Corner of Technozuisou.
ここサイバースペースにおいても、 テクノミュージックについていろいろな意見が述べられている。 私もこの場を借りて、勝手な意見を述べさせていただくことにする。
ただし、これはあくまで一人の自称テクノ好きが書いた随想であるので、 そのつもりで読むように。
会社の昼休みにバナナレコード名駅店へ行った。狙いは中古のアナログテクノコーナーだ。「何枚でも試聴できます」と貼り紙があるので、今日は生まれてはじめてレコードを買う前に試聴してみるつもりだ。
とりあえず、プライスカード(値段とジャンルが書いてある)・レーベル・ジャケを頼りに6枚選ぶ。全部ハズレなので買いません、と言う勇気はないので、半分以上は買う覚悟で試聴をお願いする。
レコードはビニール袋をはずして渡してくれる。ヘッドフォンも貸してくれる。プレーヤーはSL-3100mkIIの黒。使いなれたモデルだ。レコードの数ケ所に針をポンポンと下ろし、DJ聴きを気取ってみる。どのレコードもなかなか良いカンジだ。結局6枚中5枚を購入。
気もそぞろに退社し、早速聴いてみた。アレッ?なんだかちがうよぉ。もっとイイ感じだと思ったのに。変だなァ。
お店では、クラブ耳になっていたようだ。それで、いいぞいいぞ、と思って買って帰ったのだが、家で聴くとやっぱり違う耳になっているのでピンと来ないのかも知れぬ。
ところで、仏教テクノ、全然できてませ〜ん。提唱なんてしなきゃ良かった…(恥
以前、私はこの「テクノ随想」で、四畳半テクノの提唱をした。2000年を迎えた今、ここに仏教テクノを提唱する。
仏教テクノとは、仏教の教えをバックグラウンドにしたナードコアテクノの一種である。例えばYMOの「邂逅」は仏教テクノだと言えよう。
私は今後仏教テクノを産み出して行く。直接的には読経のテープのサンプリングを使ったり、間接的には仏教の思想を背景としたライムを使ったりする予定だ。こう御期待。
以前、私はこの「テクノ随想」で、テクノには教科書がない、と書いた。しかし、最近ぼつぼつと“テクノの教科書”が揃い始めた。早速、テクノの教科書に関する情報を取りまとめたので、こちらを見て勉強してみるのも良いだろう。テクノをより深く知るために!
某有名アーティスト(国産テクノユニット)のLiveへ何度か出掛けた。が、音がでかすぎる。耳栓を持参していったこともあったくらいだ。
ボーカルが何を言っているのかわからない。バスドラのビートはわかるが、上モノもはっきり聞き取れない。これならTVでLive番組を見ていた方がましだ。
懲りているのに、またLiveツアーをやれば見に行ってしまう。それは彼らのファンだから…。
タワーレコードなんかへ行くと、輸入物のCDがたくさん並んでいる。もちろん、有名アーティストのCDを買うのもいいが、楽しいのは、4枚で¥2,000といった、格安のコンピレーションCDだ。
私はLOW PRICE MUSICというレーベルが好きで、BEST OF TECHNOとBEST OF ACIDを持っている。どちらも4枚のBOXで\2,000位だった。これを買って、初めて、STRINGS OF LIFEを知った。いい曲だと思った。
格安コンピはハズレの時もあるけど、アタリの時はほんとに嬉しい。それまで全然知らなかったアーティストを知るよい機会でもある。
皆さんも格安コンピ、いかがですか?ちなみに、私の買った最安コンピは12枚で\2,500位だった。信じられない価格ですよね。
何かのヴィデオで、石野卓球が「皆さん!!電子音は体に悪いので、聴かないようにしましょう!!!若者は、カントリーを聴きましょう!!!」と、電子音の渦の中で言ってたらしい。また、「ダ・カーポ」という雑誌には「携帯電話などの電子音は人間に悪影響を及ぼす」という記事が出ていたらしい。
電子音は、脳細胞に働きかける力が強いと思う。なぜなら、自然界に存在しない音だから、「要警戒音」として反応するのだ。
だから、刺激的で、ダンスミュージックには向いているのだが、聴きすぎると細胞が疲れてしまう。
それに対して、1/fの揺らぎがあるような自然音は、細胞にやすらぎと、休息をもたらす。
ごりごりのアシッドとか、寝る前には聴けません、という人もいるようだが、私は寝ながら聴くこともある。
私は、毎日ラジカセで、テクノを流しながら寝る、それが習慣になっている。もうすでに、私にとって電子音は「要警戒音」ではなくなっているから、ハードフロアであろうが、オービタルであろうが、聴きながら安眠できるのだ。
でも、最近は遊佐未森という女性ヴォーカリストにハマっている。バックトラックにテクノっぽいのが結構あって、坂本龍一と仲が良かったころの、矢野顕子みたいな感じがする。
テクノ野郎はDJの経験をした方が良いといわれる。最近、そのことを実感した。
自宅のスタジオ化の一環で、DJミキサーとアナログプレーヤー(親父からの借り物だけどね)、そしてMC-303,505という構成として、DJごっこ。結構楽しい。そしてかなり難しい。
BMP、じゃなかった、BPMを合わすのはわりと楽だが、MC-505で再生中のパターンに、アナログディスクをぴったりとあわせてスタートさせるのが難しい。
疑問だ。サンプリングしたデータをただ並べて作った曲は、自分の作った曲といえるだろうか?
DTMに力を入れている楽器店やパソコンショップに行けば、美味しいサンプルループの詰まったCD-ROMが山ほど売られている。これらをホイホイとつなぎあわせて一丁上がりなのさっ!(これじゃ、音ゲーで遊んでいるのと同じじゃないか。)
最近機材が増えてきたので、何かしようとするとやたらとセッティングに時間がかかるようになってきた。う〜ん、すっきりさせたいなぁ、と思っていた矢先、某雑誌に載っていた「石野卓球のスタジオ」を見た。これだぁ、僕もスタジオを作ろう、と思い立って、さっそくプランを練り始めた。この配線プランを考えるのが実に楽しい。
テクノをやる人には機材マニアが多いという。必然的に配線は複雑になり、機能的にセッティングをしようとすれば、どうしてもマイ・スタジオを作るしかない。そして、そこがレコーディングスタジオになり、そこで生み出された音楽が、CDやアナログ盤となって世界を駆け巡るわけだ。
これって何かに似ていないだろうか。そう、マイルームで編集された情報が世界を駆け巡る、インターネットと同じである。
だから、テクノとインターネットとは相性が良い。テクノとインターネットはお互いに相乗効果を発揮しながら、今後も発展を続けるだろう。
最近グルーヴマシンなるものが流行っているらしい。 MC-303,MC-505やRM1xなんかが大好評発売中! 他にもサンプル機能を持つマシンとか、とにかくいろいろ出ている。 これらのマシンの多くに共通する特徴は、 すぐに使えるプリセットパターンを豊富に内蔵し、 だれでも曲が作れる!という点であろう。
しかしそれでよいのか?べつにいいけど、僕は自分で1パートずつ 作っていくのが好きだ。そして1つのパターンができたら、 ミュートしたり、カットオフ/レゾナンスをリアルタイムに変化させて 曲に仕上げてゆく。みんなもD.I.Y.でテクノろう!
「テクノ」の音・リズム・思想。「ラップ」のライムの切れ味。これらのイイトコどり。
わたしは、某政令指定都市(エリアコードは052らしい)から 電車で約1時間のとあるベットタウン(URLからバレバレ)に住んでいる。 勤め先は今のところその某政令指定都市なのだが、 困ったことに駅前やデパート前で度々尾崎少年と遭遇する。
(※尾崎少年とは、人の集まる場所で、故尾崎氏の歌やそれに類するものを アコースティックギターを弾きながら歌う少年のことである。)
今春会社の旅行で福岡へ出掛けたのだが、夜の中州の橋上には、 尾崎少年が掃いて捨てるほど...
尾崎少年と遭遇する度、わたしは思うのだ。 「この人たちの真正面で、テクノ、やりたいなぁ...」
で、“尾崎少年の真正面で野外テクノ”計画を以下に示す。 参加希望者はBBS(掲示板)に書き込みされたし。
(1)目的
・「尾崎少年の真正面で、テクノをやりたい」という欲望を満たす。
(2)用意するもの
・バッテリ若しくは発動発電機(テクノやるにはまず、電源の確保が肝要)
・人材(ヒト)パンクの精神を引き継いだテクノな人材、求む。
・音源(モノ)何でもよいが、箪笥型シンセなら尾崎少年を圧倒できそう。
・お金(カネ)手弁当・やかん持参の場合は不要。
(3)実行場所
・尾崎少年の真正面
(4)実行日時
・未定
音楽を聴いて不快になりたい人などいないと思う。 いい気持ちになりたいから、音楽を聴くのだ。 安らかな気持ちになりたい人もいるだろうし、 ある種の興奮状態になりたい人もいるだろう。 いずれにしても、その時の自分にとっての「いい気持ち」になろうとして、音楽を聴く。 だからその目的を果たせないようなものは「音楽」ではなく「雑音」である。
ここに普通に考えれば雑音としか思えない「音」がある。 しかも、それはリズムマシンと同期しつつ、周波数特性を変えながら延々と続いている。 おかしなことに、私の耳と脳は、こんなものを音楽として捉えてしまうのだ。
をや?あなたもそうでしたか。 では、一緒にテクノ総合病院へ入院しましょう。 でも噂によると、一度入院したらなかなか退院できないばかりか、 ますます症状はひどくなるらしい...
NHKテレヴィジョンは大変良い。大好き。 時々ハッとするほどいいテクノを使う。 ほんの短いフレーズが耳について離れなくなることもある。
黎明期からシンセサイザーを所有・研究・活用していたのだから、 NHKにはシンセ好きの血が流れているのかもしれない... 過去には、朝7時のニュースのテーマ曲をYMOに依頼したこともあるし。
それはさておき、私はNHKラジオ「真打ち競演」のファンでもある。 もしあなたが(テクノ好き)and(真打ち競演好き)であれば、 是非お近付きになりたい。BBS(掲示板)に書き込みして下さい。
ちょっと古い話になるが、巨匠細野晴臣氏出演のTV番組を見た。 氏は、素人がシンセをやみくもにいじっくって曲を作ることについて、 「お猿さんがでたらめにタイプライターをたたいた結果、 文学作品ができあがる可能性を想像すれば...」 というようなことを言っていた。 これは、DTM愛好者に冷や水をぶっ掛けるような意図のものではないと思うが、 考えさせられる発言だ。
YMOのファーストアルバム(A&Mミックス)のライナーを読むと、 坂本龍一氏が「楽器を演奏するための肉体的訓練をしなくても、 インスピレーションさえあれば音楽が作れるようになる。」という 意味のことを語っている。たしかに、シンセサイザーやシーケンサー の普及で、だれでも音楽(らしきもの?)は作れるようになった。 しかし。
「インスピレーション」は「音楽理論」によって演奏データ(楽譜)になり、 「演奏技術」によって現実の音になる。 技術の進歩により、演奏データさえ与えれば、機械が演奏してくれるように なったが、よい演奏データを作りだすという作業=作曲が難しい。 温泉を掘り当てるようなものであろうか?
きちんとした「音楽理論」という科学的な探索ツールをもっていれば、 温泉を掘り当てる確率は高くなる。 また「音楽理論」など持っていなくても、天性のカンがある人は 適当に掘っているうちに熱湯が噴き出てくるかもしれない。 (そういう人は無意識のうちに理論を使っているともいえる。)
私のように、探索ツールもなくカンもない人間は、 自分の掘った温泉につかることを夢見ながら、ただあっちこっちを 掘り返すのが楽しくて温泉探しをやっている。 探索ツールを手にいれれば、夢の実現が早いかな?と思いつつ、 いつまでたってもまともな温泉を掘り当てることができないので、 お金を払って有名温泉に行ったり、 知る人ぞ知るような秘境の温泉に行ったりしている。
ダンスミュージックにテクノの手法が取り入れられるようになった結果 「テクノ=ダンスミュージック」のようになってしまったが、 これは正しくない。むしろ「テクノ+ハウス=踊れるテクノ」 ととらえたほうがいいと思う。 よく国内編集のオムニバス盤で「うんちゃらかんちゃらテクノなんとか」 というのがリリースされダンスのコーナーに陳列されるが、 私はまったく信用していない。 私の好みに合わないだけの話かもしれないが。
みなさん、くれぐれも「うんちゃらかんちゃらテクノなんとか」を買って 聴いて『これがテクノか』と思わないでください。 それもテクノなんでしょうが、それが全てではありません。 じゃあ何を聴けばよいのか、といわれると返事に困るんですが。
「テクノは刺激と反応だけ」というのは、私の母の発言である。
いい得て妙だ。テクノはある面、本能的であるといえる。 (インテリジェンステクノなるジャンルもあるらしいが。) 音色とその変化による刺激/タイミング(リズム)による刺激/ 反復の刺激、それに対する反応を楽しむ音楽、というわけだ。なるほど。
テクノ好きは、別にTR−909とTB−303をいじくりまわす ことでいい気になっているわけではない。
テクノを知らない人には誤解があるかもしれないが、いまや あちらこちらで使われているTR−909というリズムマシンの 音は、数年前には見向きもされなかったにもかかわらずテクノ好きが 自らの耳・自らの価値判断で使っていたものなのだ。
(当時はこんなサイバーで機械的な音色を鳴らすマシンより、 生ドラムをサンプリングした「リン・リアルドラム」 などのほうが一般的な人気は高かった。)
またTB−303にいたっては、「まったく使えないベースマシン」 という評判だったものを、演奏中に音色パラメータを変化させるという 思いもかけない使い方をすることによって、使い手たちがその製品の価値 を高めていったのである。
TR−808や909、TB−303を開発した方々は、 多くの音源に、自分たちの作った機材の音色がPCM波形というかたちで、 受け継がれていくという事態は、想像だにしなかったにちがいない。
シンセサイザーに関する書籍はあるが、 テクノミュージックに関する書籍はほとんどない。 つまり、テクノには教科書がない。
テクノに対する向き合いかたというのは2つある。
一つは他人の作ったテクノを楽しむこと。 もう一つは自分でテクノすること。
テクノは、電子技術の進歩が可能にした、音楽界のおもちゃ箱である。 特に最近普及しつつあるDTMシステムを使えば、実に手軽にテクノできる。 ほかのジャンルは音楽理論などを基礎知識として持っていた方がよいらしい が、テクノならそんなものは不要だ。がしかし、この点がテクノが 音楽として認めてもらえない大きな理由であると考えられ、辛くもある。
テクノが好きであることで、他人に迷惑をかけるだろうか? 混んだ電車でウオークマンのボリュームを最大に上げ、 テクノを聴いてる奴は迷惑であろう。 夜中にアパートでテクノをかけながら踊り狂っている奴がいたとしたら (いるか?)そりゃ迷惑だろう。
でも、テクノ好きが、テクノが好きというだけで嫌がられているとすれば悲しい。 たまたま気に入ったジャンルがテクノだったというだけで、 あれこれいわれるのは悲しい。
なぜ悲しいか。 それは、自分がいいと思ったものに共感してもらえないからである。
ところが、最近テクノが盛り上がっているらしい。 名古屋にはその熱波はまだ及ばずといったところだが、 流行にのって「流行に敏感な人たち」がテクノファンとなりつつあるようだ。 一度、そういう人たちと話をしてみたいものだと思っている。
あえて「普通の音楽」と呼ばせていただくが、 いわゆる楽譜にしてその曲のよさが解る音楽は、 テクノにコンバートすることができる。 テクノ界にも、美しいメロディー・ハーモニーなどは存在しうるからである。
しかし、一部の、しかし重要なテクノミュージック= 同じフレーズを繰り返しながらフィルターを開閉し、 音色を変化させることで成り立つ音楽 (楽譜におとしてみてもそのよさが解らない音楽)については、 どうあがいてもテクノ以外の音楽にはコンバートできないであろう。
それは、アコースティックな楽器では、 演奏中に音色をなめらかかつ劇的に変化させることは困難であり、 また、電子楽器を使ってそれをやったら、 いくらほかのジャンル風のアレンジをしても、 それはテクノそのものになってしまうといえるからである。