1968年の夏

1968年、ボクは小学六年生。夏休みの毎日は朝のラジオ体操で始まった。茨城の地方の小都市には大した娯楽など無く、数年前に完成した市民プールには毎日のように遊びに行っていた。(なにしろ学校にもプールは無かった時代だ。)
プールの監視員用のスピーカーからは、流行歌が延々と流れていて、よくかかっていたのは、タイガースの「シーサイドバウンド」とオックスの「ガールフレンド」。たぶん選曲を任されたアルバイトの監視員が、これらを好きだったのだろう。今でもこの2曲を聴くとその当時を想い出してしまう。
市民プールの隣が神社で、回りは林。出店は業務用化学調味料をふんだんに使った焼きソバ屋とかき氷屋が一軒ずつ。

当時といえば、グループサウンズが流行っていて、高校生のお兄さんたちがエレキを弾きながらグループサウンズのコピーを、高校の運動部の空き部屋で汗だくになってやっていた。それをカッコイイなぁ....と羨ましそうに見ていた。

鼓笛隊で小太鼓をやっていたボクは、グループサウンズに夢中になったこともあり、ドラムが叩きたくなったが、親はそんなことに理解を示すことはまったくなかった。エレキバンドと長髪は、当時、不良の代名詞だったのだから仕方がなかった。

市民プールから帰宅した4時頃からは、扇風機もない屋根裏の子供部屋に行き、汗だくで夏休みの宿題をやる。こんなこと誰もやらんだろう、と思うと、それがとても快感だった。

近所にはかき氷とどら焼きの店があり、親に小遣いをもらって、冷たいかき氷と熱いどら焼きを交互に食べていた。たまに、どら焼きのあんこを外に出し、氷イチゴに混ぜて、氷イチゴwith氷あずきにして喜んでいた。

テレビは家に一台。当然家族で見るものであり、グループサウンズの番組を見るのは禁止だったので、ラジオでひとり密かに聴いていた。
市民プールで聴いたタイガースの「シーサイド・バウンド」は、実は前年のヒット曲であって、68年の夏のヒット曲はなかなか思い出せない。
当時はわかるはずもなかったが、正確には1967年がグループサウンズ人気のピークで、68年は“終わりの始まり”だったようだ。事実秋頃から、ブームは急速に終息していった。

茨城の小都市に生まれ育った小学六年生は、その当時ベトナムで戦争が行われていたことも、アメリカでは新しい“ROCK”という音楽が生まれていたことにもピンとこないで、ひたすらノホホンと暮らしていたのだった。

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