♪ 待ち構えてた現実

大嫌いで、ずぅっと反抗し続けた“オトナ達”の一部に
とうとう仲間入りする日が来てしまった、ボクにも、、、
この世に生まれ、小学校から大学まで、行かせてくれた両親に、あの日、礼を言っただろうか?

しかし、その大人社会、未知の組織へ吸い込まれる儀式の朝
ボクは彼らの制服じゃなくジーンズを履いていた
自由の象徴、反骨、開拓、革新のユニフォームであるジーンズ、、、
しかし、その日のスタイルは、決して組織社会や、大人社会への反抗ではなかった
いさぎよく、名もなき独りの会社員になる決心は、とっくについていた

思春期から、マスコミに踊らされ、自由を掴む為などどいう旗の元
校則に逆らって、髪の毛を伸ばしたり、、、
先生や、親や、大人達の矛盾に立ち向かったり
教室の窓を飛び越えて喫茶店“
TAMAKI”に入り浸ったり
そんな思いを唄にして、歌ったりしてきたが、、、
もう、そんな反逆の時代は終ったのだ

あれは、多かれ少なかれ誰もが経験する、人間の成長の過程のひとつに過ぎず
そんな時期をボクは通り過ぎてきたのだ、もう終ったことなのだ
おとなしく、巨大組織の中の社員番号『000000』として生きてゆく運命なのだ
今日から約
40年、終身雇用制度の檻の中、
定年というゴールを目指し、ひたすら進んでゆくのだ、模範囚として
いや、そんな選択を、他でもない、自分で下したのだ

ちょっとした会社資料の誤解や、卒業、就職、引越し、のごたごたで
社会人
1年生用に買ったプレイロードのスーツを、研修先の朝霞へ送ってしまった
ただそれだけだった、何故か、もう一着買うって事はしなかった、たった
1日、何とかなるサって諦めた
世間一般では、門出の大切な
1日だけど、恥はほんの一時さ
けど、今思えば、この出だしがイケなかったのかなぁ…

その日、
JR総武線、品川行きのその電車の中は、スーツ姿のサラリーマンで、息も出来ないほど混んでいた
みんな、同じ、暗い顔をした、アメーバーのような無個性の群れ
生きているのか、死んでいるのか、わからぬような集合体
独りジーンズにジャケット、少し日焼けした顔のボクは、明らかに浮いていた
そして、大手町の本社、日本ビルヂングへ勇気をふりしぼり入っていった、、とサ。

入社式の直後、、、
ボクらを待っていたのは、朝霞の自衛隊駐屯地での1週間の体験入隊だった
昨日までの、学生の自由気ままなぐうたら生活は
その日を境に、
50年前の戦時中の規律正しい毎日に豹変した
同じ服を着せられ、まるで人を番号で管理しているような
ボクの
1番嫌いだった、束縛、抑制、制圧、が蔓延していた

それは、多分これから
40年間、企業に自分の時間を僅かな給料で売り渡す覚悟を
再確認させる為の
1学期の予備テストだった
けど、テストの解答用紙は、今までみたいにすぐには返却されない
60歳定年になった時、やっとその紙は戻ってくる

そこに○印は、いくつついているのだろう、、、
「よく頑張ったな
××君、、きみの成績は学年で16番だ」
「これで立派に卒業だ、高校に行ってもまた、頑張るんだぞ」
誰かのそんな言葉は、もう聞こえてこないだろう
その日まで、生まれて
1番永い学年での勉強が始まるのだろうか
そして、その後には、いったい何が待っているのだろう?

その後半年間、機械工学科卒業者の研修の為、滞在した岩手県釜石市、、、
生まれて始めての、相部屋寮生活 >_<

貧しかったがひとりっこのボクは、今まで独りの空間や時間は侵されなかった
ノンプライバシーの共同生活は、かなりストレスがたるものだった
独りっきりになっていられる場所は、トイレとお風呂の中のみ
もちろん、ギターもケースに入れたまま、、、
半年間、
1度も東北の済んだ空気に触れることはなく、その弦の振動を伝え、音色に変えることはなかった

まっ、それでもやっぱり楽しかった、若かったし
土日は、新入社員全員、毎週日帰りで東北全県を車で旅して回った
半年で、本に載っている全ての観光スポットを訪ねただろう、何しろ、東北には渋滞ってものが皆無だった
音楽は、高卒の同期の連中が聴いていた“ ハウンドドック ”や“ 山下久美子 ”を
ドライブミュージックとして、よく鳴らしていたのを憶えてる
そして、夜は毎晩飲みに出かけた
20代のママが経営する店で、水割りを舐めながら、仲間がカラオケ歌うのをぼんやり聴いていた

永いようで短い
6ヶ月は過ぎ、ボクは異国関西の兵庫県姫路市に配属された
関東地方への希望は、やはり叶わなかった、、、
人生
2度目で最期の寮生活は、個室、半年ぶりにギターケースを開けた…。
関西はボクにとって、同じ国とは思えないほどの異文化で、たった
1年半で逃げ出すことになったが、、、
ここでも出会った人達は、皆いい人達だった

ボクは、ゆっくりしたスピードでペースで、曲をまた書き始めた
もう、人に聴いてもらうステージはなかったのに
もう、人の耳に触れることは絶対なかったのに
何かが、ボクをそうさせた
元々、人に聴いて欲しいから曲を創ってた訳じゃないから、、、

じゃぁ、いったい何のために曲なんか創るのだろう、自分で創って、自分で唄って、録音して、、、
だぁーれも聴かないその曲は、、、いったい何物なんだろう、、、
楽譜もないから、ボクの記憶の中だけにある唄達、ボクの脳の中だけに存在する、、、架空の唄達。。。
唄っていったい何なんだろう、、、当時、そんな疑問を
1度も感じる事はなかった
ただ、何かが、ボクに少しずつ唄を創る力を与え続け、素直に、自然に、それに従った

そして、ボクはこの街で学生時代の彼女と結婚し、
1年後会社を辞め、この街を後にした
面倒を見てくれた先輩達には、本当に申し訳なかったが

たった
2年前、悩みに悩んだ末に決断した人生設計、就職先の選択は
ボクの運命を考えもしなかった方向に押し流していった
しかし、恨むまい、悔やむまい、後悔すまい
全ては、誰でもなく、自分で決めたことなのだから、、、つづく ^
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2003319     

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