CAP HOUSE便り

 わたしは CAP会員だが、定期的なミーティングにはあまり出席しないし、CAP   HOUSEで日常的に活動をしているわけでもない。パーティーでカレーを作ったり、HIROSカレースパイスセットなるものをカフェで売っているので、メンバーのなかにはカレー関係者だと思っている人がいるかもしれない。ごくたまにリビングルームのコンサートで演奏し、この間の七夕コンサートでは大胆にもプロ歌手を前に秋田民謡も披露したので、笛を吹いて民謡も歌うカレー関係者に昇格したかもしれない。冬の宴会では自家製キムチを必ずのように持参するのでキムチ関係者と思っている人もいるかもしれない。さらにキッチンで一日居酒屋を開いたこともあるので、居酒屋系関係者と思っている人もいるかもしれない。  CAP HOUSEはアートセンターだから、ここを拠点に活動している人たちや集まってくる人たちはアートに携わっているかアートに関心のある人たちである。インドの竹の横笛バーンスリーを演奏するわたしもいちおうアーティストの部類に入るといえるが、演奏家としてCAP   HOUSEで登場するのは年に数回だけ。したがってパーティーでのみ顔を合わせる人たちには料理系関係者かと思われても仕方がない。しかしCAP   HOUSEはそう思われることが誇りとなるような風通しの良い気持ちよさがある。ここに出入りする多国籍老若男女はすべてイーブンで、社会的地位や収入の多寡をほとんど詮索しない寛容さがあるのが良い。 いちおう本業である音楽関係で知り合うのは、同業者やその周辺の人たちが自然に多くなる。ごく親しい友人をのぞけば美術関係の人たちとつきあうこともない。しかし CAP と関り分野の異なる人たちの活動を知ることができるようになったことは、わたし自身の想像力の選択肢の幅が少し広がったと思う。  CAPと関わるようになったきっかけは1995年の阪神淡路大震災だった。フランスのマルセイユ近辺のアーティストたちが、被災した神戸のアーティストへ連帯の意思表示をしようと「アクト・コウベ」というイベントを催した。わたしは、現在のCAP   HOUSE館長である下田展久氏らとともに、たまたまその収益金の受け入れ先になった。彼らから送金されてきた義援金を使ってアート・イベントを開催したのがCAP だった。この震災がきっかけで生まれた交流が、現在のCAP   HOUSEとの関係まで続いている。当時放置状態だった旧神戸移住センターの建物を一時的に神戸市から借りるための話し合いに参加し、実際に借りて行った半年間の「実験」にも参加した。その後この建物がCAP   HOUSEと名づけられてからは、2001年にはマルセイユの「アクト・コウベ」に関わった22名の外国人アーティストに1ヵ月間CAP   HOUSEに滞在してもらい交流活動を行ったこともあった。こうしたCAP HOUSEを核として繰り広げられる様々な活動は、音楽や美術の垣根を超えた創造的な「遊び」が可能であることを教えてくれた。 このように震災がなければ、笛を吹いて民謡も歌うカレーおよびキムチおよび居酒屋系関係者と思われているかもしれないわたしと CAP   HOUSEとの関係は生まれなかった。阪神淡路大震災は悲惨な天災だったが、同時にこれまでにない人とのつながりを生み出した。わたしにとってCAP   HOUSEは、その象徴のようなものである。

神戸市消防局機関誌『雪』8月号掲載