LONELY INNOVATIONAL FREESTYLE ESSAY 11.....................2002.10.28

<巡る運命 /ばーちーリフォーム大計画(W)>

約3年の札幌暮らしの末、また千葉県市川市に来る事になってしまった
骨を埋めるつもりで札幌を選んだのに、会社を辞め、、、何故、なぜ、ナゼ…

みっつめの会社が、入社直後、突然の異動命令、、、
最初から首都圏への人狩だった、地方都市札幌からの、、ハメられた。
東京研修に行ってみると、九州や沖縄、、、田舎者の吹き溜まりだった
バブルは破裂寸前、しかし誰も認めようとしていなかった
東京近郊には、大量の人が必要だった、、のだ。

家を捜す時間も金もなく、妻の両親との仮のつもりの同居
取合えず上京する手段としてスタートしたのだ
辞めるって手もあった、しかし100万都市札幌に、ロクな仕事はなかった
いや、ボクこそがロクな男ではないのかもしれない、きっと、企業にとって
寒い正月早々、生きてゆくための3度目の選択、、、決断、、。

実は最初の会社を辞める時、札幌へ行くか、東京へ行くか迷った
親が北海道にいなければ、迷わず東京を選んでいただろう
京葉地区は、ボクにとって第2の故郷、いい想い出しか残っていない
学生時代の友人も多く、妻とその両親は内心喜んだに違いない

いずれ、出て行くつもりだった、しかし、そうもいかなくなるものだ
思えば、この街、この家が最も長く住んでいることになる。
14年、いろんな事があった、、、仕事も変えた、また、、、。
少し変わった形の住居形態だったのだ
以前APとして、賃貸に使っていた部分にほんの少し手を加え暮らしていた
決して使い勝手のいい間取り、空間、広さではないことは言うまでもない。
よく今まで、この家で辛抱して暮らしてきたものだ

いったい家とは、家族、人間にとって何なんだろう?
家の作りによって、人間関係や家族関係、色んなことに影響がでるのは明らか。
しなくてもいい喧嘩をしたり、しなければいけないことが出来なかったり
ボクはこの家で、最も充実した年月を過ごしてきたけど、もっとも狭い空間で、喘いできたことも事実
狭いながらも楽しい我が家? 本当だろうか?

北海道に残った友人達は殆ど家を建てていた、土地の値段が違い過ぎる
同じ日本の、地面の値段があまりに違い過ぎる
今の街は、育った街の10倍、畳2枚分が10倍の値段だ
10年前は、30坪土地付き建売住宅が、1億で売りに出されていた、それでもすぐに売れた、
日本がこのまま無限に経済成長し、所得もそうなるって、
誰もが信じてローンを組んでいた、日本中誰もが、、、

3年程前だろうか、義父の定年を期に引越しの話しが持ち上がった、、
別の場所に、2世帯住宅を建てる計画だ
いよいよ、やっと、話しが“リフォーム大計画”に近づいてきた

毎週のように不動産屋を廻り、土地を物色した
1時間半程度で、今の会社に通勤可能な予算内の場所
学校や買い物、最低の条件をクリアする事、、、
間取りのプランも、何枚となく書いた、自分なりに
半年以上、そんな生活を続けただろうか?そんな努力と時間は、全て無駄に終わってしまった
どうしても、妻の両親と敷地の場所で意見が摺り合わなかった
というか、彼等は最初からボクらの意見になど、従うつもりはなかったらしい

どんな敷地を提案しても、駄目な理由を叩きつけられた
奥歯に物の挟まったような、釈然としない、曖昧な戯言ばかりが繰り返され
ボクの通勤や、子供達の通学や、その他の事は蚊帳の外に置かれた
「俺の意見に従えば間違いは無い!」
勝手にそんな無言の理屈を押しつけられ、ボクら家族は閉口した

やがて、新しい家が建った、しかし、ボクら家族は引っ越せない家
ボクらの空間、環境はひとつも変わらなかった

運命とは、皮肉なものだ
家が出来あがって間もなく、家主の義父が突然倒れ、帰らぬ人となった
新しい家は、そこに住むべき人を失った、いったい家は、何の為にあるのだろう

今もその家は、その土地に建っている、住人のいないそれは、、、
日本の不況、デフレの風に吹かれ、資産価値が日々減少しているその空っぽの箱は、、、

9/23更新の、魔法の箱へと、、、つづく
工事完成と共に、完結編を、、お楽しみに ^_^

                         2002.10.23

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