるという。生真面目そうなビュレントがしきりに腕時計を見た。
 5時15分にVWのミニバスが到着。
「米軍基地はトルコにあるが、沖縄とは違う。トルコの基地は契約ベースで土地の管理権もトルコが持っている。沖縄はそうなっていないよね」
 ビュレントがいきなり時事問題についてワダスに話しかけた。テレビのニュースで普天間問題がたびたび取り上げられていたからか。
 起伏のある市街地を抜け、ガラタ橋を渡り、旧市街に入る。新市街に比べて不揃いのすすけたビル群の間から、廃墟のようなテオドシウス城壁、ローマ時代のヴァレンス水道橋などが見えた。
 狭い石畳の坂道をぐんぐん上がっていく。坂なりに間口の狭い古い建物がぎっしり立ち並ぶ。と、トプカピ宮殿の入り口に達した。分厚い城壁の隙間を抜ける。観光客の人の群れの間に、とうもろこし屋、タバコ屋、スナック屋などが見える。検問のある進入口を抜けて車はさらに坂道を上った。上りきった芝生のある大きな広場の奥が会場のAya Iriniだった。時計を見ると5:45pm。

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Aya Irini

 入り口の壁面に、緑のバナーとフェスティバルの大きな看板が掲げられていた。列を仕切るテープの内側にスタッフ数人がたむろしている。われわれを見つけたボリスが「出演者だ」と結界のなかに入れてくれる。
 建物の全容をじっくり眺めるヒマもなく楽屋に通された。ほとんど装飾のない、白い漆喰の石壁に囲まれた空間だ。中央の低いテーブルを囲んで応接セットがあった。ヘアドライヤーも用意されていた。
 ボリスが聞く。
「バナーはどうしよう。スタンドで試してみようか」
 それを聞いた南が、「あっ」という。バナー、つまり掛け軸をホテルに忘れてきたのだ。はるばる日本から持って来たのに。istanbulphotos
「ホテルまで取りに行こうか。1時間以内に戻って来れると思うが。ただ、誰か一緒じゃないと部屋には入れないけど」。
 ビュレントが申し出る。しかし、本番まで時間はない。間に合ったとしてもリスクがある。結局、掛け軸はあきらめることにした。「掛け軸の災難再び」と橋本。河合が「ユーレイに置き忘れたんですよね」と応える。2004年のイギリスツアーのとき、ユーレイ公演で掛け軸を楽屋に忘れたことがあったのだ。ま、よくあることだ。掛け軸なしで公演できないことはない。
 演奏内容の確認をした。笏念仏入道、平調音取り、甲念仏、散華、日中礼賛、回向文と続き、最期は阿弥陀経。良慶が「せっかく中川さんが楽器を持って来たんやから、いつものように最期は阿弥陀経ということにしようや」と言い、こう決まった。それぞれにかかる時間を計算し、全体で45分ないし50分で収まるように調整した。
 CDの販売を屋外テーブルで販売する男性2人に頼んだ。
 その1人が聞いた。「1枚、いくらだ」
「ヨーロッパでは15ユーロくらいだ。トルコリラだと30リラか。30でどうだろう」
「それでは売れない。トルコではせいぜい15リラがいいところだ」
 15リラというと約1000円だ。いくらなんでも安すぎる。もちろん、抗弁しても無駄だった。結局『聲明源流』10枚、『天下和順』60枚を彼らに託した。

舞台リハーサル

 とりあえず舞台を見ることになった。石畳の急な通路を下りきったところが会場だった。右手に進むと、客席の最後部になっている。両サイドにぎっちりと並んだ組み立て椅子は1000席ほどか。正面に、高さ1.5m、間口10mほどの舞台が見えた。上を見上げる。ドーム状の天井がはるか高い場所にある。装飾のほとんどないむき出しの石の面が幾何学的な形で連なっている。舞台の真上に巨大な湾曲した天井壁が覆っていて、そこに十字模様が描かれていた。
 舞台では、われわれの後に登場するバンド<Karde? Tu¨rku¨ler> のリハーサルが進行中だった。スキンヘッドの中年男、2人の女性がボーカル、他にバイオリン、サズ、エレキベース、パーカッション3と総勢12名のバンドだった。
 客席後方から入道すること、入道スペース確保のため客席を中央で二分するよう事務所の打ち合わせで要望を伝えていた。しかし、二分されてはいたが、通路としては狭い。ボリスに伝えると、ハルンも加わって椅子を移動させた。最前列付近は横長の椅子が通路を塞ぐように並べられていた。これでは舞台に行けない。数人のスタッフがやって来て椅子を両脇に移動する。ハルンは、これでいいか、という感じで「OK? OK?」と繰り返す。 
 バンドのリハはなかなか終わらない。本番まであと1時間しかないという段階でようやく終わった。バンドの女性がワダスに近づいて来て言った。
「お待たせしまして申し訳ありません。わたしたちのリハーサルが思いのほか時間がかかってしまって」
 後で分かったのだが、彼女は後方でダフを叩いていた胸の大きい美しい人だった。良慶が二番目に気に入ったという人である。一番はヴァイオリン奏者の眼鏡をかけた女性。とても地味に見えたが、よく見るとすっきりと整った顔立ちだった。
istanbulphotos 舞台に上ってみた。舞台上手前面まで張り出して置かれたパーカッションのセットはそのままなので、上手の階段を上がって舞台前面に進むには障害になる。舞台監督風の男に伝える。男はボリスの通訳を通して「いや、このセットは動かせない」と言う。われわれが立つべき前面のスペースは、後方にセットされた譜面台やマイクのブームスタンドがせり出しているので狭くなっていた。譜面台やスタンドをできる限り後ろにずらし、でかいモニタースピーカーもずっと後ろに下げる。ともあれ、バンド・セットを残したままで演奏せざるを得ない。セットを回避するルートで入道することにした。また、最前列にモニターが並んでいるため、散華のときに立って華をまくスペースも十分にない。南の足の状態があまりよくなく、長時間立ちっぱなしは難しそうだ。結局、全員椅子に座って演奏することにした。われわれの舞台がどうなるのかを無視したこうした配置には、事前の情報も研究もまったくなされていなかったことを物語る。
 舞台でリハーサルをしている間、下手の控え室からバンドの音が聞こえてくるのでやりにくい。
 バーンスリーとの合奏部分ではお経の音量とドローンのバランスがうまく取れない。声が小さく聞こえる。お坊さんたちの真ん中にマイクを1本立てることにした。ところが、そのマイクを生かしたままお坊さんだけの聲明を拾うと、中央の声が大きくなってしまう。マイクは、音取り(ねとり)の後に続く笙の長い音が終わり、良生の甲念仏句頭が始まる直前にオンし、甲念仏が終わったらオフ。礼讃が終わり、お坊さんたちが椅子に座るのを確認してオンするということにしてもらった。この切り替えのQを出さなければならないので、ワダスは本番中はPA卓のそばに座って指示することにした。
 いちおうプログラム順にざっとさらってリハーサルを終えた。最期の阿弥陀経のときに使うドローンも、iPod用の接続端子をワダスの椅子に用意してくれたので助かった。手元でオンオフができるからだ。そうこうしているうちにボリスが「客を入れていいか」と聞いてきた。本番が30分後に迫っていたのだ。客席が次第に埋まっていく。ワダスは最期の曲のときにだけ登場するので、PA卓のところに椅子を用意してもらった。

公演本番

 控え室へ戻る。エルグヴァンのファトマ、ボリス、ハルン、ビュレントが顔を見せた。控え室はわれわれ専用ではなく、スタッフたちとの共用だった。
 開演は時間通りだという。われわれに行動開始を告げるのは誰か。客席後方まで誘導するのは誰か。スタンバイをした状態でGoサインを出すのは誰か。このあたりの連絡がきびきびといかない。ボリスの通訳を介してハルンに尋ねるのだが、ハルンは一眼レフのデジカメとビデオカメラを抱えてふんふんとうなずくのみで要領を得ない。舞台監督が誰かもはっきりしない。
「センセ、雪駄忘れたいうてまっせ」
 橋本が言った。南を見ると、恥ずかしそうに小さく手を振った。
「いやあ、なくとも、かまわんやろ。前にモニターがあるさかい。このままでいくわ」
「いや、でも入道のときに足下を見られますよ」
「うーん。そうやなあ」
「じゃあ、わたしのを使って下さい」
 新しい雪駄を買ったばかりのワダスが申し出た。
「えらい、すんまへん」
 開演時間の8時になった。誰も呼びに来ない。ボリスに声をかける。「開演じゃないのか」「そうだね、ちょっと待ってね」とどこかに行ってしまう。仕方がないので自ら客席後方に移動した。そこにビュレントが立っていた。「君がGoサインを出すのか」と聞くと、オレじゃない、と言う。そうこうしているうちに8時5分になった。ほぼ満員の会場はざわついている。ようやくボリスが顔を見せGoと言ったので笏念仏を始め、客席のざわめきが静まった。天井が高く広い会場のせいか、念仏の声が小さいように思ったが、全員の声が集まるとよく響く。神々しいほどだ。ワダスは彼らの進行を確認しつついったん右袖の通路からボリスとPA卓に近づいた。
 PA卓には椅子が用意されているはずなのに、ない。ボリスがあわてて1脚持ってきた。ビュレントが誰か知り合いと話している。七聲会の声が鳴り響き、客席はしんとしているのに、まったく気にしている感じではない。そのビュレントにハルンも声を出して応じている。ハルンはこのコンサートのいわばプロデューサーの役割だというのに、まったく。ビュレントにきつい目線を投げ、しっ、と言った。
 良生の竜笛、橋本の篳篥、河合の笙による音取りが終わり、笙が後に残る。中央マイクのオンのQだ。音響の青年に、今だ、と告げる。横に立っていたボリスが、同じことをトルコ語で告げる。青年は通訳がなくとも理解していた。
 良生の甲念仏の句頭が美しい。甲念仏、日中礼讃、散華、回向文と続く。客席は静かに聲明を聞いている。目をつむって聴く人もいた。日中礼讃のときの倍音がよく響いた。
 小声でボリスに言った。
「すべてのプログラムが終わったら、客席にお辞儀はせず、そのまま舞台から一度はける。そして再び登壇し客席にお辞儀をする。これでいいよね」
「それはだめだ。いったん出てしまってまた上がったら、客は拍手のタイミングが取れない」
「でも、このやり方は今までずっとやってきたんだよ」
「いや、だめだ」
 彼は、再登壇の提案にかたくなに否定する。ワダスは思う。いったい誰が舞台監督なんだよ。ボリスは単なる通訳ではなかったのか。
 そこへビュレントが近づいて来て言う。
「何か説明がいるね。お坊さんがはけた後、君が登壇して、彼らが何をしていたのかを説明すべきだ。お客さんはまったく分からないからね」
「確かに。ただ、ワダスは誰の指示を受けたらよいのか分からない。君が監督なのか」
「いや、僕は通訳だ」
「だったら、誰が最終的指示を出すのか」
「ハルンだ。ハルンがそう言っていた」
「OK。彼がそう言ってるのなら、そうしよう」
 回向文の途中でワダスが登壇し椅子につく。お坊さんたちが椅子に座るのを確認してiPodからドローン音源を流した。それに合わせて短いアーラープの後、平調(=E)を長くのばし阿弥陀経の出だしを示した。橋本が阿弥陀経を唱え始め、それに他が唱和する。ワダスは読経の響く大地の上をふわふわと漂う。

記念写真大会

istanbulphotos すべてが終わり、われわれは下手の階段を下りた。拍手が止まらない。再び登壇すべきか。ボリスは、このままでいいと言う。ま、いいか。そしてビュレントを見ると、今だ、お前、早く上れと言う。「でも、通訳なしだと困るよ」「そうか。オレが上って通訳する」
 ま、こんなふうにもたもたしながらワダスは舞台に立ち、説明を始めた。ワンセンテンスごとにビュレントに通訳してもらう。
「散華の華は、日本では幸運の印として人々が持ち帰ります。皆さんもいかがですか」と言ったとたん、前列の客がどっと舞台に押し寄せて来た。1人の青年はせっせと華を集めていた。もらいそこねた客がワダスに訴える。「もう、ないのか」。ワダスは舞台の下にいる河合に目で聞いた。河合は手でバッテンを作った。
 華を奪い合う客を見ながら舞台を降りた。お坊さんたちが人々に取り囲まれていた。感想を述べ、質問する人にワダスも囲まれた。
「ものすごくリラックスできた。素晴らしかった」「自分はチベット仏教を信じている。トルコでは珍しいけど。今やったパフォーマンスはチベットのチャンティングとどう違うのか」「CDはあるのか」「今度はいつ来るのか」などなど。寄って来るのは女性が多い。お坊さんたちは若い女性に囲まれ記念写真を撮られていた。記念写真の依頼は絶えない。なかなか控え室に移動できない。ハルン、ボリス、ファトマなどがわれわれの肩をもって控え室へ誘導してくれ、ようやく解放された。
 ところが、控え室に戻っても記念写真をねだる人が絶えずやって来て着替える時間もない。仏教僧そのものが珍しいということもあるだろうが、われわれにはなんともうれしい反応だった。
 ある中年女性が南の前に進み出て何か言っていた。ボルンがそれをワダスに訳した。
「彼女の息子が今度、大学受験だといってます」
「えっ、どういうこと」
「受験に成功するよう、お坊さんに祈ってほしいといってます」
 南に伝えると神妙な表情で合掌した。女性も合掌を返してまた何か言った。ボリスを見た。
「肩が痛んで苦しい、と言ってます」
 それを聞いた南がさらに神妙な顔で彼女の肩に触れて合掌した。彼女は南の触れた部分に手を当てお辞儀を返した。仏教僧は超能力者だと思われているのだろうか。
 こんなやりとりや記念写真攻撃がやんだと思ったら今度はハルンが自分のデジカメで何度も何度も記念写真を撮り始めた。彼はプロデューサーの立場よりも趣味の記録を最優先しているようだ。彼らはわれわれが着替えを始めても気にせず控え室にたむろしていた。

「さて、支払いだが」

 人の出入りが止んだとき、ハルンが改まった口調でこう言い、ワダスにソファに座るよう促した。
「さて、支払いだが、今いいか(多分、こう言ったのだと思う。なにしろ彼は英語能力は3ミリほどしかなく、わずかな英単語をトルコ語と混ぜて使うのでときおりまったく意味不明になるのだ)」。彼は肩にかけたカバンを座席に置き、中身を確認しつつ封筒を手に持った。
「××タウゼント・ユーロ。OK?」
 彼は封筒から札束を取り出してワダスに見せた。そこへボリスが顔を見せたのでハルンは安心した表情になった。ああ、よかった、お前が来てくれて、の表情だ。ここからは通訳を介した会話になる。
「今ここで支払えるが、君はインボイスを用意しているか」
「え? インボイス? レシート(領収書)か?」
「んー、レシートとはちょっと違うけどなあ。ええ、インボイスだよ」
「よく分からないけど、今は何の書類も持っていない。支払いは明日、事務所でもいいのではないか」
「OK。そうだな。そうしよう」
 ハルンはこう言って、現金の束を封筒に戻し、再びカバンに収めた。
「明日は何時に行ったらいいの?」
「オレは朝の9時から3時まで確実に事務所にいる。いつでも連絡してくれたら用意する。それでいいかな」
「OK。じゃあ、そうしましょう」

地元バンドの演奏

 次の<Karde? Tu¨rku¨ler> の演奏はすでに始まっていた。われわれはボリスの案内で、薄暗い客席後部中央通路まで行った。舞台がかなり遠くに見える。ボリスが「さっ、ついて来て下さい」とワダスと隣の河合に促した。彼の後をついて中央通路を前に進んだ。後ろから残りのメンバーが続いていた。ボリスは最前列まで進んだ。しかし席は関係者らしい人で埋まっていた。ボリスに何事かをささやかれた彼らがわれわれを見て席を空けた。控え室ではわれわれ用に席を確保していると請け合っていたが、実際はそんなことはなかったようだ。
 ワダスと河合が最前列に座る。横を見ると、ビデオカメラをぶら下げたハルンがワダスを見て笑顔を見せた。振り返ると、後ろからついて来ていたはずの残りのメンバーの姿がない。ほどなく左手通路の方から現れて席についた。中央通路から最前列まで来たのはいいが席が埋まっていたため、いったん戻り左通路から前列にやって来たようだ。
istanbulphotos 演奏中のバンドは、ボリスによれば地元で有名なバンドとのこと。中央に白いシャツとズボン姿の禿頭中年男、ちょっと濃い顔立ちの堂々とした女性A、どこか水商売の雰囲気のある金髪の女性Bが立って歌っていた。禿頭の男は心なしか腰を屈めるように歌う。トルコ語なので歌詞はまったく分からないが、とても雰囲気のある歌い手だ。前列左端から、サズなどの伝統弦楽器の若い男、声楽3人組、右端が、ダルブッカやコンガなどの打楽器の女性。上段左にネイ奏者、次が眼鏡をかけた女性ヴァイオリン奏者、女性ベーシスト、男性ギタリスト、女性ダフ奏者などなどの編成。全員が白の舞台衣装だった。
 繰り返しの多い旋律。禿頭男が曲名を告げると客席から「おー」と声がわく。聴衆になじみの曲が多いのだろう。声楽の2人の女性が椅子に腰を下ろしてマラカスのような打楽器を持つときもあった。みな楽器を床に向かって振り下ろすしぐさが面白い。
 Aがソロをとっているときの雰囲気が実にいい。バックのリズムを完全に把握している。手や肩をリズムにぴたりと合わせて動かす。実に堂々としている。神々しくすらある。
 歌っているのはトルコの歌だけではないようだ。禿頭男がトルコ語で曲を紹介する際、中檀にいた女性が英語に訳すことがあったので分かった。アルメニアの歌もあった。その歌は聞いた覚えがある。あっ、そうだ。フランスのグループ、ブラッチのレコードにあった。他に、クリスチャンがキリストを讃える歌、ジプシーの嘆きの歌、ユダヤ人の歌などもあった。楽譜を見ないで次々に歌う歌手たちの記憶力がすごい。ときおり青や赤の背景照明が、舞台奥の湾曲した壁面に映えて幻想的な雰囲気を作った。
 お坊さんたちも彼らの演奏を楽しんでいるようだった。良慶は高性能のビデオカメラでずっと録画していた。隣の河合も、重いデジタル一眼レフカメラのファインダーを時折のぞいて、カシャッと音をさせた。ハルンはたびたび舞台の前を動き回り、ビデオを録画しデジカメで写真を撮りと忙しい。
 バンドの演奏が後半に入った。ノリのよい曲が演奏されると、じっとしていることに耐えられなくなった若い女性たちが舞台上手で踊り始めた。なかには舞台前まで来るものも現れた。客席からはリズムに合わせた手拍子が起こる。
 2時間弱で彼らの演奏が終わったので控え室に戻った。ボリスとビュレント、ハルン、CD売りの男2人、ファトマ他、ハルンの事務所で会ったスタッフたちなどもやって来た。控え室のドアを出るとすぐにCD販売テーブルがあった。販売男2人がワダスを見た。あんまり売れなかった、と申し訳なさそうな顔で言った。結局、売れたのは210リラ分。1枚15リラなので、14枚売れたことになる。
istanbulphotos 控え室では、ハルンが「記念写真だあ」と言いつつ何度も何度も写真を撮った。スタッフたちも、わたしもわたしも、となかなか記念写真大会が終わりそうにない。
 帰途についたのは10:50pmくらいだったか。渋滞がなかったので帰りは来るときよりも早かった。

 

ヘネシーXOで打ち上げ

 ワダスと河合の部屋の322号室に全員集合して打ち上げ。ルームサービスのチキン、部屋にあったナッツ類をつまみつつ、南が関空で購入したヘネシーXOで乾杯。ヘネシーのブランデーは後で聞くと18,000円もしたという。確かにふくよかな味わいだった。強いのに喉をするりと通る。しかし、杯を重ねると高級酒のありがたみも薄れてくる。お坊さんたちは話が弾みだすと話題が次第に宗派内ゴシップ系になる。ワダスはベッドに横になってぼやっと聞いていたが、そのうち寝てしまった。酒盛りとおしゃべりは午前3時半まで続いたという。時差の6時間を加えた以上の長い1日だった。

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