♪ 拓郎を通して見る20世紀音楽シーン V

< ニューミュージック 〜80年代>

ボクの中に拓郎はいなかった

80年「シャングリラ」「アジアの片隅で」
81年「無人島で」
82年「王様達のハイキング〜ライヴ」
83年「マラソン」「情熱」
84年「FOREVER YOUNG
85年「俺が愛した馬鹿」「ONE LAST NIGHT IN TSUMAGOI〜ライヴ」
86年「サマルカンドブルー」
88年「マッチベター」
89年「ひまわり」

 どのアルバムもリアルタイムで聴かなかった
 全て
90年代に入ってから聴きなおした

 ある日、誰かがフォークからニューミュージックへと看板を塗り替えた
 そうすることに 決めたらしい
 音楽にも流行というものがある、人は常に新しい何かを求めてる
 飽きっぽい生命体 なのだ

 いったい誰が仕掛けたのか、、、マスコミ、レコード会社、わからない
 だいたい音楽の流行、潮流は誰が作り、あやつり、動かしているのだろう
 一般のリスナー、聴衆の支持でできているんじゃないことだけは確かだ
多くの歌から多数決で、聴きたい歌を選んでいる訳ではない
政治家が一方的に日本を動かしているように、誰かがリスナーに、「次はこの音楽を聴け!」と決めつけている
そして、殆どのリスナーは「
NO!」とは言わない・・・

時代はあんなに輝いていたフォークを古臭くでダサイものに変え道端の隅っこへ押しやった
あんなに持てはやし、ボクらを引きずりまわしておきながら
いともあっさりニューミュージックという看板を打ちたてた
70年初頭から中頃まで王様だった拓郎が好き!と言うことが恥ずかしい、そんな思いまでボクは感じていた
当の本人拓郎はどう感じてたのだろう?
自分が時代とマッチしなくなり、何だか霞んでゆくのを感じてたのだろうか?

時代に逆らった
時代に取り残された
時代に乗り損ねた
時代にハジかれた
そのどれかは、わからない、、、。

< 当世学生事情 >

「神田川」の中で学生は
3畳一間の小さな下宿だったのだ、畳の部屋の隅に木の色をしたギターが転がっていて
一升瓶と湯のみで未来を語り雑魚寝している絵さえ浮かんでくる、それがフォーク的な叙情の風景だったのだ
高校生の頃はそんな学生生活に憧れていた、しかし、ボク等が大学生になった頃、時代はもう少し転がっていた
高校時代憧れていた「俺達の旅」の中村雅俊的学生象にもう魅力を感じてるやつらはいなかった
程なく、ハマトラやサーファーが街の色を原色に変え
色褪せたジーンズとフォークはまとめてタイムカプセルに入れられた
だいたい、もう長髪がカッコいい時代ではなくなっていた、長髪はやぼったく、ウザイ象徴に変わり始めていた
シティーボーイと言う言葉が踊り、世の中何かが少し変わり始めていた

そんな頃、シンセサイザー革命、
YMOを中心とするテクノミュージックの台頭
デザイナーズブランドと言う、ファッションの流行と音楽の融合
徐々に髪を短くする必要があったボクは、もみあげをスクエアカットした
サーファーファッションにエレキギターは似合わなかったが
ビギやコムサの黒っぽい服とニューミュージック、ポップスの相性は悪くなかった
ジュリーやそのバックバンド、ベースの吉田健も当時は髪がフサフサで、そんなスタイルを好んでいた

そんな頃頭がハゲはじめていた拓郎は、まだ時代遅れのカーリーヘアだった
70年代、音楽、ファション、生き方、、、全ての見本、神様だった拓郎
自分がオトナになったんだろう、境遇が変わったのだろう

< 時代を築いたアーティスト >

レコード売上ベスト
10だけを元に、80年代を飾り駆け抜けたアーティスト?達を見てみよう
80年代、最も売れたミュージシャンは、ユーミン サザン 松田聖子 中森明菜だ
つまり、ニューミュージックとアイドルの
2本立て
その他
10年間を通して見ると
オフコース、達郎、松山、安全地帯 チェッカーズ
レベッカ、オメガトライブ、久保田、渡辺美里、杏里、長渕・・・がチャートを形作っていた 
そして
89年のザ・ベストテンの終了で歌番組の時代は終ったようだ
が、しかし、この
10年どんな曲がヒットしたのか記憶は全くない
レコードも買わなかったし、レンタルもしていない
今まで持っていたカセットをたまに聴く程度、殆ど音楽と遠ざかっていた
生きるだけで、いっぱいいっぱいだった、、、

< プレーヤーからリスナーへ >

13歳の頃から、音楽は聴くだけのものではなく、自分が唄い、作り、演奏するものだった
しかし、社会人になるのと時を同じくして、自分の中で音楽は唄ったり、演奏するものではなく
車の中で聴く、
BGMに変わっていた
大学を卒業し、バンド活動もなくなったボクは
都会的で、軽快なノリの演奏と、耳障りのいい軽いヴォーカルを好んだ
ドライブしながら説教されたり、強いメッセージを聴くのはつらい
薄めのラヴソングでも流しながら、彼女の肩に手を廻しているのが心地よかった
何故か時代も、そんな楽曲を強く支持してるように感じられた
ライフスタイル、ファッション全てが拓郎とかけ離れた
拓郎のニュースもメディアから流れて来なかったし
自分自身仕事に追われ、アンテナを張ってる余裕もなかった


 80年代の拓郎は低迷?と書いたがボクの情報不足も否めない
 アジアの片隅でやファミリーなど拓郎らしい壮大でメッセージ性の強い曲も書き
 ファンから支持を受けているし
 武道館や東京ドームでのライヴ等成功を収めたらしい

 最後に個人的にこの時期のアルバムから好きな曲をあげておこう
 70年代は好きな曲と聞かれれば、殆ど全部と答えたが
 この時期からは、好きな曲と嫌いな曲がハッキリとできてしまった
 上記のアルバムに納められている曲数は100以上だが、、、
 


いくつもの朝がまた
元気です
春を待つ手紙
大阪行きは何番ホーム
抱きたい
君の瞳に入りたい
流れ流され
冬の雨
                          90年代へ、、、つづく 

                                               2005.8.28

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