タブラー Tabla

 おそらく、あらゆるインドの楽器のうちではシタールについで有名な楽器である。かつては、ヒンドゥスターニー音楽の伴奏打楽器として主に用いられてきたが、今日では、重要なパーカッションの一つとして世界的に知られるようになった。また、この楽器の希代の演奏家であるザキール・フセインが世界的な人気を得てからは、インド国内においてもタブラー奏者の地位は著しく向上した。この楽器のインパクトは強く、インド音楽を聴いたことのない日本の聴衆の多くは、初めてタブラーの音色やその複雑なテクニックにまず魅せられる例が多い。

タブラーの由来

 正確な起源ははっきりしていない。
 インド人演奏家のなかには、アミール・フスローの発明という人もいる。しかし、文献資料や絵画作品などで確かめることができない。またインドでは、歴史上の偉大な人物に関した事象が伝説化する例が多いため、史実か伝説かの見極めが難しい。「伝説」では、アミール・フスローという人はシタールも発明したことになっている。しかし、これも確認する手段がない。
 タブラーがイスラーム起源であろうといわれるのは、この楽器の演奏家には圧倒的にムスリムが多いということがある。しかし、イスラームがインドに侵入してくる以前、古代インドでも似たような楽器を使っていたとする説もある。いずれにせよ、現在の楽器名は、アラビア語の太鼓を意味するタブルtablという言葉からきていると考えられるので、イスラーム文化の影響は間違いない。この言葉は、トルコ語やペルシア語を話すムガル朝の成立(1526)によってもたらされたものであろう。
 彼らは、対になった太鼓を何種かもちこんだが、そのなかに戦争時に馬や駱駝の背に乗せて打ちならすナッカーラーという打楽器もあった。インドにもこの種の「タブル・ジャング」という名の軍用太鼓があり、タブラーの起源をこの楽器に求める演奏家もいる。
 ともあれ、ムガル朝アクバル皇帝治世(1556-1605)の宮廷では、ばちでうちならす小さめのナッカーラーが大いに演奏されていたらしいことは、当時のミニアチュア絵画からうかがえる。おなじ絵画には、手指で演奏される片面太鼓のダフも見える。このナッカーラーは、大きな音の必要な軍用のものから宮廷用に洗練され、ばちから手や指を使ってたたくように改良される。こうした初期のナッカーラーにおいても、左右の音を変えて演奏されていたらしい。
 しかし、ムガル以前にもインドにはタブラーとよく似た打楽器があったことは、ムクテーシュワラやブバネーシュワラにあるヒンドゥー寺院の石彫(6~7世紀)のなかに見いだすことができる。また、太鼓の面の上にペースト状のものを張り付ける伝統は古代インドにもあったとされるので、現在のタブラーがその延長線上にあると主張する音楽学者もいる。
 両面太鼓であるパカーワジ(ムリダンガ)からの発展形だという別の解釈もある。
 ムガル朝以前から、インドにはプラバンダという音楽様式があり、それがのちにドゥルバ・パダやドゥルパドという様式に変化していいくが、これらの様式で主に使用されたのが両面太鼓のパカーワジ(ムリダンガ)である。今日でも、ドゥルパド様式ではタブラーではなくこのパカーワジが使われている。ムガル朝初期のころの宮廷の古典音楽は主にドゥルパド様式であった。しかし、18世紀にサダーラング(ニヤーマット・ハーン)やアダーラング(フィーローズ・ハーン)によって洗練されたハヤール様式 の流行も関係して、パカーワジの重々しい低音よりも、もっと軽快な音質が要求された。そこで現在のようなタブラーが考案されさかんに演奏されるようになったことも考えられる。
 にわかには信じがたいが、この説に関しては次のような逸話が残っている。あるパカーワジ奏者が、競演で負けた腹いせに怒ってパカーワジを地面にたたきつけた。中央付近で二つに割れた。たたいてみると、これまでにない音質が得られた。その結果、現在のように2つの太鼓になった、という。
 もう一つの説は、当時の民俗打楽器であるドゥッカール起源説。ドゥッカールは2個1対の太鼓である。タブルリードのシャハナーイーの伴奏に主に用いられていた。この太鼓は、腰に固定され、手と指で演奏される。この種の演奏は、結婚式や祭りなどでは今でも見ることができる。タブラーが立って演奏される絵画(1780年ころのBundi絵画)もあるので、このドゥッカール起源説にも説得力はある。
 いずれにせよタブラーは、18世紀にはカタックなどの伴奏楽器としてさかんに使用された。また、ラクナウなど、各地のナワーブ(太守)の宮廷では、タブラーやパカーワジ奏者が多く雇われていた。現在のタブラーのコンポジションや打法には、パカーワジのそれが多く援用されているのは、こうした背景からであることは容易にうなづける。
 このように、タブラーの起源については諸説ある。これら諸説を総合すると、もともとインドにあったパカーワジ(ムリダンガ)やドゥッカールなどと、ムスリムによって持ち込まれたナッカーラーなどとの相互影響の上に今日のタブラーが成立したのであろう。

注:アミール・フスロー:1253-1325。トルコの一部族長を父、ヒンドゥー教徒を母として、ウッタル・プラデーシュ州モーニンプルに生まれたといわれる。ペルシア語、トルコ語、アラビア語、ヒンディー語ブラジ方言など語学に長じ、かずかずの詩作や音楽作品を作った。インド音楽のさまざまな様式、楽器などが彼の発明だとされる、多才な人であったらしい。---『インド音楽序説』p24脚注より
ハヤール様式:北インドにおける音楽芸術の最高峰として、今日もっとも一般的で広く受け入れられている様式。ハヤールという言葉は、ペルシア語で「考え」「想像」という意味。重々しく地味なドゥルパドに比べて、より自由で華麗である。通常、われわれが北インドの古典音楽というときには、たいていこの様式のことである。

楽器の構造

 ティーカップに似た左のバーヤン(=左、ダッガー、あるいはドゥッギーともいう)と、コーヒーカップに似た右のタブラー(またはダーヤン=右)の2個の対になった太鼓をさしてタブラーといっている。
 右のタブラー本体は、高さ約25~27センチ(10インチ)、直径約12~14センチ(5~5.5インチ)の木製の円筒である。内部は、皮の張られている上部から約17センチ(7インチ)ほど円形に粗っぽくくりぬかれている。くりぬかれて残った部分の厚みは、約2センチから4センチある。樹種はニームやシシャームが最も適しているとされ、これらのタブラーは高価である。重さは約3キロ~4キロほどあるので、手にもつとずっしりと重い感じがする。tabla
 バーヤン本体の材質は、ニッケル合金や真鍮などの金属製と陶製のものがあるが、壊れやすい陶製は最近ではあまり使われない。高さは約22~23センチ、直径は約22センチから15センチ(9~10インチ)。本体の厚みはそれほどなく、軽い打撃でへこむ場合もある。重さは、約3キロほど。
 バーヤン、タブラーとも打面中央付近に、スィヤーヒー(あるいはペルシア語で「黒」「インク」という意味のシュヤーヒー)という黒い練りものが、中央に行くほど厚くなるように同心円状に皮と密着して張り付けられる。スィヤーヒーは、鉄粉、米や麦などの粉を水や他の溶媒で練り合わせて作られる。スィヤーヒーは、振動面と非振動面、皮面に対する一定の加重という機能があるため、打法にさまざまな変化を加えることを可能にしている。直径は同じでもスィヤーヒーの量を加減することで、チューニングを変えることができる。同様の練り物は、両面太鼓のパカーワジにも張り付けられる。パカーワジの場合はしかし、鉄粉などは混ぜず、粉を水で溶いてうどん地のようなものを演奏のたびに張り付ける。
 プリーと呼ばれる打面の皮は山羊のなめし皮製で、主になる面とキナール(=縁)の二重構造になっている。プリーは消耗品なので、取り替え用として販売されている。キナール部分の穴に締め紐(チョット)を通し、基底部のリング状の支持紐(パグリー)と連結し、本体とプリーを固定する。締め紐と本体の間に、ガターと呼ばれる円筒木片を挟み込み、締め具合を調整する。ガターやキナールの締め具合は、ハトゥラーと呼ばれる小さなハンマーで調整する。
 タブラーは、演奏のたびに主奏者の基準音「サ」(インド音名のシャドジャの単略形)にチューニングされる。バーヤンは、正確ではないが、ほぼタブラーの1オクターブ下にあわせられる。温度や湿度によって皮の張り具合が変化するので、演奏の途中でもタブラーのチューニングは行われる。
 また、演奏中、打面と手の滑りをよくするために、ときどき潤滑用の粉を使用する。ほとんどは、市販のベビーパウダーを使用しているようである。インド・ジョンソン&ジョンソン社のものがよい、などと好みも分かれる。

奏法

 演奏は、楽器を正面においてあぐらをかいて行う。通常、ダーヤンつまりタブラーが右、バーヤンが左。ダーヤンとバーヤンとは、ヒンディー語で右、左という意味。
 人差し指、中指、薬指、手のひら全体を使用して演奏する。それぞれの手指のパートをどのように使用するか、を文で説明することはきわめて難しい。
 タブラー奏法の修得や演奏において最も重要なことは、口唱歌(くちしょうが)であるボールを理解することである。ボールとは、ヒンディー語で言葉、話すことの意味で、タブラー用の言語である。タブラーのボールを構成する単語の子音と母音は、地方や癖によって違いはあるが、以下が一般的である。

 子音  
 dh,  gh, g,  k,  d,  t,  t,  r,  r,  n (tの下線は本来は点)

 ■dh・・・左右両手で同時にたたく
 ■gh, g・・・人差し指と中指+薬指を打面に垂直にして打ち、バーヤンを響かせる
 ■k・・・バーヤンを、響かないように手のひらで打ち止める

 母音
 aa, a, ii, i, uu
(aaは本来はaの上に線を入れて音引きを表すが、テキストでは無理なのでこのように表現。他の母音も同じ。aaはfatherの発音のときのaです) このリストからでは、タブラーの奏法を理解できないが、簡単なものだけを以下に紹介する。
例:ルーパク・タール(3+2+2=7ビート)の基本ボール

 ti ti na / dhi na / dhi na

 ■ti・・・右/薬指でスィヤーヒーの端を押さえつつ、人差し指でタブラーの縁をたたく。左/手のひら全体を打面に打ち止める・・・左右同時アクション
 ■na・・・右/薬指でスィヤーヒーの端を押さえつつ、人差し指でタブラーの縁をたたく。左はたたかない。
 ■dhi・・・右/薬指でスィヤーヒーの端を押さえつつ、人差し指でタブラーの縁とスィヤーヒーの間をたたく。左/人差し指か中指+薬指を打面に垂直にして打ち、バーヤンを響かせる・・・左右同時アクション

 ここを読んでも、おそらくタブラーの奏法を理解することは難しい。本格的に修得する場合は、しっかりした先生に教授してもらわなければ難しい。それぞれの音がきちんと出るようになるまでには、かなり長期間の訓練が要求される。演奏家によっては、基礎訓練では、一日8時間の練習を10年続けなければ、などという人もいる。

タブラー・ソロの構成

 タブラーは、元来伴奏楽器であり、主奏楽器として取り上げられることは少ない。ヒンドゥスターニー音楽の演奏会では、タブラーソロを聴くことは希である。しかし、近年、ザキール・フセインなどのスターの出現によってタブラーの相対的地位が上昇したことや、タブラーのリズム表現がとくに外国で注目されることもあり、ソロを聴く機会も増えている。
 タブラー・ソロの構成は、基本的には、声楽、シタール、バーンスリー、サロードなどのラーガ表現の組み立てに似て、ゆっくりした部分から始まり、最も早いスピードのクライマックスで終わる。こうした構成がいつ、誰によって確立されたのかははっきりしない。ただ、ソロ奏者として最も聴かせどころであるカーイダー形式は、あらゆるタブラー流派の元になったデリー派のスィッダール・ハーンSiddhar Khan(1700年ころに生きた人)によって始められたという。彼は、ムガル朝宮廷において当時の主流であったパカーワジに対抗し、タブラー奏法を確立したとされる。

■一般的なタブラーソロの流れ(ティーン・タール=16ビートを基本として)
 大きく分けて4つの部分から構成される。
 ペーシュカールカーイダー→早いコンポジション→レーラーまたはラッギー テーカー(ある定まったターラの基本分割および奏法)とラヤ(テンポ)の表示
 ティーン・タール(16拍)のボール
 Dha Dhin Dhin Dha /Dha Dhin Dhin Dha/Dha tin tin Dha/ Dha Dhin Dhin Dha

 ペーシュカール
 テーカーにじゃっかん変化をつけた変奏が行われる。この部分は、ラーガ表現のアーラープにあたる。変奏は通常、ターラ(リズムサイクル)の第1拍目であるサムに収れんする特有の方法、ティハーイーで解決される。ティハーイーとは、ある特定のパターンを3回繰り返しサムに収れんさせる手法。ペーシュカールとは、もとは宮廷事務官の意味。
 カーイダー
 この形式についての最古の言及した文献は1895年のQanun-e-Mausiqi by Sadiq Ali Khan)である。 カーイダーとは、規則とか法則の意味。カーイダーとしてあらかじめ作曲されたものは多数あり、それぞれの流派によっても異なっている。この部分の演奏時間は、奏者がどれだけのカーイダーのコンポジションを記憶し、かつそれらをどれだけ魅力的な変奏に展開できるかによる。ラヤ(テンポ)は、ヴィランビト(ゆっくり)かマディヤマ(中くらい)。演奏は通常、以下のような順序で展開される。

 テーカーの表示 ●カーイダーのコンポジションの表示 例1.(デリー派)
(1)Dhati (2)Dhage (3)NaDha (4)Tirkita  (5)Dhati (6)Dhage (7)Tuna (8)Kina (9)Tati  (10)Dhage (11)NaDha (12)Tirkita (13)Dhati (14)Dhage (15)Dhina (16)Gena

 ●変奏 1倍、1.5倍、2倍、3倍、4倍、稀に8倍速(最初のテーカーのテンポによる) ●テーカーに戻る ●別のコンポジション表示(最初のコンポジションが上記のようなストレートの場合、次のコンポジションでは、変則性のあるものを通常は選ぶ)  
 例.
 (1)DhaDhaDha (2)GhanDhaGhan (3)DhaTirktDhetete (4)GhanDhinaGena  (5)DhaDhaDha (6)GhanDhaGhan (7)DhaTirktDhetete (8)Ghaynatunakina  (9)TaTaTa (10)Kantakayn (11)TaTirkitikit (12)Kaynatunakina (13)DhaDhaDha   (14)GhanDhaGhan (15)DhaTirktDhetete (16)Gaynadhinagena

  ●二つ目のコンポジションの変奏 ●数種類の異なったカーイダーを表示し、その変奏を行って終了 早いコンポジションの披露  カーイダーでのラヤ(テンポ)をちょっと速めて演奏される。この部分では、奏者の即興演奏はほとんどなく、すでにそれぞれ作曲された曲が提示されるが、早い速度の複雑なパターンが多いので、奏者の技術の聴かせどころである。()内は元の意味

  ●ガット(コンポジション)・・・早いスピードで演奏(パカーワジからのコンポジション)

  ●トゥクラー(部分)・・・早いスピードで演奏(ティハーイーで解決が多い)

  ●ムクラー(顔)・・・早いスピードになったことを表示するコンポジション

  ●モーハラー(口、開始)・・・早いスピードになったことを表示するコンポジション

 ●パラン(極端、最終の、究極の)・・・パカーワジからのコンポジション レーラーorラッギー  短いフレーズ単位の変奏が、かなり早い速度で演奏される。レーラーでは、蒸気機関車を思わせる音色なども現れる。こうしたことから、レーラーとはもともと蒸気機関車の音を模して作られたので、鉄道Railから名付けられたという説明をする演奏家もいる(ザキール・フセイン)。しかし、ヒンディー語でレーラーは、ラッシュ、大波、突進、というような意味なので、真偽のほどは分からない。

  ■ティハーイー
 ティハーイーとは、ある特定のパターンを3回繰り返し、ターラの第1拍目であるサムに収れんさせる手法である。変奏のクライマックスを演出する一つの手法であるが、無数のヴァリエーションがある。ティハーイーの始まる拍の位置をどこにし、どういうパターンで解決するかのアイデアは、まるで数学的パズルのごとく考案されている。ラーガ表現においても、主奏者は旋律とリズムの両方でティハーイーを組み立てる。  ティハーイーの起源はよく分からないが、ヒンドゥスターニー音楽を支える聴衆が、宮廷から一般大衆に変化し始めた時代によく使われるようになったらしい。客受け効果満点の手法なので、最近ではたいていの演奏家がティハーイーで解決するようになった。しかし、ハヤール様式より重厚なドゥルパドでは、あまりみられない。

 ガムダール・ティハーイー・・・途中にギャップのあるもの
 例. KitDha nDha-N Dha-  KitDha nDha-N Dha- KitDha nDha-N |Dha
 ベーダム・ティハーイー・・・ギャップのないもの
 例. KitDha nDha-n Dhakit Dha-nDha -nDha KitDha nDha-n Dhakit Dha-nDha -nDha KitDha nDha-n Dhakit Dha-nDha -n|| |Dha(サム)

演奏家・流派

 ヒンドゥスターニー音楽における流派(ガラーナー)は、かつては同じ家系のものが継承者(ハリーファー)を継承していた。しかし、今日では音楽家をとりまく情勢が著しく変化し、ガラーナーの特徴は薄れつつある。最近では、家系にこだわらず傑出した奏者がガラーナーを継ぐという形になってきているが、ファルーカーバード派にいちおう属する巨匠アハマド・ジャーン・ティラクワーAhmad Jan Thirakwa(1891~?)のように、あらゆる流派の奏法を研究、体得した演奏家が出現したため、特定の流派の奏法だけを継承する演奏家は少なくなっている。むしろ現代では、それぞれの流派の特徴を混在させ独自のスタイルを確立する個人が重要になってきている。
 一般にタブラーの流派には、おおまかに次の6つの流れがあるといわれている。
 デリー派があらゆるタブラー流派の元になったといわれる。しかしタブラーの演奏はパンジャーブ地方から始まった、という説もある(Kishan Maharajなど)。始祖とされるスィッダール・ハーンは、1700年ころ、ムガル朝第12代モハンマド・シャー・ランギーレーの時代の、下層の音楽家カーストに属した人で、当時の主流であった両面太鼓パカーワジに対抗して、タブラー奏法を確立したとされる。また、タブラーソロの形式の一つであるカーイダーを考案したといわれる。

 1.デリー派Delhi Gharana
 2.ラクナウ派Lukhnow Gharana
 3.ファルカーバード派Farukhabad Gharana
 4.アジュラーダー派Ajrada Gharana
 5.ヴァーラーナスィー(バナーラス)派Varanasi Gharana
 6.パンジャーブ派Punjab Gharan


●デリー派Delhi Gharana

 一般にタブラーの中央よりも縁をよく使うことに特徴があるとされる。

 継承者(ハリーファー)の流れ
スィッダール・ハーンSiddhar Khan(1700ころ)→ブガーラ・ハーンBugara Khan→スィターブ・ハーンSitab Khan→マハンマド・ハーンMahammad Khan→チョーテー・カーレー・ハーン'Chhote' Kale Khan→ガーミー・ハーンGami Khan(1883-1958/またはガーメー・ハーン Gameh Khan)→イナーム・アリー・ハーンInam Ali Khan(1924-1990/Bombay)

 2代目ハリーファーの兄弟あるいは弟子であるカッルー・ハーンに師事したミヤーンとモードゥのバクシュ兄弟は、ラクナウのナワーブ(太守)Amza Ali Shah(在位1842~47)に乞われてラクナウの宮廷音楽家となり、ラクナウ派の祖となった。また、3代目のスィターブ・ハーンSitab Khanに師事したミールー・ハーンMiru Khanとカッルー・ハーンKallu Khanがアジュラーダー派の祖である。ガーミー・ハーンGami Khanは、ボンベイ定住前は、ライプルやジャイプルの宮廷音楽家であった。ガーミーの息子のイナーム・アリー・ハーンInam Ali Khanは、デリー派の巨匠として知られたが、1990年に亡くなっている。イナーム・アリーの弟子としては、ラティフ・アーメドLatif Ahmed(941-1990/Delhi)、ファイヤーズ・ハーンFayyaz Khan(1935-/Delhi)、バシール・アハメド・ハーンBashir Ahmed Khan(Bombay)、マハーデーヴ・チャタルジーMahadev Chatterji(Bombay)などがいる。また、スィターブ・ハーンの家系の5世代目のナットゥー・ハーンNattu Khan(1875~1940)は、Junagarh、Gujarat、Khaipurなどの藩王国の宮廷で活躍したが、ファルーカーバード派をはぐくんだRampur藩王国でも演奏したという。後年、カルカッタやダッカ(現バングラデシュ)で後進の指導にあたったため、ベンガル地方に弟子が多い。

 →流派系統図PDF

●ラクナウ派Lukhnow Gharana
 ラクナウ派は、ヴァーラーナスィー(バナーラス)派、ファルカーバード派とともに、プーラブ(東部)派とも呼ばれる。プーラブ(東部)派の特徴は、開放的な音、平手奏法、タブラー中央部使用といったパカーワジの奏法の影響が濃い。
 ラクナウは、デリーの南東約485キロに位置し、インド25州のうちで最も人口の多いウッタル・プラデーシュ州の州都である。16世紀中期にシェール・シャー藩王国の中心都市として栄え、のちにムガル朝下のアワド藩王国の首都となる。
 このアワド時代に、ラクナウはヒンドゥスターニー音楽の中心地となり、数々の優れた演奏家を輩出した。デリーにいたミヤーンとモードゥのバクシュ兄弟がナワドの宮廷に招かれ、ラクナウ派の礎を築いたことはすでに記した。彼らは、カタック舞踊伴奏の必要性からパカーワジのレパートリーもタブラーのコンポジションとして加えていったようである。ラクナウ派ないしプーラブ派にパカーワジの奏法の影響が濃いのは、こうした事情も考えられる。
 さて、ヒンドゥスターニー音楽は、ナワーブのAmzad Ali Shah(在位1842~47)の時期に最盛期をむかえる。しかし、シパーヒー(セポイ=傭兵)の反乱(1857年)によって当時のイギリス植民地政府によってナワーブが廃位され、Amzad Ali Shahはカルカッタへ流され、1887年に当地で亡くなっている。このときナワーブは、ファルーカーバードのナンネー・ハーンなどもカルカッタへ引き連れていった。こうしてパトロンを失った音楽家たちは、イギリス植民地政府に協力的で存続を許されたRampur藩王国のもとへ移住することになる。以来、タブラーの流派の勢いは、ラクナウ派からファルーカーバード派へと移っていった。

 継承者(ハリーファー)の流れ
ミヤーン・バクシュMiyan Baksh(1770?) +モードゥ・バクシュModhu Baksh→マンムー・ハーンMammu Khan(1800)→マハンマド・ハーンMahmmad Khan(orマンマド・ハーンMammad Khan)→ムンネー・ハーンMunne Khan(1860~1890)→アービド・フセインAbid Husen(1867-1936)→ワージド・フセインWazid Hussain(1906~1978)→アファーク(またはアシュファーク)・フセインAfaq (or Ashfak) Hussain(1930~1990)

 他のプーラブ(東部)派である、ヴァーラーナスィー(バナーラス)派、ファルカーバード派は、このラクナウ派から派生した。ミヤーン・バクシュの娘婿にあたるハージー・ヴィラーヤト・アリーHaji Vilayat Aliがファルーカーバード派の祖、モードゥ・バクシュに師事したヒンドゥー教徒の弟子ラームダース・サハーイRamdas Sahay(orラーム・サハーイ/1830~76)がヴァーラースィー派の祖である。また、ヴァーラースィー派のバイロー・サハーイBhairo Sahayも、マンムー・ハーンの弟子である。アービド・フセインは、ムンネー・ハーンとは兄弟であったが、ムンネーの死後、ハリーファーとなり、ヴァーラースィーのビールー・ミシュラや、後にインドールをタブラーの重要地にしたジャハーンギール・ハーンJahangir(1864~1976/Indore)などを指導した。アービド・フセインからハリーファーを継いだワージド・フセインは、ムンネー、アービドと兄弟のナーディル・ハーンの娘婿で、彼の元からは、アニル・クマール・バッターチャールヤAnil Kumar Bhattacharya、ケーシャヴチャンドラ・バネルジー・ラーイバハードルKesvachandra Banerji Raybahadur、ノトクラカラーシュチャンドラ・ラーヒリーKshitishchandra Lahidi、チュニーラール・ガーングリーChunilal Ganguli、デーヴィープラサンナ・ゴーシュDeviprasanna Ghosh、ビールー・ミュラBiru Mishra(Varanasi)、マニーンドラモーハン・バネルジーManindramohan Banerji、シシルショーバン・バッターチャールヤShishirshobhan Bhattacharya、ハレーンドラキショール・チャウドゥリーHarendrakishor Ray Chaudhuri、ヒーレンドラクマール・ガーングリーHirendrakumar Ganguli、スダルシャン・アディカリーSudarshan Adhikari(Bombay)などの演奏家が生まれた。ワージド・フセインの息子のアファークは1990年に亡くなったが、その息子のイルマース・フセインIlmas Hussain(1957~)がその後を継承しているようである。
流派系統図PDF


●ファルーカーバード派Farukhabad Gharana
ファルーカーバードという町は、デリーとラクナウの中間にあるガンガー(ガンジス河)沿い位置している。
 ファルーカーバード派は、デリーから東へ200キロ弱にあるRampurのナワーブ、ハーマド・アリー・ハーン(在位1899~1930)が、宮廷音楽家としてファルーカーバードの演奏家たちを招来することで有力な流派になった。当時のRampurには、1857年の大反乱のとき、英国に協力的だったため藩王国としての存続を許容されたこともあり、パトロンを失ったラクナウの音楽家たちも庇護を求めて移住してきていた。ラクナウ派のヴィラーヤト・アリーの孫のニッサール・アリーがまずナワーブの楽士として招かれ、ニッサールの兄弟であるナンネー・ハーンが跡を継いだ。以来、ハーマド・アリーの在位した間、仕えた。当時は、多くの優れた音楽家たちがRampurに集まってきたため、ラクナウ以降のヒンドゥスターニー音楽の大中心地となった。後にマイハールに定住することになるアラーウッディーン・ハーンも、Rampurで音楽訓練を受けている。しかし、ハーマド・アリー・ハーンからナワーブを継いだラーザー・アリー・ハーンは音楽には冷淡だったため、演奏家たちはやがてRampurからカルカッタなどへ移ることになる。このような事情から、現在でも有力な流派であるこの流れは、現在カルカッタが中心の一つであり、多くの若手タブラー奏者を輩出している。日本人演奏家もこの流れに属するものが多い。

 継承者(ハリーファー)の流れ
ハージー・ヴィラーヤト・アリーHaji Vilayat Ali(1780ころ)→フセイン・アリー・'カビール"Hussain Ali 'Kabir'(1800ころ)→イナーム・アリー・ハーンInam Ali Khan(1830ころ)→ナンネー・カーンNane Khan(1863~1938)→マスィート・ハーンMasit Khan(orマスィードゥッラーMasidulla/1892~1974)→ケラマートゥッラー・ハーンKeramatullah Khan(1918~1977/orカラーマトゥッラー・ハーンKaramatulla Khan/Calcutta)→サビール・カーンSabir Khan(1959~)
第2流派→カーレー・ハーンKale Khan→ムニール・'ラーリアナ'・ハーンMunir 'Laliana' Khan→アーマド・バクシュAhmad Baksh(娘婿)→アミール・ハーンAmir Khan

 ファルーカーバード派からは、近代になって多くの優れた演奏家を輩出した。とくに、フセイン・アリー・'カビールの弟子で、この派の第2流派として隆盛に導いたムニール・'ラーリアナ'・ハーンの元からは、アハマド・ジャーン・ティラクワーAhmad Jan Thirakwa(1891~?)、グラーム・フセインGlam Husen、ナズィール・ハーンNazir Khan、ニサール・ハーンNisar Khan、バスィール・ハーンBasir Khan、バーバー・ラールBaba Lal、サーディク・フセインSadik Husen、シャンムッディーンShammuddin、スブ・ラーウSub Raw、ハビーブッディーン・ハーンHabibuddin Khanなどの巨匠が出た。うち、とくにアハマド・ジャーン・ティラクワーは、ナンネー・ハーンの弟子でもあり、あらゆる流派の奏法を修得し現代のタブラー界に大きな影響与えた。彼は、同じナンネーの弟子であったアーズィム・ハーンAzim KhanとともにRampur宮廷のHamad Ali Shah時代にも活躍し、のちにニキル・ゴーシュNikhil Ghosh(1919~1995/Bombay)や、現代のスターであるザキール・フセインにも教えた。ニキル・ゴーシュは、ボンベイにサンギート・マハーバーラティーという音楽学校を設立し、息子で現在第一線で活躍しているナヤンとドゥルバ(サーランギー)の兄弟、アニーシュ・プラダーンAnish Pradhanなどを育てた。
 また、マスィート・ハーンの元からは、ケーダールナート・ハールダールKedanath Haldar、マニーンドラモーハン・バネルジーManindramohan Banarji(Mantu Babu)、ラーイーチャーンド・バラールRaichand Badal orボーラルBoral、ハレーンドラキショール・ラーイチャウドゥリーHarendrakishor Raychaudhuri、ヘーメーンドラナート・サルカールHemendranath Sarkar、ヴィシュヴァナート・ダースVishvanath Das、ビマル・ダースBimal Das、ムンナー・ハーンMunna Khanなどが出た。なかでも、特にギャーン・プラカーシュ・ゴーシュJnan Prakash Ghosh(1997年没/Calcutta)は重要で、彼は、カナイ・ダッタKanai Dutta、サマール・ボースSamar Bose、サンジャイ・ムケルジーSanjay Mukherji、アビジット・バナルジーAbhijit Banerji、アニンドー・チャタルジーAnindo Chatarji、ディリープ・ダースDilip Das、シャンカル・ゴーシュShankar Ghoshなどの優秀な演奏家を育てた。シャンカル・ゴーシュの元からは、息子のヴィクラーム・ゴーシュVikram Ghosh、声楽家のラシード・ハーンとともに来日したこともあるタンモーイー・ボースTammoy Boseらが育っている。
 ケラマートゥッラー・ハーンも多くの弟子を育てたことで有名である。彼の弟子には、アニル・ラーイ・チャウドゥリーAnil Ray Chauduri、ファキール・モハンメドFakir Mohammed、ビマル・チャットーパーディヤーヤBimal Chattopadhyay、カマレーシュ・チャクラバールティー、シャンク・チャタルジーShankh Chatharji、スリーマン・ラーネンドラ・ゴーシュSriman Ranendra Ghaosh、ムンナン・ハーンMunna Khan(Lukhnow)、シャンカル・チャタルジーShankar Chatterji(Munic)、アッジャン・ハーンAjjan Khan(Lukhnow)、サティヤ・チャタルジーSatya Chatterji、カマレーシュ・マイットラKamalesh Maitra(Berlin)らがいる。
 現在のハリーファーであるサビール・ハーンは、中堅の実力者として活躍中である。

流派系統図PDF


アジュラーダー派Ajrada Gharana
「アジュラーダー村は、デリーから東北へ120キロほど離れたウッタル・プラデーシュ州メーラト市(Merath)の郊外約15キロにある典型的な北インドの田園風景が広がる村で、人口約15000人、その80パーセントがムスリムである。今はタブラーの関係者は誰も住んでいないという。(船津和幸『アジュラーダー・ガラーナーのカーイダー形式』)
 この派の祖は、デリー派のスィターブ・ハーンに師事したミールーとカッルー・ハーン兄弟(従兄弟説もある)である。二人は、デリーでスィターブ・ハーンに師事した後、デリーの宮仕えをせずに故郷のアジュラーダー村に戻った。多くの優れた弟子を育成し、この流派を確立した。とくに、シャンムー・ハーンやハビーブッディーンなどの巨匠の出現で、この流派の存在が知れ渡ることになる。東部諸流派(ラクナウ、ファルーカーバード、ヴァーラーナスィー)はパカーワジの影響が多くみられるが、アジュラーダー派の奏法は、デリー派と似て比較的純粋なタブラー奏法を継承した。左手を強く打つ打法と変則的なリズムの組み合わせに特徴があるとされる。

 継承者(ハリーファー)の流れ
ミールー・ハーンMiru Khan+カッルー・ハーンKallu Khan→モハンマディ・バクシュMohammadi Baksh(or ムハマド・バクシュMuhamad Baksh/1830?~)→チャーンド・ハーンChand Khan(1860?~?)→カーレー・ハーンKale Khan(1890~?)→クトゥブ・バクシュKutub Baksh→ハッスー・ハーンHassu Khan→シャンムー・ハーンShammu Khan→ハビーブッディーン・ハーンHabibuddin Khan(1899~1974?)

 第4代目ハリーファーのカーレー・ハーンは、ファルーカーバード派のナンネー・カーンNane Khan(1863~1938)のグルでもある。近代におけるこの流派の巨匠であったハビーブッディーン・ハーンは、息子のマンジュー・ハーンManju Khan(1953~)、叔父にあたるナンヘーン・ハーン・クディワーレーNahem Khan Kudivaleの家系のハシュマート・アリー・ハーンHashmat Ali Khan(1937~/Delhi)や、S.K.サクセナSaxena(1923~/Baroda)、やはり叔父にあたるバンブー・ハーンBambu Khanの家系のラマザーン・ハーンRamazan Khan(Delhi)を育てている。ハシュマート・アリーの息子であるアクラム・ハーンAkram Khan(Delhi/1965~)は若手奏者として活躍中である。

流派系統図PDF

●ヴァーラーナスィー派Varanasi Gharana
 
ヴァーラーナスィーは、ガンガー沿いのヒンドゥー教の古い聖都である。バナーラス、あるいは英語読みでベナレスとも呼ぶ。この流派は、他のほとんどがムスリムによった確立されているのにひきかえ、ラクナウ派のモードゥ・バクシュにタブラーを師事したヒンドゥー教徒、ラームダース・サハーイによって生まれた。

 継承者の流れ・・・ハリーファーはムスリムの継承者のことなのでここでは使用しない。
ラームダース・サハーイRamdas Sahay(orラーム・サハーイ/1830~76)→バイラヴ・サハーイBhairav Sahay(1833?~1894)→バルデーヴ・サハーイBaldev Sahay(1872~1927?)→バガワティー・サハーイBhagawati Sahay(1896~1946)→シャールダー・サハーイSharda Sahay(1935~)→バガワティー・サハーイBhagawati Sahay

 ラームダース・サハーイの弟子たちには、バイジュー・ミシュラBhaiju Mishra、バガトBhagatなどがいる。そのバガトに師事したバイロー・プラサードBhairo Prasad(1850?~1940)の元から、有名なアノーケー・ラール・ミシュラAnaukhe Lal Mishra(1918~1958)が育った。
 アノーケー・ラールには、シタールのムニナール・ナーグとともに来日したこともある故マハープルシュ・ミシュラMahapurush Mishra、チョテーラール・ミシュラChotelal Mishra、サッチダーナンド・ミシュラSacchidanand Mishra、ナーゲーシュワルNageshwar、イーシュワル・ラールIshwar Lal Mishraらの弟子がいる。
 パンジャーブ派のハッドゥー・ハーンHaddu Khanに師事したこともあるバルデーヴ・サハーイは、ネパール王室の宮廷音楽家としてカトマンドゥーに招かれた。バルデーヴの娘婿であるナンクー・サハーイNanku Sahayの息子、カンテー・マハーラージKanthe Maharaj(1880~1969)は、甥にあたるキシャーン・マハーラージKishan Maharaj(1923~)、アーシュトーシュ・バッターチャールヤAshutosh Bhattacharya、ジャードゥナート・スーパカルJadnath Supakar、ヴィシュワナート・ボースVishwanath Boseなどの弟子を育てたが、とくにキシャーン・マハーラージは現存のヴァーラーナスィー派の大御所として有名である。
 キシャーン・マハーラージの元からは、ラームナート・ミシュラRamnath Mishra、テーズバハードゥル・ミシュラTejbahadur Nigam(Kampur)、シャシカーント・ビッラリーShashikant Billary(Bombay)、ナンダン・メヘターNandan Mehta(Ahmedabad)、アニル・パリトAnil Palit(Calcutta)などの才能が育っている。
 一方、バルデーヴ・サハーイの長男であるドゥルガー・サハーイDurga Sahay(1893-1926/ナンネーNane, スールダースSurdas)には、クリシュナクマール・ガーングリーKrshnakumar Ganguli、カーリー・プラサード・シャルマーKali Prasad Sharma(Kathmandu)、バーチャー・グルBacha Guruなどの弟子がいた。また、シュヤームラール・ジーShyamlal ji(チャンマー・グル)とともにバルデーヴ・サハーイの優れた弟子であったビックー・マーハラージBikku Maharajの元からは、キシャーン・マハーラージと並びヴァーラーナスィー派の大御所として高名であったサーンター・プラサードSanta Prasad(1921~?/or シャーンタShanta/グダイ・マハーラージとしても知られていた)が出て一世を風靡した。サーンター・プラサードには、ジァイロール・マスィーJailor Masi、ナーイクマール・パーンダーNaykumar Panda、チャンドラカーント・カーマトChandrakant Kamat、マニク・ラール・ダースManik Lal Das、サッティヤナーラーヤン・ヴァシシュタSattyanarayan Vashishtaなどの弟子がいる。
 サーンター・プラサードの家系は、ヴァーラーナスィー派第2流派とも呼ばれている。バイラヴ・サハーイの弟子であったプラタープ・ミシュラPratap Mishraに師事したジャガンナート・ミシュラJagannath Mishraが祖である。ジャガンナート・ミシュラの家系には、バーチャー・グルBacha Guru、シヴスンダルShivsundar、シヴスンダルの息子、バルモーハンBalmohanがいるが、バーチャー・グルBacha Guruはサーンター・プラサードの父である。
 ヴァーラーナスィー派第3流派は、ディーヌー・ミシュラDinu Misihraを祖とし、息子ビハーリー・ミュラBihari Mishraからマウルヴィー・ラームMaulvi Ram、ムンシー・ラームMunshi Ram(Sarangi)と続いている。
 ラームセーワク・ミシュラRamsewak Mishra、ラチュミー・プラサード・ミシュラLacchmi Prasad Mishra、シャーマー・プラサード・ミシュラShyama Prasad Mishra、バーレー・チャーチャーBade Chacahらに師事したブンディー・ミシュラBundi Mishra(タブラー)の家系からは、チャムルー・ミシュラChamru Nishra(sarangi)、ドゥルガー・ミシュラDurga Mishra、ダーモーダル・ミシュラDamodar Mishra(声楽)がいるが、この流れをヴァーラーナスィー派第4流派と呼ぶ場合がある。

流派系統図PDF

パンジャーブ派Punjab Gharana
 パンジャーブ派は一般に、他のタブラー流派の派生の元となったデリー派とは異なった流れだといわれている。元々の中心地はラーホール(現パキスタン)、アムリッツァルであったが、アッラー・ラカーの移住によってボンベイが重要な場所となった。また、アッラー・ラカーの息子のザキール・フセインZakir Hussein(1951~)は、世界的なスターとなり、現在その活動拠点をアメリカのカリフォルニアにおいている。

 継承者(ハリーファー)の流れ
サッドゥーフセイン・バクシュSadduhussein Baksh?→ラーラー・バワーニ・ダースLala Bhawani Das→カデル・バクシュI Kader Baksh I(or カーダル・バクシュKadar Baksh)→ハッドゥー・ハーンHaddu Khan→ファキール・バクシュFakir Baksh→カデル・バクシュII Kader Baksh II/1902~?)

 Solo Tabla Drumming of North India by Robert S. Gottlieb(1993. Motilal Banarsidas)によれば、パンジャーブ派の祖としてラーラー・バワーニ・ダースと紹介しているが、ダースという姓はヒンドゥーのそれを表しているので、事実かどうかは不明。
 ハッドゥー・ハーンの弟子には、ヴァーラーナスィー派のバルデーヴ・サハーイもいる。また、ファキール・バクシュには、カラム・イラヒー・ハーンKaram Ilahi Khan、バーバー・マラングBaba Malang、フィローズ・ハーンFiroz Khanといった弟子がいた。ファルーカーバード派の巨匠、ギャーン・プラカーシュ・ゴーシュは、マニク・パルManik Pal、シャーマル・ボースShyamal Boseらとともに、このフィローズ・ハーンにも師事した。カデル・バクシュII の弟子には、ラール・マハンマド・サーハブLal Mahmmad Sahb、シャウカト・フセインShaukat Hussein(Lahore)、アッラー・データAlla 'Dheta'、アッラー・ラカーAlla Rakha(Bombay/1919~)がいる。これらの弟子のなかでは、シタールのラヴィ・シャンカルとともに世界ツアーを行ったアッラー・ラカーがとくに有名になり、彼の元から多くの才能が育った。息子のザキール・フセイン、ファザル・クレシFazal Qureshi(Bombay)をはじめ、ヨーゲーシュ・サムスィーYogesh Samsi(Bombay)、ナスィール・アハメドNasir Ahmed(Bombay)、ネウレカルNeurekar(Bombay)、シャンカル・チャタルジーShankar Chatterji(Calcutta)、アヌラーダー・パルAnuradha Pal(Bombay)などがアッラー・ラカーの弟子として活躍している。とくに長男のザキール・フセインは、タブラーの地位を著しく向上させたスターである。彼は、パンジャーブ派の奏法を父から師事しただけではなく、現代のタブラー奏法に大きな影響を与えたファルーカーバード派の巨匠、アハマド・ジャーン・ティラクワーAhmad Jan Thirakwa(1891~?)にも師事するなど、あらやる流派の奏法や、南インドの奏法なども取り込み自己のスタイルをうち立てている。

流派系統図PDF

タブラーを買う

 インド旅行の記念にシタールやタブラーを買って帰る人は少なくない。ただ、値段と品質のバランスが分からなかったり購入の目的意識がはっきりしないと、苦労して買っても単なる無駄づかいに終わってしまう。シタールやタブラーなどのインドの楽器はほとんどが手作りで品質のばらつきが大きい。高価なものが必ずしも「良い楽器」とはいえないし、日本人とみると安物をふっかけて売るケースも多い。もっとも、ゼニもたっぷりあって、単なる装飾品としての楽器を買う人は別。
 楽器の上手な買い方というものは難しい。ふところ相談は別にして、まず、買おうとする楽器に真剣に取り組む意志があるかないかで買い方は変わってくる。インド楽器の修得には相当な情熱とエネルギーがいるので、安易な動機の買い方は失敗につながる。本当に「良い楽器」は、ある程度その楽器と音楽について知識がなければ見分けることは難しいだろう。インドビギナーには、音楽をやっている誠実なインド人(これを見分けるのもまた問題だが)に紹介してもらう方法が最も安全である。また、プロ用のタブラーはほとんどが注文生産であることは知っておいたほうがよい。
 一応の目安として最近のデータを以下にあげておく。

 シタール---RS.5,000~RS.35,000
 タブラー・セット---RS.2,000~RS.5,000

 タブラーのメーカーはたいての大都市にあるが、どれも小規模な職人集団である。買い方をよく知っている人は、そうした職人に直接掛け合って購入するが、楽器店でも扱っている。楽器店としては、デリーのリキ・ラームRikhi Ram、ボンベイ(ムンバイー)のバールガヴァ・ミュージック・ショップ、スワーミー(ここではタブラーも製作している)、ハリバウ・ミュージックショップなどがある。わたしは、タブラー奏者ではないので詳しい情報を持っていないが、ご存じの人がいらっしゃったら教えてほしい。

close