♪ 乗り違えた電車

札幌にいた1985年〜1989年までの間、ボクは曲を書いていない
ごく稀にギターに触れていたとは思うが、あまり記憶もはっきりしない
そういや、札幌では弦を買った記憶がない、憶えているのは、ただ毎日眠かったこと、、、
住む場所に、強い憧れや願望があり、悩んだ末にやってきた筈の街‘札幌’は、あまりにも冷たかった

基本的には12時間拘束、、、殆ど夜勤
9時から夜中の2時まで働き続けた月も、1度や2度ではなかった、、、
3年間、2つの会社で辛抱してみたが、いずれも報われなかった
自分なりにはやったつもりだったが、努力が足りなかったのだろう
好きなことなら、誰にも負けない自信があるが
嫌いなことでも、他人より努力できる能力には優れていない

まして、入った時の話しと実際の仕事はかけ離れ
髪型に文句を言われたり、休憩中に腕組みしてると、たしなめられ
無能に思える後輩に負い越され、天狗の鼻はへし折られた

ペーパーテストなら優秀な成績をとる自信はあるが
根回しや作戦を立て、回りの人間と調和して、出し抜く事には長けていない
組織の中でのしあがっていく方法は、親も学校も教えてくれなかった
「そんな男は会社には必要ない!」誰かの、そんな台詞が聞こえてくるようだ

だったらどうして、そんな社会や組織や企業で必要なことを、学校で教育しないんだろう?
いや、そんな授業はこちらからお断りだ、そんな大人にゃなりたくないって、ずぅ...っと生きてきたのだ、今まで
そんな気持ちを抱いたまま、この歳まで来てしまった
けど、何とかしなけりゃイケない、賢く生きてゆかなけりゃイケない
焦れば焦るほど、泥沼に呑み込まれ、やがて息までできなくなった

そこにいたボクは、今までの自分が知ってる、自分じゃなかった
ちょっとした秀才でスポーツ万能の少年でもなく
バンドで唄ってたり、仲間に注目される青年でもなく
青白く、疲れた顔で、いつも眠たい
多分、愚痴をこぼしたり、誰かにあたったりするオトコ、、、
自分が好きだったボクじゃぁなかった

高校時代の友人や、好きだったおんなの娘にも偶然再会したが
よりによって、人生で最もカッコ悪く、惨めだったあの頃に逢いたくはなかった

やがて、我慢の限界を、とうとう超えた
頑張る意味の無意味さが、どんどん膨らんでいって、生きてく意味が霞んでいった

友人達へ虚栄心
自分自身へのわだかまり
半端な秀才だった頃の幻
見えない未来へのあせり
捨てきれないプライド

それとも、父になっていたボクの微かな父性、、、
今まで、何かが、辛うじて足を会社に向かわせていた

家族を、支えていかなければならない使命感
運命を、受け入れなければならない寂寥感
現実を、見つめなければならない脱力感
それら、やるせない人間の性
地獄のような会社を蹴飛ばし、我を取り戻したボクは
気付いたら28歳になっていた、、。

しかし、運命はまたボクを次の場所へと運んでいくことになった
自分で選択した筈の永住、安住の地、北海道を、憧れの街札幌を離れ、
入社した新しい会社の卑怯で無礼ないきなりの転勤命令で、、、

親元を離れて10年…
誰かに守られてきた柔で未熟な男は、この10年でボロボロに打ちのめされた
自分で選んだ人生のイントロは、子供の頃描いたそれとはあまりにかけ離れてた

惨めな負け犬のような気持ちで、
2歳になった洋輔を抱き、雪の千歳空港に立っていた、、、
隣には、ハズレくじを引かせた身重の妻が、不安げな顔でたたずんでいた
ボクは微かな力で妻の手を握り、胸には東京行きの片道切符が入っていた

どうやらボクは、あの日行く先の違う電車に乗ってしまったようだ
駅を離れたその電車は、もとには戻れない
目的地の違う何処かへ向けて、旅を続けるしかない
1989年1月6日、、、今度は自分が決めたのではなく、また次の街へ…
妻とふたりの子供と生き伸びてゆくため?
それとも自分だけのため、、、つづく ^_^


                                         
2003319     

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